エディの長い一日 -5
前回のあらすじ
文字についてと、この話における「学校」についての説明回でした
とりあえずエディは、アルファベットの練習からだそうです
タノ司祭から小さな黒板と、使いかけのチョークと、手のひらサイズのチョーク消しを受け取って、エディはまずじっくりとお手本となるアルファベット表を見た。まずはこの、タノ司祭が言っていた「大文字」というのから書くのがいいのだろう。
エディはチョークを手に取って、ゆっくり斜めに線を引く。それから上の部分をくっつけて、反対側に斜めに。真ん中あたりに横線を引っ張れば、いびつだけれどAの文字の完成だ。
「よく書けていますね」
「でも、曲がってしまって」
「構いませんよ。文字というものは、その形状がその文字である、ということが伝わればいいものです。
私に文字を教えてくれた先生なんてね、MとNとTとIとLとがそれはもう崩れていて、ミミズがのたくってる線にしか見えなくてね」
タノ司祭は楽しそうに笑いながら、アルファベット表にある文字をひとつずつ抑える。
「ここに点があるから、これはこの追加文字iだとか、横に線が引いてあるからきっとtだとか、友人たちと解読をしたものです。そうならなければ、それでいいんですよ」
もちろん、丁寧に描くことは悪いことではありませんよ。そう、タノ司祭は言葉をつづけた。
「綺麗に描いてある文字は、読む側も嬉しくなります。読み易いですしね。
けれど最初の目標は、見本を見なくても綴れるようになることです。だから、いびつになってしまったことは、それほど気にしなくても構いません」
「ほらペリーヌ、先生だってそう言ってるだろ!」
「マノロの字は、ミミズ文字じゃない。いびつはいいけど、ミミズは駄目よ!」
口調はきついが、二人は笑いながらそう言い合う。
マノロはひょいと自分の黒板を持ち上げて、エディに見せてくれた。ペリーヌが言うほどミミズみたいではなかったけれど、今エディが線を一本一本集中して書いたものよりは、崩れていた。
なんだ、それでいいんだと。
エディはちょっとだけ、気が楽になった。
エディはタノ司祭から借りた黒板に、今度はそんなに気を使い過ぎずに、斜めに線を引いて、上をつけて反対側に斜めに引いて、真ん中に線を引いた。気負わずに書いたAの文字は、さっきよりもいびつではなくなっていた。
それに満足したので、次の文字を練習することにした。そうして、次の文字、次の文字と練習していく。まずは一通り、書いてみなくては。大文字を二十六文字書き終ったところで、今度は小文字の練習をする。
黒板がいっぱいになってしまったら、黒板消しを使って全部消す。最初に書いたAが大きすぎたのか、Wなんかは端の方に書くしかなくなってしまい、あんまりたくさん練習できなかった。
だからエディは、一回黒板消しで消した後は、大きすぎないサイズで練習を開始した。
「エディうまいなあ」
「そうかな? ありがとう」
前の席に座ったマノロが、タノ司祭の所に黒板を持って行って色々教えてもらうために立ち上がった時に、エディの黒板が見えた。
マノロは自分の黒板と、エディの黒板を見比べて、もう一度席に座り直した。
ヨハネスは、兄だ。だから自分より字がうまいのも当たり前だ。自分より長い事学校に通ってるんだから。
幼馴染のペリーヌだって、そうだ。マノロより一つ年上で、ヨハネスより何か月か年下。
だからマノロは自分の字が汚くても、これまでは気にしていなかった。
けれど、エディは違う。自分より後から入ってきたのだ。自分の方が字が汚いのは、駄目だ。
そのやり取りを見て、タノ司祭はにこにこと笑う。
マノロは、自分より年下の子が入って来て、今、成長したのだ。虚栄心結構。意地っ張りでもかまうまい。それでエディを虐めるようなら問題かもしれないが、マノロの場合は自分の文字をうまくしようとしたのだ。
急ぐ必要はない。
彼等はまだ十歳だ。これから色々な事を学び、大人になるのだ。
だからもう一回書き取りをする時間位、大した遠回りではない。大人であるタノ司祭はそれを知っているが、それを言葉で彼等には教えない。こればっかりは、自分で気が付くのを待つしかなかった。
甘えん坊のヨハネスは、弟が出来てお兄ちゃんになって、弟のマノロに甘えられてしっかりしてきた。わがままだったペリーヌは、マノロの世話を楽しそうにあれこれ焼いている。なんでも適当で、誰かがやってくれていたマノロは、どうなるだろう。やってもらったことを嬉々として、エディにするだろうか。
こういう時にタノ司祭は思う。ここで学校を開いて、とても良かったと。
からぁん、からぁん、からぁん、からぁん。
教会の鐘楼の鐘が鳴らされた。有事の際は叩いて鳴らすが、昼の時刻を教える鐘は紐を引き、鐘の内側にある舌を揺らしてぶつからせて鳴らす。この鐘の音は街中に響き渡り、朝と、昼と、夜を教える。
たまに風に乗って、エディの村まで届くこともあった。
「さて、午前中の勉強はここまでにしましょうか。お弁当を持ってきてる人は、ここで食べてもいいですし、今日は天気がいいから、前庭で食べるのも気持ちよさそうですね。
エディ君はもうすぐヴィムさんが迎えに来るでしょうから、一緒に門の所まで行きましょうか」
「はーい。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
「あ、ありがとうございました」
子供たちは口々に、タノ司祭に礼を言った。それを聞いて、慌ててエディもそれに倣う。
ヨハネスとマノロはお弁当だが、ペリーヌは一度家に帰るという。ペリーヌの家は昨日夕飯を食べたお店で、昼は家の手伝いをする必要があるのだと。
「ちぇー、俺エディと話したかったのになー」
「明日からは、お弁当持っていきなさいって師匠が言っていたから、明日一緒に食べよう?」
「じゃあ、わたしも明日はお弁当にしてもらうわ!」
「お家の手伝い、いいの?」
「一日くらいなら許してくれるわよ。エディはヴィムさんのお弟子さんで、うちの両親はヴィムさんの幼馴染だもの。きっとエディの話を聞きたがるわ」
だって前の弟子の、エリーナのことだって聞きたがったもの、と、ペリーヌは笑う。
それには、ヨハネスとマノロも笑いながら頷いた。
「うちのとーちゃんとかーちゃんも、ヴィムさんとは仲がいいからさ、新しい弟子そろそろ来るといいねって言ってたよね、にーちゃん」
「そうだね、一人は寂しいし大変だからって、よく心配してたね」
ヨハネスとマノロは前庭で食べることにして、ペリーヌとエディを門まで見送ることにした。その道中、大した距離ではないけれど笑いながら一緒に歩く。
門についたところで、手を振ってペリーヌは帰っていった。ヨハネスとマノロはそれを見送ると、エディも見送ることにしたからとヴィムが来るのを一緒に待つと言い張る。
「そんなの悪いよ、お腹空いてるでしょ?」
「うん、さっきから鳴ってる」
なんて笑っているうちに、ヴィムがやってきた。人通りは多いけれど、紺色のローブは目立つ。
「ようヨハネス、マノロ。ちゃんと勉強してるか?」
ポン、ポンとその頭に手を乗せて、ヴィムがふたりに笑いかける。二人も、笑顔を返した。それは、三人が親密な関係にあることをエディに教えてくれた。自分も、あの輪の中にいつか入れるだろうか。
「お待たせてすみませんでした、タノ司祭」
「いいえ、それほど待っていませんよ。丁度ペリーヌさんを見送ったところで、あなたがきましたから」
「ああ、そこですれ違いました。大してお待たせしないで済んでよかったです。
それでは、今日は色々やることがあるので、これで失礼いたします。明日からは、午後もお願いします」
「承知しています。エディ君は、真面目で、几帳面に字を書いていました。まだ何とも言えませんが、そこだけを見るなら、魔法使いの素質はあるように思えます」
「司祭がそう言ってくれるなら、頼もしい。
今日はありがとうございました。それじゃあエディ、行こうか」
「はい、師匠。タノ先生、ありがとうございました。ヨハネス、マノロ、また明日」
「うん、明日」
「明日は一緒に昼食おうな!」
エディとヨハネスとマノロは手を振り、教会の門のところで別れた。
ヴィムとタノ司祭は少し腰を追って会釈し、ヴィムはメインストリートに向って歩き出した。
20190804 ちょっとだけ修正
たぶん間違い探しレベル