エディのローブ -8
前回のあらすじ
八百屋さんで茄子を買いました
もう外は真っ暗で、あちこちに街灯が灯っていた。街は明るい。
エディの生まれ育ったニベル村から街を見下ろせば、夜の間は明かりが煌々と灯っていた。
「不思議かい?」
「はい、夜なのに、暗くなくて」
夜は、暗いものだ。
山や森の中では特に、木々に遮られて空は見えない。星も、月も、世界を照らしてはくれない。
「この街が暗くない理由のひとつは、私がいるからだ」
灯火の魔導師。
火事を、灯火に変えてしまう魔術の使い手。
「店の棚を見てもらえばわかるけれど、火は一度灯火にしてしまえば中々消えてくれないからね。その使い途のひとつが、街灯というわけだ」
ただ消えるのを待つよりは、街に還元した方がいい。
暗がりが減れば、それだけならず者たちも悪いことができない。彼らは、暗がりを好んだ。
「もうひとつの理由は、教会が街灯の管理を行ってくれているからだよ」
消えない街灯があっても、誰かがその管理をする必要がある。街中の街灯を見て回って、痛んでいたり消えていたり、なんだったら街灯そのものが無くなっていないか等教会が見て回ってくれていた。
もちろん教会だけが負担を負っているわけではなかった。それぞれの住居近くの街灯はそれぞれの住人が管理をしている。灯火が消えそうになったら、それを教会へと教えていた。
「昼夜問わず煌々と灯っているものだから、他所から来ると慣れなくて辛いらしいとは聞くね」
何が、と聞かれれば、それはもちろん窓の外が明るくて、だ。
窓のすぐ外に街灯があれば、カーテン程度では明るいのだと言う。もっともこの街の住人は生まれた時からそれに慣れているから、特に問題なく寝ているが。
ベッティの店は今日も盛況だった。
店の前には大樽が二つ置かれ、その真ん中に明かりを置き、男達が立ち飲みをしていた。
「ようヴィム」
「やあ、ボー、ハリンも。最近どうだい」
「どこも景気はよくねぇな。悪くもねぇけどよ。だから毎年恒例のトカゲ狩りだよ」
「今年も頼むよ」
「おうよ」
男たちのテーブル、代わりの樽の上には、木製のジョッキ、それからつまみだろう豆の煮たもの。鳥の串焼きに薄いパン。
「エリーナちゃんはどうしたんだい」
「エリーナならこの秋から王都だよ」
「もうそんなか!」
「じゃあ坊主は次の弟子か」
「あ、はい。エディと言います。よろしくお願いします!」
頭を下げるエディに、男たちはジョッキを持ち上げて答えた。
「引き留めて悪かったな」
「坊主、いい魔法使いになれよ」
口々にそういってくれる男たちは、街の者には見えない。冒険者、という奴なのだろう。ならず者のようでいて、ならず者ではない。彼らはそんな存在だ。
ヴィムは不思議そうに彼らを見るエディの背中を押して、店内へと入る。
店の天井には明かりが点っているが、あれは魔法の明かりではない。普通に、街中で買えるランプの明かりだ。
店内は盛況だった。ヴィムは店内を見渡して空いてる席を見つけると、エディの背をそちらへと押した。
「カウンターのそばのテーブルが空いてるな」
「あ、はい」
エディもキョロキョロしていたが、彼の背ではほとんど大人たちで見えなかった。
ヴィムに促されてそっちを見ても、空いている席は、エディの目には見えなかった。
テーブルの間をヴィムに背中を押される形で縫って歩くと、ようやく空いた席にたどり着いた。そこからは、カウンターの中、厨房がよく見えた。
「エディ、遅かったじゃない」
手伝いをしていたペリーヌが二人に気がついて、テーブルへと歩いてくる。手に、メニュー表をもって。
「今日の付け合わせ、あたしも手伝ったの! 楽しみにして!」
他のテーブルから呼ばれて、ペリーヌはそれだけをいって去っていった。夜の時間は、昼の時間と同じくらい盛況だ。
「さあエディ、今日も頑張って読んでごらん」
ヴィム自身はさっとメニューに視線を走らせて内容を確認すると、メニューが書かれた黒板をエディの前に置いた。習ってない単語も沢山あるだろうが、それは今覚えればいいだけだ。
「ええと、ボール?」
「合ってるよ。この単語は山羊の肉のことだ。山羊とも肉とも異なる単語になってしまう。不思議なことにね」
「山羊肉、の、ボール」
「そう。それを煮込んだものだね」
この単語が、煮込みを表すのだと、ヴィムは黒板をつついて教える。ちなみに何で煮込んだのかは記載がないからわからない。隣のテーブルを見ればわかるだろうけれど。
付け合わせの記載については、エディは首を横に振った。
「これはパンの種類だね。ちなみにアントンのパン屋にはない種類だから、初めて見たんじゃないかな」
丸くて固いパンである。半分に切って、中を割って、そこに具材を詰めたりして食べる。
「あ、これはわかります。オムレツ!」
料理屋では確かに頻出単語かもしれないな、とヴィムは笑って頷いた。わかる、というのはそれだけで嬉しいものだ。それが積み重なって、人は学ぶことが楽しくなる。
「それから、豆の……煮込み?」
「その通りだ。大分読めるもの増えてきたね」
「はい! 楽しいです!」
ヴィムに誉められて、エディは嬉しそうに笑う。つられて、ヴィムも笑った。
「じゃあ今のメニューをもう一回読んでみようか」
「ええと、山羊肉の、ボール、の煮込み。パン」
「ああすまない。ホプス、と読むんだ。ホプス、と言う名前のパンだよ」
「ありがとうございます。ホプス、オムレツ、豆の煮込み」
「良くできました。残り二つのメニューも頑張ろうか」
「はい!」
鳩をレモン漬けにしたものを柔らかく煮込んだもの。付け合わせはかぶと豆のスープにオムレツ。
野菜の真ん中をくりぬいて、そこに挽き肉を詰めて焼いたもの。付け合わせはかぶと豆のスープにオムレツ、ホプスも付いて来る。
ふぅ、とエディはため息をついた。
読めるものは増えてきたけれど、読めないものもまだまだ沢山ある。ヴィムは丁寧に教えてくれるが、覚えられたかどうかは自信がない。
「さて、どれを頼もうかな」
そうだ、まだ終わりじゃなかった。
「ぼくは、山羊肉のボールの煮込み、が食べたいです」
「私は鳩にしようか。おーい、ペリーヌ!」
「はーい! ようやくメニュー決まったの?」
にこにこと笑いながら、ペリーヌが二人のテーブルへとよってきた。二人のあとから来たテーブルでも、すでに食べ始めているものたちもいる。すべての席が埋まっているわけではないから、誰も二人に文句を言わなかった。
いや、すべての席が埋まっていたとしても、ヴィムに文句を言う人間はこの街にはいないだろう。彼は、灯火の魔導師なのだから。