エディのローブ -1
前回のあらすじ
お店のカウンターで勉強をして、お夕飯を食べて、エディの長い一日がおわりました。
朝起きて、顔を洗って歯を磨いて。
店の前の掃除をして、店内の商品にはたきをかける。上から順に、ゆっくりと。エディの身長では最上段には届かないから、椅子の上に登って。
それから師匠のヴィムと一緒に朝食を食べて、教会へ行って午前中の勉強をする。お昼にはヨハネスとマノロと、時々ペリーヌと一緒にお弁当を食べて、午後の勉強だ。
夕方になる前に勉強が終わったら店に戻って、カウンターで店番をしながら勉強をする。それは教会でタノ司祭から出された宿題の時もあれば、ヴィムから出された魔法を使うための勉強の時もある。
夕飯ができたと師匠に呼ばれたら、店の札をひっくり返して、灯り取りの窓にカーテンを引いて、鍵を閉めて、部屋に勉強道具一式をおきにいって、台所を兼任している食堂で師匠と一緒に夕飯を食べる。
そうだ、店のドアにかける札が読めるようになった。オープンと、クローズ。開店と閉店の意味だ。もちろん最初の日に師匠にそう教わったからっていうのもあるし、そう読むのだと、そういう意味だと教えて貰ったからだっていうのも分かっているけれど、それでもエディには嬉しいことだった。
他にも、店内の値札も読める単語が増えてきた。数字は元々読めはする。それがどれ程の値段なのかはまだよくわからないけれど、ヨハネスとマノロの家のパンと比べると格段に高価いのはわかる。それが、魔法のアイテムだからだということも。
夕飯の席ではその日一日あったことを話して、例えばどんなことを学んだのかは毎日報告するようにと言われていた。その進捗状況をもって、ヴィムはエディの魔法の勉強の予定を組み立てるのだ。
そんな日々が、一日、二日、三日と過ぎて、エディが文字を見本がなくても書けるようになった頃。
「エディ、明日は勉強が終わる頃迎えに行くから、門のところで待っていなさい」
ちょうど、大きな目玉のようなトマトが乗ったグラタンをすくって、口にいれた直後だったエディは、慌ててそれを飲み込んで頷いた。
「は、はい」
「慌てなくていいよ。
明日は、君のローブを作りにいこう。
といっても、エディはまだ弟子だからね、正確には作るのはローブではなくてハーフマントになる」
魔導師の髪、もしくは瞳と同じ色のハーフマントは、知る者にはとても雄弁に誰の弟子であるのかを語る。知らぬものにとってはただ、赤系が灯火、青系が漣、緑系が微風、茶色が大土、白が教会、黒が色の魔法使いと呼ばれるのだと、それだけを教えるのみだ。
「ローブについては、先日見せたね」
「はい、師匠の髪色と同じ、赤いやつですよね」
「そう、裾に魔法の刺繍を施してもらっているんだ。あれと同じものを、エディのハーフマントにも刺してもらわなければいけない」
ただのハーフマントであれば、それは簡単に手に入る。仕立て屋のナタリア婆さんの所には、ヴィムの髪の毛と同じ色の布が常にストックされている。だから行って頼めば、まあその日どれだけの仕事が立て込んでいるかにもよるだろうが、翌日には手に入るだろう。
しかし、魔法を刻むとなるとそうはいかない。
まず、刻むべき魔法陣を作らなければならない。それは、その服を着る人ひとりひとりに合わせて服を仕立てるのと同じように組み立てられる。年齢、背の高さ、手足の長さ、魔力の波長。
けれど。
「今回仕立てるのは、そこまで本式のものではなくてね」
ホワイトソースの絡んだトマトをパンに乗せて咀嚼して、ヴィムはエディに説明をする。
「消防団に卸しているのと同じ、耐火の魔法陣だけを刺したものを依頼しようと思っている」
「いいんですか?」
「なにが?」
「服って、高いんですよね」
ああ、とヴィムは頷いた。
そうだ、そこからだ。
エディはこの近くの村の出で、そもそもそれほど服を持ってきておらず、前の前の弟子であるワイアットのサイズアウトした古着を着替えにと渡しただけで恐縮されたのだ。自分専用の新品のローブ、となればそれはおののきもするだろう。
「普段着は別に古着でも構わないけれどね」
事実、衣服に頓着のないヴィムは古着を愛用していた。下手をすると、学生時代に王都で買ったものをまだ着ていたりする。もっとも大半は、大掃除だと言って前の弟子であるエリーナに捨てられたが。
「耐火のローブだけは常に力あるものを着なければならない。
それはとても簡単で、そしてとても大切なことだ」
エディの食事の手は止まってしまっている。
けれど彼は呆けているわけではなく、ヴィムの言葉に真剣に耳を傾けていた。
「有事の際、私たちは、私たちだけは倒れてはならない。
ニベル村でのあの炎を、エディ、君は見ただろう。いいかい、私たちはあれを恐れてはならない。
そのために大事なのが、この、専用の耐火の魔法陣の刻まれたローブなんだ」
実際の熱の前には、人なんてちっぽけなものである。少なくとも、ヴィムは祖父からそう教わったし、学院でもそう学んだし、自分の命を簡単に焼き尽くすような大火を見たこともある。
そしてその現場でそれを押さえ込むことができるのは、ともしびの魔法使いただ一人なのである。
炎は見た目の凄まじさよりも、実際は熱が体力を奪う。そうして集中が切れて、手先が狂って、救えるものも救えない時。
責められるのは己であり、誰よりも責め立てるのもまた、己なのだ。
「これから二年間、エディは私の元で学ぶ。その際、何度も火事の現場に行かなければならない」
出来ることなど何もないが、それでも供に行くのだ。
そうして師であるヴィムが何をしているのかを見て学ぶ。
「見ることも学びになるし、机の前で教本とにらめっこをするよりも、学べることは多い」
だから弟子たちは皆、耐火の魔法のかかったハーフマントを師匠から贈られ、供に現場へと向かうのだ。
「はい、理由はわかりました。がんばります。
ですが、それはとても、その、高価なのでは」
「そうだね、君の村の一年分の収入よりも高いかもしれない」
エディの生まれ育った村はほとんど自給自足で、特にこれといった特産品を街で売って生計を立てているわけではない。月に一度の市場で、森の恵みを卸す程度だ。
「けれど君の命よりそれは安いし、そのマントを君が羽織ることで後のともしびの魔法使いが一人生まれるのであれば、十二分に元はとれる」
だから気にしなくていいと続けて、ヴィムはマカロニの乗ったスプーンを自分の口に運んだ。
ポイント、ブクマありがとうございます
新しいおはなしの始まりです