五大国と神託の十三騎士【五】
リアとローズを小脇に抱えた俺は、足早に職員室へ向かった。
開けっ放しになった扉を通り抜けると、副理事長がこちらに気付いた。
「お、おぉ、アレンくん! よかった、無事だったん……っ。り、リアさん、ローズさん!?」
彼は意識の無い二人を見て、大きく目を見開いた。
「安心してください。気を失っているだけです」
「そ、そうか、それはよかった。しかし、君がそれほどの深手を負うなんて……。よほどの強敵だったんだね……?」
「はい、ギリギリの戦いでした。――ところで結界の破壊に成功したのですが、外部との連絡は?」
俺がそう問い掛けると、彼はニッと笑った。
「あぁ、それはもうバッチリだ! おそらく後五分もすれば、理事長が到着するだろう。もちろん、聖騎士協会にも連絡済みだよ。本当によくやってくれたな、アレンくん!」
「そうですか、それは良かったです」
レイア先生さえ来れば、もうこちらのものだ。
(よし、戦いはもうすぐ終わるぞ……っ!)
その間に俺は俺のできることをしよう。
「それでは副理事長。俺は会長たちの援護に行ってきます」
そうして職員室を後にしようとしたそのとき。
「――駄目だ。アレンくんは逃げてくれ」
副理事長は俺の肩をグッと掴み、真剣な眼差しでそう言った。
「前線へ向かった教師から連絡があった。敵の中にあの『神託の十三騎士』の一人が確認された。いくらアレンくんでも、そんなボロボロの状態では絶対に勝てない……っ!」
「……神託の十三騎士、ですか?」
そう言えば戦いの最中、ドドリエルがそんなことを言っていたような気がする。
「黒の組織の最高幹部のことだよ。一人一人が国家戦力級の力を持つ超凄腕の剣士で、その強さは『理事長クラス』はあると言われている」
「れ、レイア先生と同格……っ!?」
「あぁ、そうだ。神託の十三騎士を相手に戦うというのは、すなわち一国を相手にするようなもの……っ。だから、アレンくん。君は大人しく逃げるんだ」
副理事長はそう言って、肩をポンと叩いた。
だが、
「……それならむしろ、行かなくてはいけませんね」
そんなことを聞かされて、引き下がれるわけがない。
「なっ、どうしてだ!?」
「会長たちは、そんな強敵を相手に今も戦ってくれています。それなのに、俺だけが尻尾を巻いて逃げるわけにはいきません」
俺の力なんて所詮は小さなものだ。
だけど、戦闘において『数の差』は大きな意味を持つ。
頭数は、一人でも多い方がいい。
「――お気遣い、ありがとうございます」
俺は短くそう言って、職員室を後にした。
「あっ、ちょっとアレンくん……! くそ、理事長……っ。お願いですから、早く来てください……っ」
■
副理事長の制止を振り切り、校庭へ向かった俺の目には――信じられない光景が飛び込んできた。
「な、なん、だ……。これ……?」
まるで荒野の如く荒れ果てた校庭に、千刃学院の生徒たちが倒れ伏していた。
その中で一人――背の高い細身の男が悠然と立っていた。
(アイツがこれを……っ)
沸騰しかけた頭を左右に振り、冷静さを取り戻した。
そして奴を視界の端に捉えながら、ぐったり倒れ伏す会長の元へ近寄った。
「――会長、大丈夫ですか?」
その肩をゆっくり揺らすと、
「あ、アレンくん……? に、逃げ、て……っ。あの化物には、絶対、勝てな、ぃ……っ」
彼女はそう言って、静かに意識を手放した。
(……それほどの相手か)
筋金入りの負けず嫌いである会長に、『絶対に勝てない』とまで言わしめるほどの剣士。
満身創痍の状態で戦うには、荷が勝ち過ぎる相手だ。
(だけど、やるしかない……っ)
今、千刃学院で戦える剣士は俺一人。
ここで逃げ出せば、この場にいる全員が皆殺しにされるかもしれない。
(なんとかして、時間を稼ぐしかない……っ)
そうして考えをまとめた俺は、警戒を最大限に高め――この大惨事を引き起こした張本人の元へ歩み寄った。
「お前が、これをやったのか……?」
「――いかにも。虫が多かったのでな。少し振り払わせてもらった」
「……虫、だと?」
仲間を虫呼ばわりされたことで、先ほど抑え込んだ怒りが再燃してきた。
「貴様は確か……アレン=ロードル、だな?」
「……っ!?」
何故か彼は、俺の名を知っていた。
「驚くな、報告を受けただけのことだ。なんでも少しばかり、腕の立つ子どもがいる、とな」
「……そうか。一方的に名前を知られているのは、気持ち悪いな。そっちも名乗ったらどうだ?」
なんとか会話を繋ぎ、時間を稼ぐ。
「ふむ、一理あるな。私は神託の十三騎士が一人――フー=ルドラス。以後、お見知りおきを」
そう言ってフーは、礼儀正しくわずかに頭を下げた。
どうやら、話はできるタイプの男のようだ。
フー=ルドラス。
身長は高く、百九十センチは超えるだろう。
背まで伸びた長い黒髪。
剣士にしては、痩せた体躯。
歳は三十代前半ぐらいだろうか。
堀の深い整った顔からは、理知的な印象を受けた。
剣さえ持っていなければ、学者のようにも見えるだろう。
白い貴族服の上から、黒い外套を羽織っている。
ただしその外套には緑色の――どこかで見たことのある紋様が刻まれていた。
おそらくこれは、幹部にのみ許された特別な衣装だろう。
「……お前たちの狙いは、リアか?」
「『リア』……? あぁ、そう言えば……。今代の原初の龍王の宿主は、確かそんな名だったか……」
彼は顎に手を添えながら、記憶をたぐるようにしてそう言った。
「原初の龍王の『宿主』……?」
「あぁ、私たちは原初の龍王をはじめとした幻霊を収集している。極論、あんな小娘などどうでもいい。必要なのは中身だ」
「……『幻霊』? ……『中身』? どういうことだ……?」
聞き覚えの無い単語の連続に、俺は首を傾げた。
「ふむ……。話は嫌いではないし、知的好奇心の旺盛な若人もまた好ましい。紅茶でも飲みながら、ゆっくり話をしてやりたいところだが――あいにく今は、時間がない。それはまたの機会としよう」
そうしてフーが、レイピアのような細身の剣を構えたそのとき。
「な、ぁ……っ!?」
息苦しさを覚えるような濃密な殺気が放たれた。
「……どうした、構えないのか? アレン=ロードル?」
敵にそう言われて、初めて俺は無防備に立ち尽くしていることに気付いた。
「くっ……っ。はぁああああっ!」
俺は体に残った霊力を掻き集め、濃密な闇を纏った。
少しの間だが、体を休めたおかげで霊力がわずかに回復していた。
(後数分ならば……ギリギリ持つ……っ!)
俺が正眼の構えを取った次の瞬間。
「――どこを見ている?」
「なっ!?」
背後にフーがいた。
「――シッ!」
「……っ」
首の付け根を狙った容赦の無い一撃。
俺は咄嗟に地面を横へ蹴って、紙一重で回避した。
「ほぅ、なかなかの反応速度だ」
『殺し』になんの躊躇いも無いその攻撃を見た俺は、『場数』と『経験』の差を感じた。
(守ってばかりだと殺られる……っ)
攻撃は最大の防御。
俺は重心をしっかり落とし、最速の動きで間合いを詰めた。
「八の太刀――八咫烏ッ!」
「――風衝壁」
渾身の力を込めた八咫烏は、見えない壁によって防がれた。
「なん、だと……っ!?」
「戦闘中に動揺を見せてはいけないな――風絶」
その瞬間、凄まじい『突風』が俺の腹部を撃ち抜いた。
「か、は……っ!?」
まるで腹を抉られたような、とてつもない衝撃が駆け抜けた。
そのあまりの威力に大きく後ろへ吹き飛ばされた俺は、受け身を取ることさえできずに地面を転がった。
「……ふむ、どうやら既に大きく消耗しているようだな。しかし、魂装も無しにこの動き……。殺すには惜しい逸材だな……」
フーは余裕綽々の表情でそう言った。
(マズいな……。これはちょっと勝てないぞ……っ)
さすがは国家戦力級と呼ばれる剣士だ。
悔しいが……いまだ魂装を習得していない俺には、まだこの段階は早過ぎた。
(だけど……退くわけにはいかない……っ!)
レイア先生が来るまでの数分間、なんとしても食い下がってやる……っ!
俺は悲鳴をあげる体に鞭を打ち、二本の足でなんとか立ち上がった。
「……まだ立てるのか。体の丈夫さ、精神力ともに申し分ないな」
そしてありったけの闇を注ぎ込んだ、正真正銘全力の一撃を放つ。
「六の太刀――冥轟ッ!」
漆黒の闇に覆われた巨大な斬撃が、フーの元へ殺到した。
だが、
「――風覇絶刃」
彼の放った巨大な風の刃は――黒い冥轟をいとも容易く引き裂いた。
「そん、な……っ!?」
これまで一度として破られたことの無い、黒い冥轟が消し飛ばされた。
絶望的な光景を目の当たりした俺は、言葉を失い呆然と立ち竦んだ。
その直後――依然として絶大な威力を誇る風覇絶刃が俺の全身を切り刻んだ。
「か、は……っ」
風の刃に切られた傷は……深い。
否、深過ぎる。
戦闘の継続など、望むべくもないほどだ。
(く、そ……っ)
地に這いつくばった俺が、強く歯を食いしばったそのとき――突然フーは上を向き、信じられないことを口にした。
「ふむ、手ひどくやられたな――ドドリエル」
すると次の瞬間、
「あはぁ……っ。すみませぇん、先輩ぃ……。でも、原初の龍王はしっかりと捕獲しましたよぉ……っ!」
校舎の二階から、血濡れのドドリエルが降りてきた。
奴の後ろには黒い影が浮かび、そこには職員室へ運んだはずのリアが吊るされていた。
「り、リア……っ!? ドドリエル……っ!?」
俺が驚愕のあまり声をあげると、
「――あはぁ、ご機嫌いかがかなぁ。アレェン?」
何故か傷の塞がったドドリエルは、グッとこちらへ顔を近付けた。
「お、お前、どうして……っ!?」
こいつは瞬閃で、しっかりと斬った。
まともに動き回れる状態では無いはずだ。
「あはぁ、科学の進歩って凄いよねぇ……。ちょっと寿命を削るだけで、こんなすぐに回復する薬を作れちゃうんだからぁ……っ!」
奴はそう言って、懐から青い丸薬を取り出した。
(あれは霊晶丸……っ!?)
見れば、ドドリエルの右手に握られた<影の支配者>には、大きな歪みが見られた。
(なるほど、そう言うことか……っ)
どうやらこいつは霊晶丸の暴走を逆手にとり、自己治癒能力を劇的に向上させたらしい。
「くっ……。まだ、だ……っ!」
もう既に三分以上は経過したはずだ。
(残り、約一分……っ)
死ぬ気で逃げ回れば、どうにかなる時間だ。
そうして俺が両の足に力を籠め、ゆっくりと立ち上がったその瞬間。
「……え?」
これまで経験したことのない奇妙な衝撃が、体の中心を打った。
「あはぁ……っ。剣士の勝負は真剣勝負……っ! これで……僕の勝ちだねぇ、アレェン……っ!」
喜悦に歪むドドリエルの顔。
そこからゆっくりと視線を下へ向ければ――俺の胸に、奴の剣が深々と刺さっていた。
「か、は……っ?」
痛い。
熱い。
苦しい。
息が……できない。
口内を鉄の味が満たし、全身を焼けるような痛みが駆け抜けた。
俺はそのままドドリエルにもたれかかるようにして、前方に倒れ込む。
「あはぁ、あははは、あははははは……っ。あっははははははははははは……っ!」
耳障りな笑い声が鼓膜を打つ。
徐々に霞んでゆく視界の先に見えたのは――影に拘束されたリアの姿だった。
「リ、ア……っ」
最後の力を振り絞って、伸ばしたその手は――虚しく宙をかいた。
そうして俺は、暗く深い闇の中へと沈んでいった。
■
アレンの心臓を一突きにしたドドリエルは、
「き、気もちいぃ……っ!」
快楽・興奮・悲哀――様々な感情をないまぜにした、複雑な表情で笑っていた。
「はぁはぁ……っ。あはは、あはははっ、あっははははははは……っ!」
復讐を成し遂げ、生きる目的を達成した男のどこか空虚な慟哭が響く。
「少し、もったいないことをしたな……」
フーは短くそう呟くと、配下であるドドリエルに命令を下す。
「――原初の龍王は捕獲した、急ぎ帰るぞ。黒拳がこちらへ向かっているという情報もあるうえ、この国には『血狐』もいる。長居は無用だ」
「あはぁ……っ。了解しましたぁ……っ」
そうしてフーとドドリエルが踵を返した次の瞬間――千刃学院全体をどす黒い闇が包み込んだ。
「「な、なんだっ!?」」
見渡す限り一面の闇。
かつて経験したことのない異常事態に、フーとドドリエルは剣を抜き放った。
(これは、まさか……っ!?)
フーの脳裏にあり得ない可能性がよぎった。
この場で、闇を司る剣士はたった一人。
たった今始末したはずのアレン=ロードルのみだ。
(……だが、彼は心臓を貫かれて死んだはず!?)
フーがゆっくり振り返るとそこには、
「くくっ、ぎゃははははははは……っ! やっぱり外の空気はうめぇなぁ……え゛ぇ?」
上機嫌に大笑いをする、無傷の『アレン=ロードル』が立っていた。
ふわりと浮かび上がった長い白髪。
左目の下あたりに浮かび上がった黒い紋様。
煌々と光る真紅の瞳。
そして何より――普段のアレンとは似ても似つかない凶暴な顔つき。
まるで別人のような変貌を遂げたアレンに、フーとドドリエルは大きく目を見開いた。
「感謝するぜぇ、虫けらども……っ! 馬鹿なてめぇらのおかげで、『表』に出て来られたんだからなぁ……っ!」
質・量ともに別次元の『闇』を纏ったアレンは、無造作に『黒剣』を手にした。
その瞬間、
「「……っ!?」」
押し潰されたと錯覚するほどの『圧』が、フーとドドリエルを襲った。
二人は同時に息をのみ――『アレンという異常』が抱える真の力を正しく認識した。
「……ドドリエル、援護しろ」
「……了解」
こうして『アレン=ロードル』対フー、ドドリエルの死闘が幕を開けたのだった。




