五大国と神託の十三騎士【三】
俺は正眼の構えを取り、真正面からドドリエルを見据えた。
奴は切っ先をこちらに向けたまま、愛憎入り混じった複雑な笑みを浮かべている。
(あの剣は確か……魂装<影の支配者>だったか……)
地味な見た目に反して、その能力は強力無比。
対象の『影』を踏んでいる間は、その相手からの攻撃を全て無効化するという恐るべき力を持つ。
(……だが、きっとそれだけではない)
もしも本当にそれだけの力ならば、リアとローズが後れを取るわけがない。
何かもっと別の――未知の力を隠し持っているはずだ。
(……ひとまず接近戦は避けて、奴の出方を窺うか)
俺がそうして戦略を練り上げていると、
「あはぁ……? こうして二人で見つめ合っているのもいいけどさぁ……。やっぱりもっと、もっともっともっと! 強く激しくぶつかり合おうよぉ……!」
ドドリエルはわけのわからないことを言いながら、一気に距離を詰めてきた。
「時雨流――五月雨ッ!」
息つく暇も無い雨のような突き。
だが、
(……見えるっ!)
まるで時が止まったかのように、一つ一つの突きがはっきりと見えた。
迫り来る凶刃を最小限の動きで完璧に避けた俺は、
「八の太刀――八咫烏ッ!」
八つの斬撃をもって反撃に転じた。
「あはぁ……っ。それは効かないよぉ……っ!」
ドドリエルは三つの斬撃を切り払い、その隙に俺の影をしっかりと踏みしめた。
その瞬間――残る五つの斬撃は、ドドリエルの体を通過した。
「くっ、『影の世界』か……!」
奴の本体は今<影の支配者>の能力により、こことは違う異界にある。
これを破るとなると『断界』クラスの一撃が必要だが……。
(……それはこいつだって、百も承知のはずだ)
すると、
「――あはっ! もちろん『断界』だけは避けるよぉ?」
こちらの思考を読んだドドリエルは、無邪気な笑みを浮かべた。
「……だろうな」
こいつはグラン剣術学院時代から、頭の切れる奴だった。
同じ技は、二度も通用しないだろう。
「それじゃぁ、どんどん行くよぉ……っ! 時雨流――篠突く雨ッ!」
袈裟切り・唐竹・切り上げ・切り下ろし・突き――殺意の籠った鋭い連撃が次から次へと繰り出された。
「……っ」
俺はそれらの斬撃を時には避け、時には打ち払い、時には剣を盾にして防いだ。
「ぐっ、ちょこまかちょこまか、すばしっこいなぁ……っ!」
繰り出す斬撃を全て防がれたドドリエルは――大きな雄叫びを挙げて、さらに激しく斬り掛かってきた。
俺はその攻撃をしっかりと防ぎながら――わずかな違和感を覚えていた。
(……どうしてさっきから、手数の多い攻撃ばかりなんだ?)
なんとなくだが……引っ掛かった。
俺は三年間、ドドリエルと同じ剣術学院に通っていた。
だから、こいつのことは人並程度には知っている。
(こいつは戦闘に『美しさ』を求める奴だったはずだ……)
今みたく同じ連撃系統の技を続けて放つのは、らしくない。
すると、
「このぉおおおおおおおお……っ!」
熱くなったドドリエルは、大上段からの切り下ろしを放った。
「――甘い!」
その強烈な一撃を右半身になって回避すると――目の前に隙だらけの頭部があった。
ここだ……っ!
「五の太刀――断か……っ!?」
俺が一歩大きく踏み込んだそのとき。
「……あはぁ」
ドドリエルは笑った。
それは狂気に委ねた笑みではなく――とても理知的な笑みだった。
(……マズいっ!?)
何がマズいのかはわからない。
だが、目の前にぶら下げられた大きな隙。
これに飛び付くのは危険だと、俺の第六感が叫んだ。
自分の直感を信じて、大きく後ろへ跳び下がったその瞬間――足元の影から極大の斬撃が放たれた。
「なっ!?」
天へ昇る斬撃に対し、俺は大きく身を引いて回避を試みた。
その結果――前髪が数本断ち切られたが、まさに紙一重で避けることができた。
(……あ、危なかった)
もしもあのまま断界を放っていたならば、今頃俺は真っ二つになっていただろう。
「惜しい惜しぃ……っ。後、ほんのちょっとだったなぁ……っ! あは、あはは、あはははははははっ!」
奴は大きく口元を吊り上げ、腹を抱えて大笑いし始めた。
どうやら『連撃』一辺倒だったのも、最後の大振りの斬撃も――今の一撃のための布石だったようだ。
「いやぁ、失敗失敗……っ。アレンの体が真っ二つになる瞬間を想像したら……もぅ、笑顔が溢れ出しちゃってさぁ!」
ドドリエルはそう言うと、両手で自分の体を抱いて身悶えた。
俺は奴の挑発と奇行を無視して、質問を投げ掛けた。
「……お前、今の一撃は斬撃を飛ばしたのか?」
ドドリエルが『剣を振った場所』と『斬撃が発生した場所』は、まるで違う。
つまりこいつは――斬撃を『別の場所』へ飛ばしたのだ。
「正解正解、大正解……っ! 僕の<影の支配者>が持つ、遠隔斬撃だよぉ……っ!」
「遠隔斬撃……?」
「うんっ! 僕は『自分の影』から地続きの『別の影』へ、斬撃を飛ばすことができるのさぁ……。ほら、ちょうどこういう風に――さぁっ!」
そう言ってドドリエルが剣を振るったそのとき。
「っ!?」
足元にある俺の影から、鋭い斬撃が飛び出した。
「くっ!」
俺はすぐに横薙ぎの一撃を放ち、迫り来る斬撃を打ち消した。
「いい能力だろぉ? それにほら見てよ、今日は一面の曇り空だ! 雲には『影』ができる――今やここは全て僕の支配領域さ! まるで神様が後押ししてくれているみたいだねぇ……!」
奴は両手を大きく広げて、満面の笑みでそう語った。
「……ずいぶんと魂装の力を引き出したものだな」
さすがは天才剣士と言ったところか……。
相変わらず、その才能だけは本当に一級品だ。
「……ありがとぉ。でも、君に褒められてもなぁんにも嬉しくないや……。ところで知っているかい……? 魂装はさぁ『生と死の境』を歩くほど、強くなっていくんだ――よっ!」
ドドリエルはそう言いながら、鋭い突きを放った。
「『生と死の境を歩く』……? 死に掛けるってことか?」
それを捌きながら会話に応じる。
「あぁ、そうだよぉ! 瀕死の重傷を負い、生と死――物質と非物質の狭間を経験するとさぁ……っ! 肉体と魂がより密接に結びつき、魂装はさらなる輝きを放つんだ、よっ!」
「へぇ、そうなのか」
それには少し心当たりがあった。
シドーさんやイドラさんと戦い、瀕死の重傷を負った俺は――その後、不思議なことに強くなっていた。
(『強者に勝利した』という経験が自信となり、剣が鋭くなったのかと思っていたが……)
どうやらこの現象には、理論的な裏付けがあるらしい。
「君が千刃学院でぬくぬくと遊んでいる間さぁ……っ。僕は、毎日毎日来る日も来る日も……っ。ずっと戦場を駆け抜けて来たんだよ……っ! 地を這いつくばって! 泥水をすすって! 人を斬って! 全てはそう――僕の人生無茶苦茶にした、お前に復讐するためにな……っ!」
ドドリエルは憎悪に顔を歪め、喚き散らした。
(……壊れている)
こいつの人格は、もう取り返しのつかないくらいに壊れてしまっていた。
その契機となったのは――一年前の決闘だろう。
ドドリエルは、三年間ずっと『落第剣士』と嘲笑ってきた格下の俺に――自分が集めた大観衆の前で敗れた。
それが、こいつの繊細なプライドを傷付けてしまったのだ。
(客観的に見れば、逆恨みもいいところなんだが……)
これは確かに、俺が蒔いた種でもある。
だから、せめてその後始末として――斬ろう。
「剣術学院というぬるま湯に浸かったお前が……この僕を斬れるかなぁ!?」
ドドリエルは大きく目を見開き、
「時雨流奥義――叢雨ッ!」
威力を一点に集中させた鋭い突きを放つ。
奴の問い掛けに対して俺は、短い答えを返した。
「――あぁ、斬れるよ」
そして俺は――闇で塗り固めた『疑似的な黒剣』を振り下ろした。
「か、はぁ……っ!?」
その一撃は『影の世界』を切り裂き、奴の胸部に深い太刀傷を刻み付けた。
「が、あぁああああああああ……っ!? ぼ、僕の……っ。僕だけの世界が……っ!?」
ドドリエルは胸の傷よりも――影の世界が、ただの一振りで破壊されたことに大きなショックを受けていた。
「――お前がいろいろな修羅場をくぐり抜けて来たことは、その剣を見ればよくわかるよ。だけどな、俺だって毎日毎日必死に剣を磨いてここに立っているんだ」
リア、ローズ、シドーさんにイドラさん――ただの一人として楽な相手はいなかった。
一戦一戦がまさに死闘。
俺がこれまで過ごして来た日々は、決して『ぬるま湯』なんかじゃない。
そうして真っ直ぐドドリエルを見つめると、奴は血走った目で睨み返してきた。
「落第剣士風情が……っ。いつまでもどこまでも、目障りなんだよぉおおおおっ!」
突然豹変した奴は、その剣に凄まじい『影』をまとわりつかせた。
黒く汚れたおぞましい力、とてつもない負の力の集合体だ。
恐らくは全力の一撃――ここで勝負を決めるつもりだろう。
「行くぞ、アレン……っ!」
「あぁ、来い……っ!」
お互いの叫びが轟き、ドドリエルは剣を振るった。
「死ね――影の虚撃ッ!」
その瞬間、まるで濁流のような『影の波』が驚異的な速度で押し寄せた。
それは周囲の木々や瓦礫を飲み込む、圧倒的な質量の暴力だ。
対する俺は、剣を大上段に掲げ――一思いに振り下ろした。
「六の太刀――冥轟ッ!」
闇をまとった巨大な斬撃が、大地をめくりあげながら駆け抜ける。
そして――漆黒の闇と虚ろな影が、激しく衝突した。
凄まじい衝撃波が吹き荒れ、本校舎に巨大な亀裂が走る。
両者が拮抗したかと思われた次の瞬間――『闇』が全てを飲み込んだ。
「そ、そん、な……っ。馬鹿、なぁあああああああっ!?」
全てを破壊する黒い冥轟がドドリエルを飲み込み、悲痛な叫びが学院中へ響き渡った。
「……やったか?」
土煙が晴れるとそこには――息も絶え絶えといった様子のドドリエルが、二本の足で立っていた。
「……丈夫な奴だな」
俺がそう呟くと同時に、ドドリエルはゆっくり前のめりに倒れ込んだ。
「はぁ、はぁ……っ。く、そ……っ」
その体にはいくつもの深い太刀傷が走っており、これ以上の戦闘は望めないだろう。
「……終わりだ、ドドリエル。じきに聖騎士がやってくる。それまで、大人しくしているんだな」
そうして俺が背を向けた次の瞬間。
「あ、あは、は……っ。やっぱりアレン、は……優しいなぁ……っ。こんなゴミ屑みたいな僕に、情けを……っ。掛けてくれるん、だもん……っ。僕、さ……、君のそういう甘いところ――反吐が出るくらいに嫌いなんだよ……っ!」
ドドリエルの全身を、おどろおどろしい影が包み込んだ。
「なっ!?」
俺は慌てて後ろへ跳び下がり、正眼の構えを取った。
「――く、あはは、ふははははははははっ!」
耳障りな笑い声をあげた奴の体には、まるで紋様のような黒い影がこびりついていた。
(……傷が塞がっていく)
黒い影は傷口を繋ぎ合わせ、溢れ出す血を止めた。
「あはぁ……っ。今なら『神託の十三騎士』すら、八つ裂きにできそうだよぉ……っ!」
奴が試し斬りとばかりに本校舎を斬り付けると――外壁は吹き飛び、中の教室が剥き出しとなった。
(た、たった一振りでなんて力だ……っ!?)
どうやらあの影には、身体能力を向上させる効果もあると見て間違いない。
「『影』と『闇』……っ。奇しくも『黒』同士の戦いだねぇ……っ! 落ちぶれた天才剣士と落第剣士――はみ出し者同士、お似合いの力なのかなぁ?」
俺はドドリエルの軽口を聞き流しながら、奴の体を注視した。
「……その力。かなり無茶をしているようだな」
見れば、その体は影に締め付けられ――各所に血がにじんでいた。
どうやら自分の細胞を強引に締めあげ、限界を越えた動きを強制しているようだ。
「そんなこと無いさ……! この『痛み』がいいんだよ……っ! 人は痛みを背負って強く、たくましく育つんだ! さぁ、アレェン……僕と一緒に『成長』しようよ……っ!」
ドドリエルは凶悪な笑みを浮かべ、攻撃的な前傾姿勢を取った。
「……悪いが、お前の『成長』は今日ここで終わりだ!」
俺はかつてないほど濃密な闇をその身に纏い、正眼の構えを取った。
――こうして俺とドドリエルの戦いは、最終局面へ突入したのだった。