極秘事項と千刃祭【七】
試合開始の合図と同時に、俺は竹刀をへその前に置く――正眼の構えを取った。
対するジャンさんも鏡合わせのように同じ構えだ。
ジャン=バエル。
千刃学院の制服を身に纏った背の高い剣士だ。
おそらく百八十センチはあるだろう。
真っ黒な短髪。
整った顔立ち。
目が悪いのか、銀縁の眼鏡をしていた。
(剣術部『部長』か……)
いったいどんな剣を振るうのか、正直かなり興味があった。
すると、
「……アレン=ロードル。副部長のシルティから聞いたぞ。剣術部の勧誘を断ったそうじゃないか」
「え、えぇ、まぁ……」
シルティ=ローゼット――剣術部副部長を務める二年生の女剣士だ。
円心流という『守りの剣』を得意としていた。
(しかし、新勧のアレは、果たして『勧誘』と言えるだろうか……?)
シルティさんとは、五月の新勧で一度手合わせをしたことがあった。
(確かリアとローズと一緒に、剣術部の活動を見学しているときだったっけか……)
突然体育館の出入り口を封鎖され、立ち合いを強要されたのだ。
(アレは勧誘というより監禁だよな……)
俺がそんな少し昔のことを思い返していると、ジャンさんは話を進めた。
「一度は断られてしまったが……。それでも俺は、ぜひとも君に剣術部へ入ってもらいたい」
「……え?」
いきなりの勧誘に目を丸くしていると、彼は剣術部の現状を語り始めた。
「悔しいことに剣術部は今、『草刈り場』にされている……っ。苦労して有望な一年生を獲得し、いい具合に育て上げたところで――横から掻っ攫っわれるんだ……っ」
ジャンさんは歯を食いしばり、硬く拳を握った。
「それは酷いですね……」
部活動の予算は『部費戦争』で決定する。
剣術部のような規模の大きい部は、そこでしっかりと予算を獲得しなければ、活動が大きく制限される。
そのため、有望な一年生が横取りされるという状況は、部の存続を揺るがす危機と言えるだろう。
「しかし、誰がいったいそんなことを……?」
「あの世紀の悪女――生徒会長シィ=アークストリアだ……っ!」
「か、会長が……!?」
彼女に限ってそんなこと……いや、やりかねないな。
(……うん。あの人なら、なんの躊躇もなくやるだろう)
脳裏をよぎったのは、ポーカー勝負での一件だ。
会長は優しい笑顔を浮かべながら、平気で『ギミックカード』というイカサマを行った。
彼女にはああ見えて、少し腹黒いところがある。
「――生徒会書記リリム=ツオリーネ、会計フェリス=マグダロート。あの才気溢れる二人は、ともに元剣術部なんだ……」
ジャンさんは遠い目をしながら、そう呟いた。
「そ、そうだったんですか……?」
それは初めて耳にする。
「あぁ、彼女たちは将来剣術部を背負って立つはず……だった。しかし、いったいどんな手を使ったのか、あの憎きシィ=アークストリアが横取りしたんだ……っ」
「な、なるほど……」
そう言えば会長が『二人とも私がスカウトした』と言っていたっけか……。
「そして今年度は――君だ」
そう言ってジャンさんは、こちらへ向かって指を差した。
(……確かに生徒会へ入ったけど)
そもそも俺は剣術部に入るつもりは無かったし、これは『横取り』ではないだろう。
すると彼は強い語調で断言した。
「はっきりと言わせてもらおう。――君は間違った方へ進んでいるっ!」
「え、えーっと……。間違った方向、ですか……?」
「あぁ。アレン=ロードル、君のことは少し調べさせてもらった。三度の飯より血と暴力を好む男。素振り部という怪しい宗教団体の開祖。金に目が無い欲望の塊。正直、碌でもないものばかりだ……」
ジャンさんは静かに首を横へ振った。
「あ、あはは……。確かに、無茶苦茶ですね……」
まさかそこまで酷いことになっていたとは……。
これは少し、対処する必要があるかもしれない。
「しかし、今こうして対峙してよくわかったよ。君は本来、とても心の綺麗な純朴な剣士だ」
「え、えっと……ありがとうございます」
返答に窮した俺は、とりあえずお礼を言った。
「そのまま教本に載せられそうなほど美しい正眼の構え、広い視界を確保した遠山の目付、重心を気取らせない立ち姿。どれも一朝一夕で身に付くものではない。きっとこれまで膨大な時間を剣術に注いで来たのだろう」
だいたい十数億年ほど、注いできました。
俺は心の中でそう呟いた。
「だが、そんなたゆまぬ努力の果てにある君の美しい剣が……っ! あの世紀の悪女によって、汚されているんだ……っ!」
……ジャンさんが会長のことを敵視していることは、とてもよくわかった。
「君のその曲がった性根を……この俺が叩き直してくれる……っ!」
すると次の瞬間。
「――きぃえええええええええっ!」
気迫の籠った雄叫びを挙げ、彼は一直線に駆け出した。
「連牙流――十連刃ッ!」
首・胴体・腹部――正確に急所を狙った連撃が迫った。
「……」
俺はそれらを軽くいなしながら、前回の『死闘』を思い出していた。
(……ジャンさんの剣は、決して遅くない。むしろその逆、さすがは剣術部の部長だと言えるほどに速い……と思う)
でも、あの『神童』イドラさんと比べると……少し物足りなかった。
「く、やるじゃないか……っ!」
十連撃を全ていなしたところで――俺は反撃の一撃を放った。
「八の太刀――八咫烏ッ!」
研ぎ澄まされた一撃は八つの斬撃となり、
「速……っ!? が、はぁ……っ」
ジャンさんの全身を激しく斬り付けた。
「「「……っ」」」
先ほどまで盛り上がっていた観客は、水を打ったように静まり返る。
「じゃ、ジャン=バエル戦闘不能! よって、勝者アレン=ロードル! ま、まさに圧倒的……っ! まだ一年生でありながら、軽く三年生を一蹴するその姿には恐怖すら覚えます……っ!」
こうして『道場破り』に成功した俺が、特設舞台から降りようとしたそのとき。
「まだ、だ……っ」
俺のズボンの裾をジャンさんが掴んだ。
そして、
「ほ、本当の千刃祭は……まだこれからだ、ぞ……っ」
彼はそう言うと、静かに意識を手放した。
(……『本当の千刃祭』?)
いったいどういう意味だろうか……?
そんな疑問を抱えながら舞台を降りると、
「さっすがアレン、見事な一撃ね!」
「ふっ、またいつか手合わせ願いたいものだな」
リアとローズはそう言って、どこか誇らしげに笑った。
その後――俺は豪華賞品の中から、大きなカバのぬいぐるみを選んでリアへプレゼントした。
「リア、お望みのカバのぬいぐるみだぞ」
思いのほかしっかりとした作りのそれを彼女へ手渡す。
「あ、ありがとう、アレン……っ! とっても嬉しいわ……っ!」
「ふふっ、そうか。よかったな」
「うん、大事にするね!」
リアはまるで子どものような笑顔を浮かべ、ぬいぐるみをギュッと抱き締めた。
「……よし、決めた! あなたの名前は『カバゾウ』よ!」
彼女は早速カバのぬいぐるみに独特な名前を付けた。
そのネーミングセンスについて、少し思うところもあったが……。
せっかく喜んでいるところに水を差すのもどうかと思われたので、口をつぐんでおいたのだった。
それから俺たちは、様々な出し物を楽しみ、気付けば、あっという間に千刃祭の終了時刻である十七時となった。
一般来場客は帰宅し、残った生徒は今から後片付けだ。
俺は一年A組のみんなと楽しく話しながら、教室の装飾を剥がしていく。
「三年のホットドッグがうまかったんだよなぁ……。くそ、やっぱりもう一本食っておくべきだったぜ……っ」
「二年のチョコバナナ食べたか? あれも絶品だったぜ!」
「お化け屋敷超怖かったよね……? 私、腰が抜けちゃうかと思ったもん……っ」
今日一日の思い出に花を咲かせた後片付けは、楽しくもあったけど……。
どこか少しだけ、寂しくもあった。
それから一時間ほどが経過し、いつも通りの一年A組の教室に戻ったところで院内放送が鳴った。
「――理事長のレイア=ラスノートだ。生徒諸君、今日は本当にご苦労だったな! 私も全ての出し物を回らせてもらったが、どれも素晴らしかったぞ! 来場者アンケートの評価も非常に高い、今年度の千刃祭は大成功と言えるだろう! これにて表の千刃祭は終了とする! ――さぁ、それではお待ちかねの『裏千刃祭』の開幕だ! 夜はまだまだ長いぞ!」
レイア先生の大声が響いた次の瞬間。
「「「――うぉおおおおおおおおおっ!」」」
上の階から、二年生と三年生の雄叫びが聞こえてきた。
「う、裏千刃祭……?」
「な、なんだそりゃ? そんな話、聞いてねぇぞ!?」
クラスがざわつく中、俺はさっきの一幕を思い出していた。
(なるほど……。ジャンさんがさっき言っていた『本当の千刃祭』は、これのことか……)
どうやら祭りはまだ終わらない。
いや、むしろこれからが本番のようだ。
■
その後、院内放送で裏千刃祭の概要が語られた。
裏千刃祭とは、千刃祭でのみ使用される通貨『ジン』の奪い合い。
各クラスの生徒は、出し物で稼いだジンを一人最低千ジン以上持たなければならない。
参加は個人ではなく、クラス単位。
終了アナウンスが鳴った時点で、最もジンを獲得したクラスの勝利。
一般客がいないため、魂装の使用は自由。
(――つまりこれは、この学院全体を利用した実戦だ)
闇討ち・不意打ち・一対多数――何でもありの真剣勝負。
そして裏千刃祭を勝利したクラスには、多額の賞金と『千刃学院最強』の称号が贈呈されるとのことだ。
「――さて、ルール説明は以上だ! 裏千刃祭の開始時刻は十九時! 終了時刻は一時間後の二十時だ! 開始と終了の合図は、いつものチャイムとする! それでは諸君の健闘を祈っているぞ!」
そうして院内放送は打ち切られた。
静かに放送を聞いていたみんなの目には、熱い闘志が燃え盛っていた。
「へへっ! やっぱり最高だな、千刃学院は……っ!」
「あぁ、まさか祭りの最後にこんな熱いイベントがあるとはな……っ!」
「確かに賞金も欲しいけど……。狙いはやっぱり、『千刃学院最強』の称号よねっ!」
男女問わず血の気が多いみんなは、戦意に満ち溢れていた。
「アレン、絶対に勝つわよ!」
「先輩だろうが、負ける気はない……っ!」
リアとローズもかなり乗り気のようだ。
「あぁ、一緒に頑張ろう!」
それから俺たちは、コスプレ喫茶で得たお金――『ジン』を全員で山分けし、静かに開始の時を待った。
「ふぅー……っ」
俺が大きく息を吐き出し、呼吸を整えていると――テッサがポンと肩を叩いた。
「なぁおい、アレン。どっちがより多くのジンを稼ぐか、一勝負いかねぇか?」
「あぁ、面白そうだな。もちろん、いいぞ」
「へへっ、吠え面かかせてやるぜ!」
二人でそんな話をしていると――キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴り響いた。
裏千刃祭、開幕だ。
「――よっしゃぁ! それじゃいっちょ暴れるぜ!」
テッサが勢いよく扉を開いた次の瞬間――氷の槍が彼の腹部に突き刺さった。
「が、はぁ……っ!?」
「「「て、テッサ!?」」」
意識の外から強烈な一撃を食らった彼は、白目を剥いて倒れた。
残念ながら、戦闘続行は難しいだろう。
「くそ……っ。誰だ……!」
俺が急いで教室を飛び出すとそこには、
「こ、これは……っ!?」
一年A組を取り囲む大勢の先輩たちの姿があった。
それも十や二十ではない。
百を超える――四クラス以上にもなる大連合だ。
「へっ、先ずは『一番強ぇとこ』を叩かねぇとな……っ!」
「その通り――アレンくんを潰さない限り、うちらに勝ち目はない」
「一年生を相手に大人げないが……。こればっかりは真剣勝負なのでな……っ!」
そう言って彼らは、それぞれの魂装を構えた。
(この数はマズいぞ……っ。まさか、いきなり潰しに来るなんて……っ)
そうして俺が焦りを感じていると、
「征服せよ――<原初の龍王>ッ!」
「染まれ――<緋寒桜>ッ!」
黒白の炎と鮮やかな桜吹雪が、
「なっ!? ぐぁあああ……っ!?」
目の前の先輩たちを飲み込んだ。
「ふふっ。真っ先に一年A組潰しに来たのは、いい判断だけど……。百人で足りるかしら?」
「足りないな。どれ、桜華一刀流の錆にしてくれよう……っ!」
魂装を展開したリアとローズは、不敵な笑みを浮かべた。
すると、
「暴れろ――<暴風王>ッ!」
「吸い尽くせ――<不死の蠕虫>ッ!」
「解体せ――<快楽の医師>ッ!」
二人に勢い付けられたA組のみんなが、次々に魂装を展開した。
(……そうだ。俺は何も一人で戦うわけじゃない……っ!)
一人ではなく、みんなと戦う。
――なんて心強いことだろうか。
「アレン、行くわよ!」
「さぁ行くぞ、アレン!」
リアとローズの視線を受けた俺は、
「あぁ、それじゃ――始めようか!」
漆黒の闇を全身に纏い、百人を超える先輩たちへ斬り掛かった。




