極秘事項と千刃祭【六】
会長たち特製のお化け屋敷を堪能した俺は、大きく伸びをした。
「んー……っ」
ずっと薄暗い部屋にいたので、窓から入る陽の光が少し眩しい。
「――さてと、リアとローズを探さないとな」
とりあえず、二人が行きそうな場所に行ってみるとしよう。
(リアは食堂、ローズは修練場あたりかな……)
だいたいの当たりを付けた俺が、食堂の方へ足を向けると――少し先の女子トイレから、リアとローズが出てきた。
どうやら遮二無二走り回るのではなく、一か所にまとまってくれていたらしい。
「――リア、ローズ、よかった!」
俺は手を振りながら、二人の元へ駆け寄った。
すると、
「「……泣いてないから」」
二人は小さな声で、何事かを呟いた。
「……え? 悪い、聞こえなかった。もう一度言ってくれ」
「「だから、泣いてないから……っ!」」
今度はしっかりと聞こえた。
「あ、あぁ……。大丈夫、わかってるよ……」
リアとローズが女子トイレで泣いていたことは、ちゃんとわかってる。
その赤く腫れた目を見れば、一目瞭然だ。
「……そう」
「……ならばいい」
二人はそう言うと、そっぽを向いたまま黙りこくった。
「……」
「……」
「……」
なんとも言えない沈黙が降りる。
(と、とにかく……。何でもいいから、二人を元気付けないと……っ)
せっかくの千刃祭だ。
このまま沈んだ空気で過ごすのは、あまりにもったいない。
こういうときに手っ取り早く空気を変える方法を、俺は一つ知っている。
「――あっ、そうだ! そう言えば、二年F組でおいしいチョコバナナがあるって聞いたぞ」
その瞬間、リアの眉尻がピクリと動いた。
(……これは釣れたかな?)
リアは食べ物に目が無い。
元気が無いときは、この手の話題を振れば一発だ。
「ちょうど小腹も空いているし、食べに行かないか?」
そうして俺がもう一押しすると、
「……食べる」
少しの沈黙の後、リアはコクリと頷いた。
「よし、決まりだな! ローズはどうする? 何かお腹に入れれば、きっといい気分転換にもなると思うんだけど……」
「そう、だな……。私もいただくとしよう」
彼女も俺の意見に賛同してくれた。
こうしてひとまず行動方針を定めた俺たちは、二年F組へと向かったのだった。
■
お化け屋敷の前を通らないよう遠回りして、長い廊下をしばらく歩くと――目的地へ到着した。
「おぉ、けっこう賑わっているな」
教室の前には、十人以上の長い列ができていた。
少し背伸びをして見れば――ちょうどチョコバナナを作るところが目に入った。
湯煎したトロトロのチョコをバナナにまぶし、そこへ赤・黄・緑・白・黒とカラフルなチョコスプレーが振り掛けて――完成だ。
「お、おいしそう……っ!」
それを見たリアは、パァッと顔を輝かせた。
「それじゃ、とりあえず並ぼうか」
「うん!」
列の最後尾に並んで少し待つと、案外すぐに自分たちの番が回ってきた。
「――お待たせ致しました。チョコバナナ専門店『チョコっとバナナ』へようこそ!」
受付担当の女生徒が、気持ちのいい挨拶で迎えてくれた。
「えーっと、チョコバナナを一つお願いします」
「私も一つ頼む」
俺とローズが一つずつ注文する一方で、
「うーん……。まだどんな食べ物があるかわからないし……。とりあえず、五つでお願いします」
リアは五本指を立てて、貫禄のオーダーを放った。
「い、『五つ』ですか……? 一つではなく……?」
圧倒的な数量を前にした受付は、再度注文を聞き直した。
おそらく自分の聞き間違い、もしくはリアの言い間違いかと考えたのだろう。
無理もない。
俺だって、まさか彼女がここまで大食いだとは夢にも思わなかった。
「……? はい、五つでお願いします」
リアは小首を傾げながら、同じ言葉を繰り返した。
彼女に自身が大食いだという意識は皆無であり、『チョコバナナ五つ』という注文に対して、何の感慨も覚えていない。
「か、かしこまりました……っ!」
聞き間違いでも言い間違いでもないことを理解した受付は、慌ててチョコバナナを作り始めた。
(……しかし、様子見で五つか)
さすがはリア。
たとえお化け屋敷で気分が落ち込んだ後でも、食欲には些かの衰えも見られない。
その後、合計七つのチョコバナナを受け取った俺たちは、人の少ないところへ移動した。
そして――三人同時にチョコバナナをかじった。
「――うん、これはおいしいな」
「うーん……っ! チョコとバナナの組み合わせって反則よね……っ!」
「あぁ、甘いものはやはり落ち着くな」
リアとローズは、幸せそうにチョコバナナを頬張っていく。
そんな二人を横目で見ながら、俺はホッと一息をついた。
(……もう、大丈夫そうだな)
お化け屋敷で刻まれた怖い思い出は、チョコバナナの甘味で吹き飛んだようだ。
(しかし……。来年はしっかり止めないとな……)
会長たちはまだ二年生――つまり、彼女たちの千刃祭はまだもう一回残っている。
(特に会長……。彼女は筋金入りの負けず嫌いだからな……)
きっと来年は、さらにパワーアップしたお化け屋敷を準備してくるに違いない。
もしまたリアとローズが『怖くない!』と言って、お化け屋敷に入ろうとしたときは――今回のことを例に挙げてしっかり止めよう。
(……それにしても、人生本当にどうなるかわからないな)
ほんの数か月前まで、俺は地獄のような場所にいた。
嫌われ、蔑まれ、無視され――誰からも必要とされず、誰からも相手にされない。
グラン剣術学院という閉鎖された社会。
いじめられていることを母さんに打ち明けようと、ゴザ村へ足を運んだこともあった。
(でも……言えなかった)
手を泥だらけにして、額に大粒の汗を浮かべ――俺の学費のために働いてくれる母さんに、これ以上迷惑を掛けることなんてできなかった。
そうして俺は寮へ引き返し、また地獄のような学院へ戻った。
(それが……今じゃどうだ?)
俺みたいな落第剣士が、かの有名な『五学院』が一つ――千刃学院へ通っている。
それに何より、リアとローズという掛け替えのない大事な友達ができた。
それだけじゃない。
テッサをはじめとしたA組のみんな。
生徒会の会長、リリム先輩にフェリス先輩。
その他いろいろ良くしてくれる上級生の先輩方。
いつの間にか、俺はたくさんの友達に囲まれていた。
(……楽しいな)
いつまでもこんな時間が続けばいいのに……。
そんな年寄り染みた考えが、最近になって脳裏をよぎるようになった。
そうして気付けば、
「――どうしたの、アレン?」
リアが心配そうな表情で、ジッとこちらを見つめていた。
「え、あ、悪い……っ。ちょっとボーッとしてた」
「何かつらいことでもあった? とっても悲しい顔をしていたよ?」
「……悲しい顔?」
……おかしいな。
さっきは楽しくて幸せな『今』を思っていたはずなのに……。
「……もう一本食べる?」
そう言って彼女は、自分のチョコバナナを差し出してきた。
(……リアが自分の食べ物を差し出すなんて珍しいな)
どうやらさっきまでの俺は、よほど悲痛な表情を浮かべていたようだ。
「ありがとう。でも、気持ちだけで十分だ。――そんなことより、ほら。せっかくの千刃祭だ。もっと別のところを見て回ろう!」
少しだけ重くなった空気を吹き飛ばすように、俺は努めて明るくそう言った。
「うん、そうだね!」
「あぁ、そうしよう!」
それから俺たちは射的に輪投げ、くじ引きにスタンプラリーなど――様々な出し物を楽しんだ。
その間にもリアはりんご飴にトウモロコシ、ホットドッグにクレープと、目に付いたものは全てお腹に収めていった。
よくそれだけ食べて、そんな美しいスタイルを維持できるものだとつくづく感心させられる。
「――あははっ! 楽しいね、アレン!」
「ふっ、やはり祭りというのはいいものだな」
リアとローズは絶えず笑顔を浮かべて、心の底から千刃祭を楽しんでいた。
そうしていろいろな出し物を回っていると、
「――アレは何かしら?」
リアは、校庭の真ん中にできた人だかりを見てそう言った。
「確かに、何だろうな……?」
人だかりの中心には一段高くなった特設舞台があり、そのうえで二人の剣士が睨み合っている。
「――ふむ、アレは三年B組の『道場破り』という出し物らしいな」
ローズはパンフレットを見ながら、ポツリと呟いた。
「「ど、道場破り……?」」
「あぁ。何でも剣術自慢の三年B組ジャン=バエルに勝てば『豪華賞品を一つプレゼント』というものらしい。まぁ早い話が道場破りを経験できる出し物、という奴だな」
「なるほど……」
『剣術自慢』か……。
そんなフレーズを聞かされると、一剣士として沸々と興味が湧きあがってきた。
「ふーん……。ちょっと面白そうじゃない、行ってみましょう!」
「どれほどの腕前か、少し興味があるな……っ」
リアとローズの目が剣士としての鋭い光を放っていた。
どうやら俺と同じく『剣術自慢』に引っ掛かったようだ。
「よし、それじゃ次は道場破りを見に行こうか!」
「うん!」
「あぁ!」
それから俺たちは千刃学院の校舎を抜け、校庭の中央にある特設舞台へ到着した。
すると、
「がはぁ……っ!?」
「――そこまで! 勝者、ジャン=バエル!」
どうやらたった今、試合が終わったようだ。
「すっげぇ……。四十九戦四十九勝だってよ……っ」
「強ぇ……っ。『剣術部部長』の称号は伊達じゃねぇな……っ」
「くそっ、端っから賞品を渡す気なんて無いじゃないか……!」
観客たちの歓声に紛れて、いくつかの恨み言が紛れていた。
その恨み言をこぼした人たちは――みんな手負いだった。
おそらく道場破りに挑み、ジャン=バエルさんに敗れたのだろう。
(しかし、四十九戦四十九勝、か……)
今のところ全戦全勝の無敗。
それも四十九戦という長丁場を戦いながらだ。
(……どうやら剣術自慢というのは、間違いないようだな)
俺がそんなことを考えていると、
「……あっ! み、見て、アレン!」
突然リアが声を挙げ、特設舞台の背後にある『豪華賞品』と書かれた透明な箱を指差した。
その中には商品券や見るからに業物の風格を放つ剣など、様々な品々が収められていた。
(確か……。道場破りに成功した者は、あの中から好きなものを一つもらえるという話だったな……)
そんなことを思い出しながら、ぼんやり豪華賞品を眺めていくと、
「……あぁ、アレか」
リアがいったい何に興奮しているのか、すぐにわかった。
「か、カバ……っ! カバのぬいぐるみだよ!」
彼女は鼻息を荒げて、服の袖を引っ張った。
「あはは、そうだな」
リアはこう見えて、可愛いものに目が無い。
特にぬいぐるみが大好きなようで、私室にもたくさん飾られている。
たまに一番大好きなクマのぬいぐるみへ、話し掛けている場面に遭遇することがあるが……。
そういうときは――何も見なかったことにしてこっそり寮を出ることにしている。
すると、
「ね、ねぇ、アレン……っ。あのぬいぐるみ、取って……?」
リアは伏し目がちにそう言って、お願いをしてきた。
そこへ、
「ん? リアが自分で取るのは駄目なのか?」
ローズが至極真っ当な疑問を投げ掛けた。
「わ、私はアレンに取ってもらって……。なんというかその……ぷ、プレゼントして欲しいの!」
リアは顔を赤くしながら、大声でそう叫んだ。
「あ、あはは。わかったよ、リア。取れるかどうかはわからないけど、頑張ってみるよ」
「……! う、うん、ありがとう!」
それから俺は人混みを分け入って、道場破りの受付へ向かった。
「すみません。この道場破りに挑戦したいんですが……」
そうして受付の男子生徒へ声を掛けると、
「はい、それではこちらで受付、を……っ!? や、やはり来たな、アレン=ロードル……っ!」
彼は大きく目を見開き、バッと後ろへ跳び下がった。
「……え?」
よくわからない事態に俺が一人困惑していると、
「部長! やはり潰しに来ました……っ。奴です、アレン=ロードルですっ!」
受付は大きくそう叫び、周囲の目が一気に俺の元へ集中した。
すると、
「……ほぅ、やはり来たか。噂通り、金には目が無いようだな」
舞台上に立つ一人の剣士――ジャン=バエルさんは、そう言ってこちらを睨み付けた。
(か、『金には目が無い』って……っ)
またとんでもない噂がでっち上げられているな……。
俺の噂にはいろいろな尾ひれが付き過ぎて、それはもう無茶苦茶なものがたくさんある。
(最初の方は、訂正したりもしていたが……)
近頃はもう収拾が付かなくなってしまったので、完全に放置していた。
「――さぁ、舞台へ上がるといい。アレン=ロードル。君とは一度、剣を交えたかった」
ジャンさんは、俺の目を真っ直ぐ見つめながらそう言った。
そうしてご指名を受けた俺が特設舞台へ上がったその瞬間――待ってましたとばかりに、実況解説の女性が大声を張り上げた。
「さぁさぁ、ついにやって参りました! 挑戦者は、みなさまご存知――アレン=ロードルゥウウウウッ! 彼はなんと、あの白百合女学院の『神童』イドラ=ルクスマリアを破ったほどの実力者! 『一年生最強』の呼び声も高く、今や千刃学院を代表する剣士です!」
さらに続けて、ジャンさんの紹介へ移った。
「対するは三年B組、剣術部部長――ジャン=バエル! ここまで四十九戦四十九勝! 圧倒的な剣術が自慢の超凄腕剣士です!」
両者の紹介が終わったところで、ちょっとしたルール説明が始まった。
「ルールは簡単! 竹刀を用いた一対一の真剣勝負! ただし、安全面に配慮して魂装の使用は禁止させていただきます!」
説明が終わり、先ほどの受付から一本の竹刀が手渡された。
「両者準備はよろしいでしょうか? それでは――はじめ!」
こうして剣術部部長ジャン=バエルさんとの真剣勝負が始まったのだった。




