極秘事項と千刃祭【四】
千刃祭当日。
俺たち一年A組の生徒は、開場三十分前の八時三十分に教室へ集合し、開店準備に取り掛かっていた。
テッサたちが料理の下準備を始める中、俺は男子更衣室でコスプレ衣装に着替える。
「えーっと、これがこうでっと……」
手元のメモを見つつ、なんとか一人で着付けを進めていった。
青い生地に白波のデザインが施された羽織。
品のある落ち着いたグレーの袴。
鼻緒の黒いシンプルな草履。
「確か『武士の装束』だっけ……?」
武士――それは極東のとある国で確認される剣士の亜種であり、独特な剣術を用いる少数民族だ。
普段は温厚で争いを好まないが……。
笑顔の下に刃あり――その戦闘力は凄まじいものがあると聞く。
そうして武士のコスプレをした俺は、姿見に映る自分をジッと見つめた。
「やっぱり、ちょっと目立つよな……っ」
本番当日になって、急に恥ずかしくなってきた。
しかし、ここまで準備してもらっておいて、今更辞めますと言えるわけもない。
「ふぅー……っ」
息を大きく吐き出して、心を落ち着かせた。
(……そうだ、よくよく考えれば、今日は『お祭り』じゃないか)
少しぐらい目立つ格好をしても『そういうものだ』と受け入れてくれる土壌はある……はずだ。
「ど、堂々としていれば、大丈夫だよな……うん!」
そうして気持ちを切り替えた俺は――みんなが待つ一年A組の教室へ向かった。
開店準備で賑わる廊下を抜け、教室の扉をゆっくり開けると、
「あ、アレンくん……っ! うわぁ、やっぱりよく似合っているよ!」
「かっこいい……っ! こ、これは大人気間違いなしだよ!」
女子たちから黄色い声援があがった。
「え……。あっ、う、うん……ありがとう」
これまで他人から褒められた経験がほとんど無い俺は――こういうときに、なんて返答したらいいのか困ってしまう。
そうしてあやふやな返事を返していると、教室の後ろの扉が開いた。
そこから――コスプレ衣装に身を包んだリアが姿を見せた。
「こ、これは……!?」
「ま、眩しい……っ。なんて破壊力だ……!?」
「やべぇ、胸が……苦しい……っ」
男子が大きなリアクションを見せる中――リアは周りの視線に目もくれず、スススッとこちらへ近寄って来た。
「ど、どうかな、アレン……?」
彼女は頬を朱に染めながら、その可憐なコスプレ姿を見せてくれた。
「……っ」
黒のワンピースに、フリル付きの白いエプロンドレスが組み合わされたメイド服。
それはリアの美しい金髪、綺麗な顔立ちとマッチしており、控え目に言ってとても可愛いらしかった。
「と、とても可愛いと思うよ……っ」
「そ、そう……っ。あ、ありがと……っ」
彼女はそう言って、どこか気恥ずかしそうに笑った。
(……リアのメイド服姿は、確かに可愛らしい)
しかし――どうしても一か所だけ、気になるところがあった。
俺はそれとなく、彼女の足回りへ目を向ける。
(ちょ、ちょっと短過ぎじゃないか……?)
そう、リアのスカート丈はとても短かった。
少し強い風が吹けば、中が見えてしまいそうなほどに。
(こういうことを男の俺が口にするのは、あまり良くないのかもしれないけど……)
こればかりは、指摘せざるを得なかった。
「そ、その、さ……。大丈夫なの、それ……?」
俺はそう言って、彼女のスカートを控え目に指差した。
すると、
「ふふっ、それなら大丈夫よ。――ほら」
なんと彼女は、スカートの両端を持ち上げ始めた。
「ちょ、り、リア……っ!?」
その予想外の行動に、俺は慌てて両手で目を塞いだ。
しかし、自然発生した指の隙間から、少しだけリアのスカートの中が見え……ない。
「あ、れ……?」
よくよく見れば、それは股下の部分がしっかりと縫合された――ミニスカート風のズボンだった。
「……アレンのエッチ」
「え、あ、いや……っ。その、これは……っ」
ジト目でこちらを見やるリアに、俺がしどろもどろになっていると――彼女はいたずらっ子のように笑った。
「ふふっ、冗談よ。でも、びっくりした? 『キュロットスカート』って言うんだって! クラスの子が『これなら絶対大丈夫!』って教えてくれたの」
そう言って彼女は、クルリとその場で回った。
遠心力により、スカートがヒラヒラとはためいたが……。
股下がしっかりと縫われているため、中が見えることはなかった。
「なんだ、よかった……」
あまりリアがそういう視線で見られるのは……いい気持ちがしない。
ホッと胸を撫で下ろしていると、
「……ちょっと安心した?」
彼女はそう言って、俺の顔を覗き込んだ。
「あぁ、かなり安心した」
「……えへへ、そっか。ありがと」
「……? どうしてリアがお礼を言うんだ?」
「ふふっ、ちょっと嬉しかっただけよ」
俺たちがそんな話をしていると、真後ろの扉がガラガラッと勢いよく開かれた。
そこから出て来たのは、
「――おはよう、アレン」
「あぁ。おはよう、ローズ……っ!?」
うさ耳のヘアバンド。
うさぎの白く真ん丸な尻尾。
大きく肩を露出した黒いレオタード。
網目の大きいストッキング。
どこに出しても恥ずかしくない、立派なバニーガールだった。
「どうだ、アレン。中々似合っているだろう?」
彼女は威風堂々とした佇まいで、そう問い掛けてきた。
「た、確かに似合ってはいるけど……っ。ほ、本当にそれでいいのか?」
「ん? どういう意味だ……?」
「なんというかその……。肩回りとか、む、胸元とか……さ」
「これぐらいなら、どうということはない。普段着とそう変わらないさ」
そう言われると……確かにあまり変わりないか……。
彼女の私服は、胸元が胸の下部からお腹までが完全に露出したものであり、下は生足を惜しげも無く晒した黒のローライズパンツ。
……正直、今の格好とそこまで大差はないな。
そうして俺が一人納得していると、
「アレンのそれ……武士のコスプレ、よね?」
「ふむふむ、なるほど……」
「あぁ、そうみたいだな」
リアとローズは、俺のコスプレ姿を頭の先から足元までジーッと見つめた。
そして、
「――うん。やっぱりアレンは、とってもかっこいいわ! この衣装もよく似合ってるよ!」
「趣があっていい感じだ。爽やかな青がよく映えているぞ」
二人はそう言って、俺の衣装を褒めてくれた。
「あはは、ありがとう」
そんな楽しい話をしていると――気付けば、開場三分前になっていた。
持ち運び式のコンロ。
調理器具一式。
食材、食器類、飾り付けなどなど――準備は既に万端だ。
クラスのみんなは静かに目をつむり、本番の動きを脳内でシミュレートしていた。
「ちょ、ちょっとドキドキするわね……っ」
「この緊張感、悪くないぞ……っ」
「あはは、そうだな」
俺たち三人は給仕担当、その仕事はメニュー表を全て覚えることだ。
それも昨晩には完璧に暗記し終わっているので、今はもう静かにそのときを待つだけだった。
その後、開場まで後三十秒となったところで――院内放送が鳴り響いた。
「――おはよう、諸君! 理事長のレイア=ラスノートだ。わずか二週間という限られた時間で、よくぞここまで準備を整えてくれたな! さぁ、後はその成果を発揮するのみだ! それではこれより――千刃祭の開幕を宣言する!」
そうしてレイア先生が千刃祭の始まりを告げた次の瞬間――教室の外から、大きな歓声が聞こえた。
(な、なんだ……っ?)
窓の外を見るとそこには――とてつもない数の人たちが、千刃学院の校舎へ押し寄せていた。
「す、すごい人ね……っ」
「さすがは五学院の一つ、千刃学院だな……っ」
二人の言う通り、それは商人の街ドレスティアの『神様通り』を思い起こさせるほどの人だった。
そうこうしているうちに、
「――すみません、三人なんですけど……。もう開いていますか?」
一年A組のコスプレ喫茶店に最初の客が訪れた。
それも一度に三人の女性が、だ。
「――はい、もちろんでございます。当店ではコスプレをした給仕をご指名できますが、いかがいたしましょうか?」
受付を担当するテッサは、自然な営業スマイルを浮かべて、よどみなく台詞を言い切った。
(……っ! やるな、テッサ……っ!)
その堂々とした佇まいから、彼のしてきた『陰の努力』のほどが窺えた。
すると、
「え、えーっと……。それじゃ『アレンくん』でお願いします」
三人の女性客は、受付に置かれた俺の顔写真を指差した。
それを受けた俺は、テッサに負けず劣らずの自然な笑顔で接客に入った。
「――いらっしゃいませ、早速のご来店ありがとうございます。さっ、どうぞこちらへ」
俺は彼女たちをしっかりと席までエスコートし、
「ご注文は、お決まりでしょうか?」
急かさないようゆっくりとした口調で、優しく注文を聞いた。
「えーっと……。ハニートーストとカフェラテでお願いします」
「私はそうだなぁ……。タマゴサンドとコーヒーで」
「うーん……。今ちょっとお腹が空いているから、オムライスとカフェラテをお願いします」
「――はい、かしこまりました」
手早く注文をメモした俺はきちんと復唱し、間違いが無いことを確認したうえでオーダーを流した。
後は調理担当が作った料理を運び――一つの仕事が完了する。
(よしよし……っ! イメージ通り、ばっちりだぞ……っ!)
これなら余裕を持って、仕事を回せそうだな。
――そんな風に思っていた時期が俺にもあった。
その後、
「アレンくん、また四名様のご指名が入ったよ!」
「はい、了解しました……っ!」
「リアさん、お一人様のご案内お願い!」
「はい、わかりました!」
「アレンくん、今度は五名様お願いねー!」
「はい、少々お待ちください……っ!」
「ローズさん、一名様からご指名です」
「うむ、承知した」
「アレンくん、次は七名様からのご指名だよーっ!」
「は、はい……っ!」
どういうわけか、俺への指名が異常に多かった。
それも女性の団体客ばかりであり、席までエスコートした後は何故かいろいろな話を振られてしまい……注文を取るのにも一苦労だった。
(おそらくこれは……女性特有のネットワークが機能してしまった結果だろうな)
女性客が女性客を呼び――うちのコスプレ喫茶は、女性専門店のような様相を呈していた。
それから約三時間、俺は次から次に押し寄せる女性客の相手をして――ようやく交代の時間となった。
俺たちは『午前の部』の給仕担当であり、午後からは完全に自由時間だ。
その後一度更衣室で制服へ着替えた後、俺たち三人は他クラスの出し物を見て回ることにした。
一番目に回るところはもう決まっている。
もちろん、会長たち特製のお化け屋敷だ。
「ね、ねぇ、アレン……? ほんとに行くの……?」
「ひ、引き返すなら、今のうちだぞ……っ!?」
「あ、あはは。会長には『行きます』って伝えているからな」
彼女はああ見えてかなり根に持つタイプだ。
すっぽかしでもしたら、後々厄介なことになる。
(それに何より、少し楽しみだしな……)
会長の話によると、去年は十人以上が気絶したというほどのクオリティらしい。
いったいどんな仕掛けがあるのか、実はけっこう楽しみにしている。
それから俺たちは人混みを掻き分けて、二年A組の教室までやってきた。
そこにあったのは――。
「これは、中々に仕上がっているな……っ」
A組からC組まで三教室を贅沢に使用した巨大なお化け屋敷だ。
そこにもはや『教室』の原型は無い。
黒く塗られた外壁には、不気味な蔦が這い回り。
ところどころに爪で引っ掻いたような傷があり。
血を模した赤黒い色が乱暴に走っている。
(いい雰囲気だなぁ……)
これは期待できるかもしれない。
すると、
「「……っ」」
リアとローズは互いに手を繋いで、真っ青な顔をして固まっていた。
まだ中へ入ってすらいないというのに……。
この異様な外観だけで、既に限界そうだった。
「な、なぁ二人とも……。別に怖いなら怖いって――」
「「こ、怖くない……っ!」」
相変わらず強情な二人は、口を揃えてそう言った。
その足はカタカタと震えており、強がっているのは誰の目にも明らかだ。
「わ、わかったわかった……」
二人が筋金入りの負けず嫌いであり、またとてつもなく頑固なことはもう知っている。
早々に説得を諦めた俺は、
「――すみません、学生三人でお願いします」
「はい、ありがとうございます。足元に気を付けて、どうぞ中へお入りください」
受付で入場料を支払い――怯えるリアとローズを連れて、会長たち自慢のお化け屋敷へと足を踏み入れたのだった。
「――こちら受付。ターゲット、アレン=ロードルが入場しました。会長、後は任せましたよ」
「――こちらシィ、了解。……ふふふっ、ようやく来たわね。いつかの雪辱を果たさせてもらうわよ、アレンくん……っ!」




