闇と剣王祭【十】
イドラさんは右手に長い剣を持ち、重心がやや右に寄った――少し独特な構えを取った。
(片手持ち、か……。珍しいな……)
攻守両方の観点から、剣は両手で持った方が理にかなっている。
しっかりと重心を落とす。
相手を視界の中心に入れた遠山の目付を心掛ける。
そして剣は、包み込むように優しく両手で握る。
これが剣術学院で学ぶ、現代剣術の定説だ。
そんな定説から彼女の構えは、大きく逸脱していた。
(しかし、油断は禁物だ……っ)
相手は『神童』『一年生最強』と呼ばれる超一流の剣士。
きっとあの独特な構えにも意味があるはずだ。
そうして正眼の構えを堅持したまま、イドラさんの様子を窺っていると、
「……あっ」
突然彼女は間の抜けた声を出し――剣を鞘に収めた。
そしていったい何を考えているのか、剣も持たずにこちらへ歩み寄ってきた。
「……ん」
彼女はそのまま俺の正面に立つと、スッと右手を差し出した。
「……なんでしょうか?」
俺が首を傾げていると、
「握手。……知らない? 手を握ってする挨拶」
「も、もちろん知っていますけど……」
まさか試合の始まったこのタイミングで、握手を求められるとは思っていなかった。
「よ、よろしくお願いします」
イドラさんの小さな手を優しく握り、握手を交わす。
「うん、よろしく」
それから互いの手をほどくと――彼女は無防備にもこちらに背を向けて元の場所へ戻った。
(なんか……ちょっと変わった人だな……)
独特というか、自分の時間を生きているというか……。
(確かこういう人を『天然』と言うんだっけか……?)
俺がそんなことを考えていると、
「――さぁ、やろう」
イドラさんは引き抜いた剣を右手で持ち、独特な構えを維持したままそう言った。
(……あの構えは『天然だから』というわけではないんだな)
どうやらあの片手持ちこそが、彼女の構えらしい。
「それでは、行きますよ……っ」
先手必勝。
格上の剣士を相手に『待ちの剣』は危険だ。
(攻めて攻めて、ひたすら攻めて……勢いのままに押し切る!)
俺はしっかりと地面を蹴り――一足で彼女との間合いをゼロにした。
「速いっ!?」
彼女が一瞬硬直したその隙を見逃さず、
「――ハァッ!」
守りの手薄な左半身を狙った逆袈裟を放つ。
(よし、もらった……っ!)
有効打を確信したその瞬間、
「――甘いっ!」
剣と剣がぶつかり合う硬質な音が響いた。
「なっ!?」
俺の放った一撃は――逆手で抜かれた二本目の剣によって防がれた。
「に、二刀流……っ!?」
「はぁっ!」
イドラさんは反撃に右の剣を振り抜いた。
「……っ」
俺はその一撃をかなりの余裕を持って躱し、大きく後ろへ跳び下がる。
すると、
「君、速いね……」
彼女はジッと俺の目を見つめてポツリとそう呟いた。
「それはどうも」
「まさか始まってすぐ二本目を抜かされるなんて……想定外だよ……」
彼女はそう言うと、右足を半歩前へ左足を半歩後ろへ引いた。
右手はやや高い位置を保ち、左手はグッと後ろへ引き絞った独特な構え。
(右手で『斬撃』、左手で『突き』……。なるほど、かなり攻撃的な構えだな……)
それにしても二刀流、か……。
聞いたことはあるけれど、相手にするのはこれが初めてだ。
『剣』の差は一対二――手数で負けるのは必然。
(ここは定石通りに『力』で押すか……)
俺がそうして試合運びを考えていると、
「……なっ!?」
いつの間にか、イドラさんは目と鼻の先にいた。
「雷鳴流――万雷ッ!」
二本の剣が雷の如き速度で振るわれ――十の斬撃が牙を剥いた。
「く、八の太刀――八咫烏ッ!」
八つの斬撃で相殺を試みたが――撃ち漏らした一撃が左頬をかすった。
「く……っ」
それと同時に八咫烏の一つが彼女の右頬を斬った。
「きゃ……っ」
鏡合わせのように頬を斬り合った――完全な痛み分けだ。
(手数は圧倒的に向こうが上だが……。やはり力では『両手持ち』が勝るぞ……っ)
今の一幕がまさにそうだ。
数こそ二発ほど負けていたものの、俺の放った八咫烏は彼女の斬撃を食い破った。
一撃一撃の単純な威力は、こちらの方が上を行く。
すると、
「凄い力……。君、本当に人間……?」
イドラさんは頬の傷をサッと撫で、そう呟いた。
「もちろん人間ですよ……。それを言うならイドラさんこそ、人間離れした剣速ですね……」
「ふふっ、ありがと」
彼女は嬉しそうに笑うと、再び独特な構えを取った。
それに応じて、俺もしっかりと正眼の構えを取る。
「それでは、今度はこちらから行きますよ……!」
「……来て!」
それから俺たちは、激しい剣戟の応酬を繰り返した。
「はぁあああああああっ!」
俺はイドラさんとの距離を詰め、息もつかせぬ連撃を放つ。
「く、ぅ……っ」
袈裟切り・唐竹・切り上げ・切り下ろし・突き――至近距離から繰り出された斬撃の雨を彼女は、必死に捌こうとした。
しかし、俺とイドラさんの間には両手持ち・片手持ちを別にしても――大きな『筋力差』があった。
一撃一撃を防ぐたびに彼女の構えは徐々に乱れていき、
「――そこだっ!」
「……っ」
狙いすました一撃がイドラさんの脇腹を切り裂いた。
苦痛に顔を歪めた彼女は――こちらの剣の戻りに合わせて、一歩大きく踏み込んできた。
「雷鳴流――迅雷ッ!」
さっきのお返しとばかりに、目にも止まらぬ連撃が繰り出された。
(上、下、上、下、左、右――真ん中……っ!)
俺はカッと目を見開き、怒涛の七連撃を完全に捌き切った。
「う、そ……っ!?」
まさか全て防がれるとは思っていなかったのだろう。
イドラさんは、ほんのわずかな動揺を見せた。
その隙を逃さず、俺はさらなる斬撃を放つ。
「桜華一刀流奥義――鏡桜斬ッ!」
「く……っ」
迎撃を諦めた彼女は、大きく後ろへ跳び下がった。
「一の太刀――飛影ッ!」
着地の隙を狙い済まし、飛ぶ斬撃を放つ。
「こ、の……っ!」
イドラさんは不安定な体勢のまま、迫り来る斬撃をなんとか切り払った。
飛影の影に身を潜め、一気に距離を詰めた俺は、
「五の太刀――断界ッ!」
ここぞとばかりに必殺の一撃を放った。
「これ、は……っ!?」
一瞬防御の姿勢を取ったイドラさんだったが、本能的に断界が防ぎ切れないと判断したのだろう。
咄嗟に右横へ跳び、大振りの一撃を回避した。
しかし、そこには――仕込みがある。
「二の太刀――朧月」
「なっ、きゃぁ……っ!?」
剣戟の最中に仕込んで置いた二発の斬撃が、彼女の左肩と脇腹をかすめた。
イドラさんの白い肌に鮮血がタラリと流れる。
(……いい反応だな)
朧月が皮膚をとらえた瞬間、彼女は反射的に体をよじり――それによって見事に直撃を避けたのだ。
「はぁはぁ……っ」
「……」
いくつもの裂傷を負ったイドラさん。
依然としてほぼ無傷の俺。
今のところ、戦況はこちらに大きく傾いている。
そして試合が一時硬直状態になったところで、
「な、ななな、なんということでしょうか!? 全く無名のアレン=ロードル選手が、あの『神童』イドラ=ルクスマリア選手を完全に圧倒しております! 恐るべし、アレン選手! まさかここまでの実力者だとは、いったい誰が予想したでしょうかっ!?」
実況解説が会場を盛り上げようと、大声を張り上げてそう言った。
しかし、観客はシンと静まり返り、固唾を飲んで俺とイドラさんの戦いを注視していた。
すると、
「君――ううん、アレンは強いね……。まさか剣術で負けるなんて……思いもしなかった……」
イドラさんは悔しそうにそう呟くと、二本の剣を鞘に収めた。
その瞬間、俺は察した。
(ついに……来るか……っ!)
張り詰めた空気が漂い始め、彼女の威圧感が一回りも二回りも増していった。
「魂装無しの勝負なら……。君は同年代で一番かもしれないね……」
「……誉め言葉として受け取っておきます」
『魂装無しの勝負』――一流の剣士の戦いにおいては、あり得ない条件だ。
「アレンには……私の全てをぶつけたい……っ!」
彼女が強くそう言い切った瞬間。
「満たせ――<蒼穹の閃雷>ッ!」
蒼い稲妻を思わせる二本の槍が、何も無い空間から突如姿を現した。
(出たな、『魂装』……っ!)
いつも俺の前に立ちはだかる絶対的才能の壁――魂装。
(ここからが本番だ……っ)
ここからが『神童』イドラ=ルクスマリアさんの全力だ。
「いくよ、アレン……っ!」
「あぁ、来い……っ!」
こうして俺とイドラさんの『死闘』が――ついに幕を開けたのだった。




