賞金首と目覚め【六】
気が動転して、すっかり忘れていた。
(あの五豪商に力を貸してもらえる権利……っ)
使い時として、これ以上のタイミングはない。
「『いけるかも』とはどういうことだ、アレン!? 詳しく説明してくれ!」
「はい! 実は――」
それから俺は、三か月前にあった大同商祭での事件を話した。
魔剣士として活動しているとき、オーレストからドレスティアまでの護衛任務を引き受けたこと。
そこでは年に一度の大同商祭が開かれており、五豪商が大同商館で会合を開いていたこと。
その機を狙った黒の組織が大同商館を爆破し、五豪商を襲撃したこと。
そこに偶然居合わせた俺たちは黒の組織を撃退し、そのお礼としてリゼさんから『どんなときでも一度だけ力を貸す権利』をもらったこと。
「なるほど……。そういうことか……」
静かに話を聞いていたレイア先生は、ポツリとそう呟いた。
「はい、リゼさんならきっと力になってくれると思います!」
すると先生は難しい顔をして押し黙ってしまった。
「アレンの目にどう映ったかは知らないが……。リゼは性根の腐った血も涙もない奴だ……」
「そ、そうでしょうか?」
この前ドレスティアで会った時には、全くそんな風には見えなかったけれど……。
「あいつはたった一代で、『狐金融』を築き上げた辣腕の経営者だ。常にコロコロと笑顔を浮かべ、人あたりも悪くないため、パッと見はいい人のように見えるだろう」
先生の言う通り、リゼさんは基本的にニコニコと笑顔を浮かべていた。
「しかし、奴はあの笑顔の裏で法律スレスレ――時には完全に真っ黒な手法で、同業他社や反対勢力を次々に潰していった。そうして金融市場を半ば独占したリゼは、次に様々な『闇』と繋がりを持った。これは、報復や政府の規制から身を守るための『後ろ盾』だろうな。今ではどこの組織が狐金融と繋がりがあるのかもわからない――完全に触れてはいけない闇となっている。正直、奴のことは全くもって信用ならん」
そう話を締めくくったレイア先生は、最後に一言だけ付け足した。
「――だが、これまであいつが約束を破ったという話は、ただの一度も聞いたことがない」
「そ、それなら……っ!」
「あぁ、もう時間も策も無いからな……。アレン、その貴重な権利を使わせてもらってもいいか?」
「はい、もちろんですっ!」
そうして、ようやく一筋の光明が差し込んだそのとき。
「――ちょっと待ってくれ!」
額に包帯を巻いたローズが、理事長室に入ってきた。
「ろ、ローズ!? よかった、無事だったんだな!」
「おぉ、意識が戻ったのか!」
俺たちが彼女の元へ駆け寄ると、
「ありがとう、体はもう大丈夫だ。――だから、私も連れて行ってほしい」
ローズは真っ直ぐこちらを見つめながら、はっきりとそう言った。
「ローズ……。気持ちは嬉しいけど、その体じゃ……」
彼女の手足には血のにじんだ包帯が巻かれていた。
「体なら大丈夫だ。戦闘時には<緋寒桜>の力で、いくらでも動いてくれる!」
「そ、そうは言ってもな……」
あの力には持続時間があるし、本人もまだ完全に制御できていないと言っている。
ローズの体を第一に考えるならば、ここで体を休めた方がいいことは誰の目にも明らかだ。
しかし、
「――よし、いいだろう」
レイア先生はあっさりとローズの同行を認めてしまった。
「せ、先生!?」
「国境警備に当たらせた十八号が使えない現状、戦力は少しでも多い方がいい。それにローズには強化系の魂装があるから、多少の怪我は問題にならないだろう」
俺よりもずっと魂装に詳しい先生にそう言われたら、納得するしかない。
「……ローズ、頼むから無理だけはしないでくれよ?」
「ありがとう、アレン」
そうして話がまとまったところで、
「――それではこれより、ドレスティアへ向けて出発する! 早馬を用意させるから、君たちは校庭で待っていてくれ!」
先生は早足で理事長室を飛び出して行った。
「「はいっ!」」
■
それから俺たちは、理事長専用の早馬に引かれてドレスティアへ向かった。
都のオーレストから商人の街ドレスティアまで、そう遠くはない。
しばらくの間、馬車に揺られていると――気付けばもう目的地へ到着していた。
「……三か月ぶりのドレスティア、だな」
ドレスティアの中央部を通る『神様通り』に降り立った俺は、グルリと周囲を眺め見た。
通りの両端には所狭しと露店が並び、夜の十時を回ろうかという時間なのに、まるで昼間のように人の往来が活発だった。
「さてと……リゼの邸宅はこっちだ」
早足で進むレイア先生に付いて、ドレスティアの街を右へ左へと進んでいくと――一軒の巨大な邸宅が見えてきた。
「相変わらず、財をひけらかした嫌味な家だな……」
白亜の宮殿を思わせる美しいその邸宅は、驚くほどに大きかった。
六階建て、いや七階建てに届くだろうか……。
広い庭には大きなプールと綺麗な噴水があり、遠目に石造りの美しい庭園も見られた。
様々な文化が混ぜり合った立派な邸宅を、意匠の凝った鉄柵が囲んでいる。
(す、凄いな……っ)
その圧倒的な住まいに目を奪われていると――懐中電灯の光が俺たちを照らしつけた。
「何者だ! こんな時間に、何故リゼ様の邸宅を覗き見ている!? ことと次第によっては……なっ!?」
リゼさんの私兵と思われる彼らは、
「き、貴様『黒拳』だな!?」
「なにぃ!? 性懲りもなく、また来たのか!?」
「……いったい、何の用だ?」
あっという間に俺たちを取り囲んだ。
いったい過去に何があったのか、先生はひどく目を付けられているようだ。
「ま、待て待てお前たち! 今日はそういう用件じゃない。ただ話し合いに来ただけだ!」
「ふんっ、そうか残念だったな! リゼ様は既に御就寝なされている!」
「用があるならば、明日また出直してくるがいい!」
すると、
「……いや、待て。そこの少年、もしや『アレン=ロードル』か?」
一人の私兵が鋭い視線を俺に向けた。
「は、はい……。そうですが」
「ふむ、やはりそうか……。何故か貴様が訪ねてきた場合に限り、ここを通すように言われている。――さぁ入れ、リゼ様は二階の広間でくつろいでおられるはずだ」
そう言って彼は、小さく門を開けてくれた。
「ちょ、ちょっと待て、お前ら! さっきリゼは寝ていると言っていなかったか!?」
「馬鹿め、そんなもの嘘に決まっているだろうが!」
「黒拳よ、貴様のような危険な輩を通すわけにはいかん!」
「……大人しくそこで待っていてもらおうか」
どうやらここの私兵たちは、完全に先生を敵視しているようだった。
「……先生、ローズ。ちょっと行ってくるよ」
「アレン、気を付けてね……」
「気を付けろよ、アレン……。相手はあの血狐だ。何かあったら、すぐに大声を出すんだぞ?」
「あ、あはは……。リゼさんはそんな変なことしませんよ」
そうしてローズとレイア先生と別れた俺は、一人邸宅の門をくぐった。
豪奢な扉をゆっくりと開き、真紅の絨毯を進むと――目の前に真っ白な階段が続いていた。
「確か、二階の広間だったよな……」
衛兵の言葉を思い出し、ゆっくりと階段を上がっていくとそこには――銀のティーカップで紅茶をすするリゼさんの姿があった。
白と赤を基調とした火のような美しい着物。
長く赤白い髪をサイドでまとめ、鮮やかな火を模したかんざしが目立つ。
健康的で艶と張りのある肌。
切れ長の狐目。
「――リゼさん、夜分遅くに失礼します」
「あらまぁ、アレンくんやないの。どないしたん、こんな夜遅くに?」
彼女はコロコロとした優しい笑顔を浮かべ、柔らかい物腰でそう問い掛けた。
「すみません、時間が無いので単刀直入に言います。――俺の大事な友達、リア=ヴェステリアが黒の組織に誘拐されました。奴等はこの国のどこかにある『研究所』へ身を隠したそうです。リゼさん、奴等の隠れ家に心当たりはありませんか?」
「あぁ、もちろん知っとるよ」
彼女はなんら隠し立てすることも、もったいぶることも無く、ごくあっさりとそう言った。
「ほ、本当ですか!?」
「そらもう、うちは嘘が嫌いやさかいな」
そう言ってリゼさんは、紅茶に口をつけた。
「その……。あのときの『どんなときでも一度だけ、力を貸してもらえる権利』で、奴等の研究所の場所を教えてもらえないでしょうか……っ!?」
「うん、もちろんええよ」
リゼさんはあっさりと承諾すると、
「――せやけど、ほんまにええの? こんなことに使ってもうて?」
小首を傾げながら、そんな話を振ってきた。
「自分で言うのもアレやけど……。一度だけとは言え、このリゼ=ドーラハインにお願いごとができんねんで? もっと自分のために使ったらどうや?」
彼女は品のある所作で立ち上がり、俺の周りをゆっくりと回り始めた。
「ほんまに『なんでも』ええんやよ? 金銀財宝、名刀に権力――うちの力を使えば、なぁんでも用意してあげられる。そんな凄い権利やのに……薄汚れた研究所の場所知るために使うなんて、なんやえらい馬鹿らしいと思わん?」
やっぱり……リゼさんは優しい人だ。
俺のことを考えて、いろいろな可能性を提示してくれている。
それはとてもありがたいことだけれど――『答え』はもう、とっくの昔に決まっていた。
「――ありがとうございます。それでも俺は、リアの居場所が知りたいんです」
別にお金が欲しくないわけじゃない。
母さんに楽な生活をさせてあげるためにも――今後、お金は必要になってくる。
(でも、友達を見捨てて手に入れたお金じゃ、母さんはきっと喜ばないはずだ……っ!)
すると、
「そっか……。ふふっ、やっぱりうちはシドーくんやのうて、アレンくん派やなぁ……」
リゼさんは小さな声で何事かを呟くと、着物の袖から丸められた地図を取り出した。
「さっ、受け取り。そろそろ来るころや思て、実はもう準備しとったんよ」
「あ、ありがとうございます……っ!」
俺が感謝の言葉を述べると、リゼさんは優しく微笑んだ。
「その地図の中に一か所だけ赤いバツ印があるやろ? そこが奴等の研究所や」
丸まった地図を広げると――確かに一か所赤いバツ印があった。
「それじゃ、うちはまだ仕事があるさかいに。このへんで失礼させてもらうわ」
「ありがとうございます、リゼさんっ!」
俺がそうお礼を伝えると、
「受けた恩を返しただけやさかい、気にせんでええよぉ。ほな、今後とも狐金融をごひいきにぃ~」
リゼさんはそう言って、屋敷の三階へと上がっていった。
「本当に、ありがとうございます。リゼさん……っ!」
俺はもう一度だけお礼を言って、リゼさんの邸宅を飛び出した。
「それにしても、やっぱりアレンくんはええなぁ……っ。あの純粋無垢な子が、将来どんな『色』を見せてくれるのか……。ふふっ、ほんまに先が楽しみな子やわぁ……っ」