新学期と一年戦争【九】
観客席の最上部。
アレンとリアの試合をジッと見つめていたレイアは、眉間に皴を寄せていた。
「あの姿に……あの力……っ。霊核を制御したのか……? いや……あり得ない。そうだとするならば、出力が低過ぎる……。奴の気まぐれか……? それとも――」
彼女が答えの出ない問題に頭を悩ませていると、
「ひょほほほほっ! いやぁ、よかったよかった! これで儂のミスも帳消しじゃの!」
何もない空間から、手を叩いて喜ぶ老爺が突如として現れた。
背が低く、頭髪も眉毛も髭も全てが真っ白。
はっきりと腰の曲がった彼は、満面の笑みを浮かべていた。
「なっ!?」
いとも容易く背後を取られたことに驚愕したレイアは、慌てて後ろを振り返る。
その様子を見た老爺は人の好い笑顔を浮かべ、左手に持つ先端の曲がった杖を上機嫌に叩いた。
「いやはや……。途中で抜けられたときは、どうなるかと思ったが……。順調に『道』を開けているようで何よりじゃ!」
「……貴様、時の仙人っ!?」
レイアは硬く拳を握り締めながら、時の仙人を睨み付けた。
「ほっほっ! 久しぶりじゃのぉ、黒拳。元気そうで何よりじゃ」
「……既に連絡は受けている。アレンに使ったそうじゃないか、あの呪われた一億年ボタンを……っ!」
「『呪われた』とは、ひどい言われようじゃのぉ……」
時の仙人はそうボヤキながら、舞台上で優勝トロフィーを受け取るアレンをジッと見つめた。
先ほどまで白髪混じりだった彼の頭髪は、今や黒一色へと戻っていた。
「ふぅむ、もう『真っ黒』になってしまったか……。まだまだ時間がかかりそうじゃのぉ……」
立派な白い髭を揉みながら、思案にふける時の仙人。
そんな彼の顔面に――レイアの正拳が突き刺さった。
「へぶっ!?」
「お前には聞きたいことが山ほどあるんだ。悪いが、しばらく眠って……なっ!?」
時の仙人はレイアの拳をすり抜けた挙句、彼女の全身をも通り抜けた。
「いやぁ、さすがは黒拳。恐ろしい速さじゃのぅ……。全く、油断も隙もないわい……」
「くそっ……。それが噂に聞く『透明化』か……っ!?」
レイアの悔しそうな表情を見た彼は、満足そうに「ひょほほっ!」と笑った。
「――さてと、儂にはまだまだやることがあるでな。またどこかで会おうぞ、黒拳よ……」
「まっ、待て!」
制止の声を気にも留めず、時の仙人は地下大演習場から霧のように消え去った。
「くそっ……」
突然降って湧いたチャンスをふいにしたレイアは、強く歯を噛み締めた。
「……ダリア。これはお前の想定を越える『何か』が起こっているぞ……っ」
■
一方、アレンが一年戦争を制覇したその頃。
神聖ローネリア帝国の地下深くで、一人の男が歓喜の雄叫びをあげていた。
「や、やった……っ! ついに見つけたぞ……っ!」
千刃学院の生徒会執行部副会長。
彼はローネリア帝国の厳重な警備網を潜り抜け、帝国の追っ手と黒の組織をやり過ごし――数か月もの間、炭鉱夫として生活を送ってきた。
「これが……夢にまで見たブラッドダイヤっ!」
彼の両手には、握りこぶし大のブラッドダイヤの原石が二つ。
魔性の美を持つと言われる真紅のそれは、なんの加工を施していないこの状態でも妖しい輝きを発していた。
「ふ、ふふふ……っ! 会長、きっと喜ぶだろうなぁ……っ!」
ニヘラとだらしなく口元を歪ませる彼を――いくつもの懐中電灯が照らした。
「い、いたぞっ!」
「大至急、帝国警備兵に連絡をっ!」
「急げ、黒の組織にも伝えろっ! 我らでは足止めが限界だぞ!」
ローネリア帝国に雇われた魔剣士たちは、目を血走らせて叫んだ。
彼らの手にはそれぞれ魂装が握られており、一人一人がかなりの手練れであることがうかがえる。
「ちっ、次から次へと……本当にしつこい奴等だな」
手練れの魔剣士集団を歯牙にもかけず、まるで羽虫を払うかのように斬り伏せてきた副会長だったが……。
さすがにその数が百を超えたあたりから、一々戦うのが面倒になってきていた。
「はぁ……。逃げるか……」
彼は面倒くさそうに頭をガシガシとかくと、いさぎよく背を見せて逃げ出した。
「なっ!? お、おい待てっ!」
十人を超える魔剣士たちは、必死になって追いかけるが――身体能力の差は歴然。
みるみるうちに副会長の背中は遠のいていった。
「会長……待っていてくださいっ! 必ずや、このブラッドダイヤを持ち帰って見せます……っ!」
彼は両手にブラッドダイヤの原石を握り締め、ローネリア帝国の地下を駆け抜けるのだった。
■
一年戦争実行委員から優勝トロフィーを受け取った俺は、リアとローズのいる保健室へと足を運んだ。
保健室の先生の話によると、リアは無茶な力の使い方をしたようで、ひどく疲弊した状態にあるらしい。
ただ幸いにも命に別状はなく、安静にしていればそのうち目を覚ますとのことだ。
リアの処置も無事に終わり、ベッドに寝かせたところで、
「――ローズ、具合はどうだ?」
隣のベッドで体を休めるローズに声を掛けた。
「ん……かなり落ち着いてきた。明日には、もういつも通り動けるはず」
「そうか、それはよかった」
彼女はジッと俺の目を見つめて――少し複雑な表情を浮かべながら儚げに笑った。
「……その様子だと、勝ったんだね」
「あぁ、なんとかな」
「そっか……。……うん、おめでとう」
自分を負かした剣士の勝利――一人の剣士として、当然難しいところもあるだろう。
それでもローズは素直に『おめでとう』と言ってくれた。
「――あぁ、ありがとう」
俺はその気持ちに対して、素直に感謝の言葉を述べた。
その後は、リアが目を覚ますまでローズと一緒に話をすることになった。
なんでも俺との一戦が終わってから、彼女の霊核が妙な高ぶりを見せており、あまり寝付けなかったらしい。
そのまま五分、十分と経過した頃。
「う、ん……っ」
隣で眠るリアが、ゆっくりと目を開けた。
「あっ、リア! 意識が戻ったのか……っ!?」
「……ぁ、アレ、ン?」
彼女はゆっくり上体を起こすと、不思議そうにキョロキョロと周囲を見回した。
「こ、ここは……?」
「保健室だ。体の方はもう大丈夫か?」
「あっ、うん……。私は丈夫だから、ちょっと寝ればもう平気よ」
「そうか」
そう言えば、レイア先生も「リアは異常に丈夫だ」と言っていたっけか。
俺がそんな昔のことを思い出していると、
「そっか……。私、負けたんだ……っ」
彼女はポツリとそう呟き、悔しそうに拳を握り締めた。
掛け布団に大きな皴が入り、保健室に沈黙が降りる。
シンと静まり返った状態が十秒二十秒と続いたところで、
「……二人の女の子を傷モノにするなんて……アレンはひどいね」
隣のベッドに座ったローズが、とんでもないことを口にした。
「え、い、いやそれは……っ。しょ、勝負の上でのことで……っ」
『女の子を傷モノにする』、結果としては間違ってはいないが……。
(ちょ、ちょっと誤解を招くというか、悪意のある表現じゃないか……っ!?)
いったいどう弁解したものかと慌てていると、
「……ほんと、そうよね。どう責任取ってもらおうかしら……?」
「り、リアまで……っ!?」
ローズの発言に乗っかり、リアまでもそんなことを言い始めた。
「ねぇ、アレン……どうするの?」
「責任……取ってくれるわよね?」
二対一。
数の上で圧倒的不利な状況に立たされた。
「い、いや……っ。その、せ、責任と言われても……っ」
そうして俺がしどろもどろになっていると、
「……ふふっ、冗談だ」
「ふふっ、冗談にしてあげようかな?」
そう言ってローズとリアは楽し気に笑った。
「二人とも……勘弁してくれよ……」
ただでさえ俺は『落第剣士』『問題児』『悪の帝王』などと呼ばれ、学院内での評判がよくない。
(人の評判なんて、正直もう気にもならないが……)
悪口なんて、言われない方が気持ちいいに決まっている。
俺がホッと胸を撫で下ろしていると、
「――次は剣王祭だね。絶対応援に行くから、負けちゃだめよ?」
「私たちの分まで頑張ってね」
リアとローズは、そう言って応援してくれた。
「あぁ、もちろん。精一杯努力するよ」
剣王祭。
これは五学院に詳しくない俺でもよく知っている。
いや、この国の剣士ならば誰でも知っている剣術の祭典だ。
(氷王学院からは、一年生枠としてシドーさんが出てくるだろう……)
氷王学院だけじゃない。
他の五学院からも、きっととんでもない一年生剣士が出てくることだろう。
(ふふっ、楽しみだな……っ!)
そうして俺が剣王祭での戦いに胸を躍らせていると、
「あれ……? そういえばアレン、その傷は?」
目ざといリアは、俺の右腕にグルグルと巻き付けられた包帯を見つけた。
「これは……その、あー……。ちょっと」
彼女に余計な責任を感じさせないよう、俺は小さな嘘をつくことにした。
すると、
「………………ねぇ、嘘ついてるでしょ?」
俺の目をジッと見つめた彼女は、すぐに嘘を見破ってしまった。
「そ、そんなことないぞ……っ」
「ほんとにー……? アレンは嘘をついたり、本心じゃないことを喋るときは、目が左上に泳ぐんだよ? ――ほら、今みたいに」
そう言ってリアは、真っ正面からジッと俺の目を覗き込んだ。
……そ、そんな癖があったのか。
「と、とにかく……この傷は俺が無茶な力を振るった副作用のようなものだ! こ、この話はこれで終わりにしよう!」
そうして少し強引にこの話を打ち切った俺は、
「そ、そうだ二人とも! 早く元気になって、また一緒に素振りをしような!」
別の話題にすり替えて、リアの追及から逃れた。
「むぅ……わかった」
「了解した」
こうして波乱に満ちた一年戦争は無事に終わり、俺たちは束の間の日常を楽しむことになるのだった。