新学期と一年戦争【一】
ヴェステリア王国から帰国した俺は、その後は穏やかな夏休みを――送りたかった。
しかし、人生はそう甘くないようで、大小様々なトラブルに見舞われた。
(あれはそう……リアとローズの三人で話題の映画を見に行ったときのことだ)
リアがヴェステリアへ行ったことを口走るという――とんでもないポンコツぶりを炸裂させた。
仲間外れのような形になったローズは当然機嫌を損ね……。
今度俺と二人きりで遊びに行くと約束することで、なんとかその場は丸く収まった。
その他、偶然遭遇した強盗を取り押さえたり、熱烈なストーカーと化した氷王学院のカインさんに苦しめられたりと――正直、心休まることはなかった。
(本当に、密度の濃い夏休みだったなぁ……)
そんな過酷な休日をなんとか無事に乗り切った俺は、
「さてと……リア、忘れ物はないか?」
「えぇ、ばっちりよ」
新学期初日――リアと一緒に千刃学院へ登校した。
八月一日。
夏真っ盛りということもあって、厳しい夏の日差しが照り付ける。
しかし、今日は湿度が低く、おまけに風もあるので息苦しさよりもむしろ爽快感があった。
ちらりと隣を見れば、リアは上機嫌に鼻歌を歌っている。
(……ヴェステリアまで行った甲斐があったな)
彼女と一緒に千刃学院へ通える――そんなごく当たり前のことが、今は本当に嬉しく思える。
「……ど、どうしたの、アレン? もしかして、私の顔に何かついている?」
こちらの視線に気付いたリアは、ペタペタと自分の顔を触りながらそう言った。
「ふふっ。いいや、何でもないよ」
蝉の鳴く声に夏を感じながら、俺たちは教室へと向かった。
■
一年A組の扉を開けるとそこには、既に大勢のクラスメイトの姿があった。
「おっ! 久しぶりだな、アレン!」
真っ先に声を掛けて来たのは、斬鉄流の剣士テッサ=バーモンドだ。
「おはよう、テッサ」
片手をあげて挨拶を返すと――彼は俺の体をつま先から頭の天辺までジィッと見つめた。
「ど、どうしたんだ、テッサ……?」
突然のことに俺が困惑していると、
「アレン、お前……だいぶ強くなったんじゃないか?」
彼は少し悔しそうな顔でポツリとそう呟いた。
「そ、そうか? 自分じゃあんまりわからないな……。――第一それを言うならテッサだって、かなり腕を上げたんじゃないか? その手のひら……相当な素振りをしてきただろ?」
マメがつぶれた彼の手は、明らかに一回りごつく――たくましくなっていた。
「おっ、わかるか! だがな、素振りだけじゃねぇぜ? こちとらお前に負けないよう、かなりキツイ修業をやってきたんだ。次戦うときは覚悟しとけよ?」
「あぁ、楽しみにしているよ」
その後、
「おはよっす、アレン!」
「おはよう! アレンくん、リアさん!」
テッサを皮切りに、クラスのみんなが挨拶をしてくれた。
「おはよう、みんな」
「おはよっ! 二学期もよろしくね!」
一通りみんなと挨拶を終え、荷物を自分の席に降ろしたところで――教室の後ろの扉が弱々しく開いた。
「……ふわぁ」
そこから入ってきたのは、今日も一段と眠たそうなローズだった。
彼女は頼りない足取りでこちらへ向かって来ると、
「ふわぁ……おはよ、アレン、リア」
欠伸をしながら、弱々しく右手をあげた。
「おはよう、ローズ。相変わらず眠たそうだな」
「おはよ、ローズ。ほんと立派なアホ毛ね……」
そうしていつもの三人が揃ったところで――キーンコーンカーンコーンと聞き慣れたチャイムが鳴り、全員がいつもの席に着いた。
一か月ぶりの窓際の席。
ここから見える外の風景もなんだか懐かしく感じた。
それから少しすると、ガラガラガラッと勢いよく教室の扉が開かれ、
「――おはよう、諸君! 早速、朝のホームルームを始めるぞ!」
いつも通り、活力に満ち溢れたレイア先生が入ってきた。
「連絡事項はあるが……まぁ、これは帰りのホームルームでいいか。――よし、それでは早速一限を開始する! みんな魂装場へ移動だ!」
それから俺たちは、前期に引き続き魂装の授業を受けた。
クラスメイトの何人かは、もう既に魂装を発現しており、現在はその制御と強化に励んでいる。
俺はそれを横目で見ながら……彼らの才能を少し羨ましく思ってしまった。
(……いや、そもそも俺とみんなは『才能』が違う。彼らは推薦ではなく、正真正銘自分の実力で千刃学院へ入学した――エリート中のエリートなんだ。羨ましがっている暇なんかない……俺みたいな凡人は、必死に努力を重ねるしかないんだ……っ!)
そうして雑念を振り払った俺は霊晶剣を構え、精神を集中させた。
息を大きく吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
自分の意識を内へ内へ――魂の方へと沈めていく。
そうして目を開けると――一面枯れた荒野が広がっていた。
枯れた木。
枯れた土。
枯れた空気。
(荒涼としたこの世界に来るのも、もう何度目だろうか……)
それから俺は、巨大な岩石の上で寝転がるアイツに一声掛けた。
「よぅ……一カ月ぶりだな」
「お゛ぉお゛ぉ……。性懲りもなく弱っちいのが、また来たなぁ……え゛ぇ?」
凶悪な笑みを浮かべるこいつに、俺は一つだけ質問を投げた。
「なぁ……お前を倒せば、本当に魂装を習得できるんだよな?」
「お゛ぉ、そうだ。まっ、たとえ百億年あっても、ケツの青いクソガキには無理だろうがなぁ゛?」
「そうか、それを聞けて安心した」
『道』はある。
可能性はゼロじゃない。
こいつさえ倒すことできれば――俺にだって魂装が使えるんだっ!
「行くぞ? 一の太刀――飛影ッ!」
「はっ、しょっぱい斬撃だなぁ゛……え゛ぇ?」
一か月ぶりの戦い――それはひどく一方的なものだった。
「八の太刀――八咫烏ッ!」
「おらおらどうしたぁ゛……っ! こんなもんかぁ……っ!?」
八の太刀、八咫烏の直撃を物ともせず――奴は天高く振り上げた拳を無造作に打ち放った。
「が、はぁ……っ!?」
完璧に防御したにもかかわらず、その一撃は致命的なダメージを俺に与えた。
(……強い)
俺もいろいろなことを乗り越えて、少しは強くなったつもりだったけど……アイツには遠く及ばなかった。
むしろ互いの実力差は、開いているようにすら感じた。
(いや、これは気のせいなんかじゃない……っ)
アイツは初めて戦った時よりも確実に強くなっている。
俺が成長するに連れて、まるで本来の強さを取り戻していくかのように……っ。
「く、くそ……っ」
限界を越えるダメージを受けた俺は、前のめりに倒れ伏した。
「はっ、弱ぇなぁお゛ぃ……。肩慣らしにもなんねぇぞ……あ゛ぁ?」
奴はそう吐き捨てると、いつもの岩石へと飛び乗って胡坐をかいた。
「……か、体は、取らないのか?」
薄れゆく意識の中、そう問いかけると、
「どうせ黒拳が近くにいんだろうが……っ。てめぇのその弱っちい器じゃ、あんなゴミカスの一撃にすら耐えられねぇ……っ。せめて初期硬直さえなけりゃぁ゛、どうとでもなるのによぉ゛……っ」
こいつは心底腹立たしそうに顔を歪めた。
(……やっぱりこいつの強さは、俺の強さに依存するところがあるみたいだな)
そうして最後に大きな情報を手に入れた俺は――この世界での意識を完全に手放した。
「……ちっ、クソガキが。まさか俺の肌に傷をつけるたぁな……。ちっとは、成長してんじゃねぇか……っ」
■
そうして気付けば、
「はぁはぁはぁ……っ」
俺は現実の世界に引き戻されていた。
「くそ……っ」
遠い。
魂装の習得――その道は険しく、どこまでも続いていた。
だけど、
「……諦めてたまるか」
たとえどれだけ無謀なことだとしても、諦めなければ可能性はある。
「もう一度だ……っ」
そうして俺が再び霊晶剣を握り締めたそのとき、キーンコーンカーンコーンと授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
時計を見れば、既に二時限目が終わる時間だった。
「ぃよっし、そこまで! これより一時間は昼休憩とする! ふむ、そうだな……。午後の授業は教室ではなく、魂装場に集合するように! では――解散っ!」
それから俺とリア、ローズの三人は、名ばかりの定例会議に出席すべく、お弁当をもって生徒会室へと向かった。
千刃学院の広い校舎ももう慣れたもので、あっという間に生徒会室へと到着した。
そうして目の前の扉をコンコンコンとノックすると、
「……どうぞ」
少し間があってから、会長の声が返ってきた。
それはいつもの明るく張りのある声と違って、やや神妙なものだった。
「――失礼します」
どこか違和感を覚えつつも、俺がゆっくり扉を開けるとそこは――一面の暗闇が広がっていた。
照明は消え、カーテンは閉じられている。
そしてこの暗く広い部屋の最奥に――会長は一人で座っていた。
書記のリリム先輩と会計のフェリス先輩の姿は無い。
「ど、どうしたんですか、会長……? とりあえず電気、つけますよ?」
ひとまず部屋の明かりをつけると、
「ねぇ、アレンくん……。お話があるんだけど……聞いてくれる?」
会長はゆっくりと椅子から立ち上がり、こちらへゆらゆらと近寄って来た。
「は、はい……なんでしょうか」
どうみても尋常の様子ではない。
(いったい会長に何があったのだろうか……?)
俺がゴクリと息を呑むと、
「もう私、駄目なの……っ。お願い、助けてぇ……っ!」
そう言って彼女は突然、俺の胸にしなだれかかってきた。
「か、会長……っ!?」
ふんわりと甘いにおいが鼻腔をくすぐり、なんとも言えない柔らかい感触が伝わってきた。
自然と胸の鼓動が速くなり、どうするべきかと困惑していると、
「だ、駄目ですよ、会長! 今すぐ、アレンから離れてくださいっ!」
「過度な接触はダメ!」
リアとローズは、驚くべき早さで会長を引き剥がした。
(はぁ……。今度はいったいなんなんだ……?)
夏休みが終わり、ようやくホッと一息つけるかと思ったら……。
新学期開始早々、これまた面倒なことが起こりそうだった。




