貴族派と新学年【二】
「お言葉ですが……天子様の派閥を泥舟呼ばわりするのは、皇国民としてどうなのでしょうか?」
「おっと、これは口が過ぎましたな。しかしこのボルナード、嘘はつけない性質でございまして、何卒ご容赦いただけますと幸いです」
彼は苦笑を湛えながら、そんな軽口を述べた。
どうやら、皇族派のことを心の底から見下しているらしい。
「まぁ隠しても仕方がありませんので、この際はっきり申し上げておきましょう。残念ながら皇族派に、このリーンガード皇国に未来はありません」
「どういう意味ですか?」
「そもそもの話、皇族派の連中は――いや、有象無象の『自称大国』の馬鹿どもは、大きな勘違いをしている。主要五大国? 帝国と肩を並べる力を持つ? まったくもってナンセンス! 思い上がりも甚だしい!」
彼は酷く抽象的なことを言いながら、人差し指をピンと立てる。
「おそらくこの先一年以内に大きな戦が起こります。それは歴史上類を見ない、苛烈で壮絶なものになるでしょう」
「神聖ローネリア帝国との戦争ですね」
「はい。リーンガード皇国・ヴェステリア王国・ポリエスタ連邦・ロンゾ共和国の大国連合と神聖ローネリア帝国の戦争。この戦いに勝つのは、間違いなく帝国です」
彼は微塵も躊躇うことなく、そう断言した。
「随分はっきりと言うんですね」
「当然、理由があります。それも三つ」
パトリオットさんは、今度は三本の指を立てて、語気を強めながら説明し始める。
「一つ、他の主要国を圧倒する強大な軍事力! 神聖ローネリア帝国は非合法な武装集団である黒の組織を抱えており、そこには神託の十三騎士という国家戦力級の剣士が所属している。しかも十三騎士のうちの四人は、皇帝直属の四騎士と呼ばれ、人の域を超えた絶大な力を振るいます!」
俺が剣を交えたディール=ラインスタッドは、『元』皇帝直属の四騎士。
帝国には、あれ以上の剣士がまだ四人も控えている。
この事実は、確かに恐ろしい。
「一つ、魔具師ロッド=ガーフにより齎された圧倒的な科学力! 彼の聡明な頭脳は、人類の百年先を行っている! 先の戦で用いられた超小型飛翔滑空機こと飛空機や黒の組織の標準戦闘服である自律伸縮式冥黒外套! その他にも、ロッド氏はこれまでの常識をひっくり返すような、とんでもない大発明を幾度となく成し遂げております!」
魔具師ロッド=ガーフ、この名前も度々耳にするものだ。
帝国の強さを支えるキーパーソンの一人であることは間違いないだろう。
「そして何より、皇帝バレル=ローネリアという絶対君主の存在! 深淵すらも覗く智謀、四騎士さえも凌ぐ武力、遍く総てを従える稀代のカリスマ! 彼こそが王! 否、神なのです!」
パトリオットさんは鼻息を荒くしながら、次々に帝国を褒め称えた。
(バレル=ローネリアを心酔しているかのような発言も気になったけれど……)
それよりも何よりもまず、確認しておかなければならないことがある。
「パトリオットさん……随分と敵国の内情についてお詳しいのですね」
彼の口ぶりは、まるで帝国の戦力をその眼で見て来たかのようなものだった。
「えぇ、もちろん。……これはここだけの話にしていただきたいのですが……」
彼はそう前置きしたうえで、とんでもない事実を暴露する。
「我ら貴族派は、神聖ローネリア帝国と通じております」
「なっ、それは!?」
「お待ちください! ただ情報を得るための窓口を、独自の外交ルートを持っているということです!」
「まさかとは思いますが、リーンガード皇国の情報を横流ししていませんよね?」
「無論。我らは愛国心に燃える善良な皇国民、決してそのような真似はいたしません!」
「……そうですか、それはよかったです」
残念ながら、この人はあまり信用できなさそうだ。
しかし、ここですぐに話を打ち切っては、あからさまに過ぎる。
もう少しだけ続けて、ほどほどのところで帰るとしよう。
「パトリオットさんの仰る通り、科学力についてはこちらが後れを取っているかもしれません。ただ、戦力においては、そこまで大きな開きはないように思います。なんといってもこちらには、聖騎士協会が誇る最強の剣客集団『七聖剣』がいますから」
「七聖剣……果たして彼らは、本当に味方なのでしょうか?」
「どういう意味ですか?」
「この情報はあまり公になっていませんが、七聖剣の面々には非常に大きな『癖』がある。誤解を恐れずに言えば、『人格破綻者』の集まりだ。いざ開戦となった場合、彼らが正義のために動くとは思えない。実際、つい先日にもフォン=マスタングが裏切ったばかり……彼の他にも裏切り者がいるやもしれませんぞ?」
その発言には、何か含みのようなものがあった。
「七聖剣以外にも、腕の立つ剣士はいますよ? 特に皇国には、レイア先せ――黒拳レイア=ラスノートが」
「『黒拳』ですか。確かにアレは恐ろしく強い。『単体戦力』として見た場合、至上のものがあるでしょう。しかし、彼女の強さは今が最盛期。この先は緩やかに下降し、やがては見る影もなくなるでしょう」
パトリオットさんはそう言って、小さく首を横へ振った。
「さらに付け加えるならば、彼女は単細胞に過ぎるうえ、人間らしい良識を持ち合わせてしまっている。詰まるところ、次の行動が簡単に読めてしまうんですよ。ちょっと頭を使えば、封殺することも容易い」
レイア先生が単細胞という指摘。
それはわかる。とてもよくわかる。
彼女の行き当たりばったりな行動のせいで、俺はこれまで何度も迷惑を掛けられてきたからだ。
しかし、先生に良識があるというのは、いったいどういう了見だ?
パトリオットさんが話しているのは、本当にあのレイア=ラスノートのことか?
同姓同名の誰か別の人のことを言っているのではないか?
俺が頭を悩ませている間にも、話は先に進んでいく。
「黒拳は御しやすく、大きな問題にならない。しかしその一方でアレン殿、貴殿はそれとまるで違う」
パトリオットさんは、グラスで喉を軽く潤し、スッと目を細めた。
「失礼ながら、アレン=ロードルという名前は、ほんの一・二年ほど前まで露と聞きませんでした」
「まぁ……そうでしょうね」
その頃はちょうど、グラン剣術学院でいじめられていたときだ。
「初めてアレン殿の名を耳にしたのはそう――昨年の大五聖祭。氷王学院との戦いにおける、あの『大暴走』です」
「あれは、その、なんというか……お恥ずかしい限りです」
「いえいえ、誰にでも若気の至りというのはありましょう」
彼は柔らかく微笑み、話を前に進める。
「貴殿はあそこから、恐ろしい速度で強くなった――否、今なお強くなっている。最盛期がどこになるのか、限界値はどこにあるのか、皆目見当がつきません」
「ど、どうも」
「アレン殿の行動は、本当に先が読めない。謹慎処分を受けて魔剣士活動に従事しているかと思えば――いつの間にか血狐と繋がりを持ち、闇の世界を闊歩していた。聖騎士見習いとして訓練を積んでいるかと思えば――何故か紛争地帯のダグリオに赴き、救国の英雄となっていた。普通の学生生活を送っているかと思えば――帝国の中枢にまで侵入し、シィ=アークストリアを救出していた。常人ならば普通躊躇うような場面でも、貴殿はなんの迷いもなく突き進んで行く、ブレーキが壊れているとしか思えない」
さすがは貴族派の筆頭というべきか。
俺の経歴をよくもまぁここまで調べ上げたものだ。
「天井知らずの実力・タガの外れた行動力、言うならばアレン殿は『未知数』であり『劇薬』。貴殿の立ち位置によって、あらゆる力関係がひっくり返るやもしれない。――皇族派からも、このように評価されているのでは?」
「まぁ……はい」
確かに同じようなことを言われた気がする。
「遥か昔より、戦争において最も怖いのはイレギュラーだと言われております。だからこそアレン殿には、次の戦争において『傍観者』でいてほしい。その強大な闇の力を行使せず、ことの行く末を静かに見守っていてほしいのです」
パトリオットさんはここへ来て、一気に饒舌になっていった。
おそらく、ここが彼の本懐なのだろう。
「愚かで過激な皇族派は、戦争街道をひた走っている! しかしこのまま帝国と戦えば、我が国は壊滅的な被害を受け、支配されてしまうことは火を見るよりも明らか! それゆえ貴族派は、帝国との友和を、共同政権の樹立を目指している! つまり、敗北後の復興に焦点を当てているのです!」
彼は大きく身を乗り出し、熱の籠った視線を向けてくる。
「聡明な貴殿のこと、既におわかりいただけているはずだ! 私が皇族派をして泥舟と称する理由が! 貴族派こそ真に皇国の明日を憂うものだということが! 今は一時の『愛国心』に流されず、長期的な視点から『実利』を追うべきなのです! ――さぁアレン殿、共に手を取り合い、皇国の輝かしい未来を作りましょう!」
「……」
俺が沈黙を貫いていると、パトリオットさんが態度を軟化させた。
「も、もちろん、なんの見返りもなく、このようなお願いをするわけではありません!」
「……どんな見返りがあるのでしょう?」
「それはもう、アレン殿が望むものを、望むだけご用意いたします! 家も土地も金も地位も女も! 貴殿の欲する、ありとあらゆるものを取り揃えましょう! 今、すぐにでも!」
彼は大きく両手を広げながら、とんでもないことを言い放った。
「なる、ほど……。確かに実利という面では、こちらに大きなメリットがありそうですね」
「おぉ、さすがはアレン殿! おわかりいただけましたか!」
パトリオット=ボルナードの言い分、すなわち貴族派の主義主張はよくわかった。
俺は静かに眼を閉じ、これまで聞いた話、その全てを反芻し――自分なりの結論を下す。
「――パトリオットさん」
「はい!」
「論外です」
「……論外、と申しますと?」
彼の顔から、微笑みが消えた。
「残念ながら、自分の思い描く理想の未来は、貴族派のものと違うようです」
「そんな馬鹿な! 『実利』よりも『愛国心』が勝ると!?」
「愛国心とまでは言いません。ただ……この国には、自分の大切な人がたくさんいます。みんなを守るためにも、俺は持てる全ての力を使って戦うつもりです」
俺の剣術は、大切な人達を守るためにある。
どんな話をされても、この思いは変わらない。
「……そうですか、わかりました」
パトリオットさんは小さくため息をついた後、いつものようにニコリと微笑んだ。
「もしアレン殿の気が変わられた際には、いつでもご連絡ください。我ら貴族派は、貴殿を歓迎いたします」
彼はそう言って、背後の執事に目を向ける。
「さぁアレン殿がお帰りだ」
「はっ。――アレン様、どうぞこちらへ」
執事の男に案内されて、パトリオットさんのお屋敷を後にする。
外で待機中のヒヨバアさんが、「馬車でお送りいたします」と言ってくれたけれど、丁重にお断りしておいた。
なんだかちょっと、外の空気を吸いたい気分だったのだ。
「ふぅー……いろいろとやりにくかったな」
パトリオットさんは、ずっと本心で喋っていなかった。
柔らかい笑顔も驚愕の表情も残念そうな顔も、全て計算づくの演技だ。
彼は常にこちらとの距離を探りながら、将棋やチェスのようなターン制のゲームみたく、発言という手番を回していた。
ああいうタイプの人間は、正直ちょっと苦手だ。
「さて、と……。あまり遅くなると、リアを心配させちゃうし、さっさと帰るかな」
俺はグーッと伸びをした後、自分の寮へ向けて走り出すのだった。
■
アレン=ロードルが帰路についたちょうどその頃、
「ふぅー……時間の無駄をした」
パトリオット=ボルナードは、どっかりとソファに座りながら、大きなため息をついた。
「お疲れさまでした」
執事からの労いの言葉に対し、「うむ」と尊大な態度で返した彼は、ガシガシと乱暴に頭を掻く。
先ほどの好々爺っぷりはどこへやら、完全に素の状態が出ていた。
「しっかし、あれは本当に使えん男だな。前情報にあった通りの大馬鹿者、大人の判断ができん青臭いガキだ」
「仰る通りかと」
「『我欲のない純朴な青年』と言えば聞こえはいいが、それは裏を返せば、確固たる自己が確立されておらんとも言える。文字通りの未熟、世間の荒波に揉まれておらぬ、井の中のオタマジャクシだ」
「まさにその通りかと」
執事からの全面同意を得たパトリオットは、満足気に「ふんっ」と鼻を鳴らし、古びたシガレットケースを開けた。
ズラリと並んだ大量の葉巻の中から、お気に入りの一本を取り出し、慣れた手つきでヘッドをカット。フット全体をマッチでほどよく炙り、ゆっくりと時間をかけて、口腔いっぱいに煙を吸い込でいく。
「ふぅー……。昔から『馬鹿とハサミは使いよう』と言うが、それは大きな間違いだ。馬鹿はどこまで行っても馬鹿のまま、持ち手がどれだけ工夫を凝らそうとも、決してハサミになることはない」
「つまり……?」
「当初の計画通りだ。あの馬鹿を速やかに処分する。――『シン』を使え」
そう命じられた執事は、恐る恐る自身の意見を述べる。
「……本当に、勝てるのでしょうか?」
「なに?」
「確かにシンは、理の外にある存在。その強さは十分に存じております。しかし理の外にあるのというのは、アレン=ロードルもまた同じ。彼は裏切りの七聖剣フォン=マスタングと元皇帝直属の四騎士ディール=ラインスタッドを同時に相手取り、優勢に立ち回っていたと聞いております。果たしてシンは、アレンに勝てるのでしょうか?」
「はぁ……お前もその口か」
貴族派の一部からは『シンであろうとアレン=ロードルには敵わないのではないか?』、という声が噴出しており、パトリオットはこの意見に対して心の底から呆れていた。
「何も案ずる必要はない。シンは『強さ』という概念の上にあるのだ。一対一の戦いならば、まさしく最強、負けることなど絶対にあり得ん」
「承知しました。出過ぎた発言をお許しください」
執事の認識を正したパトリオットは、満足そうに「うむ」と頷いた。
「では、次の祭りを楽しみにしておるぞ?」
「委細、承知しました。ただ今より、計画を実行に移します」
執事は深々と頭を下げ、鳳凰の間を後にした。
「ふははっ、これで長きに渡る皇族派との政争も終わる。これで私は、『真の貴族』になれるのだ!」
瞳の奥に底なしの欲望と壮大な野望を滾らせながら、パトリオットは邪悪な高笑いを上げるのだった。




