秘密の会議とゴザ村への帰郷【四】
「――ポーラさん、お久しぶりです」
大きな声でそう話し掛けると、彼女はフライパンを振るいながら、クィと首だけこちらへ向けた。
「ん……? おぉ、アレンじゃないか! どうした、飯でも食べに来……って、そっちの別嬪さんたちは? もしかして……あんたのお友達かぃ?」
「はい、千刃学院のクラスメイトです」
俺はコクリと頷き、リアとローズへ視線を向ける。
「リア=ヴェステリアです。初めまして、ポーラさん」
「ローズ=バレンシアだ。よろしく頼む」
二人が礼儀正しく挨拶をすると、ポーラさんはニッと破顔した。
「リアちゃんとローズちゃんだね! あたしはポーラ=ガレッドザール、ここの寮母をやっているもんだ。今ちょぃと手が離せないから、そっちで待っといておくれ」
「「「はい」」」
俺たちは邪魔にならないよう、食卓の椅子に座って、しばらく待機しておく。
ポーラさんはその間、慣れた手つきでフライパンを振るい、空いた手で大鍋を掻き交ぜ、合間を見ては野菜のおひたしを作る。
(相変わらず、凄いなぁ……)
厨房という戦場に立つ彼女は、複数の調理を同時並行して進めていくその姿は、なんだかとても格好よく見えた。
それから三分後――夜の仕込みを終えたポーラさんは、火の元をちゃんと締めてから、食卓の椅子に腰を下ろす。
「ふぅ、待たせたね。それで、今日はどうしたんだい?」
「はい、実は――」
俺が簡単に事情を説明しようとしたそのとき、ポーラさんの強靭な右腕がヌッと伸びた。
「あーいや、待ちな。このあたしがズバリと当ててやろう!」
「は、はぁ……」
「実は最近、『推理モノ』に嵌っていてね。家事の合間を縫って、読み耽っているのさ」
「へぇ、そうなんですか」
ポーラさんの視線の先――戸棚の中段には、推理小説がズラリと並んでいた。
「ふむ、ふむふむふむ……今日は三月三十日、春休みの最終盤だね。アレンは珍しく、クラスのお友達を連れている。そして三人はそれぞれ、けっこうな大荷物を持っている。――ふっ、わかったよ。ゴザ村への里帰りだね!」
ポーラさんは名探偵よろしく、ビシッと人差し指を伸ばす。
「はい、大正解です」
「ふっふっふっ、あたしの眼力も捨てたもんじゃないね!」
彼女は両腕をがっしりと組み、嬉しそうに肩を揺らした。
「ここ最近、あまり顔を見せられていなかったので、そろそろゴザ村に帰ろうと思いまして。せっかくなので、ポーラさんにもご挨拶ができたらなと」
「おぉ、そりゃ嬉しいねぇ!」
彼女はニッと微笑んだ後、おもむろに後頭部を掻いた。
「ただ……今回はちょぃとばかしタイミングが悪かったね」
「どういうことですか?」
「ダリアさん、竹爺や村の人達を連れて、ドレスティアへ行っちまったよ。収穫した春野菜を売りにね。ほら、あそこに大量の野菜があるだろう? あれは行きしなに、御厚意で置いてってくれたもんだ」
ポーラさんの指さした先には、山のように段ボールが積まれてあった。
そこにはたまねぎ・キャベツ・たけのこなどなど……。今が旬の春野菜が、これでもかというほどに詰められている。
「あー……そうでしたか」
言われてみたら、確かにもうそんな時期だ。
「残念、入れ違いになっちゃったみたいね」
「ドレスティアは商人の街。モノを売買するならあそこがベストだからな。こればかりは仕方がない」
リアとローズはそう気遣ってくれたけど、けっこうショックは大きい。
(最近ドタバタしてたから、ちょっとうっかりしてたな……。こんなことなら、先に手紙を送っておけばよかった)
俺が小さくため息をつくと同時、ポーラさんが元気付けとばかりに、バシンと背中を叩いてくれた。
「かっ、は……ッ」
脊髄が粉砕されたのかと錯覚するほどの衝撃が走り、前後不覚に陥ってしまう。
「まっ、そう気落ちしなさんな。別にもう一生会えないってわけじゃないんだからね。また次の長期休暇、夏休みにでも会いに行けばいいさ」
「あ、ありがとうございま、す……っ」
ただ、もうちょっと力加減は覚えてください――喉まで出掛かった言葉をギリギリのところでゴクリと呑み込む。
「それにダリアさん、帰りにもう一度うちに寄るって言っていたからね。アレンのことは、あたしがちゃんと伝えとくよ。元気でやっていて、可愛いガールフレンドもいるってね」
「ちょっ、ガールフレンドって……!?」
俺が顔を赤くすると同時、彼女はニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。
「おいおい、何を勘違いしてんだい? あたしゃガールフレンド、すなわち『女友達』って意味で言ったんだけど……?」
「さっきのは明らかに、含みのある言い方でしたよね!?」
「まったく、これだから思春期の男は……」
「もう、ポーラさん!」
俺たちがそんなやり取りをしている一方、
「あはは、なんだかアレンが普通の学生みたいね」
「ふっ、なんだか新鮮な光景だな」
リアとローズは楽しそうにクスクスと笑っていた。
「さて、冗談はこのあたりにして……。あんたたち、この後はどうするつもりなんだい?」
「えーっと、そうですね……」
母さんや竹爺――ゴザ村のみんなが収穫物を売りに行っているのなら、わざわざ村へ行っても仕方がない。
(うーん、どうしようかなぁ……)
俺が頭を悩ませていると、ポーラさんがパチンと指を鳴らした。
「特に予定がないんだったら、うちに泊まっていったらどうだい?」
「えっ、いいんですか?」
「おうとも! 最近はめっきり流行っちゃいないが、一応ここは寮だからね。幸いにも空き部屋なら腐るほどある」
彼女はそう言って、とても嬉しい提案をしてくれた。
「リア、ローズ、どうする?」
「もちろん大賛成、お言葉に甘えましょう」
「せっかくの御厚意、無駄にするわけにはいかない」
二人も乗り気だし、これは決まりだ。
「それじゃポーラさん、久しぶりにお邪魔します」
「お世話になります」
「よろしく頼む」
「あぁ、騒がしいのは大歓迎だよ!」
こうして俺たちは、ポーラさんの寮に泊まることになったのだった。
■
俺・リア・ローズの三人は、ポーラさんに用意してもらった各自の部屋へ移動する。
「……懐かしいなぁ。全然、変わってないや」
俺に宛がわれたのは、三年間お世話になった懐かしの自室。
棚・ベッド・勉強机――何もかもがあのときのままで、タイムスリップしたかのような気分になってくる。
(昔は、よくここで腕立て伏せとかしてたっけな……)
朝と昼はグラン剣術学院で自主練、夕方は寮の近くで素振り、夜は自室で筋トレ――中等部の三年間は、ずっとそんな生活を送っていた。
あの頃はつらいことも多かったけれど……逃げずに頑張って、本当によかったと思う。
「っと、感傷に浸っている場合じゃないな」
俺は持参した手荷物をベッドに置き、大広間へ移動――リア・ローズと合流する。
「さて、と……これからどうしようか?」
「やっぱり、ここじゃなきゃできないことがしたいわ」
「これほどの田舎に来るなんて、そうそうあることじゃないからな。私も自然を感じたいぞ」
二人はそう言って、田舎ならではのレジャーを希望した。
「うーん、そうだな……。それなら、釣りなんてどうだ? 自然を堪能できるし、小腹満たしにもなる」
「それいいかも! 賛成!」
「名案だな。異存はない」
予定が決まったところで、早速行動を開始する。
「――ポーラさん、俺が作った釣り竿とかって、まだ残ってたりしませんか?」
「あぁ、あれなら倉庫にしまってあるよ。適当に持って行くといい」
「ありがとうございます」
それから俺は、リアとローズを連れて倉庫へ向かう。
「よっと」
巨大な鉄製の扉をギィと開けば、だだっ広い空間が視界一面に広がった。
謎の絵画・厳めしい石象・分厚い古書などなど……。相変わらずここには、本当にいろいろなものがある。
「なんだか博物館みたいな場所ね」
「そっちの方面には明るくないが……。歴史的に価値のありそうなものが、ごろごろと転がっているな」
初めてここに来たリアとローズは、興味深そうにキョロキョロと周囲を見回している。
俺はそんな中、目当てのもの捜し歩く。
「釣り具は……っと、あったあった」
向かって突き当たり、大きな棚に立て掛けるような形で、たくさんの釣り竿がズラリと並べられてあった。
ちなみに……この竿は全て俺の手作りで、木の幹から削り出したものだ。
ポーラさんと釣りに行くとき、彼女が勢い余って竿を握り潰すことが多々あったので、予備の竿を大量に作ったのである。
「これと、これと……後は、これだな」
三人分の釣り竿・予備の釣り針・木製の小椅子を執ると同時――棚の上から、古ぼけた写真がひらひらと落ちてきた。
「ん……これは……?」
そこに写っていたのは、線の細い美少女。
撮影された場所は……多分、この寮の中だ。
「あら、凄い美人さんね」
「ここに住んでいた学生だろうか?」
横合いから覗き込んできたリアとローズは、そんな感想を口にする。
「うーん……よくわからないけど、他人さんの写真を見過ぎるのもあれだし、元の場所に戻しておこう」
謎の古びた写真を戸棚の上にそっと置き、だだっ広い倉庫を後にした。
「――さて、残りはっと」
俺が『釣りに必要なものリスト』を頭の中でピックアップしていると、ポーラさんからお呼びの声が掛かる。
「はい、なんでしょうか」
「ほら、準備しておいたよ」
ポーラさんはそう言って、玄関口に目を向ける。
するとそこには、特製の練り餌・包丁・簡単な調味料などなど、ちょうど探していたものが取り揃えられていた。
さすがはポーラさん、気を利かせてくれたらしい。
「すみません、わざわざありがとうございます」
「いいってことよ。ガンガン釣ってきな!」
「はい」
それから俺たちは、寮の裏手にある川へ向かう。
「――よし、着いた」
「わぁ、綺麗な水……!」
「川底まではっきりと見えるぞ。凄い透明度だな!」
リアとローズはそう言って、キラキラと眼を輝かせた。
ここは上流ということもあり、特に水が澄んでいるのだ。
「二人とも釣りをやったことは?」
「お父さんと何度かあるわ」
「軽く嗜む程度だな」
「そうか、それなら大丈夫そうだ」
ここの魚たちは、とても警戒が薄い。
まったくの素人じゃないなら、面白いぐらいに釣れるだろう。
それから俺たちは、釣り針に特製の練り餌を付け、水面にそっと糸を垂らした。
数分後――俺の竿がピクンと揺れる。
「ぃよっと」
勢いよく振り上げると同時、美しい白魚が水面から飛び出した。
「まずは一匹だな」
たった今釣れたのは、この辺りに群生する川魚――『アミュ』、今回のメインターゲットだ。
俺はその口元から釣り針をサッと外し、予め水を溜めておいたバケツの中に入れる。
「うわぁ、活きのいいアミュ! とってもおいしそう!」
「うむ、中々いい肉付きをしているな」
それから一時間ほど、みんなで釣りを楽しんだ結果が――これだ。
「一・二・三……十匹か。けっこう釣れたな」
バケツの中には、活きのいいアミュたちが元気よく泳いでいる。
「ふふっ、大漁ね!」
「これだけ釣れると気持ちがいいな」
リアとローズもかなり上機嫌だ。
「ところでアレン……これって、どうやって食べるのかしら?」
「アミュは使い勝手のいい魚だ。お刺身にしてもコリコリしてておいしいし、お味噌汁に入れても出汁が出てうまい、煮付けなんかでもよく使われる。ただ今回は、釣ったばかりの新鮮さを活かして、『塩焼き』にしようと思う」
「塩焼き!」
「ほぉ、それはまた乙だな」
二人はそう言って、子どものように目を輝かせた。
「それじゃ、早速下拵えと行こうか」
俺はバケツからアミュを一匹掴み、手早く作業に入る。
まずは鱗を包丁でこそげ取り、川の水で表面のヌメリを洗い流す。
その後はキッチンペーパーで水気を拭き取り、薄く全体に塩をまぶしていく。
最後にしっかりと串打ちをすれば――準備完了だ。
「へぇ、凄く手際がいいのね」
「アレンは料理もできるのか」
「まぁ、田舎育ちだからな」
二人の賞賛に対し、苦笑いで応じる。
ゴザ村のような限界集落で育てば、嫌でも勝手に生活力が身に付く。何せ農耕牧畜から炊事洗濯まで、一人でやらなければならないことがべらぼうに多いからな。
「さて、後は火起こしだ」
俺が適当に枯れ葉やら枝やらを適当に見繕っていると、リアがぴょこんとアホ毛を立てる。
「火元なら任せてちょうだい」
彼女が軽く人差し指を振るうと、白と黒の炎がボッと吹き、あっという間に火が付いた。
「ふっふっふっ。わざわざ魂装を展開しなくても、これぐらいもうお手の物よ!」
「ありがとう、助かるよ」
その後、火を囲むようにして、串打ちしたアミュを並べていく。
それからしばらくすると、焼き魚特有の芳ばしいにおいが立ち昇ってきた。
「よしよし、いい感じに焼けてきたぞ」
「こ、このかおり……たまらないわね……!」
「あぁ、食欲をそそるな」
表面の皮が狐色になった今が、ベストな食べ時だ。
「「「――いただきます」」」
俺たちは両手を合わせ、それぞれが釣ったアミュを三人同時にかぶりつく。
(おっ、これはうまい……!)
脂の乗ったぷりっぷりの身とほどよい塩っけが合わさり、旨味の相乗効果を奏でている。
「ん~っ! こんなにおいしいアミュ、生まれて初めて食べたわ!」
「なるほど、確かにこれは絶品だ……!」
俺とローズでそれぞれ一匹ずつ、リアが残りの八匹を全てペロリと平らげた。
「「「――ごちそうさまでした」」」
両手を合わせて、自然の恵みに感謝。
「それにしても、おいしかったなぁ」
「うん! でも、ちょっと喉が渇いちゃったわね」
「私もだ。塩っけのあるものを食べたからだろう」
言われてみれば、確かに俺も少し喉が渇いている。
「ねぇアレン、この川の水って飲めるのかしら?」
「見たところ、かなり綺麗なようだが……?」
「あぁ、もちろん大丈夫だ。でも今回は、あれにしよう」
俺はそう言って、前方の大木を指さした。
「あれって……なんのこと?」
「あの木がどうかしたのか?」
二人は不思議そうな表情で、コテンと小首を傾げた。
「あはは、木じゃなくてこれだよ」
俺は大木の方へ移動し、その幹に絡み付いた太い蔓を手に取る。
「トプの蔓。この蔓は深くまで根を張り、地下水を吸い上げて、それを貯め込む性質がある。だからこうして、蔓を切ってやると……ほら、出て来たぞ」
蔓の切断部から、トプトプトプと綺麗な水が溢れ出す。
俺はすかさずそれを口へ運び、ひんやりとしたおいしい水を堪能する。
「あー……うまい!」
これがほんと、たまらなくおいしいのだ。
「な、中々ワイルドな絵面ね……っ」
「アレンはどこでも生きていけそうだな……っ」
「ほら、二人もやってみなよ」
リアとローズはお互いに視線を交わし、意を決したようにコクリと頷く。
それぞれの剣でトプの蔓を両断し、水の溢れ出すそれをハムッと咥えた。
すると次の瞬間、
「ん……!」
「これは……っ」
二人はビクンと顔を上げたかと思うと、凄まじい勢いでごくごくと飲み始める。
「どうだ、中々いけるだろ?」
「これ、凄い! ほんのりとした、自然な甘味……! 駄目、無限に飲めちゃうわ!」
「塩っけの口に優しい飲み口……これは病みつきになってしまうな!」
リアとローズはそう言って、トプの蔓を頬張った。
「ちょ、ちょっとストップ! トプの茎から出る水には、けっこうな果糖が含まれているから、あんまり飲み過ぎると体に毒だぞ!?」
「で、でも……これ、おいしぃの……っ」
「もうちょっと、もうちょっとだけ……っ」
甘い水を欲しがる二人を鎮めるのは、けっこう大変な作業だった。
その後、森の中を散策したり、薪割り大会をやったり、都会じゃ中々できないレジャー体験を楽しんだ。
「――ポーラさん、ただいま帰りました」
「おぉ、おかえり! どうさ、楽しめたかい?」
その問い掛けに対し、俺たちは即座に返答。
「はい」
「とっても面白かったです!」
「中々に有意義な時間だった」
「はっはっはっ、そりゃよかった。もうじき晩ごはんができるから、ちょぃと待っといておくれ」
俺たちはその言葉に甘えて、食卓の椅子に腰を下ろす。
それから少しすると、あっという間に晩ごはんの準備が整った。
「こ、これは凄いな……っ」
「うわぁ、おいしそう……!」
「なんという力強さだ……ッ」
食卓には特大のロールキャベツ・超大盛りの焼き飯・迫力満点の豚の丸焼きなどなど、ポーラさんらしい豪快な料理が、これでもかというほどにズラリと並ぶ。
「ふふっ、まだまだたくさんあるからね! 遠慮せず、たぁんと食いな!」
「「「――いただきます」」」
みんなで両手を合わせて食前の挨拶。
俺は目の前にあったロールキャベツに箸を伸ばし、肉厚のそれを一思いに頬張った。
「……ッ!」
――うまい。とにかく、ひたすらにうまかった。
暴力的なキャベツの甘みが、口の中でゴウッと吹き荒れる。
本来はメインであるはずの挽肉を押しのけ、まるで「主役は自分だ」とばかりに主張してくるこの味は、間違いなくゴザ村産のものだ。
「な、なんて破壊力なの……!?」
「このロールキャベツ、ただものではないぞ!?」
リアとローズは興奮した様子で、口々にそんな感想を漏らす。
「ふふっ、うまいだろう? ゴザ村の野菜は、どれも一級品だからね!」
ポーラさんはニッと微笑み、とても嬉しいことを言ってくれた。
それからハンバーグ・焼き飯・ビーフシチューなど、ポーラさんの絶品料理に舌鼓を打つ。
「「「――ごちそうさまでした」」」
「あいよ、お粗末様でした」
今の状態を端的に述べるのならば……満たされたお腹、これぞまさに満腹だ。
(いやぁ、我ながらよく食べたな……)
あまりにもおいしかったので、ちょっとばかし食べ過ぎてしまった。
「はふぅー、おいしかったぁ。さすがにもうお腹いっぱいかも……っ」
凄まじい食べっぷりを披露したリアは、満足そうにお腹のあたりをさする。
「リアちゃん、あんたいい食いっぷりだね! こんだけ綺麗に平らげてくれたら、作ってる方も嬉しいよ!」
リアとポーラさんはウマが合うらしく、二人で楽しそうに話し込んでいた。
その間、俺とローズはどの料理が一番おいしかったかやゴザ村でイチオシの野菜など、ちょっとした雑談に花を咲かせる。
そうして軽い休憩を挟んだ後は、大浴場で汗と疲れを洗い流した。
お風呂を済ませてパジャマに着替えてからは、俺の部屋に集まって、夜遅くまで遊び耽る。トランプやボードゲームなんかをして、平和で楽しい一時を過ごした。
「……っと、もうこんな時間か」
「え゛っ、嘘!?」
「楽しい時間というのは、あっという間に過ぎてしまうものだな」
時刻は深夜零時。
そろそろ寝ないと、明日以降に響いてしまう。
「名残惜しいけど、お開きにするか」
「うん、寝不足はお肌の大敵だものね」
「あぁ、こればかりは仕方ないな」
散らかった部屋をサッと片付け、リアとローズを送り出す。
「それじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい、アレン」
「おやすみ、アレン」
二人はそう言って、それぞれの部屋に戻っていた。
その後、手早く寝支度を済ませた俺は、懐かしのベッドに潜り込む。
(ふぅ……なんだかんだで、けっこう疲れが溜まっているな)
長距離移動+大自然のレジャー体験+みんなでテーブルゲーム、冷静に思い返してみれば、思いっ切り遊び倒した一日だ。
今まではちょっとした興奮状態だったため、疲労なんかなんのそのだったが……。横になって落ち着いたら、疲れが一気にドッと押し寄せてきた。
(里帰りできなかったのは残念だけど、今日は本当に楽しかったなぁ……)
こんな毎日が、この先もずーっと続けばいいのになと思う。
俺は幸せな気持ちいっぱいで、気持ちよく入眠しようとしたのだが……ここに一つ、問題があった。
「…………なんか、ちょっと寂しいな」
チラリと横に目を向けるが、当然そこにリアの姿はない。
いつもの寝息が、いつもの温かみが、いつもの安心感が、どんなときも隣にいる存在が――いない。この現状に対し、俺は強烈な物足りなさを感じた。この大きなベッドが、とても広く冷たいように思えた。
(こういうのを『人肌が恋しい』って言うのかな……?)
ぼんやりそんなことを考えていると、喉の奥から大きな欠伸が出てきた。
さすがにそろそろ、限界が近いみたいだ。
「ふわぁ……寝よう……」
俺はゆっくりと瞼を下ろし、深い微睡みの中に沈んでいくのだった。
■
翌朝――食卓に歓喜の声が響く。
「――おいしい! デリシャスっ! 美味ッ!」
「はっはっはっ、本当に作り甲斐のある子だねぇ! そぉら、おかわり追加だ! どんどん食いな!」
「うわぁ、ありがとうございます!」
そんなリアとポーラさんのやり取りを横目に見ながら、俺とローズは静かにもしゃもしゃとパンを食む。
「……朝っぱらから、よくあんなに食べられるな」
リアとの共同生活を始めて早一年、これまで幾度となく眼にしてきた光景だけど、何度見ても凄まじい食べっぷりである。
「ふわぁ……っ。あれだけ好き放題に食べて、あの理想的なスタイルを維持できるのだから、本当に羨ましいものだ……」
いまだ寝ぼけまなこのローズが、羨ましそうにポツリと呟いた。
「理想的なスタイル……。ローズもやっぱり、体型には気を配っているのか?」
「あぁ。食事制限はもちろん、お風呂でも胸部のマッサージを……って、私に何を言わせるつもりだ!?」
「あ……ごめん……っ」
なんか自然な流れだったので、うっかり普通に聞いてしまった。
当然ながら、女性に体型のことを尋ねるのはNG。これは古の書物にも記されてある常識だ。
もう二度と同じ過ちを犯さぬよう、きっちり反省しなければならない。
そんなこんなで、あっという間に時は流れていき――時刻は午前十時三十分、そろそろオーレストに帰る時間だ。
「なんだ、もう帰るのかい? そんなに急がなくとも、お昼ぐらい食べていきゃいいのに……」
ポーラさんはそう言って、しょんぼりと眉を落とした。
「すみません……。でも、明日から新学期が始まるので、今日はちょっと早めに帰って、ゆっくりと準備しようかなと思います」
「そうか、そりゃ仕方ないね」
彼女が納得してくれたところで、俺はリアとローズに目を向ける。
「さて、と……二人とも、忘れ物はないか?」
「うん、大丈夫」
「こちらも問題ない」
みんなの帰り支度が済み、いよいよ出発しようかという頃――俺はどうしても気になっていることがあったので、それとなく聞いてみることにした。
「あの……ポーラさん、ちょっといいですか?」
「なんだい?」
「……ゴザ村はありますよね? 村として、ちゃんと存在していますよね?」
次の瞬間、彼女の顔がハッと強張った。
「アレン……あんた、熱でもあるのかい?」
彼女はとても心配そうな表情で、俺の額に右手を添える。
どうやら頭がおかしくなったのか、と思われてしまったらしい。
「す、すみません。変なことを聞いちゃいました、今のは忘れてください」
俺の心に引っ掛かっていたのは、天子様がいつか口にしたあの言葉――。
【『ゴザ村』なんて領地は、この国には存在しない】
きっとあれは、彼女の覚え違いか何かだろう。
「なんだかよくわからないけど、とにかく体にだけは気を付けるんだよ? あんたは昔から、どっか無茶をするところがあるからね」
「はい、お気遣いありがとうございます」
俺がペコリと頭を下げると同時、リアとローズもお別れの挨拶を口にする。
「ポーラさん、おいしいごはん、ありがとうございました!」
「世話になった。感謝する」
「あぁ、リアちゃんもローズちゃんも、またいつでも遊びに来るといい! そんときはまた、うまいメシをたらふく食べさせてやるからね!」
こうしてポーラさんと別れた俺たちは、オーレストの街へ帰るのだった。
■
アレン・リア・ローズがオーレストに出発してから数時間後、ポーラ=ガレッドザールに邪悪な魔の手が迫っていた。
「ふぅ……」
大量の洗濯物を取り入れたポーラが、慣れた手付きで畳んでいると――ドンドンドンと荒々しいノックが鳴り響く。
強く荒々しいその音は、明らかな『異常事態』を報せていた。
「……えらく騒がしいね」
ただならぬ気配を察知した彼女は、護身用に愛用のフライパンを握り、のっそのっそと玄関へ向かう。
「そんなに叩かなくとも聞こえてるよ」
扉を開けるとそこには――信じられない光景が広がっていた。
「な、なんだいあんたたちは……!?」
寮の全周をグルリと取り囲むのは、黒の外套を纏った剣客集団、その数はざっと百人以上にのぼる。
ポーラが動揺を隠せずにいると、集団を率いる屈強な偉丈夫が一歩前に踏み出した。
「貴様がポーラ=ガレッドザールだな?」
「……そういうあんたは、どこのどなたさんだい?」
「これは失礼した。俺は神託の十三騎士ヲートリウス=トライゲートという者だ」
ヲートリウス=トライゲート、三十五歳。
身長は約二メートル。十三騎士の中でも生粋の武闘派であり、屈強な肉体を誇る偉丈夫だ。獅子の如く猛った赤髪・龍を思わせる鋭い瞳・鷲のように高い鼻、どこに出しても恥ずかしくない強面である。
彼は現在、『皇帝直属の四騎士に最も近い男』と評される腕利きの剣士だ。
「神託の十三騎士……なるほど、最近世間を騒がせている、あの厄介集団か……」
「ほぉ、我々のことを知っているのか?」
「あれだけラジオや新聞を賑わせていたら、誰だって嫌でも知ることになるよ」
「ふっ、それもそうだな」
両者の視線がぶつかり合い、険呑な空気が流れる中――気の強いポーラが、先に口火を切る。
「それで……神託のなんちゃら様が、このあたしになんの用だい?」
「我々は現在バレル様の勅命を受け、アレン=ロードルの身辺調査を進めている。しかしこれが、中々に難航していてな……。いったいどういうわけか、奴の経歴や素性には極めて不自然な点が多いのだ。こんな虚と実の混淆したもの、陛下に奏上することはできん。特に中等部以前の記録が酷く、何者かによる人為的な情報操作が見られた」
ヲートリウスはそう言って、現在の状況を簡単に説明した。
「そこで我々は、大きく調査方針を転換。中等部時代のアレン=ロードルを知る者と接触し、直接話を聞くことにしたのだ」
「なるほど、それがあたしってわけか」
「あぁ、そうだ。アレン=ロードルはグラン剣術学院に通っていた三年間、この寮で生活していた――これに間違いはないな?」
「あぁ、それがどうしたかい」
「ふぅ……ようやく『当たり』を引けたようだ。では早速、本題に入らせてもらおう。奴の周辺で、人を食ったような老爺を――『奇妙なボタン』を見なかったか?」
ヲートリウスは鋭く目を光らせ、いきなり核心を突く質問を投じた。
それに対し、ポーラはあっけらかんとした様子で軽く答える。
「さぁ、知らないね」
「……本当か? 隠しても、益はないぞ?」
「ったく、馬鹿な男だねぇ。万が一知っていたとしても、あんたら黒の組織みたいな危険な奴等には教えるわけないだろう。ちょっとは頭を使ったらどうだい?」
「ふむ……そうか。では、無理矢理にでも吐かせるとしよう」
ヲートリウスの全身が隆起し、凄まじい殺気が解き放たれた。
「……」
「……」
張り詰めた空気が流れる中、善意からの忠告が発せられる。
「ポーラ=ガレッドザール、貴様のような気の強い女は嫌いじゃない。それ故、先に忠告しておこう。うちの組織は、女に手加減をするほど温くはない。これからお前はベリオス城へ連行され、凄惨な拷問を受けることになる。死よりも苦しい激痛が、寝る間もなく襲い掛かるのだ。そんな責め苦を味わうぐらいならば、ここで全てを吐いてしまった方が楽だぞ?」
「はっ、何をいうかと思えば……。アレンは三年間、うちで面倒を見てきた大切な寮生だ。うちの可愛い子を売るぐらいなら、舌を噛み切って死んだ方がマシだね! そんな安い脅しで屈するほど、あたしは腑抜けちゃいない――寮母舐めんじゃないよッ!」
ポーラの力強い雄叫びが、辺り一帯に木霊する。
そこには彼女の強い覚悟が、寮母としての誇りが籠っていた。
「……そうか、一応忠告はしたぞ。恨むのならば、軽率な判断をした愚かな自分を恨め」
刹那、ヲートリウスの体が霞に消えた。
「――ぬぅん!」
次の瞬間、ポーラの鳩尾に強烈な右ストレートが突き刺さる。
凄まじい破裂音が響く中――。
「……な゛、ぜ……ッ」
漏れたのは戸惑いの声。
滲み出すは凄まじい激痛。
ヲートリウスが視線を落とすとそこには、ぐしゃぐしゃにへし折れた自らの右腕があった。
「~~ッ」
彼は痛みを理性で噛み殺しながら、すぐさま大きく後ろへ跳び下がる。
「はぁはぁ……っ。ポーラ、貴様いったい何をした!?」
「別に、何も。レディのお腹に手を出すから、罰が当たったんじゃないか?」
「くっ、戯言を……! 貴様等、掛かれ!」
上官の命令を受け、組織の構成員たちがポーラのもとへ殺到する。
「這い千切れ、<憑き者断ち>!」
「延々惑いて無垢となれ、<六楼閣の忘却娘>!」
「空の玉座に朱を垂らせ、<帝王の血盟>!」
彼らはみなヲートリウス直属の側近であり、単独で街一つ落とせるほどの優秀な魂装使い。
まるで戦争でも仕掛けるのかというほどの大戦力が迫る中、
「……まったく、あたしも舐められたもんだねぇ」
ポーラの呆れたような呟きが、春風に乗って消えた。
次の瞬間、
「ぱがら!?」
鉄製のフライパンは音速をぶっちぎり、迫り来る三本の魂装をいとも容易く粉砕する。
「そ、そんな馬鹿な……へぶっ!?」
「いったい何が……ッ」
「あり得な……ごふ……っ」
振り下ろされるは、三度の拳骨。
本来それは、子どもを叱り付けるときなどに放たれるものだが……。
ポーラという筋肉の化物が放った場合に限り、文字通り『必殺の一撃』と化す。
「……ガルフ、グリオス、ダールトン……?」
ヲートリウスは、我が目を疑った。
悪い夢でも見ているのかと思った。
最も信頼する最側近の三人が、ただの拳骨で戦闘不能――地面に体をめり込ませ、失神しているこの現状を理解できなかったのだ。
「貴様、いったい何者だ!?」
「寮母だ」
ヲートリウスの問いに対し、ポーラは即答する。
「ぐっ、ふざけたことを……ッ」
彼は奥歯を噛み締めながら、背中に隠した左手でハンドサインを送った。
それを受けた側近の一人は、耳に装着した小型の無線を起動し、本部へ連絡を試みる。
「り、リーンガード皇国より緊急連絡! アレン=ロードルのいた寮には、とんでもない化物が――」
「――おっと、そうはさせないよ」
ポーラが人差し指を振り下ろすと同時、まるで鳥籠のような巨大な檻が、遥か天空より振り落ちた。
圧倒的大質量の落下により、地面は激しく揺れ動き、そこに秘められた莫大な霊力によって、無線の電波はかき乱されてしまう。
「くそっ、なんで繋がらないんだ……!?」
ポーラ=ガレッドザール、その二つ名は――『鉄血』。
かつて黒拳レイア=ラスノートたちと共に、千刃学院の黄金世代を支えた国家戦力級の大剣士であり、ハプ=トルネを唸らせた『超剛筋』を誇る、無刀の女剣士だ。
「あたしの能力は目立つからね。さっさと終わらせちまうよ」
ポーラがゴキッと首を鳴らせば、愛用のフライパンは形を変え、漆黒のガントレットと化した。
「……ッ(現実離れした珠玉の肉体。圧倒的な存在の密度。そして極め付きは、この馬鹿げた霊力……っ。こいつは間違いなく、皇帝直属の四騎士クラス……ッ)」
ヲートリウスは警戒度を最大まで引き上げ、速やかに全隊へ命令を発する。
「囲め! 敵は所詮一人、数の利を活かすのだ!」
「まったく、多勢に無勢とはこのことだね……。大の男が雁首並べて、レディを取り囲んで……恥ずかしくないのかい?」
「……貴様のようなレディがいてたまるか……っ」
そこから先の戦いは、あまりにも一方的だった。
ヲートリウスの側近たちは、次々に決死の突撃を仕掛けるが……。
「うぉおおおおおおおお……へぶっ!?」
「はぁああああああああ……ご、は……っ」
「ぜりゃぁああああああ……げふっ」
ポーラはそれを千切っては投げ千切っては投げ、まるで赤子の手を捻るかのように、いとも容易く制圧していった。
(……無理だ……こんなの、人類が勝てる相手じゃない)
彼らが感じたのは、生物としての絶対的な格差。
餌と捕食者――自分たちが狩られる側であることを嫌というほどに思い知らされた。
その後、百人以上の剣客集団は、三分と経たずに完全壊滅。
最後の一人であるヲートリウス=トライゲートは今、渾身の斬撃を放とうとしていた。
「貫き穿て、獣王閃獄葬ッ!」
全霊力を込めたその一撃は――。
「ふぅー……まだやるかい?」
ポーラの腹筋を前にして、脆くも砕け散った。
「何故、通らぬ……っ」
「あんた、馬鹿だねぇ……。あたしの腹筋に刃が通るとでも?」
「この化物、が……ッ!?」
返す刀のボディブローを受け、ヲートリウスの意識は暗闇の中に沈んだ。
「ったく……このあたしを落としたきゃ、最低でも『真装使い』を連れてきな! ――寮母舐めんじゃないよ!」
その後、ポーラは組織の構成員を荒縄で拘束していき、知り合いの聖騎士へ連絡――数日後、身柄の回収に来てもらう約束を取り付けた。
そうして降りかかる火の粉を払いのけたポーラは、複雑な表情で地平線の彼方を見つめる。
「……急ぎな、ダリア……。もう隠し切れなくなっているよ」
彼女の瞳はアレンの母ダリア=ロードルが『作業』を進める、ゴザ村の方へ向けられていた。
ついに明日! 一億年ボタン第9巻、4月20日水曜日に発売されます!
第9巻は桜の国チェリンの完結編&宮殿会議と里帰り編がまるっと収録!
今回もまた戦闘・日常・会話の深堀りなどなど、大量の加筆修正を行っており、非常に濃密な一冊に仕上がっております!
ラノベは発売直後の一週間の売り上げが超大事なので、「そう言えば、書籍版はまだ買っていなかったな」という方は、この機会にご購入いただけますと、作者がめちゃくちゃ喜びます!(カラーイラスト&挿絵&大量の加筆があるので、きっと楽しんでもらえると思います!)
これまで『全巻重版』の『一億年ボタン』シリーズ!(←書籍版をお買い上げいただいた読者様のおかげです。本当にありがとうございます!)
今後とも応援、よろしくお願いいたします……!
月島秀一