ヴェステリア王国と親衛隊【五】
俺たちはクロードさんに案内されて、城の一階へ向かった。
「――ドブ虫、貴様の部屋はここだ」
彼はそう言って、とある一室の前で足を止めた。
すると、
「ねぇ、クロード? ドブ虫じゃなくて、ア・レ・ン! いったい何度言えばわかるの!? いい加減に怒るよ!?」
リアが額に青筋を浮かべながら、クロードさんを叱責した。
「も、申し訳ございません、リア様。しかし、こればかりはどうしようもないのです……っ」
彼はそう言って、深く頭を下げた。
どうやら俺をドブ虫と呼ぶことだけは、リアに注意されてもやめられないようだ。
(まぁ、別に何でもいいけどな……)
三年間ずっと『落第剣士』と呼ばれ、蔑まれてきた俺からすれば、今更『ドブ虫』と言われたところで別に何とも思わない。
ここで揉めていても仕方がないので、俺は目の前の扉をゆっくりと開けた。
「おぉ……立派な部屋ですね」
広く大きな部屋には、いかにも高級そうなベッドやソファが備わっていた。
よくよく見れば、飛行機に預けた俺の荷物も運び込まれている。
どうやらグリス陛下の言葉通り、一応は客人として扱ってくれるらしい。
俺がグルリと部屋を見回していると、クロードさんは咳払いをした。
「一つ言い忘れていたが、私は貴様の監視役――ゴホン、世話役を仰せつかっている」
今、完全に『監視役』って言ったよな……。
「真向かいの部屋に私が常駐しているから、外に出るときは必ず一報入れるように。――もしも報告を怠った場合どうなるか……わかっているな?」
そう言って彼は、腰に差した剣を意味深に見せつけた。
「ちゃんとひと声、お掛けしますので大丈夫ですよ」
「ふんっ、ならばいい。――では明日に備えて体を休めろ。……まぁ、貴様の無様な敗北など目に見えているがな」
そうして最後に嫌味を残して、彼は出口へと歩いて行った。
「ふんっ、アレンは絶対に勝つわ!」
見るからに不機嫌な様子のリアは、部屋の扉を閉めようとした――否、閉めようとしてしまった。
「り、リア様、何故扉を……? あなた様のお部屋は最上階ですよ……?」
いつもの調子で一緒の部屋にいようとした彼女に、クロードさんは至極真っ当な疑問を投げ掛けた。
「……あっ、そうだった」
リアのポンコツさが、考えられる限り最悪な形で表に出てしまった。
「ど、ドブ虫、貴様……っ。日常的にリア様を自分の部屋に連れ込んで……っ!?」
リアの反応から俺たちの関係性を嗅ぎ取った彼は、顔を青く染めた。
(クロードさんのこの反応……)
毎日同じ部屋で生活しているなんて、間違っても言えるはずがない。
「そ、そんなわけないじゃないですか! な、なぁ、リア?」
「え、えぇ! アレンの言う通りよ!」
俺たちは咄嗟に口裏を合わせたが……。
「おのれ、おのれおのれおのれ……っ! ドブ虫風情が、おのれぇ……っ」
彼は目を血走らせながら歯を食いしばり、コブシを固く握り締めた。
そして、
「……リア様、お部屋まで……ご案内致します」
怒りが一周回って悲しみに変化したクロードさんは、うなだれながらリアを呼んだ。
「あ、アレン、おやすみなさい。また明日ね」
「あ、あぁ、おやすみ」
嵐の過ぎ去った部屋で、俺は一人ためいきをつく。
(はぁ……。これでまた俺の評判は悪くなるのか……)
クロードさんのことだ、きっとまた陛下に告げ口するだろう。
俺はもう一度大きなため息をついて――考えるのをやめた。
■
それから俺は歯を磨き、お風呂に入り、簡単に寝支度を整えた。
時計を見れば、もう夜の九時半となっていた。
寝るには少し早い気もするけれど……。
(明日には大事な戦いが控えていることだし、今日はもういいか……)
その後、電気を消して大きなベッドに横たわったところで、ちょっとした違和感を覚えた。
「……っと、今日は一人だったな」
いつもベッドの左側ではリアが眠っているので、無意識のうちに彼女の寝るスペースを空けてしまっていた。
(……なんか、変な感じだな)
いつもは隣にリアがいて、友達のことや剣術のことを話して――気付いた頃には二人一緒に眠っている。
だから、こうして一人ベッドで横になるというのは……少し寂しかった。
(……今日は早いところ寝てしまおう)
瞼を落とし、全身の力を抜いた。
時計の秒針が時間を刻む音が、静かな部屋に響く。
規則的なその音を聞いていると、徐々に睡魔が押し寄せてきた。
そこへ追い打ちをかけるように、部屋の外から綺麗な虫の音が聞こえてきた。
ほどよい環境音に柔らかいベッド。
これ以上ない完璧な空間で――俺は強烈な『物足りなさ』を感じた。
「……素振りが足りない」
日課である早朝の素振りは、こなしたものの……。
それ以降は大急ぎで旅支度を整え、ヴェステリアまでずっと飛行機の中。
それからラムザックを食べて、グリス陛下との会談に臨み――今はもうベッドの中。
全くと言っていいほどに素振りができていない。
それどころかまともに剣すら握れていない。
(でも、もうお風呂にも入ってしまったんだよなぁ……)
今から素振りをして、お風呂に入り直すとなると――寝る時間がかなり短くなってしまう。
「でも……やるしかない、か」
一度素振りを意識してしまえば、もうその欲求から逃れることはできない。
起き上がって掛け時計に目をやれば、時計の針は十時ぴったりを指していた。
やはり、あまり時間はない。
(……大丈夫だ。ほんの少しだけ素振りして、その後すぐにシャワーを浴びる)
睡眠時間は短くなるが、素振りをした分だけ質の高い睡眠になるから――問題はない。
「よし、行くか!」
寝間着から千刃学院の制服に着替え、すぐに準備を整えた。
「さてと、後はクロードさんにひと声掛けないとだな」
客室を出て真向かいの部屋の前に立ち、コンコンコンと扉をノックした。
しかし、一向に返事は返って来なかった。
「……クロードさん? いないんですか?」
今度は少し大きめに扉をノックしてみたが、やはり返事は無い。
「困ったな……」
彼の許可なく、素振りをしに行くわけにはいかない。
(もしかして、もう寝てしまったのか……?)
ふいに取っ手を回してみると――音も無く扉は開いた。
どうやら鍵はかかっていないようだ。
「……クロードさん、入りますよ?」
念のため、ひと声かけてから彼の部屋へと踏み入った。
室内には明かりが灯っており、家財の配置は俺の部屋と全く同じだ。
すると、
「ふーんふふーん、ふーんふふーん」
奥の方から、小気味よい鼻歌とシャワーの音が聞こえて来た。
どうやらお風呂に入っているようだ。
(なるほど、それでノックの音が聞こえなかったのか)
それなら、また十分後ぐらいに出直すとしよう。
勝手に部屋に入ったと知られたら、また面倒なことになってしまう。
俺が足音を殺して出口へと向かうと――シャワーの音が止み、カーテンの開く音がした。
(……最悪のタイミングだな)
今慌てて部屋を飛び出した場合、下手をすると物取りと勘違いされるかもしれない。
それならばここに残って、正直に理由を話した方がいい。
そう判断した俺が部屋の真ん中で立っていると――一糸纏わぬクロードさんがこちらへやって来た。
そこで俺は我が目を疑った。
「……く、クロード、さん?」
「……え?」
服を脱いだクロードさんは、意外と華奢な体をしていた。
何よりその胸部には――女性らしさを象徴する二つの大きな膨らみがあった。
「……む、胸が!?」
「なっ、貴様、ど、どうして……っ!?」
そうして彼、いや――『彼女』の頬は、みるみるうちに真っ赤に染まっていったのだった。




