桜の国チェリンと七聖剣【百五十五】
「――いやぁ、今のはさすがに肝を冷やしました。さすがは旦那、中にとんでもねぇ霊核を入れていやすねぇ……」
ディールは体に突き刺さった黒剣を一本一本抜きながら、しみじみとそう呟いた。
(……速い)
奴の全身に刻まれた深い刺し傷は、みるみるうちに回復していく。
真装を展開したことで、回復能力が大きく底上げされているようだ。
「さっきのアレは……『未知の幻霊』でも取っ捕まえて来たんですかぃ?」
「さぁな」
アイツがなんなのかなんて、特に考えたこともない。
「くくく……っ。あっしと旦那の仲なんですから、教えてくれてもいいじゃないですかぁ」
ディールは気持ちの悪い冗談を口にし、小さく肩を揺らした。
「ただまぁ……たとえどれほど強力な霊核でも、所詮は『実体』を持たない空虚な存在。現実世界へ干渉するには、馬鹿みてぇな力を消耗しちまう。――追撃を仕掛けて来なかったところから判断して、もう『あの化物』はガス欠になってるんじゃないですかぃ?」
どうやらこいつは、霊核についても深い知識を有しているようだ。
「さぁ……それはどうかな?」
俺はこちらの手札がないことを悟らせないよう、必死に余裕の笑みを作った。
「『見え透いたブラフ』と切り捨てたいところですが……。旦那の場合は、万が一ということもあり得る。――仕方ありやせん。ちぃとばかし、地獄を見てもらいやしょうか」
ディールは背筋の凍るような嗜虐的な笑みを浮かべ、毒々しい剣を構えた。
そこから先はもう……『戦い』と呼べる代物じゃなかった。
「そらそらそらぁ……! どうしたんですかぃ? さっきからずぅっと、守ってばっかりです…よッ!」
「……っ」
奴は隙のない小技ばかりを繰り出し、じわりじわりと俺の体を斬り刻んでいく。
(大技を使われれば、もう一発で終わりなんだが……)
どうやらさっきのブラフが、『ゼオンという見えない手札』が効いているらしく、ディールは一歩踏み込んだ攻撃を出来ずにいた。
そのおかげもあって、俺はまだこうして二本の足で立つことができている。
たが、それもそろそろ限界だ。
(奴が真装を展開してから、どれくらいの時間が経っただろうか……)
五分?
十分?
いや、もしかしたら、まだ一分そこらかもしれない。
(とにかく、この体はもう……死に体だ)
<九首の毒龍>の猛毒が、細胞という細胞を蝕んでいる。
きっと何をしても助かることはない。
(俺は間違いなく、今日ここで死ぬ)
それならせめて、『有効活用』してやろうと思った。
この命が尽きるその瞬間まで剣を振るい、コンマ一秒でも長く時間を稼ぐ。
誰かが助けに来てくれるという、米粒よりも小さな可能性に賭けて、この体を『使い潰す』のだ。
「アレン、もうやめて……。もぅ十分だよぉ……っ」
背後から、リアの泣きじゃくるような声が聞こえた。
だけど、何を言っているのかまではわからなかった。
俺の耳はもう、はっきりと音を識別できない。
それどころか、まともに歩くことすら不可能だ。
今はほんのわずかな視覚情報、それから第六感のようなものを頼りにして、致命傷を防いでいるだけに過ぎない。
(まだ、だ……っ)
毒に侵され、血にまみれ、ボロボロになった両の手で黒剣を握り、なんとか正眼の構えを維持する。
「肉体のほとんどは死滅しているんですが、まぁだ倒れませんか……。本当に化物染みた精神力ですねぇ……。いや、ここまで来たらもう『化物』と呼ぶ方が正確だ」
ディールは肩を竦めながら、何事かを呟いた。
「いやぁしかし、気になりやすねぇ……。その強い心が折れたとき、いったいどんな音色を奏でるんでしょうか? 嗚呼、想像しただけでもう……鳥肌が止まりやせん……ッ」
奴は生理的嫌悪感を掻き立てる醜悪な笑みを浮かべ、ゆっくりと――リアの方へ歩き出した。
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