夏合宿と出会い【三】
「し、シドーさん……!? どうしてここに!?」
「あ゛ぁ? そりゃお前――」
そうして彼が口を開いたそのとき。
「――こら、シドー! 寒いからはよう<孤高の氷狼>仕舞い!」
後方から飛んできたビーチボールが――彼の側頭部を直撃した。
「……あ゛ぁ?」
一瞬、危険な笑みを浮かべた彼だったが……。
ボールを投げた相手が氷王学院の理事長――フェリス=ドーラハインであると知った瞬間。
「お嬢か、悪い……」
意外にも素直に<孤高の氷狼>を消した。
「全く! せっかくの南国気分が冷え冷えやないか……って、あれ? 君は確か……アレンくん?」
いつもの着物を身に纏ったフェリスさんの後ろには、氷王学院の制服に身を包んだ数名の生徒の姿があった。
「シドーさんにフェリスさん、それに氷王学院のみなさんも……いったいどうしてここへ?」
「『どうして』って、そら生徒会の夏合宿よ」
その発言に俺は心底驚いた。
「せ、生徒会……!? あのシドーさんが……!?」
「……あ゛ぁ? なんか文句あんのか?」
「い、いえ……ちょっと意外だなと思いまして」
暴力的でいかにもルールを守らなさそうなシドーさんが……生徒会?
……全くと言っていいほどイメージにそぐわない。
「ふふっ、こう見えてうちのシドーは頭がええんよぉ?」
そう言って彼女は、シドーさんの頭をツンツンと突っついた。
「お嬢、『こう見えて』ってなんだよ……。俺様はそんな間抜け面じゃねぇぞ」
「あはは、間抜け面なんて言うとりゃせん。心配せんでも、可愛い顔しとるよぉ」
「別に可愛かねぇよ……」
二人は仲睦ましげにそんな会話を交わしていた。
普段は刺々しいシドーさんが、フェリスさんと話すときだけ、目に見えて『柔らかく』なっている。
(二人はいったいどういう関係なんだろうか……?)
そんなことを考えていると、
「あ、あああ、あなた様はもしや……っ!? アレン様ではありませんかっ!?」
氷王学院の生徒が、ワナワナと震えながらこちらへ向かって来た。
ほどほどの長さの黒髪。
黒縁眼鏡に、すらりと伸びた長身。
胸のあたりでキラリと光る十字架を模した銀製のペンダント。
確かこの人は……。
「え、えーっとあなたは……カインさん、ですよね?」
すると次の瞬間、彼は大きく目を見開いた。
「お、おぉ……っ!? こ、こんな僕のことを覚えて……っ!? ……くぅ、このカイン=マテリアル、天にも昇る思いでございます!」
「ま、まぁ、ほんの三か月ほど前のことですからね」
そう。あの激動の大五聖祭から、まだたったの三か月しか経っていないのだ。
大五聖祭、魔剣士見習い、黒の組織――ドドリエルとの決闘、部費戦争に期末テスト。
思い返せば中々濃密な日々を送っている。
(でも、カインさんてこんな人だったっけ……?)
もう少し落ち着いた感じだったような気がするんだけど。
すると、
「はぁ……。気ん持ち悪くなっちまったな、お前……」
シドーさんは、羽虫でも見るような冷たい視線をカインさんに向けた。
「何を言っているんだ、シドー! 僕は気持ち悪くなんてない! ――あぁ、しかしアレン様! やはり『実物』は素晴らしい! 凛とした立ち姿! 鍛え抜かれたそのお体! 優しさと強さを内包したその瞳! 録画された『映像』とは違い、その全てが瑞々しい!」
俺の全身をつま先から頭の天辺まで舐めるように見た彼は、感極まった様子でそう言った。
「ど、どうも……っ」
……明らかに尋常の様子ではない。
以前の落ち着いた彼は、どこに消えてしまったのだろうか。
「シドーさん……。カインさんはいったいどうしてこんなことに……?」
「はぁ? なんで俺様が、敵のゴミカスに教えてやらなくちゃならねぇんだ?」
「そ、そうですよね、すみません……」
完全に聞く相手を間違えてしまった。
俺を激しく嫌っているシドーさんが、親切に話をしてくれるわけがない。
「……」
「……」
それから少しだけ沈黙が降りたところで、
「……あれは大五聖祭が終わってすぐのことだぁ」
シドーさんはゆっくりと口を開いた。
(お、教えてくれるんだ……)
危ない人だけど、変なところで優しいようだ。
「てめぇに負けた悔しさから、カインは頭がおかしくなった……。『アレンに乗り越えられた百年程度、自分も乗り越えられるはずだ』って言い出してなぁ……。自分の指をほんの少しだけ<百年の地獄>で斬りやがったんだよ……」
<百年の地獄>――カインさんの持つ、精神干渉系の魂装だ。
斬り付けた対象の精神を、百年というごく短い期間だけ封印する。
ループ機能の無い少し残念な力だ。
一億年ボタンの完全下位互換と言っていいだろう。
「てめぇみたく百年の地獄に耐えられるほどの――化物染みた精神力の奴なんざそうはいねぇ……。結局、発狂しちまったカインはすぐに救急搬送されて、目が覚めたときにはこのざまだ……」
そう言ってシドーさんは、呆れたように首を横へ振った。
「まさにその通り! 愚かにも僕は、神と同じ領域に足を踏み入れ――一か月ほど意識不明の重体となりました……。 だがしかし! そのおかげで僕は目が覚めたのです! 後悔なんて微塵もありませんっ!」
「そ、そうですか……」
完全に目が『危ない人』のソレになっていた。
氷王学院の人は、いろいろな意味で危ない。
「――ときにアレン様。一つ、質問をよろしいでしょうか?」
「え、えぇ……どうぞ」
正直、あまり関わりたくないけれど……。
そんな露骨に無視をするわけにはいかない。
「おぉ、ありがとうございます! では早速なのですが――あなた様は地獄のようなあの世界で、百年もの長きに渡る時間……いったい何をされていたのですか?」
「そうですね……主に素振り、でしょうか」
本当はもっといろいろな修業をしたかったけれど……。
百年という時間はあまりに短すぎたため、『素振りしかできなかった』というのが本当のところだ。
「す、素振り……っ!? 百年もの間、素振りをしていたと……っ!?」
「は、はい」
十数億年もの間、ただひたすらに素振りを続けた俺にとっては、百年の素振りなんてあっという間だ。
「くぅ……なんという精神力! 剣術に対する真摯な姿勢! やはりアレン様は最高だっ!」
「カインさん、その、できれば『アレン様』はやめて欲しいんですが……」
さっきから氷王学院の生徒たちが、不思議そうにずっとこちらを見つめている。
妙な噂が流れないうちに、早いところ修正しておきたい。
「こ、これは失礼致しました……っ。では、今後は『神』と呼ばせていただきます……!」
「それだけは絶対にやめてください……」
こうしてカインさんと噛み合わない会話を続けていると、
「で、ではいったい何とお呼びすれば……な、なんだっ!?」
突然、巨大なヘリコプターが上空で静止した。
その直後――信じられないことに、そこから二つの人影が飛び降りた。
「「「なっ!?」」」
地上数百メートルから落下したその二人は、
「いよっ! 元気でやってるか、諸君!」
「はい……はい、そのように手配していただけると助かります。えぇ、はい……よろしくお願い致します」
遊ぶ気満々のレイア先生と、忙しそうに電話対応をする十八号さんだった。
二人ともどんな足をしているのか、落下の衝撃をものともしていない様子だ。
「れ、レイア先生っ!? それに十八号さんまで……いったいどうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもない! 合宿へ行くには顧問の引率が必要だろう!」
「せ、生徒会の顧問ってレイア先生だったんですね……」
「まぁ、そういうことだ! さて、せっかくのリゾート! 日ごろの激務から解放されて、遊び倒そうではない――って、フェリスぅ!? なんでお前がここに!?」
上機嫌な様子から一転――フェリスさんを見つけた先生は、露骨に嫌な表情を浮かべた。
「それはこっちの台詞や! せっかく楽しい楽しい夏合宿やのに、なぁんでそんなつまらん顔見なあかんのか……。はぁ、運気が悪ぅなってしまうわぁ……」
「なんだと、この女狐がぁ……っ!」
そうして学生時代から犬猿の仲である二人が言い争いを始めたところで、
「アレンくーん! お待たせー……って、あれ? なんか増えてないかしら?」
「おぉ、よく見れば氷王学院御一行じゃないか!」
「いや、それよりもアレ……。変な集団が大量に転がっているんですけど……。どう見ても事件現場なんですけど……」
屋敷の掃除を終えた会長とリリム先輩、フェリス先輩の三人が戻って来た。
それと同時に、
「ヴェネリア支部の聖騎士です!」
「不審者は――あそこかっ!」
「こ、こいつは重症だな……すぐに救護班へ連絡をっ!」
大勢の聖騎士を引き連れたローズが戻ってきた。
「ローズ、遅かったな。どこへ行ってたんだ?」
「海の家に電話が無かったから、近くの詰め所まで行ってきた」
「そうか、ありがとう」
手際よく現場処理を進めていく聖騎士。
するとそのうちの一人が、ツカツカとこちらに歩いてきた。
「君たちが被害者だね? その制服……千刃学院と氷王学院の生徒さんかな? 詳しい話が聞きたいんだが、その前に先生は近くにいないかい?」
「い、一応あちらに……」
そうして俺が視線を移した先には、
「はっ、『泣き虫フェリス』が! またその顔をジャガイモのように凸凹にしてやろうか!?」
「やれるもんなら、やってみぃ! 返り討ちにしたるわ、この『筋肉達磨』め!」
取っ組み合いの状態で、互いを罵り合うレイア先生とフェリスさんがいた。
なんというか……まるで自分のことのように恥ずかしかった。
すると、
「こ、これは『霊晶丸』っ!?」
「やはり黒の組織が関わっているのか……」
「すぐに上級聖騎士へ――本部へ連絡しなければ……!」
現場処理を進めていた聖騎士たちが、何やら不穏な空気を発していた。
その一方で、
「さぁ、シドー! あなたも一緒に『素振り』をしましょう! アレン様の――『神』のお言葉です!」
「気ん持ち悪ぃから、近寄んじゃねぇよ……クソ眼鏡がぁ!」
幸せそうに素振りをするカインさんは、ひたすらシドーさんに素振りを勧めていた。
さらにもう一方では、
「よし決めた! それじゃ今年は氷王学院との合同夏合宿にしましょうー!」
「おっ、いいねいいねーっ! 盛り上がること間違いなしっしょ!」
「うわぁ、シィがまた超面倒くさいこと言い出したんですけど……」
会長がまた突拍子もないことを言っていた。
(なんというか一瞬で、騒がしくなったな……)
その後、ちょっとした話し合いの末、本当に氷王学院との合同夏合宿が行われることになった。
(……頼むから、何事もなく静かに終わってくれよ)
そんなささやかな願いを胸に抱きながら、俺は大きくため息をついたのだった。




