桜の国チェリンと七聖剣【四十】
バッカスさんが意識を失ってから、五分ほどが経過したあるとき。
「う゛、うぅ……っ」
彼は苦しそうなうめき声を上げ、ゆっくりと上体を起こした。
「ば、バッカスさん! 大丈夫ですか!?」
「はぁはぁ、もう平気じゃ……。すまん、心配を掛けたのぅ……」
彼はその場で胡坐をかき、ゆっくりと息を整えていく。
(……凄いな。本当にとんでもない回復力だ……)
さっきまで土色だった顔が、みるみるうちに血の気を帯びていく。
一時はどうなることかと思ったけど、この様子だと大丈夫そうだ。
「――お爺さま、水をお飲みください」
ローズがバッカスさん専用の巨大な水筒を持てば、
「おぉ、こいつはありがたいのぅ……!」
彼はゴキュゴキュッと浴びるようにして水を飲み干した。
「ぷはぁ……っ。しっかし、驚いたのぅ……! 『死』を覚悟した戦いなぞ、もはや半世紀と忘れておったわ!」
バッカスさんはそう言って、「ばらららら!」と豪快に笑う。
「それでその……どう、でしたか……?」
俺は恐る恐る、ゼオンとの戦いについて尋ねた。
「あぁ、ありゃ無理じゃ。絶対に勝てん」
彼は肩を竦めながら、静かに首を横へ振る。
「全盛期の儂ならばともかく……不治の病でボロボロになったこの体では、百回やっても百回殺されるのが関の山じゃのぅ」
「もしも全盛期なら、あのゼオンに勝てるんですか!?」
「むぅ、正直なんとも言えんのぅ……。何よりそれは『対等な条件』ではない……」
バッカスさんは難しい表情で白い髭を揉み、さらに話を続けた。
「今の儂に『病』という大きな足枷があるのと同じく、奴も何やら『強烈なハンデ』を背負っているようじゃからのぅ……」
「きょ、強烈なハンデ……?」
「あぁ、そうじゃ。あの邪悪な闇を司る化物は、えらく戦いづらそうにしておったわ……。発動仕掛けた能力が不発に終わったり、せっかく凝縮させた闇が突如霧散したりとのぅ……。いったい何があったのかは知らんが、奴には相当強い制約が掛けられておるようじゃ」
「そ、そうなんですか……」
ゼオンとはこれまで幾度となく剣を交えてきたが、奴が戦いづらそうにしているところなんて、たったの一度として見たことがない。
(つまり……。あいつにとって俺は、本気を出すまでもない相手ということか……)
そしてバッカスさんは、ゼオンが潰しにかかるレベルの剣士というわけだ。
やはりこの人は、俺よりもずっと『高み』にいるらしい。
(俺ももっともっと修業して、いつか奴の鼻を明かしてやる……!)
そのためにも、今は桜華一刀流の術理をしっかりと学ばなければならない。
(よし、やるか……!)
そうして俺がやる気に燃えていると、
「しかし、小僧……。あんな化物を宿しながら、よくもまぁ自我を保っていられるのぅ。常人ならば、物心つく前に体を奪われて終わりじゃよ」
バッカスさんはとても恐ろしい話を口にした。
「え……。そ、そうなんですか……?」
「うむ。『十数億年の素振り』の件もそうじゃが、あの化物を縛り付ける常軌を逸したその精神力……。もしかするとそれは、お前さんの持つ『最強の武器』かもしれんのぅ……」
「あ、ありがとうございます……!」
それから俺は鬼気迫る勢いで修業に打ち込み、一時間二時間と経過したところで、
「――よし、今日の修業はここまでじゃ! よく頑張ったのぅ! この後は湯屋へ向かい、汗と疲れを流すとしよう!」
バッカスさんはそう言って、太刀のような剣を鞘にしまった。
「「「「「「ありがとうございました!」」」」」」
俺たちは稽古を付けてもらった礼を言い、彼の後に続いて湯屋へ向かうのだった。