桜の国チェリンと七聖剣【三十九】
バッカスさんが魂の世界へ入ってから、幾許かの時間が流れた。
(なんというか、奇妙な感覚だな……)
胸の奥底で、巨大な二つの霊力が激しくぶつかり合っている。
怒気に満ちたどす黒い邪悪な霊力、これは間違いなくゼオンだ。
そしてもう一方――ローズとよく似た神々しく清廉な霊力、こちらはきっとバッカスさんだろう。
(頼むから、何事もなく無事に終わってくれよ……っ)
俺がそんな願いを抱いていると、
「が、は……っ」
バッカスさんの巨体がグラリと揺れ、そのままぐったりと倒れ伏した。
「ば、バッカスさん……大丈夫ですか!?」
「ば、ばら、ら……。なんのこれし、き……がふっ……」
彼は大量の血を吐き、そのままピクリとも動かなくなった。
(こ、これはマズいぞ……っ)
おそらくバッカスさんは魂の世界でゼオンに殺され、強烈な精神的ダメージを負ったのだろう。
そしてそれが引き金になり、『不治の病』とやらが悪化してしまったようだ。
(とりあえず、これでなんとかならないか……!?)
俺は応急処置として、彼の全身を濃密な闇で覆ったが……容体が安定する気配は全くない。
(くそ、やはり駄目か……っ)
ゼオンの闇は外傷や呪いについて絶対的な効力を発揮するが、病気についてはなんの効果も示さない。
つまりこの吐血は、バッカスさんの持病によるものと見て間違いない。
「――ローズ、こっちだ! すぐに来てくれ!」
俺は大声を上げてローズを呼んだ。
「どうした、何があっ……!?」
小走りでこちらへ駆け寄ってきた彼女は、地面に倒れ伏すバッカスさんを見て固まってしまった。
「……お、お爺さま!?」
硬直の解けたローズはすぐさま周囲を見渡し、彼の胸に手を乗せ――ホッと安堵の息をつく。
「はぁ、よかった……」
しみじみとそう呟く彼女に対し、リアと会長が質問を投げる。
「だ、大丈夫なの……?」
「素人目だけれど、今すぐ病院を連れて行った方がいいんじゃないかしら……?」
するとローズは、ゆっくりと首を横へ振った。
「いや、その必要はない。お爺さまは、かつて『不死身のバッカス』と呼ばれていてな。『力を使い果たす』か『即死』さえしなければ、彼が死ぬことは絶対にないんだ。――心配を掛けて申し訳ない。その気遣いに感謝する」
彼女はそうして小さく頭を下げ、
「――しかし、アレン。いったい何があったんだ? 突然、病状が悪化したのか?」
小首を傾げながらそんな疑問を口にする。
「いや、実はだな……」
それから俺は、つい先ほどあった出来事を包み隠さず全て話した。
「なるほど、アレンの霊核と戦ったのか……」
「悪い。俺がちゃんと止めていれば、こんなことにはならなかった」
真っ正面からゼオンと戦うなんて、やはりただの自殺行為だ。
バッカスさんになんと言われようが、ちゃんと止めるべきだった。
俺がそんな風に先ほどの判断を悔やんでいると、
「いや、こちらこそすまない。お爺さまが、またアレンに無茶を言ってしまったようだ。何分昔から、戦うことに喜びを見出す人でな……。強い剣士を見れば、しつこく何度も迫る悪癖があるんだよ……。今後はこういうことがないよう、またしっかりと注意しておく」
ローズは申し訳なさそうにそう言って、大きくため息をついた。
どうやら彼女は彼女で、いろいろと苦労しているようだ。
そうして事態がひと段落したところで、
「――おい、ゼオン。お前のことだから、どうせこうなるだろうと思っていたけど……さすがにちょっとやり過ぎだぞ?」
俺がチクリと小言を言えば、胸の奥底からアイツの低い声が返ってきた。
「――クソガキ、てめぇ゛それはこっちの台詞だ。もう二度とあんな面倒くせぇ゛のを送ってくんじゃねぇ゛ぞ……。それと、あの老いぼれにはあまり深入りするな゛。誰に聞いたのか知らねぇが、少しばかりこっちの事情を聞きかじっていやがる……」
「『こっちの事情』……?」
「てめぇにはまだ早ぇ゛……。大人しく素振りでもしていやがれ」
ゼオンはそう言って、一方的に会話を打ち切った。
相変わらず、自分勝手な奴だ。
(しかし、珍しいな……)
あいつはいつも上から目線でものを言い、剣を交えた相手に敬意を払うことはない。
むしろ雑魚だのなんだのと言って、罵倒し倒すぐらいだ。
(だけど、バッカスさんのことは『面倒くせぇ゛の』と言っていた……)
それはつまり……あのゼオンが『面倒』と感じるほど、彼は善戦を繰り広げたということを意味する。
(バッカス=バレンシア。かつて『世界最強の剣士』と呼ばれた男、か……)
やはりただ者ではないようだ。
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