桜の国チェリンと七聖剣【三十八】
バッカスさんは突然、ゼオンとの戦いを望んだ。
「ど、どうしてそんな危険なことを……!?」
真っ向からアイツと戦うなんて、ただの自殺行為にしか思えない。
「ほれ、昨日も言うたじゃろう? 『一流の剣士と相見えたならば、己が剣術をぶつけたくなるのが性』とな。それと同じだのぅ。小僧ほどの剣士が『化物』とまで称する霊核……血が疼いてたまらんのじゃよ!」
「な、なるほど……」
どうやら彼は酒好き・女好きに続いて、無類の戦闘好きでもあるようだ。
「ですが……そもそもどうやって、霊核と戦うつもりなんですか?」
ゼオンは霊核であり、この現実世界に実体をもたない。
そんな奴と戦う方法なんて存在するのだろうか……?
(いや、一つだけあるな……)
俺がゼオンに体を明け渡せば、バッカスさんの願いは叶うだろう。
(だけど、それだけは絶対に駄目だ)
詳しい仕組みはよくわからないが……。
俺が強くなればなるほど、それに伴って奴も強くなっていく。
(まだ『闇』を使えないときでさえ、奴はシドーさんを圧倒した。そして魂装を発現していないときでさえ、フーとドドリエルを軽く一蹴した……)
闇の操作を覚え、魂装を発現した今の俺が……もしも体を乗っ取られてしまったら……?
おそらくゼオンはかつてないほど強力な闇を纏い、欲望のまま破壊の限りを尽くすだろう。
(下手をすれば、桜の国チェリンが崩壊する。いや、それだけで済めばまだマシなぐらいかもしれないな……)
俺がそんな恐ろしい考えに背筋を凍らせていると、
「ばらららら! 安全に霊核と戦う方法なぞ、古来よりたった一つしか存在せん。儂が『小僧の魂の世界』へ入るんじゃよ!」
バッカスさんは、とんでもない案を口にした。
「そ、そんなことができるんですか!?」
確かにあそこならば、精神的ダメージは負うものの肉体的ダメージはゼロだ。
(でも、他人の魂の世界へ踏み入ることなんてできるのか?)
そんな俺の心配は、杞憂に終わった。
「ばらららら! 儂のように『魂装の先』へ到達した者ならば、その程度児戯のようなものじゃ!」
「……魂装の先?」
そう言えば……。
クラウンさんも、前に同じようなことを言っていた気がする。
「なんじゃ、まだ『真装』について教えてもらっとらんのか……?」
「……真装」
「そうじゃ。魂装を極めた天賦の才を持つ剣士は、いずれ真装へたどり着く。じゃがまぁ、お前さんはまだまだ若い。今はしっかり基礎である魂装を極めるのが先じゃな」
「な、なるほ、ど……?」
わかったような、わからないような……。
とにかく――俺はまだ魂装の基礎段階であり、発展にはほど遠いことだけは理解できた。
「それで話を戻すんじゃが……ちょいとだけ! ほんのちょいとだけでいいんじゃ! 小僧の霊核と立ち会わせてくれんかのぅ?」
バッカスさんは両手を合わせて、必死に頼み込んできた。
(こ、困ったな……)
今しがた桜華一刀流を教えてもらったばかりということもあって、心情的にもとても断りづらかった。
「はぁ……わかりました」
「おぉ、そうか! 感謝するぞ、小僧!」
彼は小さな子どものように目を輝かせ、嬉しそうに破顔する。
「ですが、本当に注意してくださいね? 俺の霊核はとにかく気性が荒いんですよ。もしも危険を感じたら……絶対に無理はせず、すぐに退いてくださいね?」
魂の世界において、肉体的ダメージは存在しない。
しかし、あそこで死亡した場合、かなり強烈な精神的ダメージを負うことになる。
(ローズの話によれば、バッカスさんは既に二百歳を超え、そのうえ体は不治の病でボロボロらしい……)
そんな人が強烈な精神的ダメージを負ったら……。
あまり考えたくはないが、『万が一』ということもあるかもしれない。
「うむ、約束しよう! この身に危険を感じたら、すぐに現実世界へ帰るとな!」
バッカスさんはそう言って、コクリと頷いてくれた。
「それで……どうやって俺の魂の世界に入るんですか?」
「なんというかこう、お互いの霊力を薄くつなぎ合わせていくんじゃ。まぁ難しいことは、全て儂の方でやっておこう。小僧は特に何もせず、気を楽にしておいてくれ」
そうして彼は、俺の右肩へ手を乗せる。
「ちょいとばかし、お邪魔させてもらおうかのぅ」
その後、バッカスさんは静かに目を閉じ――ゼオンが支配する魂の世界へ侵入していったのだった。