魔剣士と黒の組織【七】
俺は黒衣の集団とドドリエルが逃げるのを止めなかった。
否、止めるような時間的余裕なんてどこにもなかった。
「リア、ローズ……っ! 起きてくれっ!」
二人の肩を少し強めに揺するが……ダメージが大きいのか、反応を見せなかった。
「くそっ……」
俺は仕方なく、二人を両脇に抱えて出口目掛けて一目散に走り出した。
(頼む……俺の考え過ぎであってくれ……っ!)
黒衣の集団はあっさりと引いた。
いっそ気味が悪いほどにごくあっさりと。
その引き際の良さが……怖かった。
二つ目の――巨大な爆発物の存在がどうしても脳裏をよぎった。
「う、うぉおおおおおっ!」
ひたすらに階段を駆け下りる。
駆け下りる――というよりは、もはや落下する勢いだ。
六階から五階へ。
五階から四階へ。
四階から三階へ。
できるだけ意識を失った二人に負担が掛からないよう、慎重かつ迅速に移動する。
「あと、もうちょっと……っ!」
ようやく一階に到着し、出口が見えたそのとき。
『キン』っという、何かが外れたような嫌な音が響き渡った。
背筋が凍るような、とてつもないプレッシャーが全身を飲み込む。
(うそ、だろ……っ!?)
次の瞬間、先の爆発とは比べ物にならないほどの――大爆発が起こった。
中心点は多分七階のVIPルーム。
そしてその威力は、俺の予想を遥かに越えていた。
この建物どころではない。
ここら一帯を丸々吹き飛ばすほどの威力だ。
「う、ぅおおおおおおっ!」
走った。
コンマ数秒を駆け抜けた。
だが――どれだけ修業を積もうとも、所詮俺は人間だ。
その速度には限界があり、爆発よりも速く走れるわけがない。
(くそっ、間に合わない……っ)
せめてもの抵抗として、意識の無いリアとローズをギュッと抱き締めた。
(俺が少しでも盾になれれば……っ!)
そう願いながら、コンマ数秒後に訪れる衝撃に備えた次の瞬間。
「干せ――<枯傘衰>」
真後ろまで迫っていた大爆発は、一呼吸のうちに消滅した。
「……え?」
俺が呆然とする中、
「――不意打ちでもなければ、こんなちんけな爆発どうということはないわぁ」
大爆発を消し去ったその女性は妖しく笑った。
「あ、あなたは……っ」
俺が口を開いたその瞬間。
「さっすがリゼ様だぁあああああっ!」
「お見事でございますっ! いやはや、さすがは五豪商の紅一点っ!」
「はっはっはっ! ドーラハイン家はこの先数十年と、安泰でございますなぁっ!」
周囲の人々が大いに沸いた。
(……ドーラハイン家?)
その名前は確か……氷王学院の理事長フェリスさんの家と同じ名前だ。
それによくよく見れば、顔立ちや服装の系統がフェリスさんに似ていた。
健康的で艶と張りのある肌。
切れ長の狐目。
白と赤を基調とした火のような美しい着物。
長く赤白い髪をサイドでまとめ、鮮やかな火を模したかんざしがよく目立つ。
(もしかして、二人は姉妹……なのか?)
俺がそんなことを思っていると、
「う、うぅん……?」
「……こ、ここは?」
リアとローズが意識を取り戻した。
「リア、ローズっ! 意識が戻ったんだな……っ!」
そうして俺がホッと胸を撫で下ろしていると、
「アレン……? そ、そうだ、あいつはっ!?」
「あの剣士はどこっ!?」
ドドリエルのことを思い出したのだろう。
二人はすぐさま立ち上がり、周囲を警戒した。
「大丈夫、あいつなら俺が倒したよ」
「……そ、そっか。やっぱり強いね、アレンは……」
「……悔しい」
そう言って二人は静かに唇を噛んだ。
ドドリエルに負けたことが、かなり堪えているようだ。
(こういうとき、なんて声を掛けたらいいんだろうか……)
そんなことを考えていると、突然一人の女性に声を掛けられた。
「いやぁ、ありがとうなぁ、アレン君。ほんまに助かったわ」
つい先ほど大爆発を消し去り、大歓声を浴びていた名門貴族ドーラハイン家の人だ。
フェリスさんよりもかなり北訛りが強い。
「い、いえ、こちらこそ助かりました。それにしても凄いですね……。あの威力の大爆発を一瞬で消し去るなんて」
確か<枯傘衰>と彼女は呼んでいた。
いったいどんな能力の魂装なんだろうか……。
「あははっ。いややわぁ、あんなんちょっとした護身術よ。ほんまにお世辞が上手やなぁ、アレン君は」
彼女は着物の袖で口を隠しながら、楽しげに笑った。
「ご、護身術……ですか」
一瞬だけ感じたあの『圧』は、そんなレベルを遥かに越えていたけど……。
「おっと、そう言えば自己紹介がまだやったね。――うちはリゼ=ドーラハイン。五豪商で金融系統を広く扱わせてもらっとります。今後ともよろしゅうね」
「俺はアレン=ロードルです。千刃学院の生徒で、今は少し事情があって魔剣士として活動しています」
「あぁ、やっぱり! あのアレン君やったんやねぇ!」
彼女は小さく手をパンと叩き、納得したとばかりに頷いた。
「君のことは妹のフェリスから、ちょっと聞いとるんよぉ」
「そうだったんですか」
俺の予想した通り、フェリスさんとリゼさんは姉妹関係にあるようだ。
「なんやあの子の大のお気に入り――シドー君を負かしたんやってぇ? 『絶対に許さへんっ!』言うて、それはもうカンッカンやったわぁ!」
「そ、それはその、何と言ったらいいか……」
「ふふっ、小さな子どもがごねとるだけやさかいに、なぁんも気にせんでええんよぉ」
そう言ってリゼさんはパタパタと手を横に振った。
レイア先生やフェリスさんといった少し残念な人たちと違って、リゼさんは『大人の女性』だった。
何というか余裕というか気品というか……そんな魅力にあふれた人だ。
「うーん、でもアレン君には大きな借りができてしもたなぁ……どないしようか?」
そう言って彼女はコテンと小首を傾げた。
「そ、そんな借りなんて……。俺は一人の剣士として当然のことをしたまでで――」
俺がやんわりと断ろうとすると、
「――あかんでぇ。『借りたら返す』これがうちの信条やからなぁ。君がよくても、うちがすっきりせんのや」
リゼさんはその細い人差し指で、俺の口をポスリと塞いだ。
「そうやなぁ……うん、こうしよう。もし今後、アレン君がどうしようもなく困ったときは、うちのところに来たらえぇ。どんなときでも一回だけ、力を貸したるさかいな」
「ど、どんなときでも……ですか?」
「あぁ、そうや。どんなときでも来たらえぇ」
どんなときでも、一度だけ五豪商の一人に肩を持ってもらえる。
(と、とんでもない権利を手にしてしまったぞ……)
五豪商は五学院の理事長と並ぶ、この国の権力者だ。
たった一度とは言え、彼女の力を借りられるというのは……本当にとてつもないカードだ。
それからリゼさんは俺の耳元で小さくこう囁いた。
「それにうちは妹と違ってね。……けっこう君のこと気になってるんよ?」
「……っ! 俺なんかのことを気に掛けてもらって、何と言ったらいいか……っ!」
こんな優れた魂装使いの人に気に掛けてもらえるとは……正直、とても嬉しい。
(……そうだ、さっきの力を借りられる権利を使って、修業に付き合ってもらうというのは……ありだな!)
さっきの権利で、金銭や高価なものをねだる気は全く無い。
俺はそこまでの大金はいらない。
母さんと二人で慎ましやかな生活を送れるだけの――最低限のお金があればそれでいい。
欲しいものもこれと言って無い。
強いて言うならば、そろそろ新しい剣が欲しいぐらいのものだ。
ならば、やはり――あの権利は修行に使わせてもらうのが一番ではないだろうか?
「あぁ、もう! その純朴なところとかもう、本当にたまらへんわぁ……っ!」
そう言って彼女はペロリと舌なめずりをした。
すると、
「すみません、アレンが困っているので……っ!」
「それ以上は、駄目……っ!」
さっきまで静かに話を聞いていたリアとローズが、同時に俺の前に立った。
「あらあら、ずいぶんとガードがお堅いなぁ……」
リゼさんはクスリと笑いながら、一歩後ずさった。
そうして和やかな会話がひと段落したところで――彼女はスッと目を細めて忠告をしてくれた。
「まぁ、脅かすわけやないけれど……。君ら、今後は少し身の安全を考えた方がえぇよ? さっきの黒衣の集団は、今巷をよぅ騒がせとる『黒の組織』やからなぁ」
「……やはり、そうでしたか」
あの特徴的な衣装から「もしかして……」とは思っていたけれど、まさか本当にそうだとはな……。
黒の組織――近年国内を賑わせている大規模犯罪組織だ。
薬物の製造・密輸、人身売買、要人の暗殺など様々な犯罪行為に関与しており、現在あのドドリエルが身を置く組織だ。
(できることならば、関わり合いになりたくはなかったんだけどな……)
しかし、あの場面は仕方が無かった。
剣士でもなんでもない――ただの一般人である人々が、突如現れた謎の集団に襲撃を受けた。
あそこで動かないという決断をしたならば、俺はその判断をずっと後悔し続けるだろう。
だから、今回は『仕方が無かった』と割り切るほかない。
「ご忠告……ありがとうございます」
「うん、気を付けてなぁ。――さてと、うちはいろいろと後処理があるから、このあたりで失礼させてもらうわ。またどこかで会おうなぁ、アレン君」
そう言ってリゼさんは、狐目をさらに細めて優しく笑った。
「はい、またどこかでお会いしましょう」
そうして彼女と別れた俺たちは――ひとまず着物レンタル本舗に行った。
もちろん、ボロボロにしてしまった浴衣を弁償するために。
しかし、お店の人たちは既にさっきの事件を知っていたらしく、弁償は不要だと言われた。
それどころか「ドレスティアのために、ありがとうねぇ」とお礼まで言われてしまったのだった。
■
激動の大同商祭から、ちょうど三週間後。
ジャイアントワームの討伐。
希凛草三キロの回収。
ゴブリンロードの討伐。
ボンズさんに見繕ってもらった本日分の依頼を全て達成した俺は、魔剣士協会の受付で完了報告を行った。
「――よしっ! アレン、リア、ローズ――三人とも、今日まで本当にお疲れだったな!」
わざわざ受付から出てきてくれた彼は、俺たち一人一人と固く握手を交わした。
そう。
俺たちが停学を言い渡されてから、今日でちょうど一か月。
この日は、魔剣士として一つの区切りとなる一日だ。
「いろいろとお世話になりました、ボンズさん」
「本当にありがとうございました!」
「助かった。ありがと」
「おぅ、いいってことよ! こっちもお前さんたちのおかげで、溜まってた依頼が片付いて助かったぜ!」
そうしてボンズさんとお別れの挨拶を交わしていると、
「うぅおおおおん……、アレーン……っ。寂しいぜぇえええ……っ」
「あぁ、リア嬢とローズ嬢が……っ。数少ない華が、癒しが……くぅぅうう……っ」
「またいつでも遊びに来いよぉっ! 放課後は空いてんだろう、なぁ?」
ドレッドさんをはじめとした魔剣士のみんなが、俺たちの旅立ちを惜しんでくれた。
彼らは言動や行動が少し荒くたいところはあるけれど……。
ちゃんと付き合ってみれば、人情味のあるいい人ばかりだった。
「一か月という短い間でしたが、お世話になりました……っ!」
「お世話になりました! また街で出会ったときは、声をかけてくださいね!」
「またね」
そうしてみんなに別れを告げた俺たち三人は、魔剣士協会を後にした。
外はもう既に薄暗く、少しひんやりとした風が火照った体と心を落ち着かせてくれた。
「はぁー……。なんかいろいろあったけど、魔剣士も楽しかったな」
「うん、初めはビックリすることばかりだったけど……。終わったら、それも全部笑い話になっちゃったしね」
「魔剣士は楽しいよ」
これまで俺の頭には、聖騎士になってみんなのために働いて、安定的な給金を得るという考えが大きくあった。
でもこの一か月の経験を得たことで、少しだけ視野が広がった。
魔剣士になってたくさんの人の願いを聞いて、みんなの助けになる生活も……悪くない気がしてきた。
「さてと、それじゃ今日はもう遅いし、解散にしようか」
「うん、明日はいよいよ千刃学院に戻れるわね!」
「魂装の授業、楽しみ」
「あぁ、そうだな」
こうして無事に一か月の魔剣士修業を終えた俺たちは、千刃学院へと復学することになったのだった。




