入学試験とバレンタインデー【二十二】
イドラの生成した毒物――正式名称チョコレート。
俺は目の前に五つと並んだそれらを一気に口へ放り込んだ。
その瞬間、
「ぐ、ぉ……っ!?」
驚異的な『マズさ』が口内を駆け巡り、食道が燃えるように熱くなった。
(これ、は……!?)
信じられないことに、彼女の手作りチョコは全て異なる『味付け』が施されていた。
一つ一つが『必殺の威力』を誇る毒物たちは、俺の口内で未知の反応を引き起こし、暴虐の限りを尽くす。
三分後――これまで経験したことのない『味の暴力』になんとか耐え抜いた俺は、
「はぁはぁ……。ご、ごちそうさまでした……っ」
小刻みに震える両手をゆっくりと合わせ、食後の挨拶を口にした。
「お、おいしかった……?」
イドラは期待に目を輝かせながら、コテンと小首を傾げる。
そんな純粋無垢な表情で問われたら、正直に「これは毒だね?」などと言えるはずがない。
「……あぁ、凄いよ。まさに天にも昇る味だった」
そうして嘘偽りのない率直な感想を口にすれば、
「そ、そっか……っ。よかった……!」
彼女は幸せそうに微笑み、小さなガッツポーズを作った。
(……うん、頑張った甲斐はあったな)
こんなに嬉しそうなイドラの顔は、今まで見たことがない。
勇気を振り絞ってチョコを食べたのは、正しい選択だったようだ。
その後、俺たちはちょっとした雑談を交わしてから別れた。
イドラはチラチラとこまめに振り返っては、どこか名残惜しそうに手を振る。
そのたびに手を振り返せば、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
そうして俺は、イドラの姿が完全に見えなくなるまで見送ったのだった。
■
イドラと別れた後、
「ふぅ、さすがにきつかったな……」
俺は腹部をさすりながら、大きく息を吐き出す。
あれほどの『死闘』は、去年の四月頃にリアやローズと一緒にラムザックを食べたとき以来だ。
(あのときは食べ切れなかった分をリアに渡すことで、なんとか事なきを得たが……)
今回はそういうわけにもいかず、想像を絶する苦戦を強いられた。
そうして俺が呼吸を整えていると――今の一幕をこっそり見ていたのだろう。
不安そうな顔をしたリアとローズが、すぐにこちらへ駆け寄って来た。
「アレン、大丈夫なの? 顔が土色になっているわよ……?」
「イドラからチョコレートをもらっていたようだが……。そこまでひどい味だったのか?」
「……いや、平気だよ。ちょっと『癖』はあったけど、とてもおいしかったからな」
俺はそう言って、彼女の名誉を守るために無理くり笑顔を作った。
するとその直後、キーンコーンカーンコーンと部活動の終了を告げるチャイムが鳴り響く。
「――っと、もうこんな時間か。そろそろ帰る準備をしないとな」
俺はこの話題を打ち切るため、校庭の隅に置いた自分の荷物を取りに向かった。
「……ん、なんだこれ?」
俺の鞄の上には『アレンくんへ』と書かれた、一通の便箋があった。
(俺宛の手紙……誰からだろう?)
ぼんやりそんなことを考えながら、便箋の中に入った一通の手紙へ目を通していく。
アレンくんへ
屋上で待っています。
一人で来てくれると嬉しいです。
それはたった二行だけの短い手紙だった。
差出人の名前はどこにも書かれていなかったけど、この便箋と女の子らしい可愛い丸文字には見覚えがある。
(会長から、だよな……?)
つい先日――たった一人で神聖ローネリア帝国へ行った彼女が、生徒会室に残した書き置き。
あれとほとんど同じ柄の便箋が使われており、手紙に書かれてある文字もそっくりだった。
匿名の差出人は、ほぼ間違いなく彼女だろう。
すると、
「――アレン、どうかしたの?」
「それは手紙か……?」
素早く帰り支度を済ませたリアとローズは、そう言って小首を傾げた。
「あぁ、差出人の名前はないけど……。多分会長からだろうな」
なんの気なしにそう呟いた次の瞬間、
「「……っ」」
どういうわけか、二人の顔に緊張が走った。
「あ、アレン……。なんというかその、もし差し支えがなかったら……っ。なんて書かれているか、教えてもらえないかしら……?」
「わ、私からもぜひお願いしたいな……っ」
リアとローズは唾を呑み、声を震わせながらそう問い掛けてきた。
「そんな大したことは書かれてないぞ? なんでも『一人で屋上へ来てほしい』とのことだ」
そうして簡単に手紙の内容を伝えてあげれば、
「お、『屋上』に『一人』で……っ!?」
「な、なるほどな……。勝負を仕掛けにきたというわけか……」
二人は険しい顔でそう呟き、口を一文字に結んだまま黙り込んでしまった。
「……」
「……」
「……」
薄暗くなった校庭の隅で、なんとも言えない重苦しい空気が流れ出す。
そのまま一分二分と経過していき、手足が少しずつ冷たくなってきたところで――俺はたまらず声をあげた。
「え、えーっと……。あまり会長を待たせると面倒なことになるし、ちょっと屋上まで行ってくるぞ?」
「そう、ね……。わかったわ……」
「……私たちはここで待っておこう」
リアとローズは暗い表情のまま、ただコクリと頷いた。
「用件が済んだら、すぐに戻ってくるよ」
そうして二人を校庭に残した俺は、本校舎の屋上へ足を向けたのだった。




