入学試験とバレンタインデー【十三】
このままいけば、運命の王子様が自分以外の誰かと結ばれてしまう。
絶望的な宣告を受けたシィの心は、今にも張り裂けそうになっていた。
「アレンくんを狙う者は多く、また誰も彼もが強敵揃いだ……。リア=ヴェステリア、おそらくローズ=バレンシア、多分イドラ=ルクスマリア――その他にも、どこに伏兵が潜んでいるかわからない!」
「こんな危機的な状況で、ぼんやり指を咥えている暇はないんですけど!」
リリムとフェリスからそんな厳しい指摘を受けたシィは、
「う、うぅ……っ」
反論の余地もなく、黙って俯くことしかできなかった。
(ふ、ふふ……っ。なんだか楽しくなってきたぞ……!)
(か、可愛い……っ。やっぱり困っているときのシィは、世界で一番可愛いんですけど……!)
混乱極まった彼女には、二人の邪悪な笑顔に気付く余裕などない。
(ど、どうしよう、どうしようどうしようどうしよう……!?)
グルグルと目を回し、パニック状態に陥っていた。
そんな風に弱り切ったシィへ向けて、リリムとフェリスは狙いすましたかのようにフォローを加える。
「――大丈夫だ。現状アレンくんは、お前に対して好意を抱いているのは間違いないからな」
「ちゃんと適切な行動を取れば、二人が結ばれる可能性は普通にあるんですけど?」
厳しく接した直後の甘い言葉。
典型的な『飴と鞭』を食らった彼女は、
「ほ、ほんと……?」
いとも容易く陥落してしまった。
「あぁ、本当だとも! 考えてもみろ。アレンくんはシィを救うためだけに、あの神聖ローネリア帝国まで乗り込んだんだぞ? 少なからずの好意は持っているに違いない!」
「それにシィがあれだけ我儘を言って、好き勝手をやっても、アレンくんはなんだかんだで付き合ってくれている。これはもう愛としか言えないんですけど?」
「え、えへへ……。そ、そうかな……?」
こと恋愛面において純粋無垢なシィは、子どものようにはにかむ。
「そして私の見立てによれば、アレンくんの恋愛経験値はシィと同じで全くのゼロ! 時折見せる初心な反応からして、これはもう間違いない!」
「人外とはいえ、アレンくんも一応男の子。この年頃の男はみんな獣だから、体を使ってちょっと誘惑すれば――それはもうイチコロなんですけど!」
「か、体を使って……!?」
予想外の提案に、シィは大きく目を見開いた。
「案ずるな。シィのスタイルは、上から下まで完璧だ!」
「その大きな胸をクイッと寄せて、それとなくくっつければ……必勝なんですけど!」
「む、胸を……っ」
彼女が視線を下に向ければ――発育のいい柔らかな膨らみが、確かな存在感を主張している。
それから約一時間。
シィはリリムとフェリスからもたらされた、嘘くさい恋愛教本の知識を貪欲に吸収していった。
その結果、
「――な、なんだか、私……ちょっとだけ、いけそうな気がしてきたわ!」
「よし。そうと決まれば、善は急げだ! 早速、アレンくんをここへ呼び出そう!」
「放送部には顔が利くから、ちょっと行ってくるんですけど!」
「え、えぇ、お願いするわ!」
こうしてまんまと二人に乗せられたシィは、『アレン=ロードル攻略戦』へ乗り出したのだった。
■
二月七日。
バレンタインの話題が聞こえ始めたこの頃、俺は今日も今日とて素振りをしていた。
学院内における素振り部の地位は、創部当初と比較して格段に向上していた。
(あの頃は校庭の隅の方で、静かに剣を振るだけだったけど……)
今や校庭全体を使って、毎日百五十人以上の剣士がそれぞれの修業に打ち込んでいる。
「ふっ! はっ! せいっ!」
気持ちの入った掛け声と共に剣を振るう者。
正眼の構えを取ったまま、ひたすら瞑想を続ける者。
剣術指南書を片手に、様々な斬撃を練習する者。
ここにいる全員が、真っ直ぐ剣術に向き合っている。
その一体感がたまらなく心地よかった。
「「ふっ! はっ! せいっ!」」
右にリア、左にローズ。
もはや定位置となったそこで、二人はいい汗を流していた。
ひたむきに剣を振る彼女たちから刺激を受けつつ、俺が一振り一振り魂を込めて素振りをしていると――突然、院内放送が鳴り響いた。
『一年A組のアレン=ロードルくんは、一人で生徒会室まで来てください。繰り返します。一年A組の――』
「生徒会室に、それも俺一人だけ……?」
そうして俺が小首を傾げていると、
「一週間前のこのタイミング……っ。アレン、気を付けてね……? 何かあったら、すぐに大声を出すのよ?」
「最近様子がおかしかったが、まさかここで仕掛けてくるとはな……っ。アレン、敵は強大だ……油断は禁物だぞ?」
なにかを敏感に察知したリアとローズは、何故か最大限の警戒を要求してきた。
「よ、よくわからないけど……。とりあえず、行ってくるよ」
そうして俺は素振り部の活動を一時中断し、本校舎へ向かった。
長い廊下を真っ直ぐ進むと、見慣れた生徒会室に到着した。
そうして目の前の扉を軽くコンコンコンとノックすれば、
「ど、どうぞ……っ」
会長の上擦った声が返ってきた。
「――失礼します」
一言そう断りを入れてから、ゆっくり扉を開けるとそこには――わずかに頬を紅潮させた会長がいた。
リリム先輩とフェリス先輩の姿はない。
どうやら、彼女一人だけのようだ。
(……これは、もう間違いないな)
わざわざ俺一人だけを呼び出したことと、緊張に満ちたあの表情を結び付ければ――誰にだって答えはわかる。
(やっぱり、俺にだけ伝えたい『ナニカ』があるみたいだな……)
このところ、会長の様子はずっとおかしかった。
十中八九、政略結婚のときみたいに、一人で大きな問題を抱え込んでいるんだろう。
(皇族派と貴族派の争いか、アークストリア家の問題か、はたまた全く別の問題か……)
とにかく――一人ではどうすることもできない、大きな問題に直面していることだけは間違いない。
(……でも、嬉しいな)
彼女がこうして、俺のことを頼ってくれることが――どうしようもなく嬉しかった。
(男として……。いや、一人の剣士としてここは正念場だ……っ)
大事な友達からの信頼に応えるべく、全身全霊を尽くす必要がある。
そうして俺は、
「――どうかしましたか、会長?」
会長が話を切り出しやすいようになるべく優しい声色を意識しながら、彼女の元へ足を進めたのだった。




