アレン細胞と政略結婚【五十三】
ほとんど丸一日ぶりに寮へ帰れば、時刻はもう夜の十一時だった。
(急いで寝支度を済ませて、早いところ休みたいところだけど……)
チラリと隣を見れば――なんともいえない複雑な表情のリアが、小さなため息をつく。
会長たちと別れてから、彼女はずっとこんな調子だ。
浮かない顔でトボトボと歩き、『取られちゃったらどうしよう……』『いや、でも今はまだこっちが有利……っ』『ここはもう一気に攻めるべき……かな?』など、時折妙なことを呟く。
取られるだの、有利だの、攻めるだの――まるで見えない何かと戦っているようだった。
(セバスさんの忠告通りだな……。やっぱりリアは、どこか具合が悪いみたいだ……)
さすがは『皇帝直属の四騎士』というべきだろうか。
その凄まじい観察眼には、純粋に驚かされるばかりだ。
(とにかく今は、元気付ける必要があるな……)
昔から、母さんはよく『病は気から』と言っていた。
(……仕方ない。ここはもうひと踏ん張りするか)
俺は気合を入れ直し、ゴホンと咳払いをする。
「――なぁ、リア。何か食べたいものはないか?」
「……え?」
「ちょっと料理をしたい気分でさ。よかったらリアが今食べたいものを作ろうと思うんだけど……何がいい?」
俺がそう言うと――彼女は少しだけ悩んだ後、ポツリと呟いた。
「……カレーライス」
「あはは、カレーライスか」
「な、なんで笑うのよ……っ」
リアは小さく頬を膨らませながら、ジト目でこちらを見つめた。
「あぁ、いやごめん。なんか男の子みたいだなって思ってさ」
「べ、別にいいでしょ。今ちょうどカレーが食べたい気分だったんだから……っ」
彼女は少し顔を赤くしながら、ぷいとそっぽを向く。
その仕草がなんとも可愛らしく、心が温かいものに包まれた。
「悪い悪い。そのお詫びにおいしいカレーを作るから、ちょっとだけ待っててくれ」
俺はそうして、すぐに調理へ入った。
まずはにんじん・じゃがいも・玉ねぎ・牛肉をサッと一口サイズに切り、それらを弱火で熱した厚手の鍋へ放り込む。
具材全体にほどよく火が通ってから適量の水を加え、アクを取りながら十五分ほど煮込んでいく。
カレーのルゥを入れて、弱火でコトコトと煮込むと――スパイスの効いたいいにおいが部屋中に立ち込めた。
(これでよしっと、後はだいたい十分ぐらいで完成だな)
そうして少し手の空いた俺が振り返るとそこには――アホ毛をピンと立てたリアが、物欲しそうな顔でこちらを見つめていた。
(ふふっ、よっぽどカレーが食べたかったんだな)
それからほどなくして鍋蓋を開けば――いい具合にとろみのついたカレーが顔をのぞかせた。
(どれ、ちょっと味見を……っと)
手元の小皿に少量だけ移し、念のため味を確認する。
(――よし、悪くないな)
この出来栄えなら、きっと喜んでくれるだろう。
それから俺は普通の丸い皿とリア専用の大皿に白飯をよそい、そこへたっぷりとカレーを注ぐ。
「――お待たせ。それじゃ、食べようか?」
「うん!」
俺たちは両手を合わせて食前の挨拶を交わし、出来立てのカレーを口にした。
「はむっ……うん、いい味だ」
「ん~、おいしいっ! アレンって、ほんと料理が上手よね!」
リアは頬に手を添えながら足をパタパタとさせて、全身で喜びを表現した。
「あはは、そう言ってくれると嬉しいよ」
さっきまでの落ち込んだ顔はどこへやら。
彼女は満面の笑みを浮かべて、次から次にカレーを頬張った。
(……よかった。もうすっかり元気になったようだな)
そうして遅めの晩御飯を済ませたところで――『例の一件』について、話を切り出すことにした。
「なぁ、リア。ちょっと聞きたいことがあるんだけど……いいか?」
「どうしたの、そんなに改まって……?」
彼女はコテンと小首を傾げながら、続きを促した。
「なんというかその……体の調子は大丈夫か?」
「体の調子……?」
「いやな。セバスさんが、別れ際に忠告してきたんだよ。『リア=ヴェステリアの体調には、目を光らせておくといい』ってさ」
俺が簡単に事情を説明したその瞬間、
「……っ」
ほんの一瞬だけ、リアの表情がピタリと固まった。
「……へ、平気よ平気! 今日はさすがにちょっと疲れているけど、いつもは元気バリバリよ!」
彼女はそう言って、どこかぎこちない笑みを浮かべる。
「……そうか、それならよかったよ」
そうして俺は、この話をここで終わらせることにした。
リアが何かを隠しているのは……間違いない。
(でも……追及しない方がいい、よな)
理由はわからないけど、彼女は今話したくないみたいだった。
(……待とう)
リアが自分から話してくれるそのときまで、彼女の隣で待ち続けよう。
時折それとなく声を掛けて、話し出しやすい空気を作りながら――リアの『準備』ができるまでジッと待っていよう。
そう心に決めた俺は、空になった皿を洗い場へ運んだ。
「それじゃ洗い物はやっておくから、リアはお風呂に入ってきなよ」
食後の食器洗いは、俺の仕事だ。
すると、
「あっ、ちょっと待って。今回は私が洗うわ」
リアはバッと席を立ち、洗い場まで付いてきた。
「私がご飯を作ったときは、いつもアレンが洗ってくれてるでしょ? だから、今日はその逆よ」
「でも、今日は疲れているだろ?」
「どう考えても、神託の十三騎士と戦ったアレンの方が疲れているでしょ? さっ、のいたのいた!」
彼女はそう言って、制服の袖をまくり始めた。
「それじゃ、お言葉に甘えて……先にお風呂をいただこうかな」
「うん、そうしてちょうだい。それと――カレーライス、ありがとね。とっても、おいしかったわ」
「あぁ、どういたしまして」
そうして俺はお風呂に入り、リアもその後に続く。
その後、寝支度を整えた俺たちは、二人で一緒のベッドで仲良く横になった。
一緒に住み始めたころはベッドの端と端で寝ていたけど、今はもう互いの距離はわずか十センチほどに迫っている。
「――おやすみ、リア」
「おやすみなさい、アレン」
そうして就寝時の挨拶を交わした俺たちは、仲良く夢の中に沈んでいったのだった。




