アレン細胞と政略結婚【三十七】
グレガ=アッシュ。
弱冠二十歳という若さで、神託の十三騎士にまで上り詰めた天才剣士だ。
身長は百七十センチほど。
まっさらな灰色のストレートヘア。
非常に整った目鼻立ちに口角の吊り上がった凶暴な笑顔。
白い貴族服の上から黒い外套を羽織っており、そこには灰色の『とある紋様』が刻まれている。
神の存在を心の底から信じており、その外套にはいくつもの十字架がぶら下がっていた。
「さすがは『アークストリア』だなァ。従順なフリをして、裏では虎視眈々と暗殺を狙う。目的のためならば手段を選ばないその姿勢は、純粋に好感が持てるぞォ……?」
グレガは乾いた拍手を送りながら、敵意の籠った視線をぶつける。
「――だがな、一つだけどうしても許せねェ。神への誓いを違えるとは、いったいどういう了見だァ……!?」
グレガが強烈な殺気を放つと同時に、参列客から抗議の声があがった。
「そうだ! 貴様、『十番』……! ヌメロ殿に手を上げるとは、いったいどういうつもりだ……ッ!?」
「道具の分際で主に牙を剥くなど、到底許されることではない!」
「皇国の人間がヌメロ様の暗殺を実行した……これは大きな国際問題へ発展するぞ! わかっているのか!?」
激しい罵声に対して、シィは涼しい顔で反論を返す。
「私はもうリーンガード皇国の国籍を捨てたわ。今はどこの国にも属さない。ただのシィ=アークストリアよ。何か問題でもあるかしら?」
皇国の重鎮アークストリアが帝国の大貴族ヌメロに手を上げれば、確かにそれは国際的な大問題へ発展する。
しかし、どこの国にも属さない――無国籍のアークストリアならば、その責任は彼女一人へ帰結する。
「ぬ、ぐ……っ。小賢しい真似を……っ!」
貴族はこういった理屈や形式を重視するため、彼らは歯を食いしばらざるを得なかった。
そうしてシィが貴族を黙らせたところで、グレガは大きくため息をつく。
「体裁に面子、理屈に形式――そんなつまらねェことはどうだっていんだよ……。この女は神への誓いを違えた。問題はそこだァ……ッ!」
彼は腰に差した剣を勢いよく引き抜き、その切っ先をシィへ向けた。
「……噂通り、熱狂的な神の信奉者なのね」
彼女の脳裏によぎったのは、十年前に発生した『グレガ惨殺事件』。
これはポリエスタ連邦の外れに位置する、ローザス島という小さな島国で起きた悲劇だ。
当時十歳だった穏やかな少年グレガ=アッシュは、突如「神は言っている、この島に住むものを皆殺しにせよ」と言い出し、島民三万人を斬殺した。
その凶暴性と強力な魂装に目を付けた黒の組織は、すぐにグレガへエージェントを送り付け、彼はほどなくして神託の十三騎士となった。
(……ヌメロの暗殺に失敗した現状。私にできることは一つ……)
シィは冷静に頭を回転させながら、次に取るべき行動を決めた。
(ここで神託の十三騎士グレガ=アッシュを仕留めて、帝国の力をそぎ落とす……っ!)
彼女は『アークストリア』の使命を全うするため、何もない空間へ右手を伸ばす。
「写せ――<水精の女王>ッ!」
すると次の瞬間、空間を引き裂くようにして美しい剣が出現した。
空のように青く、海のように透明な美しい一振り。
その力はありとあらゆる水の操作。
豊富な攻撃手段と手数の多さが特徴の状況対応力に優れた魂装だ。
「ほォ、さすがは皇国の一番槍アークストリアだ。なかなかの出力しているじゃねぇかァ……!」
グレガは鼻を鳴らし、静かに剣を構えた。
「……あなたは出さないのかしら? まさか魂装を発現していない――なんてことはないわよね?」
その挑発的な発言に、グレガは肩を竦める。
「アレを使えば、あっという間に殺しちまうんだよォ……。神は血と悲鳴を望んでおられる。だから、すぐに終わらせるわけにはいかねェんだァ」
彼はそう言って、灰色の刀身をスッと撫ぜた。
「……そう。その油断、命取りにならなければいいわね」
シィは一切の油断を捨て、静かに重心を落とす。
(魂装を展開せずに、短刀を融解させるほどの熱を生み出すなんて……。ずいぶんと霊核を手懐けているわね……)
霊核の扱いに慣れた剣士は、魂装を展開せずともある程度の能力を行使することができる。
(グレガの能力は、おそらく火や熱を操る系統と見て間違いない……。相性的には、そう悪い相手じゃないわ……っ!)
そう結論付けた彼女は、重心をやや前目においた。
「さて、それじゃ始めようかァ……。神の使徒が下すゥ……一方的な神罰をォ……!」
グレガは雄叫びをあげながら、一直線に駆け出す。
「そぉらァ……ッ! 悲鳴を聞かせろィ!」
「ハァ!」
二人は同時に、しっかり体重を乗せた袈裟切りを放つ。
そうして互いの剣がぶつかり合うその瞬間、
(これ、は……っ!?)
グレガの剣は、シィの剣を通り抜けた。
彼女は大きく目を見開き、咄嗟の判断で後ろへ跳び退く。
しかし、
「く……っ!?」
あの態勢から完璧に回避できるわけもなく、胸元に赤い筋が走った。
鮮血が純白のドレスを染め、シィは苦悶の表情を浮かべる。
「おォ……? 一撃で決まるかと思ったが、いい反応をしているじゃねぇかァ……」
彼女の胸元を斬り裂いたグレガは、パンパンと乾いた拍手を送った。
「……今の一撃。刀身が消えたように見えたのだけど、いったいどういう能力かしら?」
「ふはッ! おいおい、敵にそれを聞くかァ……!?」
彼はそう言って、楽しげに笑う。
「クク……ッ。本来ならば、教えてやる義理なんざねェが……。てめぇの血を吸った神は、大層喜んでおられる! その身を捧げた褒美として、少しだけ教えてやってもいいだろォ……」
グレガは「慈悲深き神に感謝しろィ」と付け加え、灰色の剣を胸の前に掲げた。
「この『灰剣』は、実体をもたねェ。たとえどんな剣士だろうが、俺の斬撃を防ぐことはできねェんだよォ……!」
「……防御不能の斬撃、か。確かに脅威的だけど、実体をもたないということは、あなたも私の斬撃を防げないわよね?」
「あァ、もちろんその通りだァ。――ただよォ、『条件は対等』だなんて勘違いしてっとォ……一瞬で終わっちまうぞォ!?」
彼は凶悪な笑みを浮かべ、凄まじい速度で間合いを詰めた。
そこから先の戦いは――ひどく一方的なものだった。
グレガが斬撃を放つごとに、シィの体には一つまた一つと傷が増えていく。
これまで剣を防御してきたシィ。
これまで剣を防御したことは一度もなく、ただひたすら回避し続けてきたグレガ。
その『経験値』と『間合い認識』の差が、彼に圧倒的優位をもたらしていた。
(このままじゃ、マズい……ッ)
そう判断した彼女は、何度も水を使った攻撃を試みるが……。
<水精の女王>が生み出した水は、グレガの使う不思議な力によって霧散していく。
その結果、
「はぁはぁ……っ」
血染めのドレスを纏ったシィは、魂装を杖のように使ってなんとか立っている状態にまで追い込まれた。
「どうしたどうしたァ? もう終わりなのか……よォ!」
「きゃぁ……っ」
無傷のグレガが<水精の女王>を蹴り付ければ、それは大聖堂の端へ転がっていき、支えを失った彼女はその場に崩れ落ちた。
そうして完全に勝敗が決したところで、貴族たちから制止の声があがる。
「――ま、待て、グレガ! 『十番』はヌメロ様の所有物だ!」
「あの御方の許可なく殺めれば、お前とてどうなるかわからんぞ!?」
神託の十三騎士と帝国一の大貴族――その力関係は、非常に難しいものがある。
単純な『戦闘力』だけで見れば、当然グレガに軍配が上がるだろう。
しかし、『財力』という視点で見れば、圧倒的にヌメロだ。
もしもここでグレガがシィを殺めれば、ヌメロとの関係悪化は避けられない。
そうなれば、まず間違いなく帝国内で大混乱が巻き起こる。
それを恐れた貴族たちは、ただ純粋に帝国のことを思って制止の声をあげたのだ。
しかし、その返答として返ってきたのは――身の毛もよだつ強烈な殺気だった。
「ガタガタうるせェぞ。もしかしててめェら、神の声が聞こえてねェのか……? 神は今、『血』と『悲鳴』を求めておられる。――ヌメロと神、どっちが大事だ? あァ? 答えを聞くまでもねェよなァ? えェ!?」
グレガは普段とても温厚だが、『神』のことになればその性格は一気に豹変する。
それをよく知る貴族たちは、揃って口をつぐむしかなかった。
「はァ……。わかりゃいいんだよ、わかりゃァ……。当然、神より優先するものなんてねェよなァ……うん」
一睨みで貴族を黙らせた彼は、倒れ伏したシィの顎をクイと持ち上げる。
「どうだァ? 耳を澄ませば、聞こえてくるだろォ……? ありがたい神のお言葉がさァ……!」
「……悪いわね。これまで神様を信じたことはないの、よ……っ」
彼女はそう言って、グレガの親指へ歯を立てた。
「……っ!? 痛ってェな、ゴミが……ッ!」
「きゃぁ……ッ!?」
腹部を蹴り上げられたシィは、大きく後ろへ吹き飛ばされる。
「ちっ、どこまでも気の強ェ女だなァ……ッ!」
グレガは苛立った様子で真っ直ぐ歩を進め、ゆっくり立ち上がろうとするシィの前へ立った。
「どうしても『聞こえねェ』ってんなら、俺が手ずから教えてやるよォ……。――神は言っている……ここで死ぬ運命だってなァ!」
彼はそうして、天高く掲げた灰剣を振り下ろす。
満身創痍のシィは、ただそれを見ていることしかできなかった。
(……運命、か)
まるで走馬燈のように、これまでの一生が思い返される。
父と母との何気ない日常。
リリムとフェリスとの出会い。
瀕死のセバスを拾ったこと。
千刃学院に入学したこと。
生徒会での楽しい毎日。
そして最後に思い出したのは――クリスマスのことだった。
これまで一度も勝てなかった、生意気な後輩との戦い。
自分が捨て身の攻撃を仕掛けた後、彼はため息交じりにこう言った。
【ああいうのは、今日限りにしてくださいね?】
【えー……。それじゃもう、お姉さんを助けてくれないってこと?】
【いえ、呼んでくれれば、いつだって助けに行きますよ】
約束とも呼べないような、ちょっとした一言。
だけどそれは、幼少期から厳しい修業に耐え、同年代の剣士に『助けてもらった』ことのないシィにとっては――とてつもなく大きくて、どうしようもなく心を打つ言葉だった。
「はっはァ! さァ、気持ちいィ断末魔を聞かせてくれェ……ッ!」
眼前に迫る灰剣。
ピクリとも動かない体。
避けられない死。
そんな絶望的な状況の中――彼女は最後に一言だけ、消え入りそうな声で呟く。
「ねぇ、助けてよ……。アレンくん……っ」
その瞬間――漆黒の閃光が式場を駆け抜けた。
暴風の如き闇がほとばしり、邪悪な黒剣が実体のない灰剣をしっかりと受け止める。
「――会長、相変わらず無茶をやっているようですね」
「う、そ……っ」
白馬の王子様は、御伽噺の存在だった。
現実にいたのはそう――漆黒の衣に身を包んだ、闇の王子様だった。