アレン細胞と政略結婚【三十五】
まるで城や宮殿と見紛うばかりのヌメロの本宅。
その一階部分に位置する大聖堂にて、まもなくヌメロ=ドーランとシィ=アークストリアの結婚式が執り行われようとしていた。
「――招待状をお持ちの方は、どうぞこちらへ!」
「時間が迫っております! どうかお急ぎくださいませ!」
ヌメロの勝手な都合で急遽予定が前倒しされたため、式場は小さくない混乱を見せていた。
そんな喧騒を耳にしながら、シィ=アークストリアは大きなため息をつく。
(はぁ……。本当に勝手な人。自分の都合で三時間も挙式を早めるなんて……)
現在彼女は新婦の控室で、ヌメロの支度を待っていた。
(夢だったウェディングドレスも、相手があんな男だと全く嬉しくないわね……)
シィは姿見に映る自分の衣装をどこか他人事のように見ていた。
両肩と背中は大きく露出し、スカートは長く、ふんわりとボリュームをもたせた華やかなもの。
いわゆるプリンセスラインと呼ばれるドレスだ。
(あーあ……。どこで間違えたんだろうなぁ……)
彼女は顎に人差し指を添え、虚空に視線をやった。
いつかきっと白馬の王子様が迎えに来てくれる。
そして地位も家柄も使命も忘れさせて、自分をただ一人のお嫁さんにしてくれる。
そんな夢は――過酷で残酷な現実によって、いとも容易く打ち砕かれた。
(これも……『アークストリア』に生まれたものの運命なのかな……)
国のために生き、国のために死ぬ――これがアークストリアの使命だ。
幼少期からそう教えられてきたシィは、自分の人生が思い通りにいかないことを知っていた。
いつか政略結婚の道具として使われるだろうと諦めていた。
しかし――心のどこかでは夢を見てしまう。
ありとあらゆるしがらみを斬り捨て、颯爽と現れる白馬の王子様を。
(でも、やっぱり運命は変えられない……。結局私はどこまで行ってもシィ=『アークストリア』。国のために生き、国のために死ぬ……それは決して誰にも変えられない……)
そんな風に重たいため息をついていると――控室にノックの音が響き、扉がゆっくりと開かれた。
そこから黒い背広を身に纏った老紳士が、優雅な一礼とともに入室する。
「――シィ=アークストリア様。ヌメロ様がお呼びでございます」
「……はい、わかりました」
シィは覚悟を決め、ゆっくりと結婚式場へ向かった。
■
予定は三時間も前倒しにされたが……式場である大聖堂はまさに満員御礼、数多の招待客が全ての席を埋めていた。
彼らはみな神聖ローネリア帝国の貴族。
招待状を受け取ったものは、たったの一人として欠席することなく参列していた。
ヌメロのご機嫌取りのため、不興を買わないようにするため、今後の関係構築のため――様々な理由のもと、大急ぎで馳せ参じたのだ。
そんな大聖堂の入り口。
扉の覗き穴から式場を覗く一人の男が、さも満足そうに口角を吊り上げる。
「ぬふ、さすがはこの私だ。急な結婚式にもかかわらず、まさか満席になろうとは……!」
ヌメロ=ドーラン。
百六十センチと比較的小柄な体躯。
丸々と肥えた体のせいで、その身に纏った最高級のフロックコートは今にもはち切れそうだ。
年齢は三十代後半。
オールバックにされた金色のミドルヘア。
腫れぼったく欲深い目が特徴の生理的嫌悪感を催す醜い顔。
そんな彼の独り言に、お付きの剣士が重々しく頷いた。
「はい、さすがはヌメロ様でございます。これもひとえに優れた人徳によるものかと……」
「ぬふふ……。やはりお前もそう思うか?」
「私だけでなく、この場にいる全員が同じ気持ちかと……」
「ぬふふ……! そうかそうか、やはり人徳か!」
護衛の剣士が口にした安いお世辞に、ヌメロは上機嫌に肩を揺らす。
するとそこへ――ウェディングドレスを着たシィがやってきた。
「――お待たせ致しました、ヌメロ様」
「ぬふふ……っ! これはこれは……なんと美しい花嫁姿! さすがは私の『十番』だ!」
娶った妻を全て番号で呼ぶ彼は、十番の美しさに舌を巻く。
「……道具の私に対し、もったいなきお言葉。大変嬉しく思います」
心にも思っていないことを口にしながら、シィは嫋やかに頭を下げた。
その従順な姿勢に気をよくしたヌメロは、下心を隠そうともせず、情欲に満ちた目でシィの全身を舐めるように見つめる。
「ぬふふふふ……! 早速今晩可愛がってやるから、楽しみにしているがよい……っ!」
「……はい、ありがとうございます」
そうして会話がひと段落したところで、お付きの男がコホンと咳払いをする。
「――ヌメロ様。そろそろお時間かと……」
「ぬ? もうそんな時間か……。よし、それでは行くとしよう!」
こうしてシィ=アークストリアとヌメロ=ドーランの結婚式が始まったのだった。