アレン細胞と政略結婚【三十四】
フーは真剣な表情で『世界の果て』について、質問を投げ掛けてきた。
「世界の果てか、正直あまり考えたことはないな……。確か『絶界の滝』があるんだろ?」
聖騎士協会の発表によれば、この世界は巨大な正方形の大陸。
その隆起した部分が人間の住む陸地であり、それ以外の大部分は海洋が占める。
世界はどこまでも平面が続き、その果てには超巨大な滝――絶界の滝がある。
そこから流れ落ちた海水はやがて雨となり、またこの世界へ降り注ぐ。
この話はこれで終わり。
それ以上調べることは、国際法で固く禁止されている。
「あぁ、その通りだ。私たちは、これまでずっとそう教えられてきた。――しかし、それはどうにも真実だとは思えない」
「……どういうことだ?」
「私はこれまで歴史書・手記・古典、ありとあらゆる資料にあたってきた。しかし、絶界の滝について記述されたものは、たったの一つとして存在しない。なんの証拠もなしに、かつて聖騎士協会が発表したその名前だけが一人歩きしている……。これはあまりに不自然であり、あまりに奇妙だ。人為的な何かを感じずにはいられない……っ」
フーにしては珍しく、熱く拳を握りながら語る。
「おそらく聖騎士協会は、何か重大なことを知っている。人類最強の『七聖剣』が守護するその本部に、とてつもない情報を隠しているのだ……っ!」
奴の顔には恨めしい、羨ましいといった気持ちがありありと浮かんでいた。
「世界の果ては遠く、既存の飛行機では燃料がもたない。現状、そこへたどり着く方法はない。だが、私はいつか絶界の滝の――その先へ行きたい! その先に何があるのか、それが知りたくて仕方がない……っ! 私はただそれを知るためだけに、この黒の組織へ入ったのだ!」
「それは……『身を守る術』としてか?」
「あぁ、そうだ。歴史を研究すること、世界の果てについて調べること――これらは国際法によって固く禁じられている。忌々しい『歴史狩り』によって、私のような考古学者は寄る辺がない。圧倒的武力を誇る黒の組織に身を置かねば、落ち着いて研究に集中することすらできないのが現状だ……」
「そうなのか……」
ザク=ボンバールは、聖騎士協会では為せない何かを為すため。
レイン=グラッドは、雨の呪いを掛けられたセレナを救うため。
フー=ルドラスは、世界の果てを知るため。
みんな自分の願いを叶えるための『手段』として、黒の組織を選んでいるようだ。
そうして話がひと段落着いたところで、
「ふー……っ」
フーは大きく息を吐き出した。
「すまない。年甲斐もなく、はしゃぎ過ぎたようだ……」
奴は自嘲気味にそう言った後、真剣な表情で真っ直ぐこちらを見つめた。
「――アレン=ロードル、貴様は本当に『いい目』をしている」
「……いい目?」
「何色にも染まらない、透き通るように真っ直ぐでどこまでも澄んだ瞳。……何故だろうな。その目を見ていると引き込まれる。いつの間にか、手を貸してしまいたくなってしまう」
フーはそう言うと、カップの紅茶を飲み干して立ち上がった。
「――さぁ、私からの話はこれで終わりだ。後は好きにするがいい」
「『好きに』って……止めなくていいのか?」
「生憎だが、今日は歴史書の解読に没頭するつもりだ。『アレン=ロードルの足止めをしろ』という命令は受けていないのでな。それに――そもそも私如きの力では、もはや貴様を止めることはかなわん」
奴はそんな謙遜を口にしながら、ゆっくりと目を閉じた。
「先ほどの仲間たちは――ふむ、どうやらヌメロ本宅の厳重な警備に手間取っているようだ。ここから北方へ五キロ、『ヌメロ大庭園』内の物置小屋に隠れているのを捕捉した」
「ど、どういう意味だ!?」
「私は『風の声』を聞き、半径十キロ以内の会話を拾うことができる。帝国内で『アレン=ロードル』の名を出す五人の声など、そうそうあるものではない。十中八九、貴様の仲間の声だろう」
フーは淡々とそう言った後、突然顔をしかめた。
「……む? これは……っ」
「どうした、なにかあったのか?」
「……急いだ方がいい。どうやら、結婚式が始まっているようだ」
「なっ!? い、いくらなんでも早すぎるぞ……!? 少なくともまだ後三時間はあるはずだ!」
クラウンさんと別れた時点で、結婚式まで後十時間。
そこから幻霊研究所へ移動し、スポットを通って帝国へ潜入。
その後、ザクから黒い外套をもらって今に至るわけだが……。
(……どう考えても十時間も使っていない)
いいところ七時間かそこらだ。
「予定なんてものは、あの傲慢なヌメロの前にはなんの意味も為さん。あの屑は世界の中心が自分だと、本気でそう思っているからな」
「くそ……っ」
俺はすぐさま立ち上がり、屋上へ向かって走り出した。
「――陰ながら、作戦の成功を祈っているぞ」
「あぁ、そうしててくれ!」
こうしてフー=ルドラスから様々な情報を得た俺は、ヌメロの本宅へ向かって全速力で駆け出したのだった。