アレン細胞と政略結婚【三十二】
フー=ルドラス。
百九十センチを超える長身。
背まで伸びた長い黒髪。
剣士にしては、痩せた体躯。
彫の深い整った顔からは、理知的な印象を受けた。
腰にレイピアのような細剣さえ差していなければ、学者のようにも見えるだろう。
白い貴族服の上から黒い外套を羽織っており、そこには緑色の――どこかで見たことのある紋様が刻まれていた。
(くそ……。考えられる限り、最悪の展開だ……っ)
潜入がバレるにしても、さすがに相手が悪過ぎる。
フーは『風』を支配する超一流の剣士だ。
かつて千刃学院を強襲し、会長・リリム先輩・フェリス先輩、その他大勢の剣士を単騎で打ち破った過去を持つ。
(……落ち着け、冷静に考えろ。ここからどう動くのが最善だ!?)
そうして俺が頭を高速で回転させていると、
「久しぶりだな、アレン=ロードル。まさかこんなところで再会を果たすとは、少々意外だったぞ」
フーは淡々とした抑揚のない語り口で、無表情にそう言った。
「……それはこっちの台詞だ。こんなところで神託の十三騎士に出くわすなんて……完全に想定外だよ」
「ふっ、そうか。――しかし、六人もの仲間を連れてベリオス城まで来るとはな。目的はシィ=アークストリアの奪還……と言ったところか?」
「……っ!?」
一瞬でこちらの目的を看破されたことに、俺たちは大きな衝撃を受けた。
「……どうして、お前がそれを知っているんだ?」
「なに、簡単なことだ。シィ=アークストリアは、千刃学院の生徒会長を務めていたからな。人一倍仲間意識の強いお前が、『下種な大貴族』に買われた先輩を見捨てるわけがない」
奴はそう言いながら、ジッと俺たちの衣装に目を向けた。
「下の階層から、わざわざここまで登って来たということは……。幻霊研究所のスポットを利用し、直接城内へ飛んだのか。となれば、その黒い外套はザク=ボンバールから奪った――いや、あいつは確か貴様のことをえらく気に入っていたな……。『手引きした』といった方がより正確だろう」
そうしてフーは、ここまで俺たちがたどってきた道程を正確に言い当てた。
(……厄介だな)
こいつはただ剣術の腕が立つだけじゃない。
学者然とした見た目通り、本当に頭がいい。
「一応、聞いておく。見逃しては……くれないよな?」
「馬鹿なことを聞くな。せっかくの機会をふいにするほど、私は愚鈍ではない」
「……だよな」
フーとの戦闘は回避できない。
(それならば、今できる最善を尽くすだけだ……っ!)
俺はすぐさま剣を引き抜き、大きく前に踏み出す。
「――リア、ローズ、先輩方! ここは俺に任せて、先へ行ってください!」
「「アレン!?」」
「「アレンくん!?」」
みんなの視線が、俺の背中へ集中するのがわかった。
「最悪の展開は、ここで全員が足止めを食らうことです! だから、俺がフーを抑えているうちに――早く屋上へ!」
俺がそう叫ぶと、
「――アレン、後で絶対に追いかけて来てね。……約束だよ?」
「……私はまだお前に一度も勝っていない。こんなところで負けたら、承知しないからな……っ」
「あぁ、わかったよ」
リアとローズは、とても『二人らしい』ことを言って駆け出した。
「……アレンくん、後輩の君にいつも損な役割を押し付けてすまない。だけど……ありがとう」
「いつも本当に悪いとは思っているんですけど……。今回もまたお願い……っ」
「人外の君ならば、これしきのことは問題ないだろう? 任せたよ、アレン」
「はい、頑張ってみます。――会長のこと、どうかお願いします」
短くそう言葉を交わし、先輩たちも走り出した。
そうしてみんなが屋上へ向かって駆け出す中――意外にもフーはそれを見逃した。
それどころか、こちらに背を向けて近くに設置された食器棚に向かって歩き出す。
奴は品のいいカップとソーサーを二組取り出し、純白のテーブルクロスの敷かれた机へ置いた。
その後、カップの中へ茶葉のようなものを入れていき、最後にポットでお湯を注ぐ。
「……なにをしているんだ?」
「見てわからんか? 紅茶をいれている」
「いや、それはわかるが……。何故、紅茶を?」
「愚かな質問だな。いい茶葉が手に入ったのだ」
なんというか……絶妙に会話が噛み合わなかった。
そうして紅茶の準備を終えたフーは、木目の美しい椅子に腰掛けた。
「……どうした? 貴様も座るといい。せっかくの機会だ、いつぞやの質問に答えてやろうではないか」
フーはそう言って、いれたての紅茶に口を付けたのだった。