魔剣士と黒の組織【一】
その後、俺は「念の為」ということで様々な検査を受けた。
結果は全て異常なし――まさに健康体そのものだった。
そうしてようやく退院した俺は、すぐにリアとローズに会いに行った。
二人は俺の退院を心から喜んでくれて、とても嬉しかった。
そして現在、俺はリア・ローズとともに理事長室へ向かっていた。
三人を代表して、黒く重々しい扉をコンコンコンとノックすると、
「入れ」
硬質で事務的なレイア先生の声が返ってきた。
これだけ凛とした声を出しながら、その実仕事をしていないというのだから、女性の声帯というのは凄いと思う。
「――失礼します」
入室を許可されたので、ゆっくりと扉を開けるとそこでは、
「っと、お前たちか……」
ちょうど週刊少年ヤイバの今週号を読み終えた先生が、大きく伸びをしていた。
「おはようございます、レイア先生」
「あぁ、おはよう。アレン、体はもう大丈夫なのか?」
「はい。あれからいろいろと検査を受けましたが、どこも問題はありませんでした」
「それはけっこう。――よし、では早速だが、君たちには大五聖祭のルールを破った罰としてボランティア活動に従事してもらうとするか」
先生はそう言ってバッと立ち上がった。
もちろん、今日はそのつもりでここへ来た。
だがしかし、その前に聞いておかなければならないことがある。
「先生、その前に……この前途中で終わったあの話の続きを聞かせてもらえませんか?」
俺が意識を取り戻したあの日。
先生は珍しく仕事に追われており、大事な話が途中で終わってしまったのだ。
「おっと、すまない。そう言えばそうだったな」
先生はすっかり忘れていたようでポンと手を打った。
「……結局、俺の体を乗っ取ったアレはなんなんですか?」
「結論から言えば、アレはお前の『霊核』だ。――既に魂装を習得しているリアなんかは、なんとなく察しがついているんじゃないか?」
先生がリアに視線を向けると、彼女はコクリと頷いた。
「霊核……?」
聞いたことの無い単語に俺が首を傾げると、先生は詳しく説明してくれた。
「霊核――それは人間の魂に必ず一体は宿るとされる『力の塊』だ。祖霊・幻獣・精霊などその種類は多様であり、君らが習得を目指す『魂装』は、この霊核の一部を具象化したものとなる」
そうして最後に先生は「これは私の推測だが」と前置きしたうえで話を締めた。
「あのときの君は、自らの霊核に支配された状態であった。こう考えるのが、最も筋が通る話だ」
「……ということは他の剣士も、霊核に飲まれればああなるんですか?」
「理論上はそうだな。……とは言っても、あそこまで強烈な自我を持つ霊核は、そうそういるものではない。君のはかなりの特別だと思っていいぞ」
「自我を持つ霊核……」
自分の中に、自分以外の自我を持つ存在が眠っている。
それは言葉では言い表せない、とても奇妙な感覚だった。
「まぁ、当分の間は心配する必要はないだろう。あれほど長い時間、君の体を支配したのだ。アレとて激しく消耗したことは間違いない」
「そう、ですか……」
先生の口振りでは、霊核が俺の体を乗っ取るのはかなり大変なことのようだ。
「さて、それじゃこの話はここまでにして――これから先のことを話そうか」
先生は空気を換えるように手をパンと打った。
「まずは魔剣士協会に行くといい。一応私が話を通してあるから、コトはスムーズに進むだろう」
「ありがとうございます」
「それで魔剣士協会までの道案内は……ローズ、頼めるか?」
「いいよ」
どうしてローズに頼んだんだろうか?
そんなことを思っていると、彼女はおもむろに懐から鉄のプレートを取り出した。
「私はもう魔剣士」
そのプレートにはローズ=バレンシアという名前と登録番号が振られていた。
確かこれは、魔剣士の身分を証明するものだったと記憶している。
「えっ、ローズって魔剣士だったの!?」
リアが意外そうに驚くと、
「うん、昔ちょっとね」
ローズはコクリと頷いた。
「まぁそういうわけだ。ローズは、魔剣士として君たちよりもかなりの先輩になる。何か困ったことがあったら、彼女に聞くといいだろう」
「任せて」
そう言ってローズは胸を張った。
「それでは、行ってきます」
「うむ。これが君たちにとっていい経験になるよう祈っているよ」
そうして俺たちはローズを先頭にして、千刃学院を後にした。
■
アレン、リア、ローズの三人が理事長室を退出した直後。
「――十八号」
レイアがポツリと呟いた。
「はっ。何でしょうか、レイア様?」
部屋の隅で黙々と仕事をこなしていた彼は、初めて手を止めて顔をあげた。
「お前はこれからアレンの護衛につけ」
「護衛、ですか……。かしこまりました」
すぐにレイアの意図を察した彼は、恭しく頭を下げた。
「アレンの退学を強く要求した理事長が二人いてな……。フェリスの話だと裏金まで回していたらしい」
「それはそれは……」
裏金の話を初めて耳にした十八号は、本件に対する警戒度をグッと引き上げた。
「あいつらが刺客を差し向けてくる可能性は十分に考えられる。もしも不審な奴等がアレンに接近した場合は、すぐに潰せ。お前のは少々危険だが……今回は魂装の使用も許可する」
「かしこまりました」
そうして新たな仕事を命ぜられた彼は、とある心配事を口にした。
「……しかし、大丈夫でしょうか?」
「何がだ?」
「私がここを離れると、お仕事の方に差支えが……」
「……特別に書類の持ち出しを許可する。アレンに目を光らせながら、仕事も並行して進めてくれ」
「……かしこまりました」
十八号はアレンの護衛の傍ら理事長業務を肩代わりという難題を押し付けられたが、渋々ながら受諾した。
「――ところでレイア様、一つ質問をよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「私がアレン殿を護衛するということは、必然的にリア嬢とローズ嬢をつけることになります」
「そうなるな」
「何を当たり前のことを」――そう思いながらもレイアは話の続きを待った。
「彼女たちはあまりに魅力的でして……。何というかその、大変申し上げにくいのですが……っ」
十八号にしては珍しく、歯切れの悪い物言いだった。
「なんだ、わかるようにはっきりと言え」
レイアが少し苛立った様子で回答を急かす。
「その……もし機会があるならば、のぞいても?」
「お前は馬鹿か? 駄目に決まっているだろう、控えろ」
「くっ……か、かしこまりました……っ」
こうして十八号は護衛・雑務・禁欲という三つの難題に同時に取り組むことになった。
■
俺たちはローズの案内で、都のオーレストを右へ左へと進んでいく。
そうして千刃学院を出発してから十分ほど経ったところで――いかにもそれらしき建物が見えてきた。
「着いたよ」
予想通り、ローズはその建物の前でピタリと足を止めた。
「こ、ここが、魔剣士協会……っ」
「じょ、冗談でしょ……っ」
三階建てのこの建物は、きっともう何年も改修されていないのだろう。
レンガ造りの外壁は風雨に晒されボロボロとなり、派手な落書きがあちこちに見受けられた。
明らかに周囲の景観を損ねている……。
(やっぱり魔剣士って、野蛮な人がなる職業なのか……?)
聖騎士は真面目で誠実。
魔剣士は不真面目で不誠実。
――世間一般のイメージがこれだ。
(この職業イメージには、昔ながらの差別や偏見も多分に含まれていると思っていたけど……)
この建物を見る限り、まんまイメージ通りな気がする……。
俺とリアが二人して、この異様な外観にたじろいでいると、
「どうしたの? ……入るよ?」
ローズはまるで自宅に帰るような気軽さで、扉に手を掛けた。
意外にも彼女はコレが全く気にならないらしい。
「え、えぇ……本当にここに入るの? というか、本当にここが魔剣士協会なの?」
隣国の『王女』であるリアは、明らかな拒否反応を示していた。
俺も彼女と全く同じ気持ちである。
すると、
「うん、そうだよ」
ローズは扉に手を掛けたまま、コクリと頷いた。
俺とリアは二人して目を見合わせて――コクリと頷いた。
「と、とりあえず入ってみるしかない、よな……?」
「そ、そうね……っ。うん、とりあえず入ってみましょう……」
酷いのは外観だけで中は案外まともかもしれない。
そんな俺の幻想は――二秒で打ち砕かれた。
「こ、これは……っ!?」
「す、凄いにおい……っ」
「そう? だいたい、いつもこんなだよ?」
扉を開けてすぐ――濃厚なアルコールのにおいが俺たちを出迎えた。
どうやら魔剣士協会内部には酒場が併設されているようで、まだ真っ昼間だというのに大勢の人たちが酒を飲み交わしていた。
(こ、これは……っ)
イメージ通り、いや……それを一回りは下を行っている。
同様の感想をリアも持ったようで、ヒクヒクと露骨に顔が引き吊っていた。
俺たちが入り口で呆然と立ち尽くしていると、
「ひっく……なんだぁ、お前ら……ここらじゃ見ねぇ顔だなぁ……?」
明らかに泥酔した魔剣士らしき男が声を掛けて来た。
「……リア、ローズ下がって」
俺は小声でそう伝えると、二人の前に出た。
「おぅおぅ……ひっく、よく見りゃお嬢ちゃんたちぃ、えらく綺麗な顔してんじゃねぇかぁ……っ! どうだぃ、俺と一緒にちょっと飲んでかねぇか……?」
彼は千鳥足の状態でフラフラとこちらに近付いてきた。
……危険だ。
そう判断した俺は、
「――すみません、俺たちはこれから用事がありますので」
両者の間に立ち、やんわりと彼の申し出を断った。
すると、
「ちっ……。誰もお前にゃ――聞いてねぇんだよぉっ!」
彼は手に持った酒瓶を俺の頭目掛けて振り下ろした。
頭頂部を直撃したそれは粉々に砕け、俺は頭から盛大に酒をかぶった。
「ちょ、ちょっとあんた何するのよっ! 大丈夫、アレンっ!?」
「何をする……っ!?」
「ぎゃははははっ! だっせぇなぁおいっ! びちょびちょじゃねぇかっ!」
酔っ払った男は、腹を抱えて盛大に俺を嘲笑った。
「あんたねぇ……っ!」
「調子、乗り過ぎ……っ!」
リアとローズはギロリと目を剥き、男に突っかかろうとした。
「――いいよ、二人とも」
俺はそんな二人を諫めた。
俺たちは今、停学中の身だ。
こんなところで下手に騒ぎを起こしたら、またレイア先生に迷惑を掛けてしまう。
「それに――ただお酒をかけられただけしね」
そう。
これぐらいで一々目くじらを立てていたら、こっちが怒り疲れてしまう。
「お、お酒をかけられただけって……っ」
「普通、大怪我するよ……っ」
「いや、でもほら……なんともなってないよ?」
そうして俺はガラスの破片が乗った頭をパンパンと払い、怪我をしてないことを証明して見せた。
「う、うそ……っ!?」
「傷が、無い……」
今回のこれは、本当にただお酒をかけられただけなのだ。
(多分、当たる瞬間に力を抜いてくれたんだろうな)
酒瓶が直撃したにもかかわらず、俺の頭には傷一つ無かった。
「さぁ、行こう」
「う、うん……」
「あ、アレンがそう言うなら……」
そうして俺たちは彼を素通りして、受付の方へと歩みを進めた。
するとその一部始終を盗み見ていた他の魔剣士たちは、一斉に笑い始めた。
「くくくっ……おいおい、ドレッド! お前、相手にされてねぇじゃねぇかっ!」
「ぎゃはははは、だっせぇ! こんなガキどもに虚仮にされるとはよぉっ!」
「情けねぇなぁ、おいっ! 魔剣士の風上にもおけやしねぇっ!」
集団からの嘲笑を受けた魔剣士――ドレッドさんは、顔を真っ赤にしてプルプルと震えていた。
本当に……余計なことをしてくれる人たちだ。
「おい、てめぇ……っ!」
プライドを傷付けられた彼は――迷わず腰に差した剣を引き抜いた。
「この俺様を虚仮にしやがって、ただで済むと思うなよ……っ!」
そうして威嚇のつもりか、剣を二三度振るい、こちらに向けて突きつけた。
(……さすがにこれは、見過ごせないな)
俺は彼の目をしっかりと見て――告げた。
「剣は脅しの道具じゃないですよ。本当に……いいんですね?」
俺は確認をした。
剣士が剣を抜くという行為の意味を――しっかりと確認した。
するとドレッドさんは少しお酒が抜けて来たのか、一歩二歩と後ろへ下がった。
「う゛……っ!?」
(っ!? こ、これってアレンの殺気……っ!?)
(重くて、苦しい……っ!?)
そして、
「す、すまねぇ……っ。俺が悪かった、ちょ、ちょっと悪酔いしちまっていたみたいだ……。今ちゃんと目が覚めたよ……この通りだ、勘弁してくれ……」
彼はすぐに剣を収め、深く頭を下げた。
「……わかりました。飲み過ぎには注意してくださいね」
俺は彼の謝罪を受け入れた。
人は誰だって過ちを犯す。
俺だってこれまで数えきれないほどの失敗を重ねてきたし、何より今回はこちらに被害が全くない。俺の体と服が酒臭くなってしまったぐらいだ。
彼が素直に謝ってくれたなら、それでいい。
「あ、あぁ……っ! す、すまなかったなっ! こ、今度、一杯奢るぜ……っ!」
そう言って彼はそそくさと魔剣士協会を後にした。
気持ちは嬉しいけれど……まだ未成年だから、お酒は無理だ。
すると、
「あ、アレ、ン……?」
少しかすれた声でリアが俺の名前を呼んだ。
突然魔剣士に絡まれたせいか、彼女の瞳には少し怯えたような色があった。
多分、王女である彼女にはこういう経験が無いのだろう。無理もない。
「大丈夫か、リア? 少しどこかで休もうか?」
「う、ううんっ、大丈夫。ちょっとビックリしちゃっただけだから」
「それならいいんだけど……。もし気分が優れなかったら、無理をせずに言ってくれよ?」
「う、うん……っ! ありがとう、アレン!(よかった……。いつもの優しいアレンだ……っ!)」
そうして俺たちは、何故かシンと静まり返った魔剣士協会の奥へ進み、受付へと向かった。