アレン細胞と政略結婚【二十六】
神聖ローネリア帝国、大貴族ヌメロ=ドーランの本宅。
まるで城や宮殿と見紛うばかりの五階建ての邸宅は、まさに帝国一の大富豪にふさわしいものだ。
気品を感じさせる白塗りの外壁、落ち着いた雰囲気の青い屋根瓦、中央にそびえ立つ丸みを帯びた塔。
庭園には色とりどりの花が咲き誇り、中央には世界的に有名な像が存在感を放つ。
そんな大豪邸のとある一室にて、シィ=アークストリアは物憂げな表情を浮かべていた。
「はぁ……」
ベッドで仰向けに寝転んだ彼女は、何度目になるかもわからないため息をこぼす。
「まさかあんな男と結婚することになるなんてね……」
ヌメロの悪評は、もちろんのこと聞き及んでいた。
常に十人の妻を召し抱え、『一』から『十』までの番号で管理しているらしい。
今日の夜は五番、明日は七番、明後日は八番といった風に。
シィは一か月ほど前に空席となった十番に収まる予定だ。
ヌメロが迎え入れた妻の数は百を超え、壊した女性の数は千を超えると言われている。
まさに帝国における最低最悪の男だ。
「あーあ……。いつかきっと『白馬の王子様』が迎えに来てくれると思ってたのになぁ……」
シィ=アークストリアには夢がある。
意外にもロマンチストな彼女が、幼い頃からずっと胸の内に秘めてきた夢とは――『お嫁さん』になることだ。
いつかきっと白馬の王子様が現れて、『アークストリア』という重責から自分を解き放ってくれる。
そして――地位も家柄も使命も忘れさせて、自分をただ一人のお嫁さんにしてくれる。
純情なシィは、そんな理想の男性が現れることを夢見てきた。
かつて一度だけ、この話をリリムとフェリスにしたとき――二人はお腹を抱えて大笑いした。
『ぷっ……あっははははっ! は、白馬の王子様って……っ』
『し、シィ……っ。さ、さすがにそれは……乙女過ぎると思うんですけど……っ』
『むぅー……っ。そ、そんなに笑うことないじゃない!』
それ以来シィは白馬の王子様のことを誰にも話さず、そっと胸の内にしまった。
だが、長い年月が流れた今なお純粋で純情な彼女は信じていた。
いつかきっと運命の男性が――白馬の王子様が迎えに来てくれるんだと。
しかし、現実は残酷だった。
強大な魔族の力を恐れた母国にはあっけなく売られ、この先はヌメロのいいようにされて、いつかどこかで捨てられる。
夢も希望も救いもない、凄惨な未来が待っているだけだ。
「はぁ……」
そんな絶望的な状況に置かれたシィは、過酷な現実から逃げるようにして、リーンガード皇国に残してきた友人たちに想いを馳せる。
「みんな、今頃何してるんだろ……。手紙、気付いてくれたかな……?」
生徒会室の自分の机に隠しておいた手紙――皇国を発つ前日に書き記したあの手紙は、シィにできる精一杯の『さようなら』だった。
彼女にとって、あの手紙を書いているときが一番つらかった。
みんなとの楽しい思い出が堰を切ったように溢れ出し、涙が止まらなかった。
「やっぱり……ちゃんと直接お別れを言った方がよかったかな……?」
既に何度も自分へ問い掛けた質問を再び口にする。
「…………いや、無理ね」
アレンたちの顔を見て、笑顔で帝国へ向かう自信がなかった。
きっとボロボロに泣いて、みっともない出国になってしまう。
そんなことになれば、みんなの心をいたずらに傷つけてしまうだけだ。
それがわかっていたからこそ、彼女は置手紙という間接的な方法を取ったのだ。
「あの手紙を読んだみんなは、どう思ったかな?」
泣いてくれたかな。
悲しんでくれたかな。
怒ってくれたかな。
そして何より――忘れないでいてくれるかな。
そんなことを考えていると、目尻に熱いものが込み上げてくるのがわかった。
「リリム、フェリス、リアさん、ローズさん……そしてアレンくん……。もう一度、みんなに会いたいなぁ……」
彼女の心の叫びを聞くものは――もう誰もいない。
ヌメロとの結婚式まで、後わずか数時間。
■
幻霊研究所の隠し部屋で『スポット』を発見した俺たちは、息を揃えて一斉にそこへ飛び込んだ。
スポットの中は、見渡す限り一面の黒。
上下左右の感覚がない、とても不思議な空間が広がっていた。
(これが……ドドリエルの『影の世界』、か……)
冷たくて暗くて――どこか孤独な閉じた世界。
俺たちはそのまま『影の流れ』に身を任せ、静かにその時を待つ。
それから少しすると、前方にまばゆい光が見えてきた。
(あれが出口か……?)
その直後――唐突に影の世界は消滅し、俺たちは大きな白い部屋に吐き出された。
あまり実感はないけど、おそらくここはもう神聖ローネリア帝国なんだろう。
すると次の瞬間、
「こいつは珍しい……侵入者だな!」
俺の背後に立った一人の巨漢が、その手に持つ大剣を勢いよく振り下ろした。
(これはまた、随分と手荒い歓迎だな……っ)
すぐさま闇の衣を纏い、迫りくる一撃を素手で受け止める。
さらにその流れのまま、大剣の刀身を握り潰した。
「ほぅ……! いい、いいぞ……っ! あのときより、さらに出力が跳ね上がっているではないか!」
何故かとても嬉しそうにそう叫んだ男は――かつて二度、壮絶な殺し合いを演じた敵だった。
「お、お前は……っ!?」
「ざはははは! 久しいな『希代のキラキラ』――アレン=ロードルよ!」
黒の組織の構成員、ザク=ボンバールがそこにいた。