アレン細胞と政略結婚【二十四】
リリム先輩が目の前の囚人に声を掛ければ、『セバス』と呼ばれた彼はゆっくりと顔を上げた。
「おや……久しぶりだな、リリム。こんなところで何をやっているんだ?」
その声と名前を聞いた瞬間、全てを思い出した。
(彼は確か……生徒会執行部が副会長、セバス=チャンドラー!)
たった一人で神聖ローネリア帝国へ潜入し、会長からお願いされたブラッドダイヤを持ち帰った恐るべき剣士。
その実力はまさに折り紙付き。
剣王祭では、白百合女学院の大将リリィ=ゴンザレスを一刀のもとに切り伏せた。
しかしその直後――いろいろな事情によって聖騎士に連行されたため、今の今までその存在をすっかり忘れていた。
俺がそんな数か月前の出来事を思い出していると、
「セバス、緊急事態なんだ! お前の力を貸してくれ!」
リリム先輩は真剣な表情で、ガラスの先で正座するセバスさんへ頼み込んだ。
しかし、
「駄目だ。僕はここを動かない――いや、正確には動けない」
彼は考える間もなく、即座に首を横へ振る。
「な、なんでだよ……っ。まさか……そんなに重たい罪なのか!?」
セバスさんは渡航禁止国である帝国へ密入国を果たし、希少な鉱山資源ブラッドダイヤを盗み出した。
今この地下牢獄に幽閉されているのは、もしかするとその罰を受けているのかもしれない。
そうしてリリム先輩がクラウンさんへ目を向ければ、
「いえ、むしろ引き取ってもらえると助かるっす。勝手に居座られて、こっちも迷惑しているところなんすよ……」
彼は頬を掻きながら、苦笑いを浮かべた。
(……『勝手に居座られて』?)
その意味するところは、あまりよくわからなかったけど……。
どうやらレインのように『刑罰』が理由で、ここから動けないというわけではないようだ。
すると、
「会長はあのとき『後で迎えを送るから、それまでは大人しくしているのよ?』と言ってくれた。だから、僕は待つ。彼女が迎えを送ってくれるそのときまで……」
セバスさんはそう言って、静かに目を閉じた。
(……なるほど、そういうことか)
どうやら彼は、自らの意思でここに留まっているらしい。
(そう言えば……。セバスさんが聖騎士に連行されるとき、会長がそんなことを言っていたっけな……)
ぼんやりとだけど、そのときのことを覚えている。
しかし、この現状から判断するに……彼女は間違いなく、セバスさんのことを忘れている。
なんというか……ちょっとだけ不憫に思えた。
「そんな昔のことなんてどうだっていい! それよりもお前の大好きなシィが、政略結婚の道具に使われているんだ!」
「後十時間もしないうちに、帝国の大貴族と結婚させられるんですけど……!」
リリム先輩とフェリス先輩は、ガラスを叩きながら大きな声でそう叫んだ。
「……は?」
セバスさんは信じられないといった表情でポカンと口を開けた。
「……リリム、フェリス。知っていると思うが、僕は冗談が大嫌いだ。あまりふざけたことを言っていると真剣に怒るぞ?」
柔和な笑みを浮かべた彼は、身震いするほどの殺気を放ち始めた。
「じょ、冗談なんかじゃない! 実際にもう、シィはこの国にいない!」
「こんな性質の悪い冗談、言うわけないんですけど……!」
「嘘じゃないんだな?」
セバスさんは鋭い目付きでそう問い掛け、二人は同時にコクリと頷いた。
「……そうか、わかった」
彼はスッと立ち上がり、ガラスの前までゆっくりと歩く。
そして次の瞬間、
「――シッ!」
彼は目にも留まらぬ速さで右腕を振るい、強化ガラスをまるで紙のように引き裂いた。
「「「「「なっ!?」」」」」
そうして難なく脱獄を果たした彼は、大きく伸びをした。
(やっぱりこの人は、かなり強いぞ……っ)
十八号さんは割り箸を剣に見立てて、鉄格子を切断したそうだけど……。
セバスさんは素手で、強化ガラスを叩き斬ってみせた。
「こ、このガラス……滅茶苦茶高いんすよ……っ」
クラウンさんはがっくりと肩を落とし、床に落ちたガラス片を大事そうに抱えていた。
そんな中――セバスさんはジロリとこちらに目を向けた。
「数か月ぶりだが、アレンは相変わらず『人外の道』を突き進んでいるようだな……。それだけ大きな力を抱えながら、よくもまぁ理性を失わないものだ……」
彼はそんなことを口にしながら、何故か呆れたように肩を竦めた。
(そう言えば、以前にも同じようなことを言われた気がするな……。この人、もしかしてゼオンのことを知っているのか?)
俺がそんなことを考えていると、
「まぁいい、これはアレンの問題だからな。――さて、会長を救い出すためにはどう動けばいい? 指示をくれ」
セバスさんはそう言って、真っ直ぐ俺の目を見た。
「まずはドレスティア近郊の『幻霊研究所』へ向かって、『スポット』を見つけます。スポットというのは、皇国と帝国を行き来できるものと考えてください。俺たちはそれを利用して帝国へ侵入し、式場であるヌメロ=ドーランの本宅を襲撃します。そうして会長を救出した後は、行きと同じ様にスポットを使って帰還します」
「……なるほど、悪くないな」
「クラウンさんの話によれば、後十時間ほどで式が始まるそうです。正直、もうあまり時間がありません。このまますぐに出発したいんですが……大丈夫でしょうか?」
「無論だ。こうしている今も、会長はきっとつらい思いをなさっている……っ。一分一秒でも早く、彼女を救い出すぞ……!」
「はい!」
こうして全ての準備を整えた俺たちは、幻霊研究所リーンガード支部へ向かったのだった。