千刃学院と大五聖祭【七】
大波乱の大五聖祭から二日後の昼頃。
この国の都――オーレストの中央にそびえ立つ『五学院会館』の最上階にて、緊急の理事長会議が開かれた。
五学院の理事長が一堂に会するこの建物周辺には、厳しい交通規制が敷かれ、警備にあたる聖騎士の数は膨大であり、またその質も最高水準であった。
まさにネズミ一匹通さない厳戒態勢。
最上階のVIPルームに集まる五名は、この国の顔役ばかり。
千刃学院のレイア=ラスノート。
氷王学院のフェリス=ドーラハイン。
その他三学院の理事長と、そうそうたる顔ぶれが並ぶ。
議題は大五聖祭の第二試合――アレン=ロードル対シドー=ユークリウスの戦い。
そこで見られた明白なルール違反二件の処分であった。
この会議の進行を任されたのは、五学院と全く利害関係の無い『政府』側の老紳士。
彼は通りのいい渋い声で、採決の結果を発表する。
「――それでは賛成五票、反対零票により、氷王学院シドー=ユークリウスを一か月の停学処分と致します」
「「「「「異議なし」」」」」
これにはレイアを含めた全理事長の意見が完全に一致していた。
審判の制止を無視し、相手選手へ致死性の攻撃を実行したこと。
結果としてはアレンが防御したため未遂に終わったが、誰の目にも明らかなルール違反であり、処分は避けられない一幕だ。
シドーの処分についての議論は早々に決着し、会議はようやく今日の本題へと移る。
「――それでは続きまして、千刃学院アレン=ロードルの処分について検討したいと思います。まずは彼を最も重い『退学処分』に処すか否か。時間は三十分、じっくりお話しくださいませ」
老紳士がそう言った次の瞬間、理事長たちは口々に意見を述べ始めた。
「そんなもの退学に決まっているだろうが!」
「右に同じですな。むしろ殺人未遂として、聖騎士へ引き渡してもいいぐらいかと」
「え、えっと私は……その、退学でも仕方ないのかなぁ……っと」
「うんうん、あの子がうちんとこのシドーにしたこと考えたら……退学はやむをえんねぇ」
「待て! あのときのアレンは、完全に心神喪失状態だった! 責任能力があるとは思えんぞっ!」
一対四。
数の上では、レイアは完全に不利な状況に置かれていた。
「心神喪失状態と言われましてもなぁ……それは彼が単に未熟なだけでは?」
「右に同じですな。五学院の生徒たるもの、常に自らを律しなければなりません」
「え、えっと……やっぱり、自分を見失うのはよくないかなぁ……って」
「うーん……。映像を見る限り、シドーともちゃんと意思の疎通はできてたみたいやし……。それはちょっと苦しいのと違う、レイアちゃん?」
「……っ」
レイアは言葉に詰まった。
(ぐっ……)
彼女は下唇を噛み、何かこの盤面をひっくり返す妙案が無いか思考を巡らせた。
しかし――レイアはどちらかと言えば頭脳労働が苦手であり、口もそう上手くない。
そんな彼女が曲者ぞろいの理事長たちを説得するのは、客観的に見て不可能なことだった。
それを本能的に悟った彼女は、早々に『言葉』による説得を諦め、最も単純かつ原始的な手法で訴えた。
「もし――もしここでアレンを退学処分にするというのならば」
レイアから凄まじい『圧』が発せられ、この場にいる全員が思わず息を呑んだ。
「この私とやり合うことになるが――いいんだな?」
稚拙で幼稚――策とも言えない策だが、その実これは何よりも効果的な一手だった。
『黒拳のレイア=ラスノート』の名と、その武勇を知らぬほど無知な者はこの場には存在しない。
「ぐ……っ」
「ぬぅ……っ」
「ひ、ひぇぇええ……っ!?」
「おー、こわっ!」
レイア=ラスノートという突き抜けた『個』は、たとえ五学院の一つを相手取ったとしても――五分以上の戦いを演じることができる。
常識的に考えれば、これはただの脅し――子どもがこねた駄々にしか見えないだろう。
なぜなら、たとえそれが実行可能だとしても、たかだか一人の生徒を庇うために五学院を敵に回すことはあり得ない。
利益と損失のつり合いが取れないからだ。
だが、「レイアならばやりかねない」――そんな考えが四人の理事長の脳裏をよぎった。
実際その昔、彼女がまだ若かりし頃。
『紅の雨』という大規模犯罪組織が、レイアの親友とも呼べる剣士に大怪我を負わせた。
その知らせを聞いた彼女は憤慨し、周囲の反対を押し切って単身で組織の本部へ突撃した。
その結果、長年聖騎士たちが手を焼いていた『紅の雨』は、たった一夜で壊滅した。
レイアの最も有名な武勇の一つである。
この世界には様々な力が存在するが、最後にものをいうのは結局のところ武力なのだ。
そうして誰も彼もが口をつぐんだところで、ピピピっとタイマーが鳴った。
静かにタイマーの音を止めた老紳士は、ゴホンと一つ咳払いをする。
「それでは『千刃学院が生徒アレン=ロードルの退学処分の可否』について、採決を行います。レイア様から左隣へ一人ずつ、彼の退学に『賛成』か『反対』かの意見表明をお願い致します」
こうしてアレンの運命を大きく左右する採決が始まった。
「断固として反対するっ!」
レイアは大きな声ではっきりとそう宣言し、次の理事長へ順番が回る。
「え、えーっと……っ。そ、その……わ、私は……っ」
基本的に中立な立場を取ることの多い彼女は、賛成と反対の間で揺れていた。
それを敏感に察知したレイアは、わざとらしく右の指を「ゴキッ」と鳴らす。
「ひぃ……っ!? は、ははは、反対ですぅ……っ!」
先ほどまで賛成派に属していた彼女は、レイアの武力を前に屈した。
それを見た賛成派は「裏切り者めっ!」と一斉に彼女を睨み付けた。
その後に続く二人は、
「賛成に決まっとろうがっ!」
「右に同じですな。儂も賛成じゃ」
アレンの退学を強く望んでおり、即座に「賛成」と言い切った。
反対二票。
賛成二票。
完全に真っ二つに割れたこの状態で、最後の票を持つものは――フェリス=ドーラハイン。
本件の被害者的立場にあり、さらに学生時代の因縁からレイアとは犬猿の仲にある彼女であった。
(ぐっ……ここまでか……っ!?)
(ふふっ、勝ったな……っ!)
レイアが歯を食いしばり、賛成派の二人が口角を吊りあげた。
そして、次の瞬間。
「うん、反対でございます」
フェリスはニッコリと笑い、アレンの退学に反対の一票を投じた。
これを受けた老執事は、即座に採決の結果を宣言する。
「賛成二票。反対三票。――反対多数により、アレン=ロードルの退学処分は否決されました」
その瞬間、アレンの退学を強く推していた二人は激昂し、机を殴り付けた。
「ば、馬鹿なっ!?」
「なんなんだこの茶番はっ!?」
彼らは土壇場で意見を翻した二人を睨み付けた。
「どういうことだ貴様等っ!?」
「話と違うぞっ!」
そう。
この二人はレイア以外の全理事長に接触し、アレンを退学処分にするよう口裏を合わせていたのだ。
しかも、フェリスに対してはアレンの退学に賛成してもらうべく、多額の裏金まで回していた。
彼らが激昂するのも無理もない話だった。
顔を真っ赤に染め上げた彼らは、『裏切り者』を憤怒の形相で睨み付ける。
「ふぇ、え、えーっと……その、ご、ごめんなさぁい……っ!」
寸前でレイアの武力に屈した理事長は、目尻に涙を浮かべながら机に突っ伏した。
一方のフェリスは悪びれる様子は微塵も無く、涼しい顔をしたまま口を開く。
「えぇ、確かに話は聞きました。聞くだけですけどねぇ……。誰も『わかった』とは一言も言っとりゃしませんよ」
そう言って、その細い狐目をさらに細めてクスクスと笑った。
「き、貴様……っ。『茶菓子』を受け取ったであろうが……っ!」
ここでの茶菓子とは、二人の間でのみ通じる『裏金』の隠語である。
するとフェリスは、
「ん? あぁ、アレはおいしくいただきましたよぉ、おおきになぁ」
あくまで本来の意味の『茶菓子』を受け取ったとして、たった一言の礼で済ました。
「ぐっ……こ、この『女狐』め……っ! いったい何を考えているんだ、お前はっ!」
「いやねぇ、私も最初はアレンを退学にしたろぅ思てたんやけど……。うちのシドーがねぇ……」
そう言って彼女は、反対に票を投じた理由を語り始めた。
「今朝方にねぇ、まだ入院しとるシドーに「アレンを退学にしてくるわぁ」て言うたら、「お嬢、あいつは次の大会で俺様がぶち殺すからやめてくれ」って……。あのプライドの高い子が、頭下げて頼んだんよぉ」
フェリスはそのときの彼の姿を思い出し、「にへら」とだらしなく笑みを浮かべた。
「もぉその姿が可愛くて可愛くて……っ! 仕方なしにお願いを聞いてあげることにしたんよ」
シドーは元々スラム街で生まれた孤児であり、様々な巡り合わせがあって、当時五歳の彼をフェリスが保護した。
その後、放任し過ぎたせいで少しばかりヤンチャに育ったが、フェリスは彼のことを本当に可愛がっていた。
シドーも自身を育ててくれたフェリスには強い恩義を感じており、彼女のことを「お嬢」と呼んで慕っている。
我が子のように可愛がっているシドーの『頼み』と、年老いた理事長からの『依頼』。
両者は天秤にかけるまでも無かった。
「ぐっ、この愚か者どもめが……っ!」
「なぜ先を見れぬ……っ。これは将来の大きな損失だぞ……っ」
こうまでして二人がアレンの退学を望むのは、ひとえに録画映像で見た彼の力を恐れたからである。
シドーの魂装<孤高の氷狼>を歯牙にもかけず、圧倒的な身体能力で蹂躙する様はまさに圧巻。
そして極め付きは、あの絶大な力を秘めた黒剣。
シドーの展開した見事な防御術<氷瀑壁>をものともせず、易々と貫通して見せた。
それも映像では複数本の存在が確認されている。
(くそっ……。これでもし千刃学院が息を吹き返してみろ……っ)
(苦労して、やっとこぎつけた『理事長職』を追われてしまうではないか……っ)
彼らは自らの保身のために、アレンの退学を望んでいたのだ。
『五学院の理事長』という立場は、例えるならば甘美な蜜のようだ。
その絶大な権力と社会的影響力を前に、誰も表立って彼らに逆らおうとするものはいない。
それ故、この立場を狙う者は多い。
一瞬でも隙を見せれば――大五聖祭のような大会で成績不振に陥れば、それを理由に追放されかねない。
実際、今年度は千刃学院の理事長が職を追われたばかりだ。
彼らとて、自らが育て上げた生徒たちに絶対の自信がある。
決してあのアレンに勝てないとも思わない。
――だが、危険な芽は出ない内に摘み取ってしまうのが最善だ。
千刃学院の強化を許すことは、相対的に自分たちの弱体化につながる。
だから彼らは、未知の脅威であるアレンを何とか退学に追いやりたかった。
全てはただ『五学院の理事長』という地位を守るために。
そうして賛成派の二人が悔しさに震えている頃、レイアはホッと胸を撫で下ろしていた。
(なんにせよ、助かったな……)
そうして彼女が大きく息をついたところで――老紳士が口を開く。
「では、続きましてアレン=ロードルの具体的な処罰について検討していきたいと思います。時間は三十分、じっくりお話しくださいませ」
退学こそ免れたものの、大五聖祭のルールを破ったアレンには何らかの処罰が下される。
その後、何とかしてアレンの処罰を軽くしようとするレイア。
より厳しい処分を求める賛成派二人。
その間を右往左往する気弱な中立派一人。
面白おかしく盤面を引っ掻き回すフェリス。
五人の理事長による討論は壮絶を極めた。
■
ピッピッピッという規則的な機械音によって、俺は意識を取り戻した。
(……っ)
消毒液のツンとしたにおい。
人工的なまばゆい光。
目の前に広がる真っ白な天井。
どうやら俺は、仰向けになって寝かされているようだ。
「うっ……。こ、ここは……?」
首だけを動かして周りの様子を窺うとそこには――リアとローズの姿があった。
二人は椅子に座ったまま上半身を俺のベッドに乗せて、スヤスヤと規則的な寝息を立てていた。
見知った友人を見つけたことで、少し心が落ち着いた。
二人を起こしてしまわないようゆっくりと上体を起こし、ベッドボードにもたれかかる。
「そうか、病院か……」
俺の胸には電極が貼られており、ベッドの横には心電計が置かれていた。
ピッピッピッという音は、俺の鼓動に合わせて横線が上下する音だった。
「あの後、どうなったんだろう……」
シドーさんが俺の首元へ突きを放った後のことは……正直、ほとんど覚えていない。
ただ、俺の中に潜む『ナニカ』が楽しげに暴れ回っていたことだけは記憶している。
そのとき俺は、深くて暗い水の中に沈んでいた。
とても、とても眠たかったことを覚えている。
でも何故か、絶対に寝てはいけないような気がした。
そうしてウトウトとしながらも必死に眠気と戦っていると、リアの声が聞こえた。
声のした方へ顔を向けると――俺はリアに剣を向けていた。
俺は死に物狂いでもがいた。
水の中で必死にもがいてもがいてそして――気が付いたら、元の世界へ戻っていた。
(アレはいったい、なんだったんだろう……?)
そうしてあのときのことを思い返していると、
「う、うぅん……っ」
リアが目をこすりながら、ゆっくりと上体を起こした。
「おはよう、リア」
「っ!? あ、アレンっ! 意識が戻ったのねっ!」
大きく目を見開いた彼女は、ギュッと俺を抱き締めた。
「く、苦しいよ、リア……っ」
「よかった……本当によかった……っ」
彼女は震えた声で何度も何度もそう呟いた。
(心配させた、よな……)
心配を掛けてしまった罪悪感と、彼女がここまで自分を心配してくれている嬉しさが混ざり合って、少し複雑な気持ちだった。
でも……とりあえず、これだけは言っておかなくてはならない。
「え、えーっと、その……。あ、当たってるんだけど……っ」
「……当たってる? ……っ!?」
『何が』当たっているのかを正確に理解した彼女は、頬を真っ赤に染めてバッと離れた。
そして両手を胸の前で交差させ、ジト目でこちらを睨んだ。
「……あ、アレンのえっち!」
「そ、そんな横暴な……」
そうして俺が苦笑いを浮かべていると、
「ん……っ。……アレン?」
ローズが目をこすり、ゆらゆらと上体を揺らしながら起き上がった。
相変わらず朝は弱いらしく、普段の凛とした空気はどこにもない。
加えて頭頂部からピンとアホ毛が立っていた。
本当に芸術的な寝ぐせの悪さだ。
「おはよう、ローズ」
「……おはよう。……もう大丈夫なの?」
彼女は少し舌ったらずな口調で、俺の身を案じてくれた。
「あぁ、多分だけどもう平気だ」
不思議なことにあれだけ大量の傷を負ったにもかかわらず、俺の体にはどこにもその跡が見当たらなかった。
(これも……アイツの力なのか……?)
俺の体を乗っ取り、力の限り暴れ回った『ナニカ』。
(本当に、アイツはいったい何者なんだ……?)
自分の胸に手を当て、そんなことを考えていると、突然病室の扉が開かれ、
「おっ、意識が戻ったのか、アレン!」
いつもの黒いスーツに身を包んだレイア先生が姿を見せた。
「ほれ、見舞いの品だ。食欲が湧いたら食べるといい」
そう言って先生は、右手にぶら下げたビニール袋を手渡した。
チラリと中身を確認すると、そこに入っていたのは――三房のバナナだった。
(た、確かに健康にいいとは聞くけど……)
正直、こんなにたくさんはいらない。
しかし、こういうのは気持ちが大切だ。
「ありがとうございます。後でいただきます」
そうして素直にお礼を言うと、先生はニッと笑った。
すると、
「――そんなことよりもレイア! 結局、アレンはどうなったの!?」
「早く教えて!」
二人はバッと立ち上がり、先生の元へ詰め寄った。
「……?」
いったい何をそんなに急かしているのだろうか?
一人状況を理解できていない俺が首を傾げていると、
「まぁ落ち着け。まずはアレンにあの後のことを説明するのが先だ」
それから先生は、大五聖祭の顛末を教えてくれた。
あの後、意識を失った俺とシドーさんはすぐに病院へ運ばれた。
二人とも瀕死の重傷だったが、なんとか一命は取り留めた。
両陣営の重大なルール違反により、千刃学院と氷王学院の試合は両者失格となった。
そして今日、二人の処分を決める理事会が開かれた。
先生が話を終えた途端に、
「それでアレンはどうなったのっ!?」
「早く教えて」
リアとローズはすぐさま『答え』を求めた。
多分これは、理事会が下した俺への処分を聞いているのだろう。
先生は一度ゴホンと咳払いをし、口を開いた。
「アレンには――一か月の停学処分が下った」
「……停学? 退学じゃなくて『停学』なのね!?」
「う、嘘じゃない?」
「あぁ、何とか停学にまで抑え込んだよ。……正直、かなりギリギリだったがな」
「「よ、よかったぁ……」」
リアとローズは、まるで自分のことのようにホッと胸を撫で下ろした。
「ただ、少し言いにくいんだがな……。連帯責任として、リアとローズにも一か月の停学処分が下った」
「そ、それはおかしくないですかっ!?」
二人はあの試合に一切かかわっていない。
それどころか、大五聖祭の試合に出場すらしていない。
これはあまりに不当な処分だ。
「いいわよ、それぐらい構わないわ」
「問題ない」
二人はそう言ったが、俺は納得ができなかった。
「どうしてリアとローズが停学処分になるんですか!? 理由を教えてくださいっ!」
すると先生はポリポリと頬を掻きながら、一応の説明をしてくれた。
「文字通り『連帯責任』という奴だな。同じ千刃学院の代表選手でありながら、アレンの暴走を止められなかった――というのが表向きの理由だ」
彼女は話を続ける。
「しかし、その狙いが千刃学院の戦力低下であることは間違いないだろう。うちを含めた五学院はどこもこれから先の一か月『魂装の習得』という最も大切な授業を行う。その期間を丸々潰すのが目的だな。リアとローズ――うちの将来の主力選手を弱体化させておきたいんだろう」
「全く、ずる賢いことを考える奴等だよ……」――そう言って先生は肩を竦めた。
「リア、ローズ……ごめんな」
二人に迷惑を掛けてしまったことを、俺は素直に謝罪した。
「そ、そんなの気にしなくていいわよ! アレンが元気で、しかも退学にならずに済んだんだからっ! 今日はお祝いよ、お祝いっ!」
「大丈夫、何も気にしなくていい」
その後、珍しいことにレイア先生が謝罪の言葉を述べた。
「いや正直に話すと、これはアレンの責任ではない……完全に私の失態だ。二人の停学は、私がもう少し弁論に長けていればいくらでも防げた……っ」
そう言って彼女はグッと拳を握り締めた。
どうやら何か思うところがあったらしい。
「――ただ一つだけ言い訳をさせてもらえるならば、あの頑固ジジイ二人が本当にしつこかったんだ。私の失言をネチネチとしつこく追及してきやがった……。結局最後は乱闘騒ぎになって、いいように話の流れを持って行かれた……。恥ずかしながら、我を忘れて何を話したかすら記憶に無い……。確かに覚えているのは『絶対にいつかこの二人の顔面をジャガイモのように凹ませてやる!』と心に誓ったことだけだ……」
そう言って先生は懺悔するように全てを詳らかに語った。
(……どうやらリアとローズが停学を食らった責任は、レイア先生にもありそうだな)
会議中に我を忘れて怒鳴り散らす彼女の姿は容易に想像ができた。
すると、
「そ、それって連帯責任じゃなくて……」
「うん。はっきり言って、先生がいいようにやられただけ」
リアとローズの情け容赦無いツッコミが先生を襲った。
「は、はは……っ。こ、これは手厳しいな」
彼女はガシガシと頭を掻きながら、右へ左へと視線を泳がせた。
そうして話が落ち着いてきたところで、リアが少し困り顔で問いかけた。
「でも停学一か月ってことは、その間ずっと寮にいなくちゃいけないってこと?」
「それはさすがに体が鈍る……」
確かに……一か月も寮に閉じ籠っていては、体が鈍ることは間違いない。
「安心しろ。その点については、既に十八号に考えさせたから問題ない」
「せ、先生が考えたんじゃないんですね……」
「ふっ、当たり前だ。私に頭脳労働は無理だからな!」
先生は何故か自信満々に、なんの臆面も無くそう言った。
「さて早速だが、君たちにはこれから一か月『魔剣士』となってもらう」
「ま、魔剣士……ですか?」
魔剣士とは市民や商人から依頼を引き受け、その報酬で生活を送る人々のことだ。
昔は「神聖なる剣術を金儲けの道具に使っている」として、卑賤な職業だと差別されていた。
しかし、近年は状況が変わり、そう言った差別意識はほとんどなくなった。
実際に高等部を卒業した人の実に三割もの生徒が魔剣士に就くというデータもあるという話だ。
「あぁ。とはいっても魔剣士としてお金を稼ぐのではなく、『無償』で依頼を引き受けるんだ。言ってみればボランティアみたいなものだな。害獣駆除や要人の護衛など、少々荒事が想定されるものを選ぶといいだろう。君たちほどの実力があれば、そう危険も無いし――何より実戦経験は今後必ず君たちの財産となる」
「でも、停学処分を受けた俺たちがそんな大手を振って外を歩いていたら、問題にならないでしょうか?」
「全く問題ない。私が『罰としてボランティア活動を強制させた』という体を取るからな。千刃学院の理事長である私が生徒に下した『罰』だ。これに対する異議申し立ては政府が定めた『理事長権限』への干渉となり、政府管轄の聖騎士によって厳正に処罰される。――うんうん、さすがは十八号。やはりあいつを拾ってきたのは正解だな!」
そう言って先生は満足げに頷いた。
(十八号さんはこうしている今も、寝る間を惜しんでずっと働いているんだろうな……)
彼のした犯罪行為は決して許されるものではないが……少しだけ不憫に思えてしまった。
「ふーん、魔剣士かぁ……。前から少し興味があったのよね」
「害獣駆除とか、いいかもね」
リアとローズは魔剣士の仕事に乗り気なようだった。
それを見るとほんの少しだけ、気持ちが楽になった。
そんな少し浮ついた雰囲気に釘を刺すように、先生はゴホンと咳払いをした。
「今話した通り、これから君たちには魔剣士として学院の外で活動してもらうわけだが――くれぐれも黒の組織には気を付けるように」
黒の組織。近年国内を賑わせている大規模犯罪組織だ。
薬物の製造・密輸、人身売買、要人の暗殺――様々な犯罪行為に関与している。
聖騎士がその誇りにかけて組織の撲滅に動いているが……結果は芳しくない。
首謀者、本拠地、その目的に至るまで、全く何の情報も掴めていないのが実情だ。
「はい、わかりました」
「確かに、あそことは関わりたくないわね……」
「大丈夫、わかってる」
そうして全員がその忠告を聞き入れたところで、先生はパンと手を打った。
「とりあえず、アレンの体調が完全に回復し次第。すぐにでも魔剣士として活動を始めてもらうつもりだが……異存はないな?」
「はい」
「もちろんよ!」
「魔剣士、ちょっと懐かしいな」
こうして魔剣士としての、俺の新たな生活が始まろうとしていた。
■
この国の都――オーレストから東へ進んだところに、ドレスティアという大きな街がある。
ここは『商人の街』とも呼ばれ、多くの豪商が居を構え、通りには派手な看板を掲げた露店がいくつも立ち並ぶ。
大通りでは昼夜を問わず、人の往来が途切れることはなく、活気のいい客引きの声が絶えず響き渡る。
時刻は深夜二時過ぎ。
ドレスティアでも一際人通りの少ない路地裏で、一人の男が狂ったように笑いながら、ひたすら『ナニカ』を足蹴にしていた。
「あは、あははは、あははははははっ!」
「……っ」
それはかつて百花繚乱流最強と謳われた男。
しかし、既にボロ雑巾のような状態にあり、蹴られてもわずかにうめき声をあげるだけだった。
そこへ仕事を終えた彼の先輩が注意を促す。
「お、おい新入り! もういい、やり過ぎだっ! とっととずらかるぞっ!」
男の足はピタリと止まり、人懐っこい笑みを浮かべた。
「あはぁ、すみません……。楽しくなっちゃって、つい……」
こんな凶行を起こした人物は、意外にも素直に謝った。
その口は喜悦に歪んでいるが、黒いフードを目深にかぶっているため、いったいどんな表情をしているのかは正確にわからない。
「こっちだ、急げ……っ!」
そうして彼は、全身黒尽くめの服を着た十人の仲間とともに、事前に用意しておいた馬車へ駆け込んだ。
彼らが大事そうに抱える風呂敷には、まばゆい輝きを放つ金銀財宝がこれでもかと詰め込まれていた。
黒装束の集団は巷を騒がせる『黒の組織』の末端であった。
上から指示されたものを始末し、指示された通りに仕事をこなす――鉄砲玉のような使い捨ての存在。
だがその中で、何度も元の場所へ戻って来る優秀な鉄砲玉があった。
「あはぁ……今日はいい夜だなぁ……」
先ほど楽しげに笑いながら、動かなくなった肉塊をひたすら踏み続けていたこの男だ。
末端にいる者は、誰一人として彼の素性を知らない。
しかし、ただ一つ――恐ろしく強いということだけは知っていた。
裏稼業においては、それだけが全てであった。
それだけで彼は、一定の信用を置かれていた。
彼は馬車に乗り込む前に摘んでおいた一輪の花を取り出し、その花びらを一枚一枚千切り始めた。
「――好き、大好き、好き、大好き、好き……大好きっ!」
花占いの結果に満足した彼は、両手で自分の体を抱いて身悶える。
一陣の風が吹き、黒いフードがとれた。
特徴的な青い髪は後ろでまとめられ、月明かりに照らされたその素顔には――大きな太刀傷があった。
その傷を除けば目鼻立ちはきちんと整っている。
元々は端正な顔立ちであり、生まれも良かったことから剣術学院の女生徒にも人気があった。
花弁の無くなった花を口へ含んだ彼は、恍惚とした表情でその顔にある大きな傷跡を愛おしそうに撫でた。
「あはぁ、やっぱりそうだよ……っ! 僕たちはずっと昔から運命の赤い糸で結ばれているんだよ……っ! ねぇ、君もそう思うでしょう……アレェン?」