アレン細胞と政略結婚【十九】
俺は両足に力を込め、クラウンさんの元へ一歩踏み出す。
(よし、いけるぞ……っ)
これぐらいの『重さ』なら、なんとか移動するぐらいはできそうだ。
(後、五メートル……!)
そうして重たい体を引きずって、着実に距離を詰めていくと、
「ぐ……っ!?」
一歩また一歩と踏み出すごとに、体にのしかかる重さが増していった。
「あぁ、一つ言い忘れていましたが……。ボクに近付けば近付くほど、体にかかる斥力は強くなっていきます。さっ、残り三メートル――後もう一息っすよ」
クラウンさんはそう言って、意地の悪い笑みを浮かべる。
(なるほど、中々いい性格をしているな……っ)
後出しに次ぐ後出し――どうやら、そう簡単に勝たせる気はないらしい。
(くそ、負けてたまるか……っ)
それから俺は歯を食いしばって、クラウンさんの元へにじり寄って行く。
そして互いの距離が後わずか一メートルに迫ったところで、
「まさか『素の状態』でここまで近付くとは……。もはや驚きを通り越して呆れ返るっすね……」
彼はそう呟き、<不達の冠>を床に突き立てた。
「――不達の紋章」
次の瞬間、俺の足元に淡い光を放つ魔法陣が浮かび上がった。
「な……っ!?」
それと同時に、これまでとは桁違いの超強力な斥力が降り注ぐ。
(お、重い……っ!?)
足が根を張ったように全く動かない。
指一本動かすことすら難しい。
地面に這いつくばらないよう、二本の足で立っているのがやっとの状態だ。
(くそ、本格的に……潰しに来たな……っ)
そうして俺がクラウンさんを睨み付けると、
「こ、こんなの卑怯よ! 自分は魂装を使うくせに、アレンは禁止だなんて……これじゃ最初から勝ち目なんてないじゃない!」
「リアの言う通りだ。『ゲーム』として著しく公平性を欠いている。いくらなんでも、少し不公平が過ぎるぞ?」
リアとローズはそう言って、同時に抗議の声を上げた。
「卑怯? 不公平? 何を寝ぼけたことを言っているんすか……。君たちが相手にしようとしているのは、神聖ローネリア帝国――黒の組織の総本山だ。正々堂々なんて通用する相手じゃない。卑怯で当たり前、不公平で当たり前なんすよ。そんな甘えたことを言っていると、命がいくらあっても足りないっす」
クラウンさんはこれまで見せたことのない、ひどく冷たい目をして淡々とそう言った。
「「……っ」」
その有無を言わさぬ迫力に、リアとローズは押し黙る。
そうして二人を制したクラウンさんは、一人静かに語り始めた。
「ボクは……いえ、ボクも君には、とても期待しているんですよ。ですが、今はまだ早い……早過ぎだ」
彼はそのまま話を続ける。
「アレンさんは『大方の予想』を上回り、信じられない速度で成長してきた。しかし、数段飛ばしで進んだ結果『正しい順序』で力を獲得できていない。今の君は、ひどくアンバランスな状態だ。そんな未成熟なまま帝国へ行くなんて、自殺行為にしか思えない」
彼はそう言って、床へ突き立てた魂装に手を乗せた。
刀身がズズッと床に沈み込み、それと同時に全身を襲う斥力が一気に増す。
「ぐ……っ!?」
「この際はっきり言っておきましょうか。そもそも君を帝国に行かせる気なんて、さらさらありません」
クラウンさんは爽やかな笑みを浮かべ、魂装に体重を乗せた。
「……っ!?」
その瞬間、凄まじい重みが全身を襲い、俺はついに膝を突く。
「……まだ意識があるのか。あまり無理をせず、早めに降参してくださいね? 生身の人間なら、とっくに圧死するほどの出力なんすから……。いくら君の精神と肉体が化物染みていても、生身じゃさすがに死にますよ?」
その後、まるでなぶり殺しにするかのように、斥力は徐々に徐々に強くなっていった。
骨が軋み、筋肉が断裂していく。
痛みがゆっくりと全身を包み込んでいく、まさに地獄のような時間だ。
(だけど、それがどうした……っ)
会長は一人涙を流しながら、あの手紙を書いた。
俺たちに別れも告げず、一人で帝国へ発った。
どれだけ辛かっただろうか。
どれだけ苦しかっただろうか。
どれだけ助けてと叫びたかっただろうか。
彼女はあの小さな体で、そのを全て飲み込んだ。
国のため、家のため――そして俺たちのため、一人犠牲になる道を選択した。
(その心の痛みに比べたら……この程度どうってことない……っ!)
俺は膝を突いたまま、ゆっくりクラウンさんの元へにじり寄る。
すると、
「こ、ここまでやってまだ動けるのか……!?」
今日初めて焦りを見せた彼は、慌てて魂装に体重をかけた。
刀身がズズズッと床へ沈み込み、その全てが隠れてしまった。
「な、ぁ……っ!?」
それと同時に、降り注ぐ斥力はこれまでの倍以上に膨れ上がる。
(まず、い……っ)
あまりの痛みに視界が霞み始めた。
(くそ……っ。後、ほんのちょっとなのに……っ)
両者の距離はわずか五十センチ、手を伸ばせば届きそうな距離だ。
クラウンさんを少しでも移動させれば、その時点で俺の勝ちが決まる。
(ここから先は……忍耐力の勝負だ……っ)
剣術の才能のない俺が、唯一誇れる長所――忍耐力。
(体はもう限界だが……。心はまだ折れてない……っ)
思い出せ、あの地獄を。
十数億年、ひたすら剣を振り続けたあの極限状態を。
思い出せ、会長の心の痛みを。
一人で全てを背負い込んだ彼女の苦しみを。
(この程度の『重み』なんて、大したことない……っ。こんなところで……負けてたまるか……!)
俺は死力を振り絞り、グッと拳を握り締めた。
「そこを……どけぇ゛……ッ!」
そうして死に物狂いで、右手を前に伸ばした次の瞬間、
「こ、『この力』は……!? がは……っ!?」
クラウンさんはまるで『見えない力』に突き飛ばされるように、大きく後ろへ吹き飛んだ。
それと同時に全身を襲っていた斥力が消える。
「はぁはぁ……。や、やった……勝ったぞ……っ!」
最後いったい何が起こったのかは、わからないけど……。
とにかく俺は、クラウンさんとの真剣勝負に勝利したのだった。