アレン細胞と政略結婚【十四】
ロディスさんの屋敷にお邪魔した俺たちは、彼の後に続いて長い廊下を進んでいく。
(さすがはアークストリア家、やっぱり凄いお金持ちだな……)
床にはいかにも高級そうな赤い絨毯が敷かれ、左右の壁には名画めいた雰囲気を放つ絵画が掛けられている。
(しかし、妙だな……)
こんな広いお屋敷なのに、さっきから全く人の気配がしない。
(使用人の一人や二人いても、おかしくなさそうなんだけど……)
そんなことを思いながら歩いていると、
「――ここだ」
ロディスさんはそう言って、とある部屋の扉を開く。
そこは応接室のような、シンプルな部屋だった。
大きな黒いソファが二脚、その間に上品な木製の長机が一台置かれているだけ。
『話し合いの場』としての機能しか持たない、とても簡素部屋だ。
「立ち話もなんだ、座ってくれ」
彼はそう言いながら、奥のソファへどっかりと腰を下ろす。
俺たちは「失礼します」と断りを入れてから、その対面にゆっくり座った。
「さて、アレン=ロードルよ――貴様、『政略結婚』についてどこで知った? この一件は『国家機密』だぞ」
彼は鋭い目をこちらに向け、まるで詰問するかのようにそう問うてきた。
「……情報源については、お話できません」
ここで安直にレイア先生の名前を出せば、彼女は理事長の地位を追われてしまうかもしれない。
「ふん、まぁいい……。それでいったい何の用だ?」
「はい。実はシィさんの件について――」
俺がそう口を開いたそのとき、
「おい、ロディスさん! このままじゃシィが、ヌメロとかいう変な男に取られちまうんだぞ!? 本当にそれでいいのかよ!?」
リリム先輩は、我慢ならないといった風にそう叫んだ。
すると次の瞬間、
「――いいわけないだろう!」
ロディスさんは大声を張り上げ、握りこぶしを机に振り下ろした。
凄まじい轟音が鳴り、机は真っ二つに叩き割られた。
「あんなくだらん下種男に……愛しい娘を渡してたまるか! この私が直々に出向き、結婚式をぶち壊しにしてやるつもりだ!」
彼は鼻息を荒くして、そう捲し立てた。
どうやら彼は我慢に我慢を重ねて、なんとか平然を装っていたようだ。
応接室がシンと静まり返る中、俺は一つ質問を投げ掛けた。
「直々に出向くと言っても、どうやって神聖ローネリア帝国まで行くつもりですか? 当然ながら、飛行機や船の類は使えませんよ?」
帝国は国の指定する渡航禁止国の一つだ。
空路・水路ともに利用することはできない。
「それについては問題ない。影使いドドリエル=バートンの『影渡り』を利用するからな」
「「「なっ!?」」」
予想外の名前が飛び出し、俺とリアとローズの三人は思わず目を丸くした。
「一般に知られてはいないが、世界各地にはドドリエルの作った『スポット』が点在する。これは地中や海中にできた『影』を利用し、二点間を一瞬で移動可能な優れものだ」
……どうやらドドリエルは、俺の知らないところでいろいろと暗躍しているようだ。
「帝国への直通スポットは、既に押さえてある。移動方法の問題は、解消済みというわけだ」
「……なるほど」
どうやらロディスさんはそのスポットで帝国へ潜入し、会長を救い出した後は同じ方法で帰還するつもりのようだ。
「しかし、いったいどこでそんな情報を……?」
「――餅は餅屋。闇の情報の仕入れ先など、決まっているだろう」
「もしかして……リゼさん、ですか?」
ロディスさんはコクリと頷く。
「かなり無理を言って、『血狐』との面会を取り付けた。あいつは本当になんでも知っているからな。情報の対価として全財産の七割を持っていかれたが……おかげで準備は整った」
彼はグッと握りこぶしを作り、闘志に満ちた目でそう言った。
すると、ここまで黙って話を聞いていたリアとローズが続けざまに質問を投げ掛ける。
「でも、敵陣のど真ん中へ乗り込むなんて……あまりにも無謀じゃありませんか?」
「それに『アークストリア家の当主』がそんな暴挙を働けば、帝国はこちらに牙を剥くのではないか?」
「無謀であることは、百も承知だ。それに案ずるな――帝国を襲撃した犯人が私だという証拠は、どこにも残らんよ。なにせ当日は、アレを腹に巻いていくからな」
彼の視線の先には――輪状に連なった大量の爆弾があった。
「「「「「なっ!?」」」」」
「シィの奪還に失敗した場合、私は即座に自爆するつもりだ。木っ端微塵にはじけ飛び、身元の特定は不可能とする。そして成功したときは、それこそ何の問題もない。貴族にとって『面子』は、命よりも大事なものだ。たった一人の侵入者に花嫁を奪われた――そんな不名誉な事件は、どんな手を使ってでも闇に葬るだろうからな。つまりどちらにせよ、リーンガード皇国と帝国の上辺だけの友好関係は残り、天子様に迷惑は掛からんという寸法だ」
ロディスさんは『死』を覚悟した、恐ろしいほどに静かな目で淡々とそう言った。
「ど、どうして……っ。どうしてそこまで天子様に尽くすんですか!?」
俺には、理解できなかった。
政治や外交といった複雑な事情があったのかもしれないけれど……天子様は会長を帝国へ売った。
ロディスさんからすれば、最愛の娘が売られたのだ。
それなのに……こうまでして天子様を庇う理由が、全くもって理解できなかった。
すると、
「――『伝統』だ。我らアークストリア家は数百年にわたり、先祖代々『天子様』を御守りしてきた。その長きにわたる『時の重み』、私の一存で無に帰すことはできん……っ」
ロディスさんは目を閉じながら、重々しい口調でそう説明した。
(……数百年、か)
十数億年という長きにわたって、ひたすら剣を振り続けた俺からすれば……それはほんの短い時間だ。
しかし、一般的にはとてつもなく長い時間だろう。
それこそロディスさんを雁字搦めに縛れるほどには。
「そ、それだったら私も加勢するぞ! 帝国だろうが、どこだろうが……地獄の果てまで行ってやるさ!」
「シィは小さい頃からの大事な友達……。当然、私も行くんですけど……っ!」
リリム先輩とフェリス先輩は勢いよく立ち上がり、ロディスさんに協力を申し出た。
しかし、
「――駄目だ。これは『アークストリア家』の問題だ。部外者を巻き込むわけにはいかん」
彼はそれをすげなく断り、応接室の扉を開けた。
「さぁ、話は終わりだ。私はこれから決戦に備えて霊力を整える必要がある。――もし本当にシィのことを思うのならば、作戦の成功を祈ってこのまま静かに帰ってくれ」
「「……っ」」
『本当にシィのことを思うならば』――そう言われたリリム先輩とフェリス先輩は、歯を食いしばってコクリと頷く。
「……帰ろ、みんな」
「……力になれそうには、ないんですけど」
目に見えて気落ちした二人は、力なく応接室を後にした。
「あっ、ちょっと先輩……っ」
俺とリアとローズは、慌ててその後を追う。
そこから先は重苦しい空気のまま廊下を通り過ぎ、俺たちは屋敷の外へ出た。
そして立派な扉が閉められる直前、
「……ありがとう。君たちのようないい友人を持って、シィは本当に幸せ者だ」
ロディスさんは最後にそう言って、その武骨な顔で笑顔を作ったのだった。