アレン細胞と政略結婚【八】
ケミーさんが研究を開始してから一時間後。
「ふ、ふふ……。ふふふふふ……っ。見つけた……ついに見つけましたよ!」
彼女は一本の試験管を天高く掲げながら、高らかにそう叫んだ。
「見つけたって、もしかして……!?」
「呪いの治療法ですか……!?」
俺とリアは、すぐにそう問い掛けた。
「はい! アレンくんの細胞を様々な試薬を使って調べたところ、普通の人間には存在しない『特殊な細胞』が見つかったんですよ! そうですね……ここでは便宜上『アレン細胞』と呼びましょうか」
ケミーさんは小躍りしそうなほど上機嫌に、自分の大発見を語り始めた。
「『これだ!』と確信した私は、すぐに検証を始めました。患者から提供を受けた赤黒い――呪いに犯された皮膚組織へ、アレン細胞を塗布したんです。その結果は……当たりも当たりの大当たり! 呪いはたちまちのうちに解けたんですよ!」
彼女は鼻息を荒くしてそう語り、
「そしてこのアレン細胞を元にして作った新薬が――こちらです!」
机の上に置かれた軟膏を指差した。
「これは抗炎症成分にアレン細胞を配合した試作品第一号! 次の患者には、早速これを使ってみましょう!」
「い、いきなり人間の体で試すんですか!?」
「あはは、大丈夫ですよ。アレン細胞は皮膚組織に対し、それはもう完璧に無害でしたから。万に一つも、人体に悪影響はありません!」
彼女はそう言って、机の上に置かれたおびただしい数のプレパラートへ目を向けた。
どうやらあの試作品を使って、既に様々なテストを行っていたようだ。
「そうですか、わかりました……!」
『世界一の医学博士』がここまで言うんだ、きっと大丈夫だろう。
「ふふっ、世紀の瞬間はもうすぐそこですよ……っ!」
ケミーさんはそう言って、次の患者を招き入れた。
ハロルド=ラーセン、八十五歳。
昼夜を問わず、強烈な倦怠感が全身を襲うという『消力の呪い』に掛かった男性だ。
二年ほど前に農作業をしている際、魔獣に左足を咬まれたことが原因らしい。
「それでは、失礼しますね……」
俺は試作品第一号を長い綿棒ですくい、赤黒く変色した彼の左足へ塗布した。
すると次の瞬間――赤黒い紋様はみるみるうちに消えていき、綺麗な元の皮膚へ戻った。
見た目の上では、どこからどう見ても呪いは解けている。
後は実際のところ、ハロルドさんの体から倦怠感が抜けたかどうかだ。
「ど、どうでしょうか……?」
俺が恐る恐る問い掛けると、
「おぉ、こいつは凄いな……! 体の気だるい感じが一気に吹き飛んだよ!」
彼はそう言って、活力に漲った笑みを浮かべた。
「そうですか、それはよかったです!」
研究は成功――アレン細胞を配合した試作品第一号は、呪いに対して有効だったようだ。
それからハロルドさんが部屋を退出した後、
「――ぃやったーっ! ついに、ついに呪いの治療法を発見しました! これは人類史に残る超大発見ですよ!」
ケミーさんは両手をあげて、小さな子どものようにはしゃぎ回った。
「やりましたね、ケミーさん!」
「おめでとうございます、ケミーさん!」
「ありがとうございます! アレンくんとリアさんが協力してくれたおかげで、医学はとても大きな一歩を刻むことができました!」
そうして互いに喜びを分かち合ったところで、
「とりあえず――急いで天子様へ報告しましょう! これがあれば、多くの命が救われますから!」
俺はすぐさま立ち上がり、第三研究室を飛び出そうとした。
すると、
「――ちょ、ちょっと待ったぁ!」
ケミーさんは突然、大きな声を張り上げた。
「ど、どうかしましたか?」
突然の行動に俺が目を丸くしていると、彼女はとても真剣な表情でゆっくりと口を開いた。
「アレンくん、少し……。いえ、とても大事なお話があります……っ」
「な、なんでしょうか……?」
これほど真剣な顔をしたケミーさんは、一度として見たことがない。
(い、いったいなんの話があるんだ……!?)
そうして俺がゴクリと唾を呑み込んだ数秒後、
「この研究……失敗したことにしませんか?」
ケミーさんはとんでもないことを口にした。
「え、えっと……?」
正直、彼女が何を言っているのかわからなかった。
研究は成功した。
人類は呪いに打ち勝った。
それを失敗したことにするとは……いったいどういう意味だろうか?
「製薬市場というのは……ぶっちゃけ儲かります。呪いに対して絶対的な効果を発揮する『アレン細胞』、そしてそれを応用した新薬の特許――これはもう『一億ゴルド』なんて目じゃないほどの莫大なお金を生みます……っ!」
彼女は暗い笑みをたたえながら、ねっとりと話を続けた。
「この『対呪治療研究』は、リーンガード皇国の国策として行われています。もしここでアレン細胞と新薬を発見してしまえば……その権利は全て天子様のものになる。そういう契約になっているんですよ」
ケミーさんはそう言って、懐から『対呪治療研究に関する誓約書』を取り出した。
「このままでは『世紀の大発見』をしたにもかかわらず、たかが一億ゴルドという『はした金』を手にして終わります。それならばいっそ、この研究を失敗したことにしませんか? そして後日、私とアレンくんが別のプロジェクトを立ち上げ、そこで偶然『アレン細胞』を発見したということにするんです! そうすれば権利は全て私のも――し、失礼! 二人のものとなって、莫大なお金が転がり込んできます! そうですね……分け前は私とアレンくんで『七対三』ぐらいでどうでしょうか?」
(こ、こいつ……っ)
まさに吐き気を催す邪悪。
自分の利益のためだけに周囲の命をまるで顧みない、どこまでも腐り切った意見だ。
彼女は『一億ゴルド』という多額の報酬では飽き足らず、さらなるお金をせしめようとしているようだ。
まさに欲望の塊。
イドラたち白百合女学院の生徒が、ほとほと愛想を尽かしたのも頷ける。
「……ケミーさん」
「あ、アレンくん……!」
「ふざけたこと言ってないで、さっさと天子様に報告しますよ」
これまで長年呪いに苦しめられた人たちにとって、この新薬はまさに希望だ。
(もしもケミーさんが、アレン細胞に関する特許を持てば……)
きっと新薬の値段を意のままに吊り上げ、自分の利益のために好き放題することだろう。
それだけは、絶対に阻止しなければならない。
「ぐ……わ、わかりました……っ。今回の研究は確かにアレンくんの寄与するところが、とても大きい……。さすがに七割は少し欲をかいてしまいました。それでは――私とアレンくんで六対四というのは、いかがでしょうか……!?」
……どうやらこの人は、本当に全く何もわかっていないらしい。
「よし。天子様のところへ行こうか、リア?」
「えぇ、そうね!」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ!? ……わ、わかりました! 半分! 分け前は、きっちり半分ずつにしますから!」
その後、あの手この手で俺を丸め込もうとするケミーさんを引きずって、天子様の元へ連れていったのだった。