アレン細胞と政略結婚【六】
機械の準備を終えたケミーさんは、手元のマイクへ向けて声を発した。
「――これより『対呪治療研究』を開始します。それでは『一番』の方を連れて来てください」
するとその直後、部屋の扉がゆっくりと開き――二人組の聖騎士が担架を運び込んだ。
彼らは診察台の上に患者ごと担架を乗せ、すぐに説明を始めた。
「この方はグイン=アルノルトさん、六十五歳。長い時間を掛けてゆっくり四肢の自由を奪われていく『侵食の呪い』に蝕まれた患者です。焼けるような痛みが全身を襲うため、毎日強力な鎮痛剤を服用しています。しかし、最近はその効果も薄く、今日明日が峠だと言われております」
「発症したのは、三十五歳の夏頃。魔剣士の仕事中、魔獣に右腕を咬まれたことが原因です。その後、例の赤黒い紋様は右腕から全身へ広がっていきました。そして三十年が経過した今、自力での歩行はおろか顔を上げることもできない状態です」
そうしてグインさんの状態を説明した聖騎士は、懐から取り出した分厚い紙束をケミーさんに手渡した。
「より詳細な情報については、こちらの資料にまとめてあります。もしよろしければ、ご活用くださいませ」
「ありがとうございます」
彼女はそう言いながら、恐ろしい速さで資料に目を通していった。
「なるほどなるほど、いきなり『侵食の呪い』ですか……。これはまた強烈なのが来ましたね……」
難しい表情を浮かべたケミーさんは、グインさんと資料を交互に見つめた。
どうやら彼に掛けられた呪いは、相当重たいものらしい。
「さて、それではアレンくん。こちらの準備はもうばっちりなので、治療を始めてください。一応注意しておきますが……さっきも言った通り、この研究は持久戦です。闇を使う量は、必要最低限に抑えてくださいね?」
彼女はそう言って、巨大な顕微鏡のような機械を覗き込んだ。
「はい、わかりました。――グインさん、少し失礼しますね」
俺は一言そう断りを入れてから、彼の服に手を掛けた。
呪いの掛かった場所には、赤黒い紋様が浮かび上がる。
理屈はよくわからないけど……とにかくそこへ闇を纏わり付かせれば、一瞬で呪いは解けるのだ。
そうして彼の服をまくり上げた俺は――思わず言葉を失った。
「こ、これは……っ」
そこには一面、赤黒い紋様が広がっていた。
魔獣に咬まれた右腕は、完全に赤黒く染まり切っている。
そこから最も離れた左足と左腕だけが、辛うじて皮膚の色が残っているといった具合だ。
(ま、まさかここまで酷いとは……っ)
そうして俺が言葉を失っていると、
「な、なぁ、先生……。お、俺は……本当に、治るのか……?」
グインさんは荒い呼吸を繰り返しながら、虚ろになった目でそう問い掛けてきた。
彼はまるで希望に縋りつくように、頼りげない藁に手を伸ばすように――まだ呪いに犯され切っていない左手をこちらへ伸ばす。
俺はそんな彼の手を――強く握り締めた。
「――安心してください。絶対に治してみせますから」
この闇は『魔族』の呪いすら寄せ付けなかった。
魔族の下位種族『魔獣』の呪いならば、たとえどれだけ重篤な症状であっても治せるはずだ。
「それでは、始めますね」
俺は意識を集中し、グインさんの全身へ闇を纏わり付かせた。
薄く柔らかく、悪いものを消すような感覚で。
すると――赤黒く変色した肌は、みるみるうちに元の美しい肌へ戻っていった。
「ほ、ほぅほぅ……っ!」
機械を通してその様子を観察していたケミーさんから、興味深そうな声があがる。
俺はそれを横目に見ながら、グインさんへ声を掛けた。
「無事に呪いは、解けました。……お体の具合はどうでしょうか?」
すると、
「あ、あぁ……う、動く……動くぞ……っ!」
彼は診察台に寝そべったまま、右腕を動かしてみせた。
(……やっぱり、立つことはできないか)
長年寝たきりの状態だったため、全身の筋肉がひどく衰えているようだ。
こればっかりは、リハビリをして筋肉を鍛えるしかない。
「す、凄い……っ! 俺の腕が、指が、足が……ちゃんと俺の体が……動くぞ……!」
だが、それでも――彼がとてつもない喜びに包まれているのは、誰の目にも明らかだった。
すると、
「ふむふむ、なるほどなるほど……」
ケミーさんは顕微鏡のような機械から目を離し、何やら考え込み始めた。
「……どうでした? 何かわかりましたか?」
「いえ、さすがにまだ何もわかりません。ただ、とても面白いものを見ることができました」
「面白いもの、ですか……?」
「はい。呪いが解けるその瞬間――赤黒い紋様は、まるでアレンくんの闇を避けるようにして、自壊した風に見えたんですよねぇ……」
「俺の闇を避けるように……?」
「えぇ、とても興味深い反応でした。次はちょっと別の機械を使って、皮膚の表面細胞にどういった反応が起こっているのか、もっと詳しく調べていきますねー」
彼女は別の機械を操作しながら、二人組の聖騎士へ声を掛ける。
「すみません、次は『二番』の方をお願いします」
「「はっ!」」
彼らはすぐに動き出し、担架に乗せられたグインさんを外へ運び出そうとした。
するとその瞬間。
「――ちょ、ちょっと待ってくれ!」
グインさんは突然、大きな声をあげた。
「ど、どうかしましたか? まだどこか痛みますか?」
「いや、もう大丈夫だ……! そうじゃなくて……先生、あ、あんた名前を教えてくれないか……!?」
彼は鬼気迫る勢いで、俺の名前を問うてきた。
「え、えーっと……。アレン=ロードルです」
「アレン=ロードルさん、だな……。その名前、絶対に一生忘れねぇ……っ。ありがとう、あんた凄ぇ人だ……本当に、本当にありがとう……っ!」
長年呪いに苦しめられたグインさんは、心から感謝の言葉を述べた。
「元気になって、本当によかったです。リハビリ、頑張ってくださいね」
俺がそう言うと、彼は嬉しそうに笑った。
「このデカい恩は、いつか必ず返させてもらうぞ……! 首を長くして、待っていてくれよ……っ!」
「――はい、そのときをずっと楽しみに待っていますね」
そうして無事に健康体となったグインさんは、部屋の外へ運び出されたのだった。