アレン細胞と政略結婚【三】
天子様は優雅な所作で立ち上がり、部屋の真ん中に置かれた四人掛けのテーブルセットへ移動した。
「――立ち話も何ですし、どうぞお座りください」
彼女はそう言って、飾り気のない木製の椅子に腰掛ける。
その背後には、屈強な二人の聖騎士が静かに佇んでいた。
(天子様の護衛なんだろうけど……)
いったいどういうわけか、彼らは強い敵意を俺に向けていた。
その重心はつま先に置かれており、ともすれば斬り掛かってきそうな勢いだ。
天子様の護衛とはいえ……この警戒ぶりは明らかに異常だ。
(な、何か失礼なことをしたかな……?)
俺がそんなことを考えていると、
「――ガンソ、エヴァンズ。客人に対してその態度、褒められたものではありませんよ」
天子様は鋭い口調で、二人の護衛へ注意を飛ばした。
「も、申し訳ございません、天子様……」
「……失礼いたしました。つい気を張り過ぎてしまったようです」
二人の護衛――ガンソさんとエヴァンズさんは、そう言って謝罪を口にしたけど……。
彼らは依然として、こちらを睨み付けたままだった。
「はぁ……。申し訳ございません、アレン様。どうやら二人とも、『例の一件』で少々過敏になっているようです」
「例の一件……? ……あぁ、なるほど」
例の一件とは、天子様が俺を襲ったあの事件のことだろう。
よく見れば――ガンソさんとエヴァンズさんは、暴走したアイツの闇に腹部を貫かれた二人だった。
(彼らからすれば、自分を刺した相手と天子様が仲良く話しをするというわけか……)
当然、気が気じゃないだろう。
この異常な警戒と敵意にも納得がいく。
「ねぇ、アレン。何かあったの……?」
例の一件を知らないリアは、不思議そうに小首を傾げた。
「あぁ、ちょっとな……。大したことじゃないから、あまり気にしないでくれ」
「そう? アレンがそう言うなら……」
そうして異常な警戒についての話がひと段落したところで、
「「――失礼します」」
俺とリアは目の前の椅子に腰を下ろし、話し合いの場についた。
すると、
「――アレン様。突然のお呼び立てにもかかわらず、こうして宮殿まで足を運んでいただけたこと、とても感謝しております。リア様もご同行いただき、ありがとうございます」
対面に座る天子様は、そう言って小さく頭を下げた。
「本来ならばこのような客室ではなく、もっとちゃんとした場を設けたかったのですが……。昨日の今日ということもあり、まだ復旧工事が完了しておりません。その点については、ご容赦いただければと思います」
「いえ、お気になさらないでください。俺はむしろ、こういう普通の部屋の方が落ち着きますから」
「ふふっ、そう言っていただけると助かります」
こうして簡単な挨拶が終わったところで、
「本日アレン様をお呼びしたのは――魔族ゼーレ=グラザリオの一件について、すぐにでもお話ししたいことがあったからです。早速ですが、まずは現在の国際情勢について、情報共有をさせていただければと思います」
天子様はゆっくりと話を始めた。
「昨日の皇帝バレル=ローネリアの放送から、予想されているかもしれませんが……。やはり五体の魔族は、五大国へ同時に放たれていたようです」
五大国とは――ここリーンガード皇国・リアのヴェステリア王国・ポリエスタ連邦・ロンゾ共和国・テレシア公国、五つの国の総称だ。
これらの国は互いに友好条約を結び、『悪の超大国』神聖ローネリア帝国を仮想敵に置いている。
(しかし、本当にとんでもないことになったな……)
今回の事件は、神聖ローネリア帝国が五大国全てに弓を引いた――とてつもない大事件らしい。
(こんなの下手をすれば、五大国と神聖ローネリア帝国――世界全土を巻き込んだ戦争になりかねないぞ……)
俺がそんな恐ろしい未来に気を重くしていると、
「その結果として――テレシア公国が落とされました」
天子様はとんでもないことを口にした。
「「なっ!?」」
五大国の一つが落とされた。
これは小国『晴れの国ダグリオ』が支配されたのとは、比較にならないほどの大事件だ。
「どうやら皇帝バレル=ローネリアの狙いは、テレシア公国だったようです……。あそこには魔族の他に神託の十三騎士が三人、加えて影使いドドリエル=バートンが送られたそうです」
「神託の十三騎士が……三人も……!?」
恐ろしい力を持つ魔族に加えて、国家戦力級の剣士が三人。
さらにそこへ、厄介な『影』の力を持つドドリエル。
五大国の中で最も戦力が乏しいとされるテレシア公国では、到底処理しきれないほどの巨大戦力だ。
「ドドリエルはその功をもって、神託の十三騎士へ昇格。ちょうど欠けていたレイン=グラッドの後釜に収まったようです」
「そう、ですか……」
あまりに衝撃的な話だったので、俺は思わず言葉を失った。
すると、
「ヴェ、ヴェステリアは――他の国はどうなったんですか!?」
リアは顔を真っ青に染めながらそう言った。
ヴェステリアには彼女の父――グリス=ヴェステリア陛下がいる。
幼少時に母を亡くしたリアにとって、グリス陛下は唯一の肉親。
きっと不安で胸がいっぱいになっているのだろう。
「ご安心ください、リア様。ヴェステリア王国は、運よく事なきを得たようです」
「う、運よく……ですか?」
リアはホッと胸を撫で下ろしながらも、『運よく』という奇妙な表現に引っ掛かりを覚えた。
「はい。どうやら、あまり好戦的な魔族ではなかったようです。こちらに入ってきた情報によれば――直接的な戦闘は無く、対話によって問題は解決したとのことです」
どうやら魔族も一括りにできるものではないらしい。
ゼーレのように人間を『劣等種族』と見下し、苛烈に攻撃を仕掛けるものもいれば――ヴェステリアを訪れた魔族のように、理性的なものもいるようだ。
「そ、そうですか……」
リアはそう言って、ホッと胸を撫で下ろした。
「よかったな、リア」
「うん。ありがとう、アレン」
そうしてヴェステリアの無事を確認したところで、俺は他の国について尋ねることにした。
「ところで天子様、他の五大国は――ポリエスタ連邦とロンゾ共和国は、どうなったんでしょうか?」
「そちらもご安心ください。両国とも大きな被害を受けたそうですが……。現地に急行した『七聖剣』が、無事に殲滅したそうです」
「なるほど、さすがですね……」
七聖剣――聖騎士が誇る人類最強の七剣士だ。
およそ人間離れした身体能力。
戦闘に特化した強力な魂装。
その実力は圧倒的で、黒の組織ですらもそう易々と手を出せない存在と評判だ。
「現在神聖ローネリア帝国に与する魔族は、アレン様が撃退したゼーレ=グラザリオが一体。ヴェステリア王国との対話によって、矛を収めたものが一体。テレシア公国を落としたものが一体。合計三体となっております」
そうして現在の窮状を端的にまとめた天子様は、
「ここリーンガード皇国の被害は、アレン様のおかげでとても小さいものでした。しかし、ポリエスタ連邦・ロンゾ共和国の両国は……はっきり言って壊滅的な状況です」
深刻な被害状況について語り始める。
「魔族は呪法と呼ばれる恐ろしい力を使い、多くの人々に呪いを振りまきました。いまだ解呪の方法さえわからない未知の力……。それによってポリエスタとロンゾの人たちは――いいえ、私たち人類はとてつもない窮地に追いやられています」
そうして一通りの話を終えた彼女は、真っ直ぐ俺の目を見つめた。
「そこで――アレン様に『お願い』があります」
「お願い、ですか……?」
「はい。あなたの呪いさえ寄せ付けない不思議な『闇』を――ぜひ、調べさせてはいただけないでしょうか?」
彼女は真剣な表情で、そんな願いを口にしたのだった。