招待状と魔族【四】
アイツの殺気が、瞬く間に空間を侵食していく。
それは恐ろしく濃密で、ともすれば呼吸を忘れるほどのものだった。
すると次の瞬間、
「きゃぁ……っ!?」
天子様の魂装が粉々に砕け散り、彼女はそのままベッドから転げ落ちた。
それと同時に、隠れていた四人の護衛が一斉に飛び出す。
「なんというおぞましい殺気だ……っ!?」
「やはり噂通りの男だったか……」
「天子様に対して、何たる狼藉か……この不届きものめ!」
「死んで罪を償え……!」
魂装を握り締めた彼らは、凄まじい速度で殺到してきた。
おそらくは政府が抱える上級聖騎士。
それも天子様の護衛を任されるほどの精鋭たちだ。
(く、そ……っ)
俺はまだ天子様の<愛の奴隷>から、完全に抜け出し切れていない。
揺れる視界。
薄弱な意識。
仰向けという不利な態勢。
はっきり言って、状況は最悪だ。
それでもなんとか必死に上体を起こしたところへ、
「「「「――死ねぇええええっ!」」」」
鋭い四つの斬撃が、四方から放たれた。
(回避は――無理だ。防御も間に合わない、か……。だったらせめて、闇の衣だけでも……っ!)
そうして闇を纏おうとした次の瞬間――俺の意思とは関係なく、闇の影が発動した。
(なっ!?)
勝手に動き出した漆黒の闇は、一呼吸の間に護衛たちが持つ魂装をバラバラにした。
「「「「なっ!?」」」」
そしてその流れで――いとも容易く四人の腹部を貫いた。
「か、は……っ!?」
「なに、が……?」
「ば、馬鹿な……っ」
「あり得ん、ぞ……」
魂装を粉微塵にされ、致命傷を負った彼らはその場に倒れ伏す。
(な、なんて威力だ……っ!?)
俺の闇の影とは比べ物にならない。
文字通り、桁違いの破壊力。
(今のは間違いなく、アイツが放った闇の影だ……っ)
俺がその圧倒的な暴力に息を呑んでいると――闇は再び自立して動き始めた。
まるで鞭のようにしなるそれは、床に倒れた四人の首へ狙いを定めている。
「――や、やめろ!」
自分の意識をはっきりと持ち、アイツの干渉を断ち切るべくそう叫んだ。
すると次の瞬間――闇の影は消滅し、張り詰めた殺気が消えた。
(あ、危なかった……っ)
レイア先生の言っていた通り、アイツは俺の意識がはっきりしている間はその行動を強く制限されるようだ。
(とにかく、急いで治療しないと……っ)
闇の影に腹部を貫かれた四人は、意識不明の重体だ。
このまま放っておけば、一分と経たないうちに死んでしまうだろう。
俺はいまだぼんやりとする意識に鞭を打ち、彼らの腹部へ闇を伸ばした。
すると、
「「「「う、うぅ……っ」」」」
彼らの傷はみるみるうちに塞がっていき、あっという間に綺麗な体へ戻った。
多分、後数分もすればみんな目を覚ますだろう。
(ふー……。これで一安心だな……)
大きく息を吐き出すと、おぼろげだった意識が徐々にはっきりとしていく。
それから落ち着いて周囲を見回せば――なんと部屋一面がどす黒い闇に覆われていた。
あのときは気付かなったけど、どうやらアイツの闇は広範囲に漏れていたようだ。
箪笥にベッド、壁に天井――その全てが深淵のような黒に染め上げられていた。
(しかし、これは強烈だな……)
よほど『魂の世界』に踏み入られたのが、気に食わなかったのだろう。
ヘドロのようにこびり付いた闇からは、凄まじい怒気が感じ取れた。
(確か、崩壊した千刃学院もこんな風に黒くなっていたっけか……)
俺がそんな少し昔のことを思い出していると、
「ちょ、ちょっとどうして開かないのよ……っ!」
天子様はそう言って、ドアノブを必死にガチャガチャと回していた。
(あれは、開きそうにないな……)
扉にはびっしりと闇がこびり付いており、周囲の壁と完全に同化していた。
あれなら多分、壁を斬った方が早く出られるだろう。
「お願い、誰か……っ! 誰か助けて……っ!」
天子様は軽いパニックを起こしているのか、漆黒の扉を何度も何度も必死に叩いた。
その手は傷だらけになっており、扉を叩くたびに鮮血が舞う。
アイツの闇は、体から離れた今なお危険なようだ。
(とにかく、天子様に落ち着いてもらわないとだな……)
そう判断した俺は、なるべく優しい声色で声を掛けた。
「――天子様。何も怖いことはありませんから、一度落ち着いてください」
そうして一歩前へ進むと、
「い、いや……。こ、来ないで……っ」
顔を青くした彼女は、その場で腰を抜かしてしまった。
どうやら……怖がられてしまったようだ。
俺は天子様を刺激しないようその場で足を止め、少し距離を取ったまま話を続ける。
「わかりました。それでは、ここから動きません。その代わり――あなたの治療ぐらいはさせてください。そんな状態で放っておくと化膿してしまいますから」
俺は傷を治してあげるために、彼女の方へ闇を伸ばした。
しかし、それを見た天子様は、
「い、いや……やめて……っ。ご、ごめんな、さい……っ。私が、悪かったです……っ」
小動物のように震え、目元に涙を浮かべながら謝罪の言葉を述べた。
どうやらこの様子だと……先ほど暴走した闇が大きなトラウマになっているようだ。
(ど、どうしたものかな……)
俺がポリポリと頬を掻いていると、
「――て、天子様!? 今のお声はいったい!?」
「大丈夫ですか!? どうかお返事をしてください!」
部屋の外から、複数の男の声が聞こえた。
おそらく騒ぎを聞きつけた上級聖騎士たちだろう。
そこで俺は、ようやく自分の置かれた絶望的な状況に気が付いた。
(これ……かなりマズくないか?)
漆黒に染まり、荒れ果てた室内。
腹部を血で真っ赤に染め、意識を失った四人の護衛。
そして――涙目で許しを請う天子様。
(これじゃどこからどう見ても、完全に俺が悪者じゃないか……っ!?)
外にいる護衛が入ってきたが最後――終わりだ。
この様子だと……天子様が『本当のこと』を話すとは到底思えない。
きっとすぐに「アレン=ロードルを捕えろ」と護衛たちに命令するはずだ。
そうなった場合、俺は国家反逆罪に問われ――死刑は免れないだろう。
(や、やばい……)
全身から血の気が引いていく。
俺のような地位も権力もただの一般市民が「冤罪だ」と叫んだところで……きっと誰も耳を貸してくれない。
片やゴザ村の農民。
片やリーンガード皇国の天子様。
国民がどちらの言葉を信用するか、法廷がどちらの証言を信じるか――そんなもの、わざわざ考えるまでもない。
(い、いったいどうすれば……っ!?)
そうして俺が頭を抱えたそのとき――部屋の外から巨大な爆発音が響き、それと同時に数多の悲鳴が上がった。