招待状と魔族【三】
部屋の鍵をかけた天子様は、悠々と俺の前を横切ってベッドへ腰掛けた。
「――なにしているの? そんなとこに突っ立ってないで、早くここへ座りなさい」
天子様はそう言って、ポンポンとベッドを叩いた。
どうやら、あそこに座れということらしい。
「わ、わかりました……」
俺は軽く周囲を見回しながら、ベッドの方へ歩いていく。
(……掛け軸の裏に一人。箪笥の中に一人。クローゼットの中に一人。ベッド奥のレース裏に一人。合計四人か……)
耳を澄ませば、いくつもの小さな呼吸音が聞こえる。
まず間違いなく、天子様の護衛を任された剣士だろう。
(鍵をかけて二人きりになったように演出しつつ、最低限の備えはしているみたいだな……)
このあたりの周到さは、さすがは天子様と言ったところだろうか。
「――失礼します」
俺は少し距離を空けて、彼女の右横へ腰掛けた。
「あら……? ヴェステリアの王女と一つ屋根の下で暮らしている割に、女慣れしてないのね」
嗜虐的な笑みを浮かべた天子様は、お尻をこちらに寄せ――せっかく空けた距離を詰めてきた。
(ち、近いし……柔らかい……っ!?)
俺の左手の上に柔らかい太ももが乗っかり、それと同時にふわりといいにおいがした。
(お、落ち着け……っ! そもそもなんで天子様は、俺とリアが一緒に住んでいることを……!?)
高鳴る鼓動と混乱する頭――その両方を理性で押さえつけた俺は、ひとまず大きく深呼吸をした。
するとそんな様子をジッと見ていた天子様は、満足気にクスリと笑う。
「ふふっ……ねぇ、アレンはどんな人なの? 聞かせてよ、あなたのこと」
彼女はそう言って、俺の左頬をツンと突いた。
「……質問に質問を返すようですが、どうして俺のことを知りたがるんですか?」
天子様のような天上人が、俺のような一般市民に気を掛ける理由がわからない。
「んー? そうねぇ……最初は単純な興味かしら」
「興味?」
「そ。あなた、けっこう有名人なのよ? 『千刃学院を支配する闇の剣士』、『国家転覆を謀る極悪人』、『黒の組織への加入は秒読み』――ふふっ、どれもひどい噂ばかりで笑っちゃったわ。そんな面白い剣士がいるんだぁって……それでちょっと調べ始めたのよ」
「な、なるほど……」
どうやら俺の悪い噂は、天子様の耳に入るレベルのものだったらしい。
「でも、結果は全て嘘っぱちだったわ。アレンはとことん普通な剣術学院の学生」
「はい。その通りで――」
「――そう見えるよう、高度な情報操作が為されているのよ」
「……は?」
天子様は斜め上の結論へ至ったようだ。
「誰かはわからないけど、あなたの情報を巧みに操っている人がいるわ。適度に目立たせ、適度に嘘を挟み、適度に株を下げ――最終的には、アレン=ロードルを『凡庸』と判断されるようにする高度な情報操作」
天子様は陰謀論めいた無茶苦茶な推理を自信満々に語り始めた。
「これはおそらく、アレンが『上位の神託の十三騎士』や『七聖剣』に目を付けられないようにしているのでしょうね……。あなたが世界へ羽ばたくための手助けをしているような――そんな印象を強く受けたわ」
「え、えーっと……」
……困ったな。
(いったいどこから訂正すればいいんだ……)
今日初めてわかった。
頭のいい人が盛大な勘違いを起こすと――本当に大変だ。
「とりあえず、すぐにでも聞きたいことがあるのだけど……。いいかしら?」
「あっ、はい。どうぞ」
俺がコクリと頷くと、
「――あなたの出身はどこなの?」
意外とシンプルな質問が飛んできた。
「オーレストから遠く離れたゴザ村です」
「……ゴザ村? リーンガード皇国外の生まれ……ということかしら?」
「いえ、確かになにも無い村ですが……。一応ゴザ村は、ちゃんとしたリーンガード皇国の領地ですよ」
ゴザ村の経済規模があまりにも小さ過ぎたのか、天子様はその存在を知らないようだった。
すると、
「はぁ……。私はここリーンガード皇国の天子よ。治める領地については、一ミリの漏れなく把握しているわ。だから、断言してあげる――『ゴザ村』なんて領地は、この国には存在しない」
「……え?」
ゴザ村が……ない?
彼女は、いったい何を言っているんだ?
「い、いやだなぁ……。グラン剣術学院をずーっと北西方向に進んだ先にある小さな村ですよ」
「あなたこそ、何を言っているのかしら……? グラン剣術学院の北西にあるのは、草木も育たないだだっ広い『荒地』よ。それも――もう数十年以上も前からずっとね」
「……は?」
い、いやいや……あり得ない。
ゴザ村は農業の盛んな村で、右を見ても左を見ても畑が広がっている。
そこには母さんや竹爺がいて、魚のたくさん獲れる小川があって――みんなで助け合って生活している。
(そんなゴザ村が……荒地……?)
あり得ない。
きっと天子様の覚え違いか何かだろう。
「それに不思議なのよねぇ……。戸籍を調べても『アレン=ロードル』なんて人物は、どこにも存在しないのよ。もしかしてあなた、外国から来たのかしら……?」
「……え?」
立て続けに投げられるとんでもない質問に、俺は思わず固まってしまった。
「なに、これも秘密なの……? まぁ、いいわ。それじゃ、次の質問にいくわよ」
「は、はぁ……」
それから俺は釈然としない思いを抱きながら、天子様の質問に答えていった。
好きな食べ物。
趣味。
将来の夢。
まるで自己紹介のときにするような、簡単な質問ばかり。
質問されて、答えて――また質問される。
そんな味気ないやり取りが十回ほど繰り返されたところで、
「よし、これで条件クリアね。それじゃそろそろ――私の『下僕』になりなさい!」
天子様は突然、俺の体を押し倒した。
「なっ!?」
彼女は流れるような体捌きでお腹にまたがり、恍惚とした笑みを浮かべる。
「て、天子様……!? いったい何を……!?」
「ふふっ、私ってさ……。あなたのような若くて将来有望で純粋な男を見ると……欲しくなっちゃうのよねぇ……っ」
彼女はそう言って、その冷たく細い指を俺の胸板に滑らせた。
「引き締まったいい筋肉……。ふふっ、これも全て私のものよ」
「お、お戯れはやめてください……っ」
俺が体をねじり、天子様の拘束から抜け出そうとしたその瞬間。
「刻め――<愛の奴隷>」
天子様は人差し指に装着した、長い爪のような魂装を展開した。
(こ、魂装……!?)
いったい何をするつもりかは知らないが……。
相手が天子様とはいえ、さすがにこれは看過できる事態ではない。
「ふふっ、大丈夫よ。そんなに痛くしないから」
彼女はそう言って、鋭く尖った魂装へ舌を滑らせた。
「……刺せるとお思いですか?」
「ふふっ、強がっちゃって……可愛いわねぇ。でも、残念。私はこう見えて、剣術の心得があるの……よっ!」
そうして天子様は、俺の胸目掛けて人差し指を振り下ろす。
(……確かに中々の速度だ)
どうやら剣術の心得があるというのは本当らしい。
だけど――この程度の刃ならば、『闇の衣』でどうにでもなる。
「――ハッ!」
俺は濃密な闇を纏い、彼女の一撃を完璧に防御した。
「痛ぃ……っ!?」
闇の衣に触れた彼女は、苦痛に顔を歪めた。
「す、すみません。大丈夫で――」
すぐに闇を引っ込め、天子様の身を案じたその瞬間。
「――なーんちゃって」
闇の衣が消えた一瞬の隙を狙い、天子様はその人差し指を俺の胸へ突き立てた。
「なっ……!?」
小さな痛みが走り、同時に僅かばかりの血が流れる。
「ふふっ、これであなたは私の忠実な下僕。大丈夫よ、そのうち私のことしか考えられなくなるから」
天子様はギュッと俺を抱き締めながら、耳元でそう呟いた。
(これ、は……っ!?)
俺の中に彼女の意識のような何かが、深く入り込んでくるのがわかった。
(マズい……っ。この感覚は、精神支配系の魂装か……っ!?)
体に力が入らない。
闇も……まともに操作できない。
(く、そ……っ)
そうして意識がぼんやりと薄れていく中、
『てめぇ゛……。誰の許可を得て、俺の世界に踏み込んでんだ……あ゛ぁ?』
ひどく機嫌を損ねたアイツの声が響いた。