招待状と魔族【一】
波乱に満ちたクリスマスパーティが終わり、千刃学院は短い冬季休暇期間に入った。
年末までの数日は、リア・ローズ・クロードさんと一緒に修業漬けの日々。
そして十二月三十一日は、リアと一緒に寮でまったりと過ごす……はずだった。
大晦日当日。
二人で買い出しに出かけたそのとき――彼女は信じられないことを口にした。
「年越しそばを年の数だけ食べれば、次の年は無病息災が約束されるのよ!」
……常識的に考えて十五杯は無理だ。
いくらリアからの頼みといえども、できることとできないことがある。
「アレンも一緒に食べようね!」
そう言って無邪気に笑う彼女の誘いを断るのは、とても大変だった。
その後、話し合いに話し合いを重ねた結果。
俺が年越しそばを八杯、リアが二十二杯食べるというよくわからない案で、なんとかその場は丸く収まった。
二人合わせて合計三十杯、一人換算で十五杯。
果たしてそれに意味があるのか……正直俺にはわからない。
だけど、あのときのリアは嬉しそうだった。
とても嬉しそうに「これで来年も一緒に元気でいられるね!」と笑ってくれた。
だから、死ぬ気で食べたあの八杯のそばは、決して無駄ではなかった。
だから、俺が壮絶な胃もたれと吐き気に苦しんでいるのだって、きっと無駄じゃない……はずだ。
そして迎えた一月一日。
新年早々、俺は胃薬を服用する羽目になった。
理由は言うまでもなく、昨晩山のように食べた年越しそばだろう。
(ふぅ……。少し薬が効いてきたかな……)
俺は大きく深呼吸をして胃腸を落ち着かせながら、先日買ったばかりの礼服に袖を通す。
黒色の背広にコールズボン。
いわゆる『ディレクターズスーツ』と呼ばれる装いだ。
これは年末、俺がリアと一緒に大慌てで買いに走ったものだ。
(それにしても、まさかこんなことになるとはな……)
始まりはそう――あの『招待状』だ。
クリスマスパーティの翌日、俺とリアのもとに一通の招待状が届いた。
それは毎年一月一日、リーンガード宮殿で開催される『慶新会』への招待状。
慶新会は国家の新たな門出を祝う大きな式典であり、リーンガード皇国の君主――天子様も臨席される。
(でも……。そんな大層な式典にどうして俺なんかが……?)
何かの手違いかと思って何度も招待状を確認したが、そこにはしっかり俺の名前が載っていた。
(……リアはヴェステリア王国の王女様だし、慶新会に出席してもなんらおかしいことはない)
だけど、俺はどこにでもいる一般市民だ。
各国の大使や政府のお偉方が出席する慶新会には、はっきり言ってふさわしくない……。
(うっ……。また胃が痛くなってきた……っ)
どうやらこの痛みの原因には、精神的なものもあるようだ。
(はぁ……。なんでこんなことに……)
そうして俺が大きなため息をつくと、コンコンコンと部屋の扉がノックされた。
「――アレン、もう着替えは終わった?」
「あぁ、今終わったところだ」
そう返事を返すと、ゆっくり扉が開き――振袖を着たリアが入ってきた。
「――うん、ばっちりね。とっても似合っているわ!」
上から下までジッと俺の礼服姿を見た彼女は、ニッコリと笑う。
「……あ、あぁ、ありがとう」
リアの振袖姿に意識を奪われていた俺は、返事をするのに一拍遅れてしまった。
気品を感じさせる赤色の着物。
細い腰を縛った金色の帯。
美しい花の刺繍が施された、振八つ口。
艶やかに結われた髪とそこに挿されたワインレッドの花のかんざし。
思わず、言葉を失ってしまうほどに魅力的だった。
「……ふふっ、もしかして見惚れちゃった?」
彼女が冗談めかしてそう言うと、
「……あぁ、とても綺麗だ」
うっかり思っていたことをそのまま口に出してしまった。
「そ、そう、なんだ……っ。あ、ありがと……っ」
「ど、どういたしまして……?」
俺たちは二人して顔を赤くしながら、そんなぎこちない会話を交わす。
その後、
「……」
「……」
互いにチラチラと視線を飛ばし合い、目が合ってはそれを逸らすという、なんとも言えない時間が流れた。
チラリと時計を見れば、時刻は朝の九時。
慶新会の開始が十時だから、もうあまり余裕はない。
「――そ、そろそろ時間だし、行こうか!」
「え、えぇ、そうしましょう!」
そうして俺たちは、どこか空回ったテンションでリーンガード宮殿へ向かったのだった。
■
千刃学院の寮を出てからしばらく歩くと、案外すぐに目的地へ到着した。
入り口で簡単な受付を済ませてから、天子様の御所であるリーンガード宮殿へ足を踏み入れる。
するとそこには――。
「す、凄いな……っ!?」
まるで別世界のような、煌びやかな式典会場が広がっていた。
千刃学院の体育館よりも遥かに広い会場。
柱に貼り付けられた最新式の巨大な液晶パネル。
会場の四隅で存在感を放つ巨大な塑像。
そこかしこに飾られた、名画めいた雰囲気を放つ絵画。
机の上にこれでもかと盛られた、美味しそうな料理。
(な、なんというか、『バラバラ』だ……)
そこには統一性など全く存在せず、ただただ『贅沢なもの』で埋め尽くされていた。
(リアの言った通りだな……)
慶新会のように国家主導で大勢の来賓者を招く式典は、国威を示すために相当派手なものになっているはず――行きしなに、彼女がそう言っていた。
そうして俺がまるで別世界のような会場を見回していると、
「――あら、お久しぶりね。リアさん、アレンさん?」
背後から会長の声が聞こえた。
(ん? ……『アレンさん』?)
呼び方に違和感を覚えつつ、振り返るとそこには――艶やかな振袖に身を包んだ会長が立っていた。
「――新年あけましておめでとうございます、会長」
「会長、あけましておめでとうございます。その振袖とっても綺麗ですね!」
俺とリアが揃って新年のあいさつを述べると、
「新年あけましておめでとうございます。リアさん、アレンさん。――ふふっ、リアさんの振り袖もとっても綺麗でよく似合っているわよ?」
会長は丁寧に頭を下げて、優しく微笑んだ。
(しかし、こんなところで会長と会うとは……。……いや、むしろこれは当然か)
彼女の家は『アークストリア』。
これまでリーンガード皇国の重役を代々輩出してきた、名家の中の名家だ。
おそらく、毎年のように慶新会へ招待されていることだろう。
俺がそんなことを考えていると――。
「――クリスマスパーティの一件で、はっきりとわかりました」
会長は柔らかい笑みを浮かべながら、ジィッと俺の目を覗き込んだ。
(これは……怒っている、な……)
明らかに距離を空けた、他人行儀な口調――彼女が機嫌を損ねていることは、誰の目にも明らかだった。
「え、えーっと……。なにがわかったんでしょうか……?」
嫌な予感しかしないけど、一応聞いてみた。
「アレンさんが――女の子をいじめるのが大好きな『変態さん』だということです」
「な、なるほど……」
新年早々、これまた面倒なことが起こったな……。
俺は小さくため息をつきながら、話の続きに耳を傾けた。
「あのときのアレンさんは、それはそれは意地悪で楽しげな表情でしたよ?」
『あのとき』とはおそらく……俺が小石を持って、会長に『選択』を迫ったときのことを言っているのだろう。
「す、すみません……。でも、意地悪をするつもりは、本当にありませんでした……」
あのときはリアのサンタ帽子が気になって、少々荒っぽい手を取った。
本当にただそれだけであり、そこには一欠片の悪意もない。
「ふんっ、どうだか……。それにこれは二度目、いや三度目ですよ?」
「……三度目?」
「もう忘れたんですか? 一度目は部費戦争で、私に赤っ恥をかかせたこと。二度目はイカサマポーカーで、意地悪をしてフルハウスを配ったこと。――まさか忘れたとは、言わせませんよ?」
「あ、あー……」
そう言えば、そんなこともあったっけか……。
ここ最近、いろいろなことがあり過ぎてすっかり忘れていた。
「とにかく――あなたがしっかり改心するまで、お姉さんはずっとこの喋り方ですからね?」
会長はそう言って、プイとそっぽを向いた。
(こ、子どもだ……)
自分のことを『お姉さん』と自称する割に、その怒り方は完全に小さな子どものそれだった。
(しかし、弱ったな……)
会長が一度機嫌を損ねると、何というかその……とても面倒くさい。
機嫌を取るのも一苦労だし、機嫌を取った後の増長した態度もまた……大変なのだ。
そうして俺がどうしたものかと苦笑いを浮かべていると、
「――シィ、何をしている?」
会長の背後に一人の男性が立った。
「お、お父さんは、あっちに行ってて!」
(お父さん、ということは……)
どうやら彼が会長の父、ロディス=アークストリアのようだ。
「……なるほど、君がアレン=ロードルくんだな」
ロディスさんはこちらを一瞥すると――会長の抵抗を潜り抜けて、俺の前に立った。
「私はロディス=アークスリア。職位は……いや、仰々しい肩書はこの際どうでもいい。君には一つ、言っておかねばらないことがある」
「な、なんでしょうか……?」
それからたっぷり三秒ほどタメを作った彼は、その重たい口をゆっくりと開いた。
「――娘はやらんぞ」
「……え?」
「ふん、とぼけても無駄だ。君がうちの娘とただならぬ仲であることは、とっくの昔に知っている……っ」
「え、えーっと……?」
『ただならぬ仲』って、いったいどういうことだ……?
どう返答したらいいものか困っていると――ロディスさんはグッと歯を食いしばり、プルプルと震え出した。
「娘はな……っ。毎日毎日、君のことを話すんだ……っ。それも本当に楽しそうな顔で……っ!」
「ちょ、ちょっとお父さん!? いったい何を言っているの!?」
会長は顔を赤くして、ロディスさんの肩を強く揺さぶった。
しかし、彼の口は留まるところを知らない。
「それにこの前なんて、今度デートに誘ってみよ――」
「――わ、わーっ、わーっ、わーっ!」
会長は大声を張り上げて、ロディスさんの口をふさいだ。
その顔は耳まで真っ赤に染まっており、今にも火を吹き出しそうなほどだった。
「あ、あああ、アレンくん! こ、これはお父さんが勝手に言っているだけだからね!? 全然そんなことないからね!?」
「は、はぁ……」
「と、とにかくそういうわけだから……! ま、また学校でね……! ほらもう行くよ、お父さん……っ!」
会長はそう言うと――ロディスさんの背中を押して、会場の奥へ消えていったのだった。