上級聖騎士と晴れの国【十四】
神託の十三騎士レイン=グラッドを打ち倒し、赤い雫を破った俺たちが歓喜の声を上げていると――再びポツポツと雨が降り出した。
だが、その勢いはあまりに弱く、小雨と呼ぶのも憚られるものだ。
空を見上げると、王城の周囲だけを薄い雲が覆っており、そこからわずかな雨が降っていた。
間違いない、レインの作り出した雨だろう。
俺がゆっくり振り返るとそこには、
「はぁはぁ……っ」
折れた魂装を握り締める奴の姿があった。
わずかな霊力を注ぎ込み、必死に雨を降らせるその姿には、鬼気迫るものを感じる。
(いったい何が、レインを突き動かしているんだ……?)
俺がそんなことを考えていると、
「――ちっ、おいこらてめぇ! いい加減、無駄な抵抗はやめろ!」
一人の上級聖騎士が、納刀された状態の剣を振り上げた。
すると次の瞬間、
「――や、やめてっ!」
十歳にも満たない小さな女の子が、レインを庇うようにして立ち塞がった。
「な、なんだこいつ……? いったいどこから……?」
上級聖騎士が困惑げに頬を掻いていると、
「――せ、セレナ!? 何故、出てきたんだ!?」
レインは大きく目を見開き、セレナと呼ばれた女の子の肩を揺らした。
「だ、だって……っ。お義父さんがいじめられてたから……っ」
「そう、か……。お前は本当に優しい子だな……」
俺はそんな二人の会話を耳にしながら、軽く周囲を見回した。
すると玉座の間の床が一部だけ、扉のように跳ね上がっているのを発見した。
(……あれは『隠し扉』か)
どうやらセレナは、あそこに隠れていた――いや、隠されていたようだ。
(あの反応からして、間違いないな……)
レインがこうまでして雨を降らせる理由は、あの子にあるようだ。
俺は一歩前に出て、奴に声を掛けた。
「――なぁレイン。もしよかったら話してくれないか? 何か事情があるんだろう?」
何故、黒の組織を『ごみ』とまで言い捨てるこいつが、黒の組織に籍を置くのか。
何故、それほどまでに雨を降らせることに固執するのか。
そして――セレナという謎の女の子。
(俺には、このレインという男が悪人には見えない……)
きっと何か深い事情があるはずだ。
「……っ」
奴はグッと歯を食いしばって周囲を見回し――最後にはセレナを見つめた。
おそらく『彼女の今後』のことを考えているのだろう。
「お前はこの後、聖騎士協会へ連行される。その子のことを考えるなら、隠さずに事情を話した方がいい」
真実を話すのか、黙秘するのか。
その選択次第によって、レインの罪の重さは大きく変わってくる。
それがセレナの処遇に影響を与えることは、間違いないだろう。
そのことを瞬時に理解したレインは、
「…………あぁ、わかった」
長い沈黙の後、コクリと頷いた。
「――俺は昔、小国の紛争地帯で孤児院を開いていた。身寄りのない戦争孤児を集めてな。みんなで助け合って、みんなで生きていく――貧困ながらも幸せな毎日だった……」
思い出を噛み締めながら、レインはゆっくり語り始めた。
「だが、その幸せは一夜にして崩れ去った……っ。あれは忘れもしない、五年前のある日のことだ。その日は本当にいつも通りの平和な一日だった。畑を耕して、お昼ご飯を食べて――それから俺は、月に一度の買い出しへ行った。遠方の闇市でたっぷり一月分の食材を買って帰ると――みんな……魔獣に食われていた……っ。それも俺の目の前でな……っ!」
そのときのことを思い出したのだろう。
奴は声を震わせていた。
「俺はすぐに魔獣どもを皆殺しにしてやったよ……。その後、動かなくなったみんなを埋葬しようとしたそのとき、一人の女の子が息を吹き返した。それが――セレナだ」
そう言ってレインは、震える右手でセレナを抱き寄せた。
「俺はすぐさま病院へ駆け込み、なけなしの金を叩いて治療してもらった。幸いなことに一命は取り留めたが……魔獣は『呪い』という最悪の置き土産を残した」
呪い――魔獣が行使する未解明の力だ。
効果・発動条件・解呪方法――その詳細については、ほとんどわかっていない。
「セレナは『雨の呪い』を掛けられてしまった。これは『雨』が降っている場所では、永遠に無害だ。しかし、ひとたび『雨の外』へ出れば、焼けるような痛みが全身を駆け巡り――やがて死に至る。医者の話を聞いて、俺は思わず固まったよ。この呪いによる死亡率は、百パーセントだそうだ……」
百パーセント――それはつまり、確実な死を意味する。
「その後、俺は新聞の天気予報を片手に走り回った。ひたすら『雨』を求めてな。だが、そんな生活が長く続くわけがない。気まぐれな雨雲は、ある日すっかりと姿を消した。カンカン照りの日差しが注ぎ、セレナは地獄の苦しみを味わった。自分の無力を嘆き、泣き叫んだそのとき――『神様』が現れたんだ」
「……神様?」
「あぁ、自らを『時の仙人』と名乗る不思議な老爺だ」
「……っ!?」
予想だにしない発言に、思わず息を呑んだ。
(と、時の仙人だと……!? ということは……レインは『超越者』だったのか!?)
俺は息をゆっくりと吐き出し、精神を落ち着かせた。
「それからおとぎ話のような出来事を経て――俺は魂装を発現した。雨を降らすことのできる魂装久遠の雫をな」
そう言ってレインは、中ほどから折れた太刀に視線を向けた。
「自在に雨を操れるようになった俺は、歓喜に打ち震えた。これなら雨の呪いを無害化できる。セレナは普通の人生を送れる。――だが、そんな喜びも束の間のことだった。俺たちは一か月とせず、村から追い出された……」
奴は大きくため息をつき、話を続ける。
「この雨は俺を中心にしか展開できない……。だから、俺が動けば雨も動く。長雨の原因が俺だってことは、そう長いこと隠し通せるものじゃない。『出ていけ、雨男』、よくそうして追い出されたものだ……」
確かに自身を中心にしか雨を降らせられないのならば、いずれ気付かれてしまうだろう。
「村を追い出された俺は、セレナと一緒に別の村へ向かった。だが、『雨男』の噂は瞬く間に広がり、俺たちはすぐに追い出された。そうして行く当てもなく彷徨っていると――黒の組織から勧誘を受けた。『仲間にならないか?』とな」
……確かレイア先生は「黒の組織は超越者を集めている」と言っていた。
おそらく黒の組織は、独自の情報網で『レインが超越者である』ということを知ったのだろう。
「最初はもちろん断ったが……奴等はそれを予想していたかのように、ある取引を持ち掛けた」
「……取引?」
「あぁ、奴等は既に俺のことを調べ上げていたようでな……。『ノルマ』をこなせば――幻霊という化物を捕獲すれば、丸々一つ国をやろう。そこでセレナと一緒に暮らすといい。雨でもなんでも、好きなだけ降らせてな』と言ってきた」
セレナに掛けられた雨の呪い。
レインたちの置かれた状況。
全て知ったうえで取引の話を持ち掛けたようだ。
「決断を下すのに、そう時間はかからなかった。個人が国を支配するなんて不可能だ。だが、『黒の組織』がバックにつけば話は変わる! それに俺は誓ったんだ。亡くなった子どもたちの分まで、セレナを幸せにするとな!」
そうして長い話を終えたレインは、大きく息を吐き出した。
「その後は知っての通り、ここダグリオは『雨の国』へ変わった。……これが俺の話せる全てだ」
同情に憐憫――何とも言えない空気が場を支配する。
そして俺は、そんな空気を打ち消すようにして声を上げた。
「――それならば、なんとかなるかもしれないぞ」
「……なんだと?」
「俺の闇は、病気以外のありとあらゆるものを治す。もちろん、魔獣の呪いもな」
「――う、嘘を言え! これまで魔獣の呪いが解かれた例は、世界中でたったの一度もない! 希少な『回復系統の魂装使い』ですら、匙を投げているんだぞ!?」
「そ、そう言われてもな……。解けるものは、解けるんだよ」
正直、これについては実演した方が早いと思う。
どうしたものかと俺が頬を掻いていると、
「ほ、本当に……セレナの呪いは、解けるのか……?」
その目にほんの僅かな希望の光を灯しながら、レインはそう問うてきた。
「あぁ、それが呪いであるならば確実にな」
「そう、か……」
レインはボロボロになった体を引きずって、俺の前に立つと――深く頭を下げた。
「……こんなことを頼める立場でないのは、重々承知のうえだ。だがそれでも、恥を承知で頼む。――後生だ。セレナの呪いを解いてくれないだろうか……っ!」
「――あぁ、もちろんだ!」
そうしてレインの望みを快諾した俺は、『雨の呪い』を見せてもらった。
「――これ、この変な痣だよ」
セレナはそう言って、右の手のひらを開いて見せた。
「……なるほどな」
そこには、赤黒い紋様が浮かび上がっていた。
(白百合女学院の――リースさんに掛けられた呪いとよく似ているな……)
これなら何の問題もなく解けそうだ。
「それじゃ、ちょっと動かないでくれよ」
「う、うん……」
俺は意識を集中させ、彼女の右の手のひらへ闇を纏わり付かせた。
薄く柔らかく、悪いものを消すような感覚で。
すると――赤黒く変色した肌は、みるみるうちに元の美しい肌へ戻っていった。
「……き、消え……た?」
「こ、こんなことが……っ!?」
セレナとレインはまるで魔法でも見たかのように、大きく目を見開いた。
「これでもう大丈夫だ。――レイン、雨を止めてみろよ」
「あ、あぁ……っ!」
奴は魂装から手放して雨を止めた。
「ど、どうだ……セレナ? 体は痛まないか……?」
「――うん! 大丈夫、なんともないよ!」
どうやらセレナに掛けられた雨の呪いは、無事に解かれたようだ。
するとその直後――歓喜に打ち震えたレインは、大粒の嬉し涙を流しながらギュッと俺の手を握り締めた。
「ありがどう……っ。あ゛りがどう、ア゛レン……っ! ごの恩は……一生忘れぬ゛……! い゛つか必ず、絶対に返ざせてもらおう゛……!」
「あぁ、よかったな」
そうして大きな問題が解消したところで――レインは上級聖騎士によって連行されていった。
奴にどういった処罰が下されるのか、とても気になったのでベンさんに聞いてみると――。
「レインは黒の組織の最高幹部の一人……間違いなく、高度に政治的なやり取りがあるだろう。だが、まずもって死刑はあり得ないな。そんなもったいないことをするはずがない」
と教えてくれた。
死刑でないと聞けた俺は、ひとまずホッと胸を撫で下ろした。
生きてさえいれば、何度だってやり直せる。
そうしてようやくひと段落した俺は、大きく息を吐き出した。
(ふぅー……っ。いろいろあったけど、全て丸く収まったな……)
黒の組織の支配からダグリオを解放し、永遠に降り注ぐ雨を止め、レインとセレナを苦しめる雨の呪いを解いた。
(本当にいろいろなことがあったけど、とにかくこれで一件落着だ)
こうして神託の十三騎士レイン=グラッドと晴れの国ダグリオを救った俺たちは、小型飛行機に乗って聖騎士協会オーレスト支部へ帰ったのだった。