上級聖騎士と晴れの国【十二】
俺は正眼の構えを維持したまま、赤い『水の衣』を纏ったレインを見据えた。
(……似ているな)
奴の最後の雫は、リアの龍王の覇魂やイドラの飛雷身によく似ていた。
その効果はおそらく――『身体能力』や『魂装の出力』を向上させるものだろう。
「――先に言っておく。この状態になった俺は、手加減ができんぞ?」
「あぁ、当然だ」
剣士の勝負は真剣勝負。
手加減するつもりもされるつもりもない。
すると次の瞬間――視界の中心に収めていたレインが消え、
「――こっちだ」
背後から冷たい声が聞こえた。
(速い……っ!)
しかし、
「――見えているぞ」
奴の動きをその目で捉えていた俺は、迫りくる切り下ろしを右半身になって回避した。
「――甘いわ! 守護一心流――林の太刀ッ!」
レインは流れるような動きで、切り下ろしから突きへと移行した。
(やはりそう来たか……!)
予想通りの展開に、俺は元々準備していた切り上げを放つ。
「ハァ゛ッ!」
「な、にぃ!?」
完璧なタイミングの迎撃を受け、レインの両腕は真上に跳ねた。
そうして目の前に広がるガラ空きの胴体へ向けて、体重を乗せた横蹴りを放つ。
「セイッ!」
「く……っ!?」
身をよじってなんとか直撃を避けようとした奴の横腹へ、
「がは……っ」
俺の足が深々とめり込む。
二メートルを超える巨体が宙を舞い、大きく後ろへ吹き飛んだ。
(……申し分のない手ごたえだ)
レインの剣術はどこまでも基本に忠実――だからこそ、次の動きが読みやすい。
(この機に……畳み掛ける……っ!)
そうして俺が前傾姿勢になったところで、
「――まだまだぁっ!」
受け身を取ったレインは、痛みに怯むことなく即反撃に転じた。
「なに!?」
予想外の事態。
一瞬体が硬直し、コンマ数秒だけ回避が遅れてしまった。
そのわずかな隙をレインの刺突が射抜く。
「そらぁっ!」
「くっ!?」
左肩に鋭い痛みが走り、俺は後ろへ跳び下がった。
(……どういうことだ?)
あの一撃には、相当な手応えがあった。
(即座に立ち上がるなんて……ましてや即反撃に打って出るなんて不可能だ……っ)
負傷した左肩を闇で治療しつつ、俺はレインの全身を観察した。
すると、あることに気が付いた。
奴の水の衣は、俺が蹴り抜いた脇腹の部分だけ分厚くなっているのだ。
「なるほど……そういう使い方もできるのか」
レインは密集させた水をクッションのようにして、ダメージを大きく減少させたらしい。
さすがは神託の十三騎士。
魂装の力を完璧に使いこなしているようだ。
「水の特性を十分に活かした、いい『衣』だな……」
「ふっ、お前の『闇』ほど万能ではないがな」
その後――俺たちの死闘は壮絶を極めた。
基礎と基礎のぶつかり合い。
お互いの手の内は、お互いが一番よく知っている。
「――はぁああああああああっ!」
「――ぬぅおおおおおおおおっ!」
渾身の力を込めた剣が、雨の中だというのに火花を散らす。
「す、凄い……っ」
「は、速過ぎる……っ。目で追うのがやっとだぞ……!?」
リアとローズから期待の視線を受けた俺は、さらに速度を上げた。
「桜華一刀流奥義――鏡桜斬ッ!」
「守護一心流奥義――円環の太刀ッ!」
八つの斬撃と弧を描くような丸い斬撃が激突し――消滅した。
「く……っ」
「ぬぅ……っ」
今や身体能力は、完全に拮抗している。
(最後の雫、『命を削る力』、か……)
本当に厄介な能力だ。
レインの腕力・脚力・俊敏性――そのどれもが、先ほどとは比較にならないほど向上している。
(だけど……一つだけ弱点らしきものを見つけた)
奴は最後の雫を発動させてからというもの……何故か『物理的な斬撃』ばかりだ。
それまでに見せた水の力は、急に鳴りを潜めてしまった。
そこで俺は、一つの仮説を立てた。
(もしかしたら……。最後の雫で強化できるのは、ただ純粋な『身体能力』だけなんじゃないか?)
もしもイドラの飛雷身のように、全ての力が強化されているならば――もっと多彩な攻撃を仕掛けてくるはずだ。
つまり俺の推理が正しければ――身体能力を除いた『魂装の出力』は、こちらが上を往くはずだ!
俺はすぐさまその仮説を実証すべく、一気に闇の出力を上げた。
「――闇の影ッ!」
薄く研ぎ澄ました十の闇をレインに向けて放つ。
すると、
「ちぃ……っ!」
奴は即座に迎撃を諦め、大きく後ろへ跳び下がった。
(やはりそうか……!)
その回避行動が、何よりも明らかな答えだった。
(あの素早過ぎる動きは……水を利用した攻撃と防御は、一切考慮していない……!)
これはもう間違いない。
あの赤い水の衣は、『身体能力』のみを向上させるらしい。
それがわかれば、こちらのものだ……っ!
「――はぁあああああ゛あ゛あ゛あ゛ッ!」
俺は闇を広範囲に展開し、レインへ差し向けた。
「くっ……こいつ!?」
奴は必死に逃げ回ったが、俺の闇は今や街一つぐらいならば軽く覆い尽くす――そう簡単に逃げられるものじゃない。
その後、四方を完全に闇で包囲されたレインは、
「ふっ、ここまで手足のように操れるのか……っ。本当に応用力の高い素晴らしい能力だな……っ」
冷や汗を流しながらそう言った。
「終わりだ――闇の影ッ!」
俺が黒剣を振るうと同時に、レインの元へ刃の如き鋭利な闇が殺到した。
だが、
「守護一心流奥義――破刃の太刀ッ!」
レインはその全てを一刀のもとに切り捨てた。
水の衣を全て太刀に集め、切れ味を極限にまで高めた至高の一振り。
防御を度外視したその技は、恐るべき切れ味を誇っていた。
そうして闇の影を突破された俺は――必殺の間合いへ踏み込んでいた。
「――さすがだな、レイン。やはり闇の影を破ったか」
俺はレインの強さを誰よりも認めていた。
こいつならば、きっと闇の影を突破してみせる――そう信じていた。
だからこそ、『次の刃』を用意しておいたのだ。
「ふっ、まさかそれすら読まれていたとはな……。見事だ、アレン=ロードル」
刹那の会話が幕を閉じ、レインは静かに目をつぶった。
「七の太刀――瞬閃ッ!」
音を置き去りにした神速居合斬り。
それはレインの魂装を叩き斬り、
「か、は……っ」
その腹部に深い太刀傷を刻み付けた。
深手を負った奴は、大きく体を揺らし――ゆっくりと後ろへ倒れた。
――勝負ありだ。
そして――床に背を付け、天を仰いだレインは静かに笑い出した。
「く、くくく……っ! ここまでしても……命を削っても勝てんのか……っ!」
その笑い声はどこか嬉しそうでもあり、また悲しそうでもあった。
「……終わりだ、レイン。大人しく、聖騎士のお縄につけ」
「くくく……っ。悪いが……終わりだよ、アレン」
奴は凶悪な笑みを浮かべると、自らの血で床に奇妙な紋様を描いた。
すると次の瞬間――赤い光の線が四方八方へ駆け巡った。
そこかしこに奇妙な文字列が浮かび上がり、まるでおとぎ話に出てくる魔法陣のようだった。
「な、なんだこれは!?」
広く周囲を見回せば――地平線の果てまでもが、妖しい赤光を放っている。
どうやらこの魔法陣は、ダグリオ全域に展開されているようだ。
「れ、レイン! いったい何をしたんだ!?」
「ふっ……。俺がダグリオを支配してから数年来、ひたすらこの地に貯め込んだ霊力――その全てを解放したんだよ」
奴はどこかすっきりとした表情で、淡々と信じられないことを口にした。
「な、なんだと……っ!?」
神託の十三騎士が数年にわたって貯め込んだ霊力――そんなものを一度に解放すれば、『天災』規模の大破壊が起こるだろう。
「じきにここら一帯は更地になる。――アレンも原初の龍王の宿主も、そこに転がっている上級聖騎士どもも全員死ぬ。この一件は、それで終わりだ」
「ば、馬鹿なことはやめろ! そんなことをすれば、お前だってただじゃ済まないぞ……っ!?」
「いいや、問題ない。なにせ大元は全て、俺の霊力だからな。多少のダメージは負うだろうが……死ぬことはない」
そうしてレインは、静かに話を続けた。
「アレン、お前は強過ぎた……。悔しいが、俺一人の力では到底勝わんよ……」
素直に負けを認めた奴は、
「だから――全てを消すことにしたんだ」
まるで自棄になったかのように、無茶苦茶なことを言い出した。
「原初の龍王は確かに惜しいが……。幻霊はまだ他にも数匹確認されている。ノルマはまたの機会に達成するとしよう」
一人納得した様子のレインへ、俺ははっきりと宣言した。
「――そんなことはさせない」
「……なんだと?」
「いったいお前がどんな方法で、全てを消そうとしているのかは知らない。だけど、なんとしても阻止してやる! リアもローズも――ベンさんたち上級聖騎士のみんなも、誰一人として殺させはしない!」
「ふっ、面白い……っ。――どうやら、そろそろ時間のようだな。精々無駄な足掻きを見せてくれ――<赤の雫>」
レインがそう言った次の瞬間――分厚い雲の奥から、『巨大な赤い水滴』がタラリと垂れ落ちた。
「……っ!?」
その瞬間、わかった。
否、わからさせられた――自分がどれだけ無謀なことを口にしたかを。
「じょ、冗談……だろ?」
それはまさに『破壊の化身』だった。
肌を刺すような『圧』。
これまでとは規模の違う別次元の霊力。
超高度から落下する爆発的な質量。
あんなもの――ここら一帯が更地になるどころの騒ぎではない。
このダグリオ全域が更地になってしまうだろう。
「は、はは……っ。これは無理、だ……っ」
片や世界でも指折りの剣士が、数年にわたって練り上げた究極の一撃。
片や疲弊した一介の学生が放つ、全力の一撃。
こんなの小さな子どもにだってわかる――勝てるわけがない、と。
そうしてただ呆然と迫り来る雫を見つめていると、
「侵略せよ――<原初の龍王>ッ!」
「染めろ――<緋寒桜>ッ!」
満身創痍のリアとローズが――俺の両脇に立った。