上級聖騎士と晴れの国【九】
振り返れば――魂装原初の龍王が宙を舞っていた。
「い、いや……っ」
そうして丸腰になったリアに向かって――レインの分身が太刀を振り下ろす。
「リア……っ!」
ローズが急いでフォローに走ったが、到底間に合いそうにない。
(くそ……っ!)
俺は少なくなってきた霊力を惜しみなく注ぎ、濃密な闇を伸ばした。
凄まじい速度で地を這う闇は――間一髪、レインの切り下ろしを防いだ。
(……よかった)
そうしてホッと胸を撫で下ろした次の瞬間。
「――よそ見とは、ずいぶん余裕だな」
凍てつくような冷たい声が、俺の背中に突き刺さった。
「……っ!?」
反射的に振り返るとそこには、既に剣を高々と振り上げたレインがいた。
「――ぬぅんっ!」
恐るべき速度で迫る袈裟切りに対し、咄嗟に剣を縦に構えた。
(……しまった!?)
十数億年と繰り返してきた防御術。
体に沁みついたその動きが、咄嗟のうちに出てしまったのだ。
「――『受けるな』、そう忠告したんだがな」
レインがそう呟いた次の瞬間。
「か、は……っ」
疑似的な黒剣は容易く叩き斬られ、強烈な斬撃が胸を抉った。
「「アレン……っ!?」」
リアとローズの叫び声がやけに遠く聞こえる。
(まず、い……っ。すぐに、回復を……っ!)
こんな深手を負ったままでは、戦闘を続けられない。
俺は闇を胸元へ集中し、すぐさま治療を始めた。
(……くそ、傷の治りが遅い)
霊力が底を突きかけているのか、胸部の傷は中々塞がらなかった。
しかし、これは何も不思議なことではない――ごく当然の話だ。
ラオ村では、黒の組織の構成員五十人と闇を使用した戦闘を行った。
さらにその後は、闇を使って村人全員を治療した。
そしてこの戦いでは、レインの攻撃からみんなを守るため百人全員に闇の衣を纏わせた。
……むしろここまでよくもった方だ。
(だけど今、倒れるわけにはいかない……っ)
俺は震える足に鞭を打ち、必死に立ち上がる。
息も絶え絶えになりながら、両の手でしっかり剣を握り締め――真っ直ぐにレインを見据えた。
すると、
「報告によれば……。確か瀕死の重傷を負わせると、霊核が暴走を始めるんだったな……」
奴は顎に手を添えながら、一人でそんなことを呟いた。
「フー=ルドラスの任務失敗から約二か月、か……。二か月ならば、たとえ幻霊クラスの霊核でも――いや、幻霊クラスの霊核だからこそ、まだ『表』に出られないだろう。さすがに回復が間に合わないはずだ。……が、念には念を入れておこうか」
そうして言葉を切った奴は、天高く太刀を掲げ――勢いよく床へ突き立てた。
それと同時に、俺の背後に巨大な扉が出現した。
(……なんだ、これは?)
高さ約五メートル。
表面に不気味な紋様の描かれた、両開きの黒い扉。
空中に浮かび上がったそれは、なんともいえない嫌な気配を発していた。
謎の扉とレイン本体――俺はその両方に注意を払いつつ、正眼の構えを維持した。
「――八咫の扉」
奴がそう呟いた直後、ゆっくりと扉が開き――そこから『手』の形をした透明な水が飛び出した。
その数は軽く百を超え、視界一面を水の手が埋め尽くす。
(これはまた、不気味な技だな……っ)
俺は迫りくる水の手に向かって、力いっぱい剣を振るう。
「八の太刀――八咫烏ッ!」
枝分かれした八つの斬撃は、いとも容易く水の手を斬り裂いた。
(……意外と脆いな)
俺がそんな感想を抱いたそのとき――散り散りになった水が結集し、再び『手』の形を取った。
「なっ!?」
百を超える腕は俺の全身に纏わり付き、扉の中へ引きずり込もうとした。
「くそ……っ! なんなんだこの技は……!?」
素早く剣を振り回し、水の手を振り払っていると――レインが口を開いた。
「……ふむ、終わったようだな」
奴の視線の先には――レインの分身によって、小脇に抱えられたリアとローズの姿があった。
「リア、ローズ……っ!?」
「アレ、ン……ごめん、なさい……っ」
「……すまな、い」
ボロボロになった二人は、水銀のようなもので両手両足を拘束されている。
「レイン、お前……っ」
「ふっ、安心しろ。まだ殺しはしない。……今はまだ、な」
『今はまだ』――つまり、いつかは殺すということだ。
(ふざ、けるな……っ!)
頭に血が昇った俺は、ありったけの霊力を注ぎ込む。
「うぉおおおおお゛お゛お゛お゛ッ! ――闇の影ッ!」
凄まじい切れ味を誇る鋭利な闇で、水の手を粉微塵に斬り裂いていく。
しかしそれは水面に剣を立てるが如く、全く意味のないことだった。
斬っても削いでも斬り裂いても――透明な水は瞬く間に『手』の形を取った。
「……諦めろ、アレン。この封印術を破った者は、これまで一人として存在しない。それにこれは、対象の『意識』を封印するものだ。痛みや苦しみもなく、気付いたときにはもうあの世だ」
「誰が、諦めるか……っ!」
その後、俺は必死に抵抗を続けたが……。
ゆっくりと、しかし確実に扉の中へ引きずり込まれていった。
(くそ……っ。何か、何か方法はないのか!?)
リアとローズは気を失い、ベンさんたちは戦闘不能。
レイア先生はここにはいない。
それに何より――アイツは当分、『表』に出られないと言っていた。
つまり、この難局は俺がどうにかするしかない。
そうしてかつてないほどに頭を回した結果――たった一つ、薄く儚い『可能性』にたどり着いた。
(でも、これは一か八かの賭けだ……)
失敗すれば、その瞬間に全てが終わる。
(だけど、この絶望的な状況を乗り切るには……やるしかない……っ!)
覚悟を決めた俺は――ゆっくりと目を閉じた。
自分の意識を内へ内へ、魂の奥底へ沈めていく。
そうして魂の世界へ入り込んだ俺の目の前には――。
「――よぉ゛、そろそろ来る頃だと思ってたぜ」
『真の黒剣』を手にしたアイツが、凶悪な笑みを浮かべて立っていた。
どうやらこちらの事情をある程度、把握してくれているようだ。
話が早くて助かる。
「ちゃんと『覚悟』は決めて来たんだろうなぁ……えぇ゛?」
「一応、自分なりにな」
俺はコクリと頷き、剣を抜き放った。
「……ふん、ならいい。それじゃ精々悔いを残さねぇよう――潔く死ね」
そう言って奴は、凄まじい殺気を放った。
「……っ」
尻尾を巻いて逃げ出したくなるほど、濃密で息苦しい殺意。
それを受けた俺は、静かに正眼の構えを取った。
(……俺はこれまで、自分のために剣を振ってきた)
自分の剣術を磨くため、自分が強くなるため、自分が上級聖騎士になるため。
でも、それじゃ駄目だ。
それだけではまだ、覚悟が足りない。
その程度の気概では、アイツには届かない。
(リアをローズをミレイを――この国のみんなを守る……っ!)
みんなが幸せな世界を作るために――俺は斬る!
そうして断固たる覚悟を胸に刻み込んだ俺は、静かに呼吸を整えた。
「はっ、少しはマシな面構えになったじゃねぇか……」
「時間が無い。……行くぞ?」
「あ゛ぁ、すぱっと綺麗にぶち殺してやるよ゛……っ!」
俺は『疑似的な黒剣』。
奴は『真の黒剣』。
互いに得物を握り締めた俺たちは――同時に駆け出した。
「――はぁあああああ゛あ゛あ゛あ゛ッ!」
「――お゛らぁあああああ゛あ゛あ゛あ゛ッ!」
間合い、緩急、フェイント――こいつとの勝負にそんな小細工は必要ない。
ただただ純粋な力と力のぶつかり合い。
(こいつを……斬る……っ!)
自分のために、そして何より――みんなのために……っ!
「――ハァ゛ッ!」
「――らぁ゛ッ!」
互いの斬撃が交錯し、一瞬の静寂が訪れた。
そして――。
「か、は……っ」
俺の胸部に深く大きな太刀傷が走った。
(まだ、だ……っ。まだ、倒れるな……っ!)
腹の奥底からせり上がる血を飲み込み、ゆっくり振り返るとそこには――。
「まっ、こんなもんだな」
余裕の笑みを浮かべた、無傷の奴が立っていた。
「く、そ……っ」
どうやら俺の全てを乗せた渾身の一撃は――届かなかったようだ。
必死にもがいた。
みっともなくあがいた。
精一杯背伸びをした。
それでも――届かなった。
所詮『落第剣士』の俺では、みんなを救うことなんて無理な話だった。
(……ちく、しょう)
視界が大きく揺れ、体から力が抜けていく。
(リア、ローズ……ごめん……っ。俺は、ここまでみたい、だ……)
そうして意識を手放しかけたそのとき。
「クソガキが……。ちっとは成長したじゃねぇか……」
奴の手の中にあった『真の黒剣』が――真っ二つに折れた。
すると次の瞬間。
(こ、これは……っ)
絶大な力の奔流が、俺の全身を飲み込んだ。
(凄い……っ。なんて力だ……っ!?)
胸の傷は一瞬で塞がり、あり得ないほどの闇が全身から吹き荒れた。
「……い、いいのか?」
俺はまだこいつを倒していない。
それなのに……力を借りていいんだろうか?
「なにわけのわかんねぇことを抜かしてんだ? か弱いてめぇが、この俺様の『黒剣』を叩き斬ったんだぞ……? 少しぐらい喜んだらどうなんだ……えぇ゛?」
「いや、でもお前を斬ることはできなかったし……」
「てめぇ、まさか……。この俺に勝つつもりでいたのか……?」
「と、当然だろ!」
負けるつもりで勝負を挑む奴なんていない。
今の勝負だって、本気でこいつを斬り伏せるつもりで挑んだ。
「く、くく……っ。ぎゃっははははははははっ!」
奴はひとしきり大笑いした後、
「――自惚れんなよ、クソガキが! もう数億年、修業してからほざきやがれ!」
凄まじい怒声を発した。
どうやら今の一言は、ひどく癇に障ったようだ。
「まぁ、なんにせよ……ありがとな」
この力があれば――戦える。
みんなを守ることができる。
「……ふん、せいぜい泥臭く足掻きやがれ」
奴はそう言ってこちらに背を向けると、表面がバキバキに割れた岩の上へ――いつもの場所へ戻っていった。
「あぁ、行ってくるよ」
こうして『絶大な力』を手にした俺は、静かに目を閉じ――元の世界へ、神託の十三騎士レイン=グラッドとの戦いへ戻ったのだった。