上級聖騎士と晴れの国【七】
ダグリオ北端にそびえ立つ王城。
灰色の煉瓦で積み上げられたそれは、『城』というより『教会』のような外観だ。
この王城の主となった男――神託の十三騎士レイン=グラッド。
彼は玉座に腰掛けながら、静かに目をつむっていた。
誰もいない玉座の間。
聞こえるのは、ただ延々と降り続く雨の音のみ。
一秒、一分、一時間――刻々と時が刻まれていく中、レインは石像のように固まっていた。
そんなとき、王城の外から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「――れ、レイン様!」
黒い外套に身を包んだその男は、組織から派遣された下っ端の一人だ。
「……なんだ?」
静寂を壊されたことに僅かな苛立ちを覚えながら、レインは片目を開けた。
「じょ、上級聖騎士の奴等が一気に北上して参りました……っ! その数、およそ『百』! 奴等、今回は本気です! 本気でこのダグリオを奪還しようとしております!」
鼻息を荒くして緊急事態を伝えたものの、
「……それで?」
レインの反応は冷ややかなものだった。
「……っ。わ、我々では到底歯が立たず、既に中央のラオ村が突破されました……っ。レイン様、どうかそのお力をお貸しください……っ!」
下っ端の男は、頭を下げて頼み込んだ――否、頼まざるを得なかった。
ここダグリオを実効支配したのは、レイン一人の力によるもの。
『神託の十三騎士』という極大戦力が無ければ、練度の高い上級聖騎士を迎撃することは不可能だ。
そうして必死に頭を下げる男へ返ってきたのは、
「――断る」
取り付く島もないほど、はっきりとした拒絶だった。
「なっ、何故ですか……!?」
しつこく食い下がる男に対し、レインは深いため息をついた。
「はぁ……少しは自分の頭で考えろ。――お前たちは、これまで「助けて」と言った人々をどうしてきた?」
「そ、それは……っ」
押し黙った男の代わりにレインは言葉を紡ぐ。
「痛め付けて、斬り付けて――嬲り殺しにしてきたよな? 許しを乞う声に耳を貸したことなんて、一度だってなかったよな?」
「……っ」
「――甘えるな、馬鹿が。自分たちだけは助けてもらえる――そんな虫のいい話があるか」
静かな玉座の間に怒声が響いた。
「……で、では俺たちはいったいどうすればいいんですか?」
厳しい叱責を受けた男は、恐る恐ると言った様子で問い掛けた。
「知らん。お前たちのような薄汚い『畜生』がどうなろうと、俺の関知するところではない」
「し、しかし……っ!」
なおも食い下がる男に対し、レインはピシャリと言い放つ。
「――くどい。俺はこの王城から動けん。逃げるなりなんなり、好きにしろ」
そうして「これ以上、話すことはない」と言わんばかりに、静かに目をつむった。
全く対話の姿勢を見せないレインに対し、男の我慢は限界を迎えた。
「……あ、あぁそうかよ! それならお言葉通りに逃げさせてもらうさ!」
「好きにしろ」
「……っ。た、確かにあんたはめちゃくちゃ強ぇよ。だが、今回ばかりは相手が悪かったな! なんてったって敵は、あのアレン=ロードルだ! あんたも報告は受けただろう? 神託の十三騎士フー=ルドラスを破った『特級戦力』の一つさ! それにもう一人、幻霊原初の龍王の宿主――リア=ヴェステリアもいるぞ!」
黒の組織の下っ端は「精々無様な最期を迎えるんだな!」と捨て台詞を残し、一目散に逃げだした。
そうして再び静寂の戻った玉座の間で、レインはポツリと呟いた。
「また殺し合い……か」
悲痛な面持ちで虚空を見つめる彼は、自嘲気味に笑った。
「ふっ、俺はいったい何を迷っているんだろうな……っ」
それから自分がダグリオで行っていることを思い返した彼は、両手で頭を抱えた。
「いったい、どの口が偉そうなことを叩いているんだ……っ。俺のような、あんな黒の組織にも劣る畜生以下の存在が……っ。何を今更罪悪感のようなものを……っ!」
孤独な玉座に虚しい男の慟哭が響いた。
「……アレン=ロードルにリア=ヴェステリア。こいつらを捕獲すれば終わりだ。静かなダグリオが、『二人だけの楽園』ができあがる……っ!」
レインは己の正義のために――今も一人で戦っていた。
■
ラオ村を出発した俺たちは、ただひたすら北へ向かって進んだ。
道中、黒の組織に支配された村々を見かけたが……。
どういうわけか、奴等は俺の姿を確認すると一目散に逃げ出した。
そのおかげもあって時間と体力を浪費することなく――ダグリオの北端にそびえ立つ王城へ到着した。
大きな扉を開け、燭台で明かりの灯った廊下を進むと――大きな部屋に出た。
そしてそこには、埃のかぶった玉座に一人の男が座っていた。
「――よく来たな、招かれざる客人よ」
その声に応じたのは、聖騎士協会ダグリオ臨時支部の支部長ベンさんだ。
「悪いな、勝手に上がらせてもらったぜ。――お前が神託の十三騎士レイン=グラッドだな?」
「あぁ、そうだ」
目の前の男は、短くそう答えた。
レイン=グラッド。
年は三十代後半ぐらいだろうか。
二メートル近い巨躯。
オールバックにされた短い濃紺の髪。
眉骨が高く、ギョロリとした威圧感のある目と大きな口――野獣のような野性味のある顔付きだ。
首元には傷んだ灰色のマフラーが何重にも巻かれ、サイズの合っていないそれは少し不格好だった。
白い貴族服の上から黒い外套を羽織り、その外套にはどこかで見たことのある紋様が青く刻まれている。
レインは右から左へ視線を泳がせると――何故か俺の方を見て固まった。
「……なるほど、お前が組織の定めた特級戦力――アレン=ロードルか。ふむ、確かに一人だけ飛び抜けているな」
俺の容姿に関する情報が組織内で回っているのか、すぐに名前を言い当てられた。
「……それにその隣は、リア=ヴェステリアだな?」
そしてそれは、リアも同じようだった。
世界の平和を乱す国際的な大規模犯罪組織――その標的にされた俺とリアは、ゴクリと唾を飲み込む。
「『特級戦力』に『幻霊』――これだけあれば十分だろう」
奴はわけのわからないことを呟くと、
「なぁ、どうだお前たち……? 見逃してやるから、アレンとリア――そこの二人をこちらへ寄こさないか?」
信じられない取引を持ち掛けた。
「……はっ。不愛想なツラして、面白れぇ冗談を言うじゃねぇか……えぇ?」
ベンさんは鼻で笑い、レインは首を横へ振った。
「これは冗談ではない。俺はもう……疲れたんだ。これ以上、無駄な殺生はしたくない」
彼は大きなため息をつき、さらに話を続けた。
「なぁ、もういい加減にわかってくれないか……? お前たち『羽虫』がいくら束になろうと俺には勝てないんだ」
その発言から、嘘や偽りの色は全く見えなかった。
(……凄い自信だな)
百人規模の上級聖騎士――この軍勢を前にして『絶対に勝てる』という確信があるようだ。
「羽虫、と来たか……。こりゃぁ俺たちも舐められたもんだなぁ……っ」
ベンさんは額に青筋を浮かべると――サッと俺に目配せをしてきた。
どうやら、一気に仕掛けるようだ。
「ぶち込め――<大樹の種>ッ!」
ベンさんが魂装を展開し、レインの注目を一手に引き付けたところで――俺たちは『奇襲作戦』を開始した。
「侵略せよ――<原初の龍王>ッ!」
「染まれ――<緋寒桜>ッ!」
「溶かせ――<酸の錫杖>ッ!」
リア、ローズ――それから大勢の上級聖騎士たちが、レインを包囲するよう移動しながら魂装を展開した。
それに続いて、
「――闇の箱ッ!」
俺は凄まじい量の闇を解き放ち、レインを円形に包み込んだ。
その直後――。
「――龍王の覇撃ッ!」
「――桜吹雪ッ!」
「――激酸の海ッ!」
全員がありったけの霊力を注ぎ込んだ、渾身の遠距離攻撃を放った。
(よし、これは決まった……っ!)
俺の『闇』は光と音を完全に遮断する。
視覚と聴覚を奪われた状態での――百人規模の総攻撃。
いくら神託の十三騎士といえど、ひとたまりもないはずだ。
そうして確かな手ごたえを感じたそのとき。
「穿て――<久遠の雫>」
何故か、強烈な悪寒が走った。
(なん、だ……この感覚は……っ!?)
奴が一体何をしたのか、これから何をしようとしているのかわからない。
だが、第六感のようなものが、けたたましい警告を鳴らした。
(――何かが、来る!?)
このままではいけない。
そう判断した俺は、独断で闇の箱を解除した。
「なっ、アレン!?」
作戦外の行動にベンさんが目を見開いた次の瞬間――視界一面を、透明な水の矢が埋め尽くした。
「――堕落の雫」
一発一発が冗談のような威力を秘めた水の矢は、リアたちの放った渾身の遠距離攻撃をいとも容易く食い破った。
「う、そ……っ!?」
「なん、だと……っ!?」
「や、べぇ……っ」
リア・ローズ・ベンさん、三人の顔が驚愕に彩られた。
「くっ――間に、合ぇええええええええっ!」
俺はありったけの霊力を注ぎ込み、リアやローズそれからベンさんたちに闇の衣を纏わせた。
その結果、
「……ほぅ、いい判断だな」
まさに間一髪、ギリギリのところで全員に闇の衣を纏わせることができた。
「た、助かった……?」
誰かの呟きが、やけに大きく響いた。
「あ、危なかった……っ」
「この『闇の衣』が無ければ、やられていたな……っ」
リアとローズが顔を青くし、
「わ、悪ぃ……っ。助かったぜ、アレン……っ」
ベンさんは、冷や汗を流しながら感謝の言葉を述べた。
「はぁはぁ……っ。いえ、ご無事で何よりです……っ」
一気に多量の霊力を消耗した俺は、正眼の構えを維持した。
「ふむ……アレン=ロードル。やはりお前だけは、他とは違うようだな」
レインはそう言うと、刃渡りの長い太刀のような魂装を右手一本で構えた。
こうして俺たち上級聖騎士と神託の十三騎士レイン=グラッドとの戦いが始まったのだった。