上級聖騎士と晴れの国【二】
戦闘態勢に入った教官ドン=ゴルーグは――稽古場を覆い尽くす闇へ視線を送った。
「……この奇妙な『闇』はなんだ?」
「あぁ……『魂装の成り損ない』のようなものですよ」
俺は正眼の構えを維持したまま、短く返事を返した。
「ふっ、そうか……。思い返せば、たまにおったなぁ……貴様のような『半端者』が……っ!」
教官はそう言うと――凄まじい雄叫びを挙げて駆け出した。
「かぁああああッ! 風山流――山撃ッ!」
気迫の籠った大上段からの切り下ろし。
俺はそれを――闇を纏った素手で掴んだ。
「な、なん……だと……っ!?」
教官は驚愕に目を見開いたが、これは当然の結果だ。
「――すみません、真剣にやってもらえますか?」
今のは『偽りの一撃』だ。
気絶させないように、すぐに勝負を終わらせないように――俺を痛め付けるためだけに放った偽物。
シドーさんやイドラのような――ただ相手を切るために放った『本気の一撃』とはわけが違う。
「剣士の勝負は真剣勝負――次は遠慮なく切らせていただきますよ」
俺は短くそう告げた後、彼の剣を手放した。
「こ、小癪な……っ!」
教官は顔を真っ赤に染め上げ、大きく後ろへ跳び下がった。
「クソガキが……っ。この儂をここまで愚弄するとは、いい度胸だ!」
そして次の瞬間、
「削れ――<山岳の風>ッ!」
何も無い空間から、赤銅色の長い剣が出現した。
(……出たな)
霊核の一部を具象化した装備――魂装。
俺が今、必死に習得しようともがいている力だ。
「ふはは……っ! どうだ欲しかろう? 羨ましかろう? 貴様が永劫努力しても決して手に入らん力だ……っ!」
教官はそう言って、自慢気に魂装を見せびらかした。
俺はその安い挑発に取り合うことなく――ジッと魂装を見つめた。
(『風』と……アレは『砂』だな)
よくよく目を凝らせば、長剣の周囲には風と小さな砂の粒が渦巻いていた。
どうやら彼の魂装は風と土――二種類の力を自在に操るというものらしい。
(……いい魂装を持っているな。さすがは上級聖騎士の教官だ)
俺がそんな感想を抱いていると、
「くくく……おい、貴様! 魂装の使えない落第剣士の『大きな弱点』を教えてやろう!」
嗜虐的な笑みを浮かべた教官は、長剣を高々と掲げながらそう言った。
「……なんでしょうか?」
「ふっ、それはな……遠距離攻撃と手数の少なさだ! 砂剣の突風!」
彼が剣を振り下ろした次の瞬間――二十を超える砂の剣が俺の元へ殺到した。
突風の加速を得たそれは、まるで引き絞った矢のような速度で風を切る。
「確かに……その通りですね」
シドーさんの氷結槍。
クロードさんの<無機の軍勢>。
ドドリエルの暗黒の影。
俺のように魂装を持たない剣士が手こずるのは、彼らの遠距離攻撃と圧倒的な手数だ。
だが、それにはもう対応済みだ。
「――闇の影」
迫りくる二十の剣を――刃の如く鋭利な闇が斬り捨てた。
「なっ!?」
「よしよし、いい感じだ……!」
俺の思い描いた通りに動く、三本の闇の影。
これはドドリエルの影をヒントにして、新たに編み出した技だ。
意識を集中すれば、最大で四本まで操作できる。
(有効射程は二メートルと少し短いが……)
手数の多い攻撃への防御手段として、十分に機能してくれそうだ。
そうして新たな技の実験に成功した俺が、一人頷いていると、
「な、なんだその応用力の高さは!?」
教官は目を大きく見開き、俺の闇を指差した。
「あはは。闇は、けっこう応用が利くんで気に入っているんですよ」
そうして手短に会話を打ち切った俺は、前傾姿勢を取った。
「――それでは、次はこちらから行きますよ?」
「き、貴様如き一太刀のもとに切り捨ててくれるわ……!」
その返事を耳にした俺は、たったの一歩で必殺の間合いへ侵入した。
「――ハァ゛ッ!」
「速いっ!?」
右胸を狙った袈裟切りを――彼は剣を水平に構えて防御した。
だが、
「ぬぅぉっ!?」
振り掛かる衝撃を受け止めきれなかった彼は、大きく後ろへ吹き飛ばされた。
「ぐっ、その細身のどこに……こんな力が……っ!?」
教官はそうぼやきながら、その大きな体に見合わぬ滑らかな動きで受け身を取った。
その着地際へ狙いを澄ませ――遠距離から斬撃を放つ。
「一の太刀――飛影ッ!」
「ふん、これしきの斬撃……通じぬわぁっ!」
教官は力強く剣を振るい、闇を纏った飛影を弾き飛ばした。
だがそれは――想定の範囲内だ。
「――でしょうね」
「なっ!?」
大きな斬撃の背に隠れた俺は、一切気取られることなく間合いを詰めた。
そもそも飛影はダメージを目的とした技ではない。
目くらまし・牽制・間合いの調整――そう言った補助的な小技だ。
そうしていとも容易く必殺の間合いへ踏み込んだ俺は、本命の一撃を放つ。
「八の太刀――八咫烏ッ!」
体重の乗った一閃が空を切ったそのとき――八つの斬撃が牙を剥いた。
「ぐ、ぬ、ぉおおお……!」
なんとか五つの斬撃に対処した教官だったが……。
「がっ……!?」
撃ち漏らした三つが、彼の右手と両足を捉えた。
苦悶に顔を歪めた教官は、その場で雑な大振りの一撃を放つ。
俺はバックステップを踏み、余裕をもってその攻撃を回避した。
(……傷は深いな)
あの足では、とてもじゃないが戦い続けることはできない。
これ以上はもう『戦い』にならないだろう。
そう判断した俺は、
「――勝負ありです。負けを認めてください」
彼の胸元へ疑似的な黒剣を突き付け、淡々とそう宣告した。
すると、
「……けるな」
顔を下へ向けた教官は小刻みに震えながら、何事かを口にした。
「……なんでしょうか?」
「――ふざけるな! 儂の半分も生きとらんクソガキが……えらそうにほざきおって!」
彼は大声でそう怒鳴り散らすと、自らの魂装を稽古場に突き立てた。
その瞬間――まるで竜巻のような暴風が教官を中心に吹き荒れた。
それもただの風じゃない。
砂の粒が交ざった殺傷能力の高い暴風だ。
(……厄介な技だな)
俺は飛び交う砂粒を剣で弾きながら、静かに被害状況を観察した。
凄まじい速度で吹き荒れる砂粒は、四方八方へ飛び散り――窓ガラスを粉砕し、稽古場の床板を抉った。
それだけではない。
「い、痛ぇ……っ」
「た、助けてくれぇ!?」
この決闘を食い入るように見ていた下級聖騎士から、次々に悲痛な叫びがあがる。
どうやら雨のように飛び交う砂粒を回避し切れないようだ。
「ふはははっ! 恨むならこの儂を本気にさせた、そこの落第剣士を恨むがいいっ! さぁそれでは行くぞ――砂嵐ッ!」
教官が床に突き刺した長剣の柄へ、握り拳を振り下ろしたそのとき――視界一面を砂と風の暴力が埋め尽くした。
回避の余地がない全方位攻撃。
バチバチバチと砂粒同士が激しくぶつかり、耳障りな音が恐怖心を刺激する。
(全く……面倒なことをしてくれるな……っ)
俺は仕方なく闇の出力を一気に引き上げ――リアとローズ、それにこの場へ居合わせた下級聖騎士全員に『闇の衣』を纏わせた。
その結果、
「そ、そんな馬鹿な……っ!?」
この場にいる全員が砂嵐を無傷でやり過ごした。
あの程度の威力ならば、薄い闇の衣でも十分に防御可能だ。
「その反応だと……今のが最強の技ということでしょうか?」
暴風と砂による無差別攻撃。
確かに集団戦では恐ろしい威力を発揮するだろうが……個人戦向けの技ではない。
「あ、あり得ぬ……っ。この儂が、こんな三流剣士に……っ」
彼は前後不覚といった様子で、その場に崩れ落ちた。
「――勝負ありです。さぁ、リアに謝ってください」
俺が剣を鞘に納めたそのとき。
「――隙ありぃ! 風山流奥義――崩落山ッ!」
突然勢いよく立ち上がった彼は、殺意の籠った袈裟切りを放つ。
その光景をどこか他人事のようにぼんやり見ていた俺は、思わずため息をついた。
(はぁ……。納刀した状態というのは、決して『隙』ではないんだけどな……)
そして、
「七の太刀――瞬閃」
鞘の中で加速させた剣が煌めき――教官の魂装は真っ二つに叩き斬られた。
「な、あ……っ!?」
今度こそ言葉を失った彼は、静かに膝をついた。
その瞬間――稽古場から拍手が巻き起こった。
「その力、間違いない……っ! 君はあのアレン=ロードルだな!」
「け、剣王祭の試合、見させてもらいました! も、もしよろしければ、俺に剣を教えてくれないでしょうか!?」
下級聖騎士のみなさんは、目を輝かせながらそう言った。
「あ、あはは……。その話はまた後で、ということで……」
やんわりと彼らの願いを断った俺は、歯を食いしばって膝をつくドン教官を見下ろした。
「――ドン=ゴルーグ教官、負けを認めてもらえますね?」
そうして俺がもう一度問い掛けると、
「………………く、くそっ。わ、儂が……悪かった……っ。どうか、許してくれ……っ」
長い長い沈黙の後、彼は素直に謝罪の弁を述べた。
こうして無事に上級聖騎士の教官ドン=ゴルーグを倒した俺は――大きくため息をついた。
(はぁ……。この後どうしようか……)
ボロボロの稽古場。
満身創痍の教官。
無傷の俺。
(協会の人に……なんて説明すればいいんだろう……)
そうして初日から大きな問題に巻き込まれた俺は、『事後処理』と『協会への説明』に頭を悩ませるのだった。