上級聖騎士と晴れの国【一】
翌日。
俺はいつもより少し遅くに起きた。
時計を見れば、朝の七時半。
一限開始までまだ時間はあるが……そろそろ支度を始めないといけない。
「ふわぁ……っ」
大きく伸びをして、ベッドから起き上がる。
(んー……。少し、体が重たいな……)
さすがに百人以上の剣士と斬り合った疲れは、一日眠った程度では取れないようだ。
(……顔でも洗って切り替えようかな)
そうして俺が寝室を出ると、
「あっ、おはようアレン!」
いつもより気持ち上機嫌なリアが、元気いっぱいの笑顔で挨拶してくれた。
元気な彼女の姿を見ると、なんだか体が軽くなったような感じがする。
「おはよう、リア。それは……冬服か?」
視線を下へ向けると――彼女は、いつもと違う制服に身を包んでいた。
(そう言えば……衣替えだったな)
今日は十月一日――夏服から冬服へ移行する日だ。
「う、うん……っ! ど、どうかな……?」
彼女はその場でクルリと回り、少し緊張した様子で小首を傾げた。
体のラインが浮き出た、丈の短い白のワンピース。
その上から暖かそうな黒いジャケットを羽織っている。
シックな装いがリアの美しい金色の髪と非常にマッチしていた。
「あぁ、とても良く似合っているよ」
「あ、ありがと……っ。そ、そうだ、アレンの冬服姿もちゃんと見せてね?」
「もちろんだ」
その後、手早く朝支度を済ませた俺は――リアに急かされて冬服に着替えた。
「……どうだ?」
正直なところ……男子用の冬服は、基本的に夏服とあまり変わらない。
上は白地の布に黒いアクセントの入ったジャケット。
下もジャケットと同じような配色のシンプルなズボンだ。
そうして俺が軽く感想を求めると、
「――うん、とってもいいよ! かっこいい!」
リアは大輪の花が咲いたような笑顔を浮かべて、そう言ってくれた。
「あはは、ありがとう」
あんまり代わり映えしないと思うけど……彼女がそう言うなら、きっといい感じなんだろう。
そうしてお互いの冬服を披露した俺たちは、
「――さてと、それじゃそろそろ行こうか」
「うん!」
一緒に千刃学院へ向かうことにした。
玄関の扉を開けると、秋の訪れを感じさせるひんやりとした空気が頬を撫でた。
「ちょっと、冷えるな……。寒くないか?」
「大丈夫よ、ありがと。……残暑も終わって、これからは秋になるねぇ」
周囲を見れば――青々と茂っていた木々の葉っぱは、既に少し黄色がかっていた。
夏の終わりと秋の到来を感じながら、ゆっくり歩いていくと――懐かしの千刃学院本校舎が見えてきた。
「おぉ、綺麗になったもんだな!」
「えぇ、なんだか気持ちがいいわね」
アイツの闇で黒ずんだ外壁は、真っ白で美しいものに。
爆破されて吹き飛んだ体育館も、すっかり元通りになっていた。
そして――本校舎の中もまた綺麗なものだった。
埃一つない廊下。
曇りの無い窓ガラス。
見ているだけで気持ちがいい。
そうして綺麗になった廊下を真っ直ぐ歩くと、一年A組の教室に着いた。
俺は横開きの扉に手を掛け――大きく息を吐き出した。
「……ちょっと緊張するな」
「う、うん……っ。みんなと会うのは、二週間ぶりだもんね……っ」
「ふぅー……開けるぞ?」
「お、オッケー……っ!」
そうして意を決した俺が勢いよく扉を開けると、
「――おっ、久しぶりだな、アレン!」
「おはよーっす! 元気してたかー?」
「ねぇねぇ、二人とも! 白百合女学院の話、ちょっと聞かせてよ!」
クラスのみんなは、一斉にこちらへ押し寄せて来た。
するとその直後、
「……おはよ、アレン、リア。……それとみんなも」
相も変わらず眠たそうなローズが登校し――無事に一年A組全員が揃った。
それから俺たちは朝のホームルームが始まるまでの間、お互いの転入生活について楽しく語り合った。
少しすると――『キーンコーンカーンコーン』とチャイムが鳴り、教室の扉が勢いよく開かれた。
「――おはよう、諸君!」
いつも通り、元気はつらつとしたレイア先生だ。
彼女はジッと俺たちの方を見つめると、満足そうに頷いた。
「ふふっ、みんな少し見ないうちにたくましい顔つきになったな! 朝のホームルームだが……連絡事項は特になし! 早速、一限を始めようか!」
「「「はいっ!」」」
こうして千刃学院での日常が帰ってきたのだった。
■
それから穏やかな日々が流れた。
午前は基本的に魂装の修業。
お昼休みには生徒会での定例会議。
午後は筋力トレーニングと座学。
放課後になれば、校庭の隅で素振り部の活動。
全ての時間を剣術に捧げた――とても充実した毎日だ。
そうして一か月ほどが過ぎた十一月のある日。
昼休みの定例会議に出席していた俺・リア・ローズの三人は、理事長室に呼び出された。
威圧感のある黒塗りの扉を開けるとそこには――ちょうど週刊少年ヤイバを読み終えた先生がいた。
「っと、来たか……。急に呼び出してすまないな」
彼女は仕事机から三枚のプリント用紙を取り出すと、それを俺たち三人へ配った。
(これは……履歴書?)
そうして俺が首を傾げていると、
「なに……君たちを上級聖騎士の『特別訓練生』に推薦しようと思ってな」
「「「……特別訓練生?」」」
聞いたことのない言葉に、俺たち三人は同じ言葉を繰り返した。
「あぁ、君らが知らなくとも無理はない。何せこれは、今年新設された新しい制度だからな」
先生はそう言って説明を始めた。
「端的に言えば――これは五学院の成績優秀者を『聖騎士協会』が囲い込む制度だ。君らも知っての通り、最近の国際情勢はかつてないほど不安定になっている。そこで聖騎士協会は、よりよい人材を確保するためにとある制度を新設した――それが『特別訓練生制度』だ」
彼女は水の入ったグラスに口を付け、話を続けた。
「この制度の参加者は、休校日である土日に各支部へ配属される。そこで上級聖騎士と同じ訓練を積み、剣術の底上げと――聖騎士への理解を深めるというわけだ」
「なるほど……」
俺たち学生は、格上の上級聖騎士と訓練することで剣術を磨ける。
聖騎士協会は、有望な学生の囲い込みを図れる。
確かに学生と聖騎士協会、双方にメリットのあるいい話だ。
「休日が両方とも潰れるため、なかなかハードな毎日になるだろう。当然、これは強制ではないが……。君たちにとって有益な話だ。ぜひ前向きに検討してほしい」
そう言って先生は話を終えた。
それと同時に俺は――静かに首を横へ振った。
「とてもありがたいお話ですが……すみません。俺はリアやローズと違って、まだ魂装を発現していません。ですから、この話は受けることができないんですよ……」
上級聖騎士になる条件として、『魂装を発現済み』というものがある。
これはきちんと明文化された規則であり、これまで例外はたったの一人としていないそうだ。
そうして先生の提案を丁重にお断りした俺は、
(はぁ……。もったいないな……)
心の中で大きなため息をついた。
夢の上級聖騎士へ手を伸ばすせっかくのチャンスを……ふいにしてしまった。
(『魂装』、か……)
いったいいつになったら、習得することができるのやら……。
本当に……自分の才能の無さが恨めしいな……。
(はぁ……)
そうして大きく気落ちしていると、
「あぁ、そんなことなら気にしなくていい。私が聖騎士協会の上に話を通しておこう」
先生は本当に軽くそう言い放った。
「ほ、本当ですか!?」
「ふふっ、『五学院の理事長』という地位は伊達ではないさ。それに何と言っても、うちが送り出すのはアレン=ロードルだ。『今世代最高の才能』を手にするチャンス――きっと向こうは、諸手を挙げて喜ぶだろう」
先生はそう言って優しく笑ったが……途中から彼女が何を言ったのか耳に入らなかった。
それどころではないほどに――俺の心の中では、喜びの渦が巻き上がっていた。
(や、やった……っ! やったよ、母さん……っ!)
上級聖騎士になれば、毎月安定した給金がもらえる。
そうすれば……女手一つで俺をここまで育ててくれた母さんに、今もゴザ村で毎日毎日必死に働く母さんに――やっと楽な生活をさせてあげられる。
そう考えるだけで、体の中を熱い何かが走った。
「ふむ、アレンは乗り気のようだが……。リアとローズはどうする?」
「アレンが行くなら、当然私も行くわよ!」
「右に同じだ」
どうやらリアとローズも一緒に参加するようだ。
「よし! では先方には、私から連絡しておこう。君たちは明日の朝九時、先ほど配布した履歴書を持って、聖騎士協会オーレスト支部へ行ってくれ」
「はい!」
「わかったわ」
「承知した」
そうして俺たちは、理事長室を後にしたのだった。
■
翌朝。
俺たちは聖騎士協会オーレスト支部の門を叩いた。
平屋造りの大きな建物に入り、受付で履歴書を提出すると――上級聖騎士の稽古場へ通された。
体育館ほどの広さがあるそこには――白い胴着に身を包んだ剣士が整列していた。
(し、しかし……、凄い数だな……っ)
パッと見ただけで、軽く百人以上の剣士が目に付いた。
受付の女性から聞いた話では、ここにいる人たちは全員上級聖騎士の『卵』――つまりは魂装を習得した下級聖騎士だ。
今日この場で行われる実践試験に合格すれば、上級聖騎士に昇格できるらしい。
「な、なんかちょっと緊張するわね……っ」
「うむ、異様な空気が漂っているぞ……っ」
試験前特有の独特な空気に、リアとローズは息を呑んだ。
「とりあえず……俺たちも整列しておこうか」
「う、うん……っ」
「あぁ、そうだな」
それから待つこと三十分。
開始予定時刻の九時は、もうとっくに過ぎてしまった。
「……来ないな」
「そうね。どうしたのかしら……?」
「体でも壊したのか……?」
そうしてにわかに稽古場が騒がしくなったそのとき――道場の最奥にある扉が勢いよく開かれた。
「教官のドン=ゴルーグだ。ふん……っ。揃いも揃って馬鹿みてぇな面をしてやがるな……っ!」
ドン=ゴルーグ。
眉間に皴の寄った、いかつい顔つき。
年齢は五十歳半ばほど。
身長は百八十センチぐらいだろう。
巌のように大きな体。
白髪混じりの頭髪に黒い無精髭。
他の下級聖騎士同様に真っ白い胴着を着ていた。
なんとなくだけど……グラン剣術学院の先生たちと同じ空気を放っている気がした。
大遅刻をしてみせた彼は、いきなり俺たちに悪態をつくと、
「まずはそうだな……。貴様等のつまらん履歴書に目を通す必要がある。その間は、馬鹿みたいに素振りでもしておけ!」
短くそう吐き捨てて、奥の部屋に戻っていった。
「「「ハイッ!」」」
下級聖騎士のみなさんは、はきはきとした返事を返したが……。
「……ちょっと何あの態度? 燃やされたいのかしら?」
「……<緋寒桜>の養分にするのもありだぞ?」
人一倍プライドの高いリアとローズは、額に青筋を浮かべていた。
「ま、まぁまぁ落ち着きなよ、二人とも……っ。今日はまだ初日だし、とりあえず言う通りにやってみないか?」
さすがに初日からバックレるわけには――ましてや問題を起こすわけにはいかない。
俺はなんとか二人の気を鎮めて、大人しく素振りをしたのだった。
それから約三時間、俺たちはただひたすらに剣を振るった。
「「「――セイッ! ハァッ! ヤァッ!」」」
剣を掲げ、振り下ろし――正眼の構えを取る。
ずっと同じ反復動作の繰り返しだ。
それが一時間、二時間と経過すると――一人また一人と手が止まった。
もしかしたら今日は、体調が優れないのかもしれない。
(しかし……。ふふっ、こうして掛け声を挙げてする素振りもまた……楽しいな)
素振りは言ってみればそう……『ご飯』と一緒だ。
一人で食べるより、みんなで食べたほうがおいしい。
同様に一人で剣を振るより、みんなで振った方が楽しい。
そうして俺が気分よく剣を振っていると、
「――そこまで!」
突然奥の扉が勢いよく開き、片手に酒瓶を握り締めた教官が姿を見せた。
「ふん、まだ三時間も経っとらんのに……もう音を上げた奴がいるのか!」
彼はそう言うと――隅で休んでいた下級聖騎士のお腹を蹴り上げた。
「が、は……っ!?」
「――今すぐ帰れ! 貴様のような軟弱者は、一生かかっても上級聖騎士にはなれん!」
「は、はい……っ。申し訳ございません……っ」
素振りを途中でやめた下級聖騎士たちは、悔しそうな顔で稽古場を後にした。
(……見ていて、あまり気持ちのいいものではないな)
俺がそんなことを思っていると、
「この中に一人……『異物』が交じっておる!」
教官は突然大きな声を張り上げた。
「――アレン=ロードル! 今すぐ前へ出ろ!」
「え、あ、はい……っ!」
突然名前を呼ばれた俺は、一拍遅れて返事をした。
「貴様……。自分が何をしたのかわかっているのか……?」
「な、何をと言われましても……素振り、でしょうか?」
ここに来てからしたことと言えば、それしか思い当たらない。
「愚か者が! とぼけるのもいい加減にしろ!」
教官はそう怒鳴り付けると――一枚のプリントを目の前に突き付けた。
「これは……俺の履歴書、ですか?」
「あぁ、そうだ。氏名、アレン=ロードル。最終学歴、千刃学院在学中。そして――魂装『未発現』。貴様……これはいったいどういうことだ……?」
どうやらいまだ魂装を発現していない俺が、この場にいることを怒っているようだ。
しかし、それについてはもう既に話が通っているはずだ。
「いや、その件についてはレイア先生から話が――」
「――やかましい! くだらん言い訳をするな! 魂装も使えん三流剣士が……誰にモノを言っている!」
教官は俺の言葉をまともに聞き入れず、ただひたすら怒鳴り散らすだけだった。
(これは……話をしても時間の無駄だな)
今日は一度引いて、先生に相談する方がよさそうだ。
「……はぁ、わかりました」
そうして俺が大人しく身を引くと――我慢の限界を迎えたリアが口を開いた。
「ちょ、ちょっと横暴過ぎませんか!? もう少しアレンの話を――」
そう言って彼女が教官の前に立ったそのとき。
「――誰が発言を許可したぁっ!」
「きゃぁっ!?」
彼はあろうことか――リアをその手で突き飛ばした。
その瞬間、稽古場全域を深く暗い闇が覆い尽くす。
「ひ、ひぃっ!?」
「な、なんだこれ……っ!?」
「この力に『アレン=ロードル』って……あいつ、まさか!?」
ざわつく周囲の声を気にも留めず、俺は一足でリアと教官の間に割って入り――『疑似的な黒剣』を彼に突き付けた。
「……貴様、なんのつもりだ?」
怒りに顔を赤く染めた教官は、腰に差した剣を抜き放つ。
俺は沸々と湧き上がる怒りを必死に抑え、努めて笑顔を浮かべながら――とある提案を持ち出した。
「――ドン教官、一つ勝負をしませんか?」
「勝負、だと……?」
「えぇ、一対一の真剣勝負です。もしも俺が負けたら――一生聖騎士協会の門を叩きません。今すぐ、この場を去ります」
「ほぅ……?」
「ですが、もしあなたが負けたそのときは――この場でリアに謝罪しろ」
俺が淡々と決闘を申し込むと、
「ふん……っ。この儂に剣を向けた時点で、貴様はもう一生上級聖騎士にはなれん。だが……おもしろい、受けてやろう!」
胴着の上を脱いだ彼は、筋骨隆々の姿を晒した。
そして、
「――かぁああああああああッ!」
凄まじい雄叫びとともに濃密な殺気が放たれた。
どうやら口だけではなく、ちゃんと実力もあるようだ。
「ふはは、儂の最大の楽しみを教えてやろう! それはな――貴様のような身の程を知らずを痛め付け、泣いて許しを請わせることだ……っ!」
「残念ですが……。女の子に手を挙げるような『聖騎士崩れ』に負けるつもりはありませんよ」
こうして俺は、聖騎士協会の教官ドン=ゴルーグと決闘をすることになったのだった。