異常と白百合女学院【五】
七の太刀――瞬閃によって胸部を斬り裂かれた奴は、
「ぐっ、クソガキがぁ゛……っ!」
凄まじい怒声を挙げながら、一度大きく後ろへ跳び下がった。
その傷は浅い。
奴の皮膚はまるで鋼のように硬かったのだ。
(だけど――斬れたっ!)
無敵と思われたアイツに、わずかでも『傷』を付けることができた。
(よし、よしよし……よしっ!)
剣士としての『成長』を実感した俺は、とてつもない多幸感に包まれた。
すると次の瞬間。
「……ぶち殺す」
奴は俺と同じように『闇の衣』を纏った。
質・量ともに別次元。
まるで生き物のように蠢く闇は、人間が持つ根源的な恐怖を刺激した。
「は、はは……っ。凄いな……っ」
圧倒的な格の違いを目にした俺は、もはや笑うしかなかった。
続けて奴は、正真正銘本物の『黒剣』を生み出した。
「……っ!?」
レイア先生から聞いてはいたが、この目で見るのは初めてだ。
(……欲しい)
『疑似的な黒剣』が棒切れに思えるほどの圧倒的な存在感。
(あの剣、あの力が――欲しい……っ!)
俺が羨望の眼差しを真の黒剣へ向けたそのとき。
「おぃ゛おぃ゛、構えなくていいのかぁ? えぇ゛?」
目と鼻の先に――黒剣を振り上げた奴が立っていた。
「っ!?」
咄嗟に剣を水平に構え、奴の振り下ろしを防ごうとした。
だが――『真の黒剣』はまるで豆腐を斬るが如く、俺の『疑似的な黒剣』を斬り捨てた。
「が、は……っ」
俺の胸元に大きな太刀傷が走り、折れた刀身が足元に転がった。
「はぁ゛、ちっと力を出しゃこんなもんかよ……。相変わらず、弱っちぃなぁ゛……っ。しっかりメシ食ってんのか、えぇ゛?」
奴の挑発を耳にしながら、俺はゆっくりその場へ倒れ伏した。
乾いた大地に俺の血が広がっていく。
痛みと苦しみが全身を包み込む中、
「ふ、ふふ……っ」
俺の心には、沸々と喜びの感情が湧き上がった。
「てめぇ……。斬られたのに、何を笑っていやがる……っ!?」
「いやなに……っ。お前、が……黒剣を出すほどに、さ。俺も強くなったんだ、って思うと……嬉しくて、な……っ」
魂装の修業を始めてから、四か月が経過した。
そう――まだ、たったの四か月だ。
十数億年もの間、ひたすら亀の歩みを続けて来た俺からすれば、これは驚くべき速度だ。
一日一日経るごとに、確実にこいつとの距離が縮まっていく。
その成長の実感がたまらなく嬉しかった。
「ちっ、勘違いすんじゃねぇ……。てめぇが自慢気に贋作を振り回すから、ちょっと本物を見せてやっただけだ!」
機嫌を損ねた奴は、とどめの一撃を放った。
「か、は……っ!?」
黒剣が俺の腹部を貫く。
残念だが……どうやら今回はここまでのようだ。
「ふ、ふ……っ。また、来るぞ……っ」
そうして俺が意識を手放す寸前――珍しいことにアイツから話を振ってきた。
「……一つだけ忠告しといてやる。俺ぁ当分、『表』には出られねぇ。前回、長く居過ぎたせいで、かなり消耗したからな。その体は俺にとっても大事なもんだ。精々丁重に扱えよ」
その後、俺の意識は暗闇の中に沈んで行き――気付けば元の世界へ引き戻されていた。
■
一限二限と続いた魂装の授業を終え、お昼休みになった。
俺はリア・ローズ・イドラさん・シドーさん・カインさん――合計六人という大所帯で食堂へ向かった。
「――う、うそっ!? これ全部無料なの!?」
食堂に着いてすぐ、リアはキラキラと目を輝かせた。
「うん。白百合女学院の生徒と職員は、この食堂を無料で利用できる」
イドラさんはそう言って、コクリと頷いた。
「や、やった! それじゃこの『デラックスお任せ弁当』三人前、お願いします!」
午前の授業でお腹を空かせた彼女は、素晴らしいスタートダッシュを切った。
リアのような細身の女の子が凄まじい量の注文をしたので、窓口の男性はポカンと口を開けてしまった。
「さ、三人前ですか……? こちら、一人前でもかなりの量となっておりますが……?」
「はい、大丈夫です!」
「か、かしこまりました……っ」
そうして彼女が注文を済ませたところへ、
「……あ゛ぁ? それじゃ、俺は同じものを四人前頼む」
対抗心を燃やしたシドーさんは、リアよりも多い注文を飛ばした。
「むっ! すみません、やっぱり五人前でお願いします」
「悪ぃ、六人前だったわ」
「あーごめんなさい。実は、七人前でした」
負けず嫌いの二人は、どんどんヒートアップしていく。
「ちっ……八人前だ!」
「むぅっ、九人前で!」
「「……十人前!」」
二人が同時にそう言ったところで、
「――喧嘩売ってんのかてめぇ゛!?」
「あんたが先に吹っかけて来たんでしょ!」
言い争いを始めてしまった。
(お、おいおい……っ。勘弁してくれよ……っ)
こんなところで喧嘩すれば、後ろに並んでいる人に迷惑が掛かってしまう。
俺は仕方なく、リアとシドーさんの仲裁に入ることにした。
「ま、まぁまぁ二人とも落ち着いて……。そもそも十人前のお弁当なんて、めちゃくちゃですよ?」
すると、
「え……? 別に食べられるよ?」
リアはそう言って、不思議そうに小首を傾げた。
「……だな」
この件に関して、リアの説得は不可能だ。
なぜなら彼女は、なんの無茶もしていない。
十人前の弁当ぐらいならば、ペロリと食べてしまうだろう。
つまり俺が説得すべきは――シドーさんだ。
「シドーさん。さすがに今回は、相手が悪いと思いますよ……?」
俺がやんわり「無茶ですよ」と口にすると、
「あぁ゛!? てめぇ……この俺が負けるとでも言いてぇのか!?」
彼の戦意に火を注ぐ結果となってしまった。
(ほぼ間違いなく、シドーさんに勝ち目はないと思うんだが……)
もしここでそんなことを言えば――きっと騒ぎは大きくなり、後列の生徒に迷惑を掛けるだろう。
「はぁ……。もう知りませんよ……」
そうして説得を諦めた俺は、大きくため息をついたのだった。
その後、結局二人はデラックスお任せ弁当を十人前ずつ頼んだ。
一方の俺は、のり弁当。
ローズは、秋の幕の内弁当。
イドラさんは、特選牛肉弁当。
カインさんは、俺と同じのり弁当をそれぞれ注文した。
(実際は、お弁当以外にもいろいろなメニューがあるんだけど……)
リアとシドーさんが「お弁当、お弁当!」と騒いでいたので、みんなそれに引きずられた形だ。
それぞれ注文したものを受け取った俺たちは、一番広い十人掛けのテーブルへ移動した。
そして――。
「「「「「「――いただきます!」」」」」」
みんなで手を合わせて、お弁当に手を付けた。
「――うん、これはいけるな!」
俺は分厚い白身魚のフライに舌鼓を打った。
数あるお弁当の中で、『のり弁当』が一番好きだ。
海苔の下に眠ったおかか昆布。
さくっとした芳ばしいちくわの磯辺揚げ。
そして何より――安い。
グラン剣術学院時代、売店の『格安のり弁当』には、よくお世話になっていたものだ。
そうして俺が白百合女学院ののり弁当を堪能していると、
「神と同じ食卓、神と同じお弁当……っ。あぁ、無理です……っ。幸せが過ぎて、もういろいろと限界です……っ」
カインさんは両手で体を抱きながら、苦しそうに身悶えていた。
やっぱりこの人は、少し変わっている。
「――ふむ、いい味だな」
タケノコを口にしたローズは満足気に頷き、
「そう、ここのご飯は美味しいの」
イドラさんはそう言いながら、上品にお弁当をつついた。
そうして和やかな食事を楽しんでいる一方で、
「はむはむ! んー、おいしぃ!」
「ぐっ、てめぇ……っ。食う『量』だけじゃなくて、『速度』もいけるようだな……っ」
リアとシドーさんは、熾烈な大食い勝負を繰り広げていた。
一口に『大食い勝負』と言っても――リアにその気は無さそうだ。
お弁当を前にした彼女は、ただ純粋に自分の食欲を満たしているだけ。
一方のシドーさんは必死になって食らいついているが……正直、かなり苦しそうだった。
それからほどなくして、
「あぁ、おいしかったぁ……。ごちそうさまでした!」
軽く十人前のお弁当を平らげたリアは、満足気に手を合わせた。
そしてその隣では、
「……っ」
死んだ目をしたシドーさんが、震える手でご飯を口へ運んでいた。
彼の目の前には、まだ手付かずのデラックスお任せ弁当箱が二つ。
――勝負ありだ。
「……はっ。少し、は……やるじゃねぇ、か……っ」
そう言って彼は意識を手放した。
「し、シドーさん……? 大丈夫ですか……?」
恐る恐る彼の肩を揺らしてみたが……返事はない。
完全に気を失っている。
「はぁ……。だから言ったのに……」
予想通りの結果に、俺はため息を漏らした。
すると、
「……神よ。シドーの名誉のため、一つだけ言わせていただいてもよろしいでしょうか?」
いつになく真剣な表情のカインさんが、発言の許可を求めた。
「は、はい。なんでしょうか……?」
「――『大食い勝負』という括りで見れば、確かにシドーの完敗です。しかし、今一度よくご覧になってください。彼は『意識』こそ手放しましたが、気絶した今も『箸』だけは握り続けています! つまり、彼の意思はまだ敗北を認めていないのです!」
「た、確かに……っ!?」
さすがはシドーさん、不屈の闘志とはまさにこのことだ。
「この強靭な心は、見習うべきですね……っ」
「おぉっ、さすがは神……っ! その飽くなき向上心、お見逸れ致しました……っ!」
俺とカインさんがそんな話をしていると、
「もしかして……アレンは、ちょっとお馬鹿?」
「ふむ、頭は悪くないが……。少し天然なところがあるな」
イドラさんとローズは、やや失礼なことを言っていた。
その後、気絶したシドーさんはそのままにして、俺たち五人は雑談に花を咲かせた。
その話の中で、イドラさんは気になる言葉を口にした。
「――そう言えば、明日は『能力測定』だ。今回はアレンたちも参加してくれるし、結構楽しみにしている」
……能力測定?
確かレイア先生もそんなことを言っていたっけか……。
「すみません、能力測定ってなんですか……?」
詳しい話を聞きたくなった俺は、軽く質問を投げ掛けた。
「えーっとね……。能力測定は、剣速・腕力・脚力・近距離斬撃・遠距離斬撃とかの――合計十種目を点数化して競うの。毎月一回開かれて、各学年で最も優れた成績を残した人は表彰される」
そうしてイドラさんが能力測定の概要を説明すると、
「……『競う』?」
さっきまで白目を剥いていたシドーさんが、息を吹き返した。
そして、
「――はっ、おもしれぇ! その能力測定とやらで、てめぇらまとめてぶっ倒してやろうじゃねぇの!」
突然、わけのわからないことを言い始めた。
(能力測定は、そんな誰かを『ぶっ倒す』ようなものじゃないと思うんだが……)
俺がそんなことを思っていると、
「ふふっ、面白いわね! 受けて立つわ!」
「勝負と言われれば、引く道理はないな!」
「当然、相手になるよ」
リアを筆頭に血の気の多い女子たちは、二つ返事で勝負を受けた。
チラリとカインさんの方を見れば、
「――全て神の仰せのままに」
相変わらず、わけのわからないことを言っていた。
(個人的には、静かに自分の能力を測定したいんだよなぁ……)
俺がそんなことを考えていると――全員の視線がこっちに集まっていることに気付いた。
「ねぇほら、アレンも一緒に勝負しましょ?」
「アレン、ここでいつかの雪辱を果たさせてもらうぞ!」
「てめぇが出ねぇと締まらねぇだろうがっ!」
「リベンジマッチ……だね!」
……どうやら逃げ道は無さそうだ。
「はぁ……わかった。それじゃ俺もその勝負に参加させてもらうよ」
こうして俺は明日――リア・ローズ・シドーさん・イドラさん・カインさんと能力測定の結果で勝負することになったのだった。