異常と白百合女学院【四】
シドーさんとイドラさんの注意を引いた俺が、もう一度話し合いを提案したそのとき。
「――ちょ、ちょっと……っ! 今の邪悪な闇は、なんなんですか!?」
正門の外から、小さな女の子が大慌てでこちらへ駆け寄ってきた。
見れば、脇差のような小さな剣を腰に差している――おそらく中等部の剣士だろう。
「えーっと……。君、学院を間違えてないかな? ここは高等部だよ?」
俺が優しくそう言うと、
「こ、子ども扱いしないでください! 私はケミー=ファスタ、ここ白百合女学院の理事長先生ですよ!」
彼女はムッとした表情で『白百合女学院理事長ケミー=ファスタ』と記された教職員免許証を見せつけた。
そこには確かに彼女の名前と顔写真が載っている。
「え、えぇ……っ!?」
俺は大きく目を見開き、ケミーさんをジッと見つめた。
ケミー=ファスタ。
身長はおおよそ百四十センチあるかないか。
絶対にお酒は買えないような童顔。
子どものように瑞々しい肌。
背まで伸びるパサついた黒い髪。
サイズの合っていない白衣。
正直、どこからどう見ても子供にしか見えない。
だが、
「す、すみません、失礼しました……っ」
さすがに今回の件は俺が悪い。
大人の女性を子ども扱いするのは失礼に当たる――とポーラさんから聞いている。
「ふん! わかったのなら、いいんですよ!」
彼女はそう言って、腕組みをしてみせた。
その格好がいちいち子どもっぽくて、何故か温かい目で見てしまう。
「――おぃチビスケ、てめぇがここの理事長か?」
「あ、あなたは超問題児のシドーくんですね……っ。う、うちに何の用があって、来てくださいましたのでしょうか……?」
シドーさんの眼光に気圧された彼女は、さりげなくイドラさんの陰に隠れ、おかしな敬語を口にした。
どうやらちょっとガラの悪いタイプは、苦手なようだ。
「単刀直入に言う。アレンを渡せ」
言葉を飾らない彼は、シンプルに要求を突き付けた。
「え、えっとですね……っ。それは実際のところ中々難しいことでして……っ。千刃学院との約束事でもありますし……っ」
ケミーさんはおどおどとした様子で、なるべく丁寧にやんわりと断った。
「ちっ……それじゃ俺をここへ転入させろ」
「そ、それもかなり難しくてですね……っ。うちはその、女子校でして……っ。なんと言うか、シドーさんのような危な……ワイルドな人はちょっと……っ」
そうして二つの要求を断られた彼は、
「ちっ、やっぱりお嬢の言う通りか……」
大きな舌打ちをした後、懐から綺麗な便箋を取り出した。
「こいつを受け取れ。お嬢――うちの理事長から預かった手紙だ」
「……? フェリスさんからですか……?」
ケミーさんは和柄の便箋を受け取り、中の手紙をジッと読み込んだ。
「……なるほど、わかりました。シドー=ユークリウスくん、カイン=マテリアルくん――二週間という期限付きで、あなたたちの転入を許可しましょう」
いったいどんな心境の変化があったのか……彼女は二人の転入をすんなり認めてしまった。
「しっ!」
「おぉ! やりましたね、シドー!」
シドーさんとカインさんが歓喜に包まれる中、
「……ケミー理事長?」
イドラさんの冷たい視線がケミーさんに突き刺さった。
「な、なんですか、イドラさん?」
「さっきの手紙、何が書かれてあったんですか?」
「そ、それは……っ。す、素晴らしい内容でした! 思わず心を打たれて、二人の転入を許可してしまうほどに!」
彼女は明後日の方向を向いたまま、上擦った声でそう言った。
なんというか……とても怪しい。
「……本当ですか?」
イドラさんは一歩距離を詰め、ケミーさんの目をジッと見つめた。
「なっ……!? り、理事長先生を疑うんですか!?」
「はい」
「っ!?」
あまりの即答っぷりに、彼女は言葉を失った。
「私の目をちゃんと見てください。『やましいことはない』と断言できますか?」
「え、えーっと……そ、それはその……っ」
さっきまでの威勢はどこへ行ったのか、ケミーさんは途端に歯切れが悪くなった。
「やっぱり、何か隠していますね?」
「え、えーっと……っ。いや、その! べ、別に隠しているとかそういうのではなくてですね……っ!」
そうしてケミーさんがしどろもどろになっていると――彼女のポケットから、問題の手紙がこぼれ落ちた。
イドラさんはそれを見逃さず、素早い動きで拾い上げた。
「あっ!? ちょ、ちょっとイドラさん!? 先生にもプライバシーというものが……っ!」
ケミーさんの抵抗も虚しく、手紙の内容は淡々と読み上げられた。
ケミーへ
うちのシドーがアレンくんとこ行きたい言うてるから、ええようにしたってな。
もちろん、無料でとは言わんよ。
先月あんた、ギャンブルで大負けして『狐金融』から凄い額借りたやろ?
あれ、うちが肩代わりしたるわ。
どや、そっちにとっても悪い話やないやろ?
そういうわけやさかい、うちのシドーよろしくしたってな。
ほな、また。
フェリス=ドーラハイン
「「「……」」」
なんとも言えない重苦しい空気が降りた。
どうやらケミーさんは、少し駄目な大人のようだ。
「ご、ごごご……ごめんなさぁい……っ!」
周囲の視線に耐え切れず、彼女は情けない声を挙げて頭を下げた。
「でも、でも……っ! 狐金融からの借金は凄くて……っ! あんな大金、絶対に用意できないんですぅ……!」
「そんな状態でギャンブルに行かないでください」
「はぅ!?」
イドラさんの放った正論の刃が、ケミーさんの胸を深く抉った。
「と、とにかくこれは、私にとって凄いチャンスなんです……っ! 二人の転入を許可するだけで、借金が無くなるんですよ!? お願いします……っ。今回だけは見逃してくださぁい……っ!」
そう言って彼女は――土下座した。
「ちょ、べ、別にそこまでしなくとも……っ!」
そうして俺がやめさせようとすると、イドラさんがそれを遮った。
「理事長。それ、何回目の土下座ですか?」
「う゛……っ!?」
「今年の芸術祭で、生徒の作った作品が数点紛失する事件がありました。それらは後に、闇市で売られていたそうです。……これ、理事長が流したんですよね?」
「はう゛……っ!?」
「以前『入学金の一部が盗まれた』と騒いでいましたが……。まさか横領なんてしていませんよね?」
「……っ」
そうして再三の追及を受けたケミーさんは、完全に固まった。
なんというか……叩けば埃しか出ない人だった。
「す、全て私の不徳の致すところで……返す言葉もございません……っ」
地面に額を擦り付けるその姿に、理事長としての威厳はない。
他の生徒たちもケミーさんの土下座を見飽きているのだろう。
小さくなった彼女の横を、みんな何食わぬ顔してサッと通り過ぎて行った。
「はぁ……。それでも、うちの理事長は先生です。最終的にどうするかは、お任せします」
イドラさんがそう言った次の瞬間。
「やった! それではようこそ白百合女学院へ! シドーさん、カインさん、歓迎いたします!」
ケミーさんはすぐに立ち上がり、二人の転入を許可した。
(す、凄いな……っ。まるで反省の色が無いぞ……っ!?)
イドラさんを始め、他の白百合女学院の生徒が呆れるのもよくわかる。
「あっ、もうすぐチャイムが鳴ってしまいますよ。早く行きましょう! 転入生の教室は一年A組――私が担任の先生なので、なんでも聞いてくださいね!」
そう言って借金返済の目途が立ったケミーさんは、上機嫌に本校舎へと向かったのだった。
■
その後――俺たちはホームルームの時間をいただき、簡単な自己紹介を行った。
リアとローズは同性ということもあって、すんなりとクラスに馴染めそうだった。
加えて、比較的落ち着いた風貌のカインさんも温かく迎えられた。
(だけど――俺とシドーさんのペアは、少し怖がられてしまった)
多分俺はこの白黒入り交じったメッシュの髪型、シドーさんは言葉遣いと態度の悪さが原因だろう。
(これは……打ち解けるまでに少し時間がかかりそうだな……)
俺がそんなことを考えていると、
「――それではみなさん、一限の授業を始めます。タオルや水筒を持って、魂装場へ移動してください」
ケミーさんがそう言って、俺たちは地下の魂装場へ移動した。
魂装の授業に関しては、千刃学院と大きく変わらないようだ。
霊晶剣を持って霊核と向き合う――きっとどこの五学院も同じ手法を取っているのだろう。
「それではみなさん、始めちゃってください!」
ケミーさんが手を打つと、A組のみんなは静かに目を閉じ――魂の世界へ入り込んでいった。
俺もそれに倣って、霊晶剣を胸の前に構える。
(……そう言えば、アイツと直接会うのは久しぶりだな)
そんなことを考えながら、意識を胸の内へ内へ――魂の奥底へと沈めていった。
そうして気が付くと――目の前に荒涼とした世界が広がっていた。
正面にある表面がバキバキの岩を見上げるとそこには、いつものようにアイツが座っている。
「はっ、懲りねぇなぁ゛……。格の違いってのがわかんねぇのか……? えぇ゛?」
「あぁ、そうかもしれないな」
いつもの憎まれ口を軽く受け流した俺は、
「――ありがとな、助かったよ」
素直に感謝の言葉を述べた。
「……あぁ゛?」
多分何に対して礼を言われたのか、わかっていないのだろう。
奴は困惑気味に眉をひそめた。
「この前のことだよ。あのときお前が暴れてくれなかったら、リアは黒の組織に誘拐されていた。それにローズや会長たちも殺されていたかもしれない。――だから、ありがとな」
こいつは血と暴力に快楽を覚えるような、とんでもない奴だ。
(でも――それはそれ、これはこれだ)
助けてもらったことについては、しっかり礼を言うべきだ。
「ちっ、気持ち悪ぃこと言ってねぇでよぉ゛……。てめぇは大人しく、無駄な素振りでもしてやがれぇ゛……っ!」
大きく機嫌を損ねたアイツは、一足で俺との間合いを詰め、
「らぁ゛っ!」
凄まじく強烈な右ストレートを放った。
俺はそれを――半身になって躱した。
「な゛っ!?」
まさか全力の一撃が避けられるなんて、夢にも思っていなかったのだろう。
奴は驚愕のあまり、大きく目を見開いた。
「――俺だって、少しは強くなっているさ」
短くそう呟いた俺は、かつてない『密度』と『出力』を誇る『疑似的な黒剣』を作り出した。
そして――。
「七の太刀――瞬閃ッ!」
音を置き去りにした神速の居合斬りで、奴の胸部を斬り裂いた。