異常と白百合女学院【三】
二週間という短い期間ながら、白百合女学院へ転入するという話を聞かされた俺は、すぐに言葉を返した。
「い、いやいや……っ。冗談、ですよね……? そもそも白百合女学院は女子校ですよ?」
「こんなつまらない冗談は言わないさ。確かに君の言う通り、白百合女学院は女子校だが――その点については問題ない」
「も、『問題ない』とは……?」
男子生徒が女子校へ転入する。
どう考えても問題しかないと思うんだが……。
「まだ一般には知られてはいないが、白百合女学院は数年後に共学化を目指していてな。まぁ言ってみれば、君はその『モデルケース第一号』というわけだ」
「そ、そうだったんですか……」
そんな話、初めて聞いた。
「でも……そんな大事なモデルケースが俺で大丈夫でしょうか?」
正直、もっと適切な人材がいると思う。
「いやいや、何を言うか。この件に関して、アレン以上の適任者は存在しない。『理性の化物』である君ならば、私も安心して送り出せるというものだ」
「……理性の化物?」
よくわからない言葉に俺は首を傾げた。
「ふふっ、超が付くほどの美少女リア=ヴェステリアと一つ屋根の下で生活し――それも主従関係を結んでおきながら、何の間違いも起こさない。誰がどう見ても理性の化物だろう?」
「ま、間違いって……っ。あ、当たり前じゃないですか!」
俺は顔を赤くして、抗議の声を挙げた。
「はっはっは、まぁ今のは冗談としても――あそこの生徒はみんな、いわゆる『お嬢様』だ。男に対する免疫がほとんど無い。だから君のように気性の穏やかな男は、モデルケースとして適任だと思うぞ?」
「そ、そうですか……?」
そう言われても、正直かなり困ってしまう。
「それにあのイドラが、君の転入を強く希望しているようでな。向こうの理事長からも『是非に』とのことだ」
「い、イドラさんが……?」
「あぁ、そうだ。なんでも彼女は、アレンにかなりご執心らしいぞ? 君が剣王祭で戦った全試合の録画を暇があれば観察し、リベンジに燃えているそうだ」
「あ、あはは。それは怖いですね……」
次に彼女と戦うときは、さらなる激闘になりそうだ。
そうして一通りの説明を終えた先生は、大きく息を吐き出した。
「っとまぁ、こういうわけなんだが……どうだ? どうしても気が乗らないのなら、今からでも断りの連絡を入れるが……?」
どうやら絶対に行かなくてはならない、というわけではないらしい。
「む、難しい話ですね……っ」
みんなと一緒に氷王学院へ行くか。
それとも一人で白百合女学院へ行くか。
どっちを選ぶべきなのか、なかなか難しい問題だ。
(……シドーさんとの修業はとても魅力的だ。でも、イドラさんと一緒に修業できる機会なんて、今後一生あるかどうかわからない……っ)
だけど、白百合女学院は女子校だ。
共学の千刃学院や氷王学院とは、いろいろ勝手が違うだろう。
(……悩ましいな)
そうして俺が頭を悩ませていると、レイア先生が口を開いた。
「まぁ、包み隠さず実益的な話をするならば――千刃学院としては、ぜひ行ってもらえると助かる。白百合女学院と言えば、名高い強豪校だ。そことのパイプができれば、今後も『交換留学』のような形で生徒のレベルアップが図れるからな」
「……なるほど」
どうやら千刃学院的には、実利のある話のようだ。
「それにこれは、君にとっても悪い話ではないぞ? あそこはうちと同じか、それ以上に競争社会だ。特に毎月実施される『能力測定』は、大いに盛り上がると聞いている。異なった授業・環境・友人――多様な経験を積むことは、剣士として大きな成長へ繋がるだろう」
確かに……俺にとっても悪い話ではない。
(白百合女学院には、イドラさん以外にも優れた剣士がたくさんいた……)
剣王祭でリリム先輩とフェリス先輩を破った二人の女剣士。
セバスさんに敗れたものの、凄まじい圧力を放っていた大将リリィ=ゴンザレス。
彼女たちから学べることは、きっとたくさんあるだろう。
「――わかりました。せっかくの機会ですので、ぜひ白百合女学院へ通えればと思います!」
「おぉ、そうか! では向こうの理事長へは、私が連絡しておくよ。君は明日までにこのパンフレットに軽く目を通しておいてくれ」
先生はそう言って、白百合女学院の入学案内書を手渡した。
「はい、わかりました」
こうして俺は約二週間という短い期間、『神童』イドラ=ルクスマリアさんの所属する白百合女学院へ通うことになったのだった。
■
その翌日。
俺はリアとローズと一緒に白百合女学院の正門に立っていた。
「ここか……。千刃学院からけっこう近かったな」
俺がそう呟くと、
「うん、清潔感のあるいいところじゃない!」
「あぁ、悪くないな」
二人は満足気に頷いた。
(……それにしても、まさかリアとローズまで一緒に付いて来るとは)
昨日――レイア先生との話を済ませた俺は、二人の入院している病院へ足を運んだ。
俺の無事を確認したリアとローズは、ホッと胸を撫で下ろし――そして白黒入り混じった頭を見てとても驚いた。
そうして話がひと段落したところで、白百合女学院へ転入する件を伝えると――二人は『あんな女子だらけのところへ、絶対に一人で行かせない!』と口を揃えた。
その後、リアとローズはすぐに先生と掛け合い、転入の許可をもぎ取ったのだ。
(……しかし、これは凄いな)
俺は正面にある本校舎を見上げた。
基本は白い石造り。
薄い紺色の瓦が敷き詰められた屋根は、その四方が塔のように尖っており、品格のようなものを感じさせた。
突き出したテラスには、可愛らしい椅子と机が置かれてある。
(……まるでお城のような学院だ)
そうして俺たち三人が、気品のある本校舎を見上げていると――周囲が騒がしくなっていった。
「と、殿方がどうして白百合女学院に……?」
「しかもアレは……姉様を倒したアレン=ロードルではなくって?」
「い、いったい何をしに参ったのでしょうか……?」
どうやら千刃学院の制服に身を包んだ俺たちは、少し悪目立ちをしてしまっているようだ。
「――リア、ローズ。早いところ、理事長のところへ挨拶に行こう」
「えぇ、そうね」
「承知した」
それから俺は事前に読み込んだ入学案内書を頼りに、白百合女学院へ踏み入った。
その後、正面の本校舎に入ってすぐ、
「――いらっしゃい。よく来たね、アレン。それと……リアとローズだったね。歓迎する」
イドラさんが俺たちを迎えてくれた。
イドラ=ルクスマリア。
透き通るような紺碧の瞳。
ハーフアップにされた、長く美しい真っ白な髪。
まるで作られたかのような端正な顔立ち。
すらっとした長身。
雪のように白い肌。
白地に青色のアクセントが施された――白百合女学院の制服に身を包んでいる。
「おはようございます、イドラさん」
「初めまして、リア=ヴェステリアです。短い間ですが、よろしくお願いします」
「ローズ=バレンシアだ。よろしく頼む」
俺たち三人がそう挨拶すると、
「……あっ。イドラ=ルクスマリア、よろしく」
イドラさんはワンテンポ遅れて、ゆっくりと自己紹介を始めた。
(……相変わらず、人とは違う時間を生きている人だなぁ)
俺がぼんやりそんなことを思っていると、
「――来て。校舎を案内する」
イドラさんはそう言って、廊下を歩き始めた。
「あっ、すみません。お気持ちは嬉しいんですが、まずはここの理事長に挨拶することになっていまして……」
俺がそうしてやんわりとお断りを入れると、
「大丈夫、これは理事長から頼まれた仕事。それにアレが学院に来るのは、いつもお昼を回ってから」
彼女はコクリと頷きながら、そう言った。
「あっ、そうだったんですね」
「うん。アレは基本『お飾り』だよ」
「な、なるほど……」
どうやら五学院の理事長は、あまり仕事をしない傾向にあるらしい。
「だから、私に任せて」
「はい、それではお願いします」
それから俺たちは、イドラさんの案内を受けて本校舎の設備を見て回った。
広い敷地・充実したトレーニング用品・恐ろしい数の霊晶剣に素振り用の剣。
(設備の充実具合は、千刃学院と同等――いや、それ以上だな)
さすがは五学院の一つ、白百合女学院と言ったところだ。
それに少し心配していたトイレと着替えは、男性教員用のものが使えるようでここも問題はない。
今のところ、学院生活で不便なことは無さそうだ。
「本校舎の設備はだいたいこんな感じ。……わかった?」
一階から三階まで、本校舎を一通り案内してくれたイドラさんは、小首を傾げながらそう言った。
「はい。おかげさまでだいたいのところは把握しました」
「そう、よかった。それじゃ次は、体育館と芸術棟を案内する」
「えぇ、お願いします」
そうして俺たちは、イドラさんの後に続いて本校舎を後にした。
本校舎の正面玄関を出て体育館へ移動していると――正門で何やら騒ぎが起きていた。
「ちっ……。邪魔すんじゃねぇよ、ぶち殺すぞ……っ!」
「そこをおどきなさい! 天罰が下りますよ!」
物騒な言葉を吐き散らす男の声が二つ。
「ちょ、ちょっと君たち! 落ち着いて!」
「だからねぇ、入校許可証の無い人は、入れないんだって!」
それをなんとか宥めようとする二つの警備の声。
ここから正門までかなりの距離があるが、それでも会話の内容が聞こえてくるほどに――白熱したやり取りが繰り広げられていた。
「ちっ、うざってぇな……っ。そこをどけって、言ってんだろうが!」
「ぐぁ……っ!?」
一際大きな怒鳴り声の直後、警備の人が吹き飛ばされた。
その瞬間、俺の脳裏に嫌な可能性がよぎった。
「……まさか、また黒の組織か!?」
奴等はリアの誘拐に失敗している。
もう一度仕掛けて来てもおかしくない。
「行きましょう、アレン!」
「今度こそ、返り討ちにしてくれる!」
「私も行く!」
俺たち四人は剣を抜き放ち、すぐに正門へ向かった。
するとそこで暴れていたのは――。
「てめぇら、氷王学院からアレンを強奪するったぁ、いい度胸じゃねぇか……あぁ!?」
「アレン様を返しなさい! 神を強奪するなど、いったい何様のつもりですか!?」
氷王学院の一年生シドー=ユークリウスとカイン=マテリアルだった。
「し、シドーさん!? カインさん!?」
予想外の犯人に俺が目を丸くしていると、
「てめぇ、アレン! こんなつまんねぇとこ抜けて、さっさと氷王学院へ戻りやがれ!」
「おぉ、神よ! よくぞご無事で……っ!」
こちらに気付いた二人は、中々にぶっ飛んだ内容を口にした。
「え、えーっと……っ」
俺がどう返答したものかと困惑していると、
「――アレンは私が手に入れた。君たちには渡さない」
イドラさんは俺の前に立ち、はっきりそう断言した。
「……あぁ? 『神童』だかなんだか知らねぇが、あんまり調子乗ってるとぶち殺すぞ……?」
「て、『手に入れた』ですと!? 神はみなのもの! 不敬が過ぎるぞ、イドラ=ルクスマリア!」
シドーさんは眉根を吊り上げ、カインさんは独自の理論を展開してイドラさんを攻め立てた。
(このままでは、マズい……っ)
そう判断した俺は、すぐに両者の間へ割って入った。
「い、一度落ち着きましょう! まずは冷静になって、話し合いなんてどうでしょうか?」
俺がそう提案すると、二人はこちらを一瞥し――再び向き合った。
「渡せ」
「やだ」
シドーさんとイドラさんの交渉は二秒で決裂した。
二人のコミュニケーション能力は、あまりに乏しかった。
すると次の瞬間。
「食い散らせ――<孤高の氷狼>ッ!」
「満たせ――<蒼穹の閃雷>ッ!」
短気なシドーさんと意外にも好戦的なイドラさんが、同時に魂装を展開した。
極寒の冷気と青い稲妻がほとばしり、二人の視線が激しく火花を散らす。
(お、おいおい……っ。それは洒落にならないぞ!?)
こんなところで二人がやり合えば、白百合女学院が崩壊してしまう。
「……ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
そうして仕方なく、止めに入ったその瞬間――白百合女学院全域を漆黒の闇が包み込んだ。
「なん、だ……っ!? このふざけた出力は……っ!?」
「アレン、君はどこまで……っ!?」
シドーさんとイドラさんは大きく目を見開き、こちらを注視した。
「……あ、あれ?」
俺は全身から吹き荒れるとんでもない量の闇を抑えつつ、
「え、えーっと……。もうちょっとだけ、落ち着いて話をしてみませんか?」
もう一度二人に冷静になるよう持ち掛けたのだった。