異常と白百合女学院【二】
ほぼ全壊した千刃学院を目にした俺が言葉を失っていると、
「――あ、アレン!? アレンじゃないかっ!」
黒ずんだ校舎の中から、レイア先生が飛び出して来た。
彼女はいつもの黒いスーツに、安全第一と書かれた黄色のヘルメットをかぶっている。
「レイア先生!」
「いやぁ、本当に無事でよかった! もしやと思って、ここで張っていたのは正解だったな!」
彼女はそう言って、背中をドンと叩いた。
「え、えっと……これはいったいどういう状況なんですか?」
聞きたいことは山ほどあるが、パッと口に出たのがこれだった。
俺の記憶では、千刃学院はここまでボロボロじゃなかったはずだ。
「ふむ、まぁ、いろいろとあってだな……。よし、詳しい話は中でしよう」
彼女はそう言って、ボロボロになった本校舎へ視線を向けた。
「な、『中』って……。大丈夫なんですか……?」
どう見ても、今にも崩れ落ちそうなんだけど……。
「案ずるな。本校舎は基礎がしっかりしている。見た目こそ酷い有様だが、倒壊の危険はない。それにここでは、どこに耳があるかわからんからな」
「わ、わかりました」
少しの不安はあるけど、いざとなれば闇の衣を纏えば大丈夫だろう。
そう判断した俺は、コクリと頷いた。
「よし、それでは行こうか」
「はい」
そうして俺は先生に付いて、理事長室へ向かったのだった。
■
本校舎の中は瓦礫が散乱しており、かなり歩きづらかった。
だけど、さっき先生が言っていた通り、基礎がしっかりしているためか、床や柱に大きな損傷は無かった。
理事長室への道すがら、俺は一つ質問を投げ掛けた。
「あの、リアとローズは……?」
二人はドドリエルの『影』に締め落とされ、意識を失った。
(心臓の鼓動と呼吸、両方しっかりしていたから大丈夫だとは思うけど……)
やっぱり少し……いや、かなり気掛かりだった。
「ん? あぁ、二人なら近くの病院で入院しているよ」
「入院……っ!? だ、大丈夫なんですか!?」
「心配するな。大事を取っての検査入院という奴だ。今朝方見舞いに行ってきたが、二人ともピンピンしていたよ。……君を探すと言って、暴れ出すほどにね」
「そうですか、それは本当によかったです」
俺がホッと胸を撫で下ろしたところで、理事長室に到着した。
「さっ、入ってくれ」
「はい、失礼します」
その後――先生は最奥にある理事長専用の椅子に腰掛け、机一つ挟んで俺と向き合った。
「さてそれでは、昨日の一件について話したいのだが……。その前にどこまで覚えている?」
「……っ!」
先生は、俺の記憶が一部欠けていることを知っているようだった。
話が早くて助かる。
「ドドリエルという剣士に心臓を貫かれ、その後の記憶が全くありません。気付いたら、ここからかなり離れた森にいました」
「なるほどな……。アレンの置かれた状況は、だいたいわかった。では、君が意識を失った後の話をしようか」
「はい、お願いします」
そこで俺は、衝撃の事実を耳にした。
俺が胸を貫かれた後、霊核が暴走したこと。
圧倒的な力でドドリエルと神託の十三騎士フーを破り、その後百を超える黒の組織をたった一人で殲滅したこと。
その戦いの余波で、千刃学院は壊滅的な被害を負ったこと。
「ほ、本当にそんなことが……っ!?」
「あぁ、全て事実だ」
先生はコクリと頷き、理事長室に沈黙が降りた。
「す、すみません……。いろいろと迷惑を掛けてしまったみたいで……」
そうして俺が頭を下げようとすると、
「――おっと勘違いは、してくれるなよ? 今回アレンは本当によくやってくれた。もし君がいなければ、もっと酷いケースなどいくらでも考えられたからな」
先生は素早く『待った』を掛けた。
「もっと酷いケース、ですか……?」
「あぁ。うちの生徒が皆殺しにされ、リアは連れ去られた挙句、黒の組織が逃走……とかな」
彼女は苦い顔でそう呟き、話を続けた。
「もしもそうなっていれば、私の首が飛ぶどころではすまん。千刃学院が廃校となり、この国は大きな混乱に陥っていただろう。今みんなが無事でいられるのは、ひとえに君のおかげだよ。――本当にありがとう」
レイア先生は立ち上がり、深く頭を下げた。
「そ、そんなやめてくださいよ……っ! 別に俺は、そんな大層なことをしていません。なんとか結界を破壊したぐらいで、後は全部アイツが――俺の霊核がやったことです!」
「謙遜はよせ。副理事長から聞いているぞ? 『凄まじく高度な結界をアレンくんが破壊してくれた』とな。それに霊核の強さというのは、それすなわち剣士の強さだ。胸を張っていい。この学院を救ったのは、他の誰でもない君だ」
「は、はぁ……」
そんなことを言われても……正直、全然実感が無い。
そうして俺が困惑していると――先生はこちらをジッと見たまま、黙りこくった。
(『超速再生』にアイツの白い毛髪が混じった頭……。マズいな、予想よりも格段に『道』の広がりが早い……。このままだともうじきにでも――)
どんどん難しい顔になっていく先生に、俺はたまらず声を掛けた。
「せ、先生……? どうかしましたか?」
「……いや、すまない。ちょっと考え事をしていただけだ。気にしないでくれ」
「あぁ、なるほど……。本当にお疲れ様です」
多分、とても疲れているんだろう。
政府から緊急招集を受けた直後に、黒の組織が襲って来たんだ――無理もない。
「ふふっ。十八号をフル活用しているから、そこまでの疲労は無いさ。――さて、それでは最後に逮捕者の話をしておこうか」
先生は一度咳払いしてから、淡々と事実を語った。
「確保できたのは、黒の組織の構成員およそ三百五十名。残念ながらフー=ルドラスとドドリエル=バートンは、取り逃してしまったようだ。……おそらくドドリエルが影を伝って、逃げ延びたのだろう。本当に厄介な能力だよ」
彼女は忌々しげにそう呟いた。
「……あれ、先生はドドリエルのことを知っているんですか?」
「あぁ、もちろんだ。近頃各地で暴れ回っている黒の組織の一番槍さ。恐ろしくタフで、何度致命傷を浴びせても立ち上がってくるそうだ。それに特筆すべきは、影を支配する奇妙な魂装……。アレのおかげで、国境警備がまるで意味を為さん。今回襲撃してきた奴等も、ドドリエルが影伝いに送り込んだのだろう」
「そうだったんですか……」
どうやらドドリエルは、かなりのお尋ね者になっているようだ。
「――よし、これで私の話は終わりだ。何か気になっていることはないか?」
先生はそう言って、会話のボールをこちらへ投げた。
(……聞かなくちゃ駄目、だよな)
これはとても重たい質問だ。
(……でも、人として逃げるわけにはいかない)
意識が無かったとはいえ、俺がやったことには変わりない。
奪った『命』から――目を背けるわけにはいかない。
「先生、その……。アイツが倒した黒の組織の構成員は、何人亡くなったのでしょうか……?」
意を決してそう問い掛けると、
「――ゼロだ。一人として死んだ者はいない。全員生きているよ」
信じられない回答が返ってきた。
「ほ、本当ですか!?」
「あぁ、発見されたときは瀕死の重傷だったそうだが……。死亡した者は一人として確認されていない」
「で、でもどうして……? 誰かがアイツを止めたんですか……?」
俺の霊核は、はっきり言って滅茶苦茶だ。
前回体を乗っ取られた時は、シドーさんを躊躇なく殺そうとしたらしい。
誰かが止めなければ、アイツはきっと破壊と殺戮の限りを尽くすはずだ。
「ははっ、君の霊核を止められる奴などそうはいないさ。おそらくは……わざとだろうな」
「……わざと? どういう意味ですか?」
「君はアイツと違って、『殺し』に強烈な忌避感があるだろう?」
「え、えぇ、当たり前じゃないですか!」
当然だ。
俺はアイツとは違う。
あんな血と暴力に快楽を見出すような戦闘狂ではない。
「これは私の推測だが……。君の薄まった意識を刺激しないようにしていたのだろうな」
「俺の意識を刺激しないように……?」
「あぁ。アイツは霊核である以上、アレンの制限を強く受ける。殺人みたく刺激的なことをすると、深い眠りについた君の意識が覚醒しかねないんだよ。もしそうなれば、奴は表の世界に長く居続けられなくなる」
「なるほど……」
そう言えば前に一度、魂の世界でアイツが似たようなことを言っていたっけか……。
確か俺の意識がはっきりとしている間は、この体を容易に乗っ取ることはできないとかなんとか……。
「まぁ一つ確かなことは――。アイツは君の体を奪った間に『何か』を達成したはずだ。そうでなくては、せっかく奪ったその体をすんなり返すわけがない」
「……いったい、何をしたんでしょうか?」
「残念ながら、それは私にもわからないな……。まず間違いなく、碌でもないことをやったのだろうがね……」
「……でしょうね」
そうして話がひと段落したところで、先生はパンと手を打った。
「――さて、これで『これまでの話』は終わりだ。ここからは『これからの話』をしようか」
彼女はそう言って、全く別の話題を振った。
「見ての通り、千刃学院は剣術学院としての機能を完全に失っていてね。こんな状態で授業などできるわけもない」
「……ですね」
いくら倒壊の恐れはないと言っても、こんな有様じゃ授業なんて到底無理だ。
「一応今日の午後から、本校舎の再建工事に入る予定だ。強化系・操作系の魂装使いを動員した大規模工事――おそらく二週間もあれば、元通りになるだろう」
「た、たったの二週間ですか!?」
「ふっふっふっ、凄いだろう? ……とんでもない額の金が飛ぶがな」
先生はそう言って、一瞬だけ青い顔を見せた。
「まぁそういうわけで明日以降、千刃学院は二週間ほど休校となるわけだが……。さすがにその間、全校生徒を休ませるわけにはいかん。剣士たるもの日々修業に励まなくては、ならないからな!」
彼女は何度も頷きながら、話を続けた。
「そこでだ! 千刃学院の工事が終了するまでの間――諸君らには、氷王学院で特別授業を受けてもらうことになった!」
「氷王学院、シドーさんのところですね!」
それはいい。
同じ五学院の一つ氷王学院。
シドーさんたちと毎日一緒に修業ができるなんて、願ってもない話だ。
「あぁ、きっとお互いにいい刺激になるだろう! ……だがな、アレン。君だけは、少し違うんだ」
「……え? 俺だけ、違う?」
何故だか、嫌な予感がした。
「あぁ、君だけは特別に――白百合女学院へ行ってもらうことになった。覚えているだろう? 剣王祭で破ったあの『神童』イドラ=ルクスマリアが所属する五学院の一つだ」
「え、えぇ!?」
そうして先生は突然、本当にとんでもないことを言い放ったのだった。